つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里

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第107話 人との距離の取り方

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 ああ……。やってしまった。

 ユリアに心を閉ざさないでと言われたばかりなのに、殿下との間にある扉を閉めてしまった。それは実際の距離でもあり、心の距離でもあり。

 殿下と離れたいわけではなかったのに。私は一体何をやっているのだろう。

 扉を背にその場に座り込む。すると、前方がふっと陰るのが分かった。ユリアだ。
 私は顔を上げる。

「ロザンヌ様、また殿下の影祓いでしたか」
「ええ。もう終わったわ」
「そうですか。では目を冷やしましょう」
「……そうね」

 ユリアの声はいつものように平坦で、それがかえって安心できる。

「お疲れなのですか?」
「ええ。そうなの。立たせてくれる?」
「はい。かしこまりました」

 ユリアが身を屈めて手を伸ばしてくれるので、私は彼女の手を取った。
 殿下でなければ私はこうやって誰の手でも取れるのにね。
 また自己嫌悪に陥りそうだった。


 憂鬱な気持ちを抱えたまま、朝を迎えてしまった。
 珍しく私がユリアに起こされる前に学校へ行く準備をしていたことで、彼女は何事が起こったのかと目を見張る。

「ロザンヌ様、天変地異を起こすおつもりですか」

 やっぱり言った! 言うと思った。

「わたくしが自力で起きられたらそんなにおかしい?」
「はい」

 何の迷いもなく即答するユリアに私は苦笑いする。

「わたくしだってたまには自分一人で起きられるわよ」

 あくまでもたまには・・・・、だけれど。

「眠れなかったのですか」
「ううん。それは大丈夫。しっかり眠ったわ」
「そうですか」

 ユリアはそう言ったっきり黙り込んでいたが、不意に口を開いた。

「ロザンヌ様、私も昨夜一晩考えたのですが」
「何を?」
「人との距離の取り方です」
「え?」

 もしかして私のために考えてくれたの?

「昨日、ジェラルド様に短剣による剣術をご指導いただいたのですが、あの方は素晴らしいです」
「ん?」
「これまで対戦した相手は倒せましたが、ジェラルド様はまるで隙がありませんでした」
「うん? ……あ、うん」

 どうやら話の方向性が違ったらしい。ユリアの剣術の話だったようだ。

「剣術の指導後、対戦の形も取らせていただきましたが、一度たりとも懐に入らせてもらえませんでした」

 懐って、元盗人が言うと生々しく聞こえるな! そして何だか元盗人としてのプライドを砕かれたような、若干悔しそうな言い方に聞こえるけれど、大丈夫かな。うん、大丈夫だよね……。

「私の速さや運動能力は長所ではありますが、それだけでは今後、研究されると容易に勝たせてもらえなくなると」

 ユリアは飛び入り参加だし、剣の型というのも独学で一般の型にはまっていなかったみたいだから、誰も対応しきれなかったけれど、研究されると熟練者には対応されてしまうということなのね。

「だからこれからは人と人の距離の取り方、間合いにももっと気を配っていく方が良いと教えていただきました。間合いは人によって違うので、自分にとっては近く、相手には遠く感じるように。常に自分にとって有利な距離を取るように動くのだと。そのためにまずは自分の間合いを知り、相手の間合いを知ることが大切だと」
「そう」
「ええ。自分には有利になり、相手には不利になる位置を、相手の間合いを知ること。すなわち総じて相手のことをよく知ることが重要なのです」

 ユリア、段々ノってきたな。
 声の抑揚が無いながらも、しっかりと力説している。

「そうなのね。ジェラルド様から大切な事を教わったのね。ユリアならきっとできるわ。飲み込みが早いもの」
「はい。ですから私が習得できました折には、ロザンヌ様にもその技をご教示いたしましょう」
「……ん? え? 待って何? 何の話? 剣術の話ではなかったの?」

 いきなり私に話を戻されて混乱した。

「ええ。ですが、間合いの取り方は何も戦闘術だけに限らず、日常生活でも通ずるものだと考えます」
「あ、うん……まあそう、なのかな?」

 これはもしや昨日、殿下との距離感について悩んでいた私に、自分が対戦相手との距離間を習得した暁には教えてあげようという意味なのでしょうか。気持ちはありがたいけれど、それはちょっと違うような気が……。

「大丈夫です。すぐに習得してみせますのでご安心を」
「ああウン、アリガトネ……」

 私のために俄然やる気で瞳に火が灯っているユリアを前に、それは違うと思うよと否定することができず、私はこくんと頷いてみせた。
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