つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里

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第284話 小さな幸せ

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 もしかしてマリエル嬢も私の登校を毎日待ってくれていたのだろうか。
 私はマリエル嬢に足早に近付くと、彼女も私に気づき。

「本当にごめんなさい、マリエル様!」
「本当にごめんなさい、ロザンヌ様!」

 開口一番の言葉は、二人して同じ謝罪の言葉だった。

「どうしてマリエル様がお謝りに!」
「どうしてロザンヌ様がお謝りに!」

 また同時に私たちは口にした。
 すると何だかおかしくなって、二人、苦笑いの後にひとしきり笑い合う。
 やがて落ち着いた頃、マリエル嬢が先に口を開いた。

「ロザンヌ様、三日もお休みになられましたが、お体は大丈夫でしょうか」
「ありがとうございます。もうすっかり元気です。マリエル様は大丈夫ですか」
「はい。わたくしはただ軽く薬を嗅がされただけみたいですので、一日お休みしただけで体調は戻りました」

 薬を嗅がされた。
 そう説明されたのか。それ以外、急に倒れた理由にはならないものね。

「……ギヨーム様はクラウディア様に頼まれて、ロザンヌ様を誘き出すのだということを夢うつつで聞かされました。ロザンヌ様はクラウディア様に酷いことをされたのでしょうか」

 マリエル嬢はクラウディア嬢に逆らう私の姿をご覧になっているから、余計にご心配なのだろう。ただ、彼女は線の細いお方だから、命を奪われそうになったなどと言ったら、卒倒されるに違いない。黙っておこう。

「わたくしもグリント様にだと思うのですが、後頭部を殴られて意識を失ってしまったのです。次に気付いた時にはベッドの中でしたから、何があったのか良く分かっていないのです」
「そうでしたか。だとしたら、良かったです」

 ほっとしたように微笑んだが、すぐにはっとする。

「いえ。後頭部を殴られたのであれば、良かったということにはなりませんね」
「大丈夫ですよ。わたくし、石頭ですから。でも何も覚えていないことが救いということもありますから、やはり良かったのです」
「そうですか」

 再び微笑まれるマリエル嬢に、今度は若干ためらいつつも私から尋ねてみる。

「マリエル様は……大丈夫でしょうか」
「はい。全く問題ありませんとは申し上げられませんけれど。ですが、ロザンヌ様に酷いことをなさった方でしたが、お優しい所もあった方なのです」
「はい」

 私は頷く。
 彼女は幸せそうだった。その時間は決して嘘ではなかった。

「わたくしを楽しませてくれ、華やかな気持ちにさせくれ、白黒の光景だった日常を彩ってくれる方でもあったのです」
「はい」

 笑顔浮かべるマリエル様の目からはらはらと溢れ落ちる涙に、私は切なくなってたまらず彼女を抱きしめる。

「わたくしが初めて自分の意志で選んだ方でした」
「はい」
「わたくしが初めて心を動かした方でした」
「はい」
「わたくしが初めて恋を。恋い焦がれた方だったのです」
「はい、マリエル様。彼は間違いなく、あなたをお美しく幸せにしてくれた方でした」
「――っ。ロザンヌ様」

 私を強く抱きしめ返した彼女はこの日、初めての恋を完全に終わらせた。


 一度化粧室に寄り、ほとぼりが冷めたら教室に向かうと言ったマリエル嬢といったん別れ、私は一足先に教室へと向かうことになった。
 教室に近付いていくと、見知ったクラスメートの後ろ姿が見えた。何だかイライラしながら誰かを待っている様子だ。

「おはようございます、カトリーヌ様」

 背中に声をかけるとびくっと震わせ、慌ててこちらを見る。

「な、何!? 背後から声をかけるって何なのよ!? いつもはあっちから来るじゃない!」
「はあ。少し寄る所があったものですから」

 別にいつもと違う階段を使ったって構わないでしょうに。

「驚かせて、わたくしの心臓を狙ったの!?」
「狙っていませんけれど」

 なぜそうなる。と言うか、そんなことでどうにかなる、やわな心臓でもあるまい。

「失礼ね!」
「あ。声に出ちゃいました」
「な、何よ。いつもと何にも変わらないじゃない。心配して損をしたわ」

 カトリーヌ嬢は腕を組むと、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。

「心配してくださったのですか?」
「誰が心配したなどと言ったのよ!」

 ぐるんと顔を戻してカトリーヌ嬢は叫んだ。

 え。言いましたけど……。
 私はつい笑みを零してしまうと、彼女は頬を赤く染めた。

「あ、あなたがいないと教室が静かすぎてつまらないだけよ!」
「そうでしたか」

 どうやらカトリーヌ嬢もまた私の登校を待っていてくれたらしい。
 ほんの些細な事かもしれないけれど、幸せだなと思う。日常に小さな幸せが潜んでいてもいつもは気付くことができない。だから気付いた時こそ、それを大事にしよう。

「じゃ、じゃあね。わたくしはもう行くわ」

 行くわって同じ教室なんですけれどね。
 と、また笑みが溢れながら。

「カトリーヌ様。ご心配いただき、誠にありがとうございました。また本日からよろしくお願いいたします」
「――っ。あ、あなたがそこまで頭を下げるなら相手にしてやってもいいわよ」

 待て。
 頭は下げていない。
 という思いが一瞬過ぎったが、堪えきれずくすくすと笑う。

「ええ。どうぞよろしくお願いいたします、カトリーヌ様」

 私は日常の小さな幸せを快く受け入れた。
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