つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里

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第50話 ユリア・ラドロの過去(終)

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 恐怖に震え、シーツを頭まで被った瞬間。

 コンコンッ。
 遠慮がちな小さな音を立て、扉がゆっくりと開かれた。

「ユリア、おきている?」

 ロザンヌ様の声だ。声を抑えている。
 起き上がると、彼女が扉からこっそりと顔を出しているのが見えた。

「何か」
「うーんとね、こわくないかなって」

 彼女はそう言いながら側までやって来る。暗闇の中、扉から漏れた光が彼女を照らして枕を抱えた姿を形どった。
 この幼女は闇の中でも光をまとうらしい。私には眩しすぎる。

「よるはとくにね、こころがつかれていたり、なれないところにいるとね、ふだんは大人しくしているオバケが、こころのかべをやぶって中からでてくるんだって」
「心の中のオバケ……」
「そう。ユリアもそうかなって」

 こんな幼女に図星を指されて私は黙り込む。

「ロザンヌはね、おかあさまがオバケをやっつけてくれるから、あんしんしてねむれるの。だからユリアはロザンヌがまもってあげるね」
「私を、守る?」

 人を助けていい人間は、自分とその人を守れるだけの力がある人間だけだ。自分まで巻き込まれるような人では、かえって人の足を引っ張るだけ。こんな年端もいかぬ子に、何の苦労もしたことがない子に闇を抱えた私を守れるとでも言うのか。……笑わせる。

「うん! ロザンヌがユリアをまもるから、あんしんしてね! だってロザンヌはユリアもつかまえちゃう、スーパー女の子だもん」
「――っ!」

 自信ありげにえへんと胸を張る彼女に目を見張る。
 そうだ。私は確かにこの幼女に捕まってしまった。私をがっちり掴んで離さない強い力に。強い意志に。……きっとあの瞬間、心までも掴まれたのだ。

「私を守ってくれるのですか」
「うん! ぜったいまもってあげる!」

 絶対など、あの世界には無かった。約束は破られるものだった。約束など信じていなかった。口にするのも馬鹿らしかった。
 けれど。

「ならば、私もまたあなたを守ります。あなたの一番近くにいて、あなたを守ることを私は――約束します。必ず果たします」

 これまで私は自分が何のために、何を目的に生きているのか分からなかった。……いや。きっとこの先、何度も同じ事を考える時が来るだろう。しかし今は、この約束を果たすために生きたいと思う。

「うん! やくそくね」

 彼女は力強く頷くと、じゃあお邪魔しますと言って枕を置き、私の横に体を滑り込ませる。

「おやすみなさーい」
「おやすみなさい」

 幼子の温かい体温を身近に感じて震えが消え、私は自然に目を伏せた。


 あれから十年。
 いまだ感情を顔に出すことは難しいけれど、心の中はかなり豊かになったと思う。今ではダングルベール子爵家の方々は、些細な言動で私の感情を何となく察してくださっているようだ。
 そんな中、ロザンヌ様が王宮に侍女として上がることになった。そこでロザンヌ様は私に懇願してきた。

「ユリア、あのね。王宮に一人寂しかろうと殿下のご配慮で、うちから一人侍女を連れてきていいんだって。それで――」

 私はロザンヌ様の一番近くにいて守るとあの日約束した。だから私の答えは当然。

「謹んでお断り申し上げます」

 ……あれ。

「まだ何も言っ」
「謹んでお断り申し上げます」

 おかしい。

「いや、待っ」
「つ・つ・し・ん・で。お断り申し上げます」

 私はあの日誓ったはず。ロザンヌ様の一番近くにいて守ると。

「ちょっとぉ! わたくしがユリアを守り、あなたもまたわたくしの一番近くにいて守るっていう約束、忘れたの?」

 ロザンヌ様も覚えてくれていたらしい。しかもロザンヌ様が私を守るという約束もまだ継続しているらしい。

「忘れていません。ただ、奥様が嫌なものは嫌だと拒否して良いと」
「えー! ひどーい! ……ねねね。わたくしを助けると思って!」
「嫌です」

 そうか。分かった。なぜこんなに拒否してしまうのか。
 一つは、自己嫌悪する私の人格を形成したあの街に戻りたくないから。そしてもう一つは。

「お願いよ。ユリアが頷くまで、わたくしは何時間でも粘るからね」

 もう一つはロザンヌ様に対する甘噛みだろう。どこまで私のわがままが許されるのか。呆れずに、諦めずに付き合ってくれるのか。

「ふっ。望むところです。さあ、かかっていらっしゃいませ」

 きっと意志の強いロザンヌ様が粘り勝ちするに違いない。粘ってでも私を望んでくれるに違いない。それでも私はこの目でその瞬間を確かめてみたい。

「お願いユリア」
「嫌ですロザンヌ様」
「お願いよユリア」
「嫌ですよロザンヌ様」
「お願いお願いお願い!」
「嫌です嫌です嫌です!」


 目の前の幸福に怯え、震えている夜があった。けれど今は、この幸福が、この夜が少しでも長く続くことを私は心から願っている。
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