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第272話 助ける。それとも
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鳴いている。
何かが鳴いている。
ニャアニャアと。
猫が。
……ネロが鳴いている。
私を起こすためにネロが鳴いている。
頭の中に響き渡る猫の鳴き声で私は重いまぶたを開けた。
まだぼんやりする頭でも気付いたのは、薄暗い室内と床から頬に伝わる冷たさ。
冷たい。冷たい床?
そうだ。私は冷たい床に倒れた。背後から殴られたような衝撃を受けて。私は殴られたんだ。あの男に。ギヨーム・グリント伯爵子息に。誘き出されて。
――に、げて。にげて。
不意にマリエル嬢の声が蘇る。
「マリエル様! ……っ」
現状に気付いて身を起こすと襲ってきたのはガンガンと響く頭の痛み。
目の前が回り、起こした身体を再び地に沈める。いきなり動きすぎたようだ。
私は呼吸を整え、地に手をつくとおもむろに上半身を起こした。
教室の床だと思われた地は石畳だった。学校にこんな施設はない。どこか別の場所に運ばれたようだ。つまり最悪の事態が起きているということらしい。
「お目覚め?」
突如、コツコツと足音と共に聞き覚えのある女性の声が頭上に降ってきて、私はびくりと体が硬直する。
この声は……。
ゆっくりと顔を上げるとそこに立っていたのは。
「クラウディア様……」
手元のランプで照らし出されたクラウディア・ベルモンテ侯爵令嬢は今、この部屋で唯一の存在感を放っている。
いつもは女性が憧れるような豊満な体を惜しみなく見せる衣服に身を包んでいるが、今日はだぶりとした衣服でその体形を隠している。まるでそれは魔術師が着るかのような真っ黒な衣服だ。それでもなお蠱惑的な雰囲気を漂わせている。
彼女はランプを足元に置き、近くにあったらしい椅子に座って足を組むと、踏まれたら痛そうなヒールの高い黒光りした靴が姿を見せた。
「這いつくばって無様な格好ね。あら、失礼。ごきげんはいかがしら。ロザンヌ・ダングルベール子爵令嬢」
いまだ頭がくらくらし、足も重だるさを感じて上半身を起こすだけでやっとなのだ。良いわけがない。
けれど挑発するような物言いに思わず目を細める。
「クラウディア様……。なぜここに。ここはどこでしょうか?」
「相変わらず意志の強そうな瞳だこと。下級貴族の娘のくせに生意気な目ね。――まあ、いいわ。ここはベルモンテ家の屋敷の地下にある祭壇の間よ。初めて部外者を入れたの。感謝なさい」
祭壇の間。
ここできっと様々な呪術が行われてきたのだろう。どんよりした何かがまとわりつくような嫌な空気が漂っているのはそのせいか。
「祭壇とは何を祀っているのですか」
どんな場所なのだろうか。めまいがしてはっきりしない頭と薄暗さで状況がつかめない。ただ染み付いたような血の臭いと腐敗臭が漂っているような感じがする。
「そんなこと、あなたが知る必要のないことよ」
「では。わたくしはなぜここにいるのでしょうか」
「どうしてですって? それはあなたが一番知っているのではないかしら?」
ええ。知っている。けれど、クラウディア嬢が私の存在に気付いていたとは知らなかった。一体いつから知られていたのだろう。
影祓いの依頼が来なくなったことを不審に思われたら、調べ上げられ、いずれ知られることになるだろうとは思っていた。けれどまだ何の準備も、呪いの解明もできていないのに。
私は唇を噛み締めた。
今はとにかくこの場を切り抜けなければ。
「おっしゃっている意味が分かりません」
「わたくしが言っていることが分からないと言うの。では、自分から説明したくなるようにしてあげましょう」
クラウディア嬢が立ち上がり、近くのランプに火を入れると薄暗かった部屋が少し光を取り戻す。
「ご覧なさい」
薄く笑みを浮かべるクラウディア嬢に言われるまま目を凝らして見ると、そこには横たわるマリエル嬢がいた。
「マリエル様!」
意識を失っているのだろうか。反応はない。ただ、苦しそうな息遣いだけを繰り返している。
「晩餐会の時に庇っていたあなたの大事なお友達でしょう。苦しんでいるようね。また助けてさしあげたら?」
「助ける」
「そうよ。わたくしはこの娘に体を患わせる影を取り憑かせたの。あなたには影を消すことができるのではなくて?」
クラウディア嬢は私の影祓いを直接目撃したことはない。だからある程度の推測はついていても、確信しているわけではないはずだ。私が今マリエル嬢を助けなければ、まだ言い逃れする機会をつかむことができる。できるけれど。
――迷うことなんてない。当然、放っておけるわけがないでしょう!
私はマリエル嬢に近くに寄るために片膝を引き、もう片方の足を引き寄せようとした瞬間。
何かに引っかかって私は前のめりに崩れた。
「きゃっ!?」
何。今、何か足に引っかかった。
振り返って自分の足元を見ると、足首に拘束具をつけられているのが見えた。その少し先には重そうな丸い玉が転がっている。
「あーら。ごめんなさい。足枷をさせてもらっていると伝え忘れていたわ」
クラウディア嬢はさも可笑しそうに高らかに笑った。
何かが鳴いている。
ニャアニャアと。
猫が。
……ネロが鳴いている。
私を起こすためにネロが鳴いている。
頭の中に響き渡る猫の鳴き声で私は重いまぶたを開けた。
まだぼんやりする頭でも気付いたのは、薄暗い室内と床から頬に伝わる冷たさ。
冷たい。冷たい床?
そうだ。私は冷たい床に倒れた。背後から殴られたような衝撃を受けて。私は殴られたんだ。あの男に。ギヨーム・グリント伯爵子息に。誘き出されて。
――に、げて。にげて。
不意にマリエル嬢の声が蘇る。
「マリエル様! ……っ」
現状に気付いて身を起こすと襲ってきたのはガンガンと響く頭の痛み。
目の前が回り、起こした身体を再び地に沈める。いきなり動きすぎたようだ。
私は呼吸を整え、地に手をつくとおもむろに上半身を起こした。
教室の床だと思われた地は石畳だった。学校にこんな施設はない。どこか別の場所に運ばれたようだ。つまり最悪の事態が起きているということらしい。
「お目覚め?」
突如、コツコツと足音と共に聞き覚えのある女性の声が頭上に降ってきて、私はびくりと体が硬直する。
この声は……。
ゆっくりと顔を上げるとそこに立っていたのは。
「クラウディア様……」
手元のランプで照らし出されたクラウディア・ベルモンテ侯爵令嬢は今、この部屋で唯一の存在感を放っている。
いつもは女性が憧れるような豊満な体を惜しみなく見せる衣服に身を包んでいるが、今日はだぶりとした衣服でその体形を隠している。まるでそれは魔術師が着るかのような真っ黒な衣服だ。それでもなお蠱惑的な雰囲気を漂わせている。
彼女はランプを足元に置き、近くにあったらしい椅子に座って足を組むと、踏まれたら痛そうなヒールの高い黒光りした靴が姿を見せた。
「這いつくばって無様な格好ね。あら、失礼。ごきげんはいかがしら。ロザンヌ・ダングルベール子爵令嬢」
いまだ頭がくらくらし、足も重だるさを感じて上半身を起こすだけでやっとなのだ。良いわけがない。
けれど挑発するような物言いに思わず目を細める。
「クラウディア様……。なぜここに。ここはどこでしょうか?」
「相変わらず意志の強そうな瞳だこと。下級貴族の娘のくせに生意気な目ね。――まあ、いいわ。ここはベルモンテ家の屋敷の地下にある祭壇の間よ。初めて部外者を入れたの。感謝なさい」
祭壇の間。
ここできっと様々な呪術が行われてきたのだろう。どんよりした何かがまとわりつくような嫌な空気が漂っているのはそのせいか。
「祭壇とは何を祀っているのですか」
どんな場所なのだろうか。めまいがしてはっきりしない頭と薄暗さで状況がつかめない。ただ染み付いたような血の臭いと腐敗臭が漂っているような感じがする。
「そんなこと、あなたが知る必要のないことよ」
「では。わたくしはなぜここにいるのでしょうか」
「どうしてですって? それはあなたが一番知っているのではないかしら?」
ええ。知っている。けれど、クラウディア嬢が私の存在に気付いていたとは知らなかった。一体いつから知られていたのだろう。
影祓いの依頼が来なくなったことを不審に思われたら、調べ上げられ、いずれ知られることになるだろうとは思っていた。けれどまだ何の準備も、呪いの解明もできていないのに。
私は唇を噛み締めた。
今はとにかくこの場を切り抜けなければ。
「おっしゃっている意味が分かりません」
「わたくしが言っていることが分からないと言うの。では、自分から説明したくなるようにしてあげましょう」
クラウディア嬢が立ち上がり、近くのランプに火を入れると薄暗かった部屋が少し光を取り戻す。
「ご覧なさい」
薄く笑みを浮かべるクラウディア嬢に言われるまま目を凝らして見ると、そこには横たわるマリエル嬢がいた。
「マリエル様!」
意識を失っているのだろうか。反応はない。ただ、苦しそうな息遣いだけを繰り返している。
「晩餐会の時に庇っていたあなたの大事なお友達でしょう。苦しんでいるようね。また助けてさしあげたら?」
「助ける」
「そうよ。わたくしはこの娘に体を患わせる影を取り憑かせたの。あなたには影を消すことができるのではなくて?」
クラウディア嬢は私の影祓いを直接目撃したことはない。だからある程度の推測はついていても、確信しているわけではないはずだ。私が今マリエル嬢を助けなければ、まだ言い逃れする機会をつかむことができる。できるけれど。
――迷うことなんてない。当然、放っておけるわけがないでしょう!
私はマリエル嬢に近くに寄るために片膝を引き、もう片方の足を引き寄せようとした瞬間。
何かに引っかかって私は前のめりに崩れた。
「きゃっ!?」
何。今、何か足に引っかかった。
振り返って自分の足元を見ると、足首に拘束具をつけられているのが見えた。その少し先には重そうな丸い玉が転がっている。
「あーら。ごめんなさい。足枷をさせてもらっていると伝え忘れていたわ」
クラウディア嬢はさも可笑しそうに高らかに笑った。
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