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1話
記憶喪失と決断<2>
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最初はただの腰痛だと思っていた。しかし、湿布を貼っても整体に行っても中々治らないので、近所の整形外科に行った。そしたら、念の為、精密検査をした方がいいと言われ、紹介された大学病院で検査を受けた。
希美の推しと同じステージ4の珍しいガンだと言われたのは、先週のことだ。
主治医の西山先生は一刻も早く治療を始めた方がいいと言ったが、効くかどうかわからない抗がん剤を試すのはどうかと思った。
抗がん剤はガン細胞と同時に正常な細胞も攻撃するので、副作用はけっこう辛いらしい。白血球の数値が下がるので病気にもかかりやすくなるし、体力も失う。
だから、効くかどうかわからない抗がん剤治療を受ける気にならない。それに西山先生に処方してもらった痛み止めが効いてくれて、腰痛の問題は解消されている。この一週間、僕は元気だ。久しぶりに腰痛から解放されて気分がいい。
できることなら今のまま普通の生活を続けたいと思っていたが、今朝、希美から妊活再開をもちかけられ、自分が余命半年であることを思い出した。
希美に本当のことを話さないまま妊活はできないし、今の僕が子どもを持っていいのかわからない。
はあ、と仕事中にパソコンの前でため息をつくと、隣の席の坂本が「倉田、どうした?」と聞いてきた。坂本は同期で、会社では一番親しい。一人で悶々と悩む僕とは違い、坂本は誰に対してもフレンドリーで話しやすいやつだった。
身長は170㎝の僕と同じくらいで、僕よりガッチリとした体型をしている。
趣味は釣りでよく誘われるが最近は行っていない。
「いや、なんでも」
笑って誤魔化すと、「メシ行こうぜ」と坂本が立ち上がる。
もう十二時になる所だった。
「偶には外で食おう」と坂本に連れて来られたのは、屋上庭園だ。
整備された花壇にはチューリップやビオラ、パンジーなどの色とりどりの花が咲き、甘い匂いが香っていた。
今は春なんだと改めて思う。
坂本と横並びで木製のベンチに腰かけ、ファストフード店でテイクアウトしたハンバーガーを食べる。
好物の照れ焼きバーガーだったが、今日はあまり美味しく感じない。
「いい天気だな」
坂本が青空に視線を向ける。
水彩絵の具で描いたような淡い水色の青空が広がっていた。
「もうすぐゴールデンウィークだな」
坂本の言葉にすっかりそんなことも忘れていた。
例年だったら、千葉県の南房総市にある両親から受け継いだ空き家の管理をする為、希美と泊りがけで行くことになっているが、希美がずっと落ち込んでいたので、予定は未定のままだった。
「そうだな」
相槌を打ちながら、家の方も何とかしなければと思う。
きっと草がぼうぼうだ。
数年前に両親が田舎の家を処分すると言ったが、海に近く、自然豊かなあの場所を手放すのが惜しくて、譲ってもらった。
元々は亡くなった祖母の家だった。
「奥さんと喧嘩でもしたか?」
坂本の問いにドキッとして、アイスコーヒーに咽る。
「倉田、大丈夫か?」
坂本が心配するようにこっちを見る。
「喧嘩はしていない。変なこと言うなよ」
「でも、なんかあったんだろう? 先週から上の空じゃないか」
普段通りにしていたつもりだったが、坂本は僕の変化に気づいていたようだった。
「話だけでも聞くぞ」
屋上庭園に連れ出された意味がやっとわかった。
ここはあまり人が来ないから、悩みなんかを打ち明けるには丁度いい。
しかし、余命半年なんて話できない……。
「奥さん、まだ推しが亡くなって落ち込んでいるのか?」
「いや、それはもうない」
「じゃあ、妊活か?」
坂本の言葉に思わず目が丸くなる。
僕の反応を見て「妊活か」と坂本が確信を得るように呟いた。
一度、坂本に妊活を始めたという話をしたことがあったが、それにしても鋭い。鋭すぎる。
「この日にしなきゃいけないと言われると萎えるって言うしな。まあ、独身の俺にはわからんが」
そう言って坂本が笑い、僕の肩を叩く。
「余計なことは考えず自然に任せたらいいんじゃないか」
坂本の慰めの言葉が無責任に聞こえる。
余命半年の僕が子どもを作るなんて、そんな無責任なことはできない。きっと子どもが生まれる頃には僕はこの世にいないだろうし、そうなったら希美が一人で育てることになる。それに最初から父親がいないなんて子どもが可哀そうだ。
そう考えると、僕は子どもを持ってはいけない。
希美に子どもは欲しくないとハッキリ言うべきだが、希美を傷つけそうで言えない。
希美に言えないことがどんどん増えていく。
くそっ、なんで僕は病気なんだ。
苛立ちをぶつけるように坂本が持っていたポテトを食べると、「うわっ、人の食うな」と言われるが、食ってやった。
*
仕事の後、ファミレスで時間を潰して、帰宅したのは午前0時過ぎだった。
先に寝ていると思った希美は起きていて、僕が帰ってくるなり「話がある」と鬼気迫る勢いで言った。
何かやらかしたかなと思いながら、リビングの3人掛けのソファに腰を下ろすと、難しい顔をした希美がローテーブルを挟んだ向かい側に座り、スーッと何かの紙をテーブルに置いた。
「これは何?」
紙を見た瞬間、血の気が引く。
テーブルに置かれたのは大学病院での検査結果だった。どうして希美が持っているんだ?
希美の推しと同じステージ4の珍しいガンだと言われたのは、先週のことだ。
主治医の西山先生は一刻も早く治療を始めた方がいいと言ったが、効くかどうかわからない抗がん剤を試すのはどうかと思った。
抗がん剤はガン細胞と同時に正常な細胞も攻撃するので、副作用はけっこう辛いらしい。白血球の数値が下がるので病気にもかかりやすくなるし、体力も失う。
だから、効くかどうかわからない抗がん剤治療を受ける気にならない。それに西山先生に処方してもらった痛み止めが効いてくれて、腰痛の問題は解消されている。この一週間、僕は元気だ。久しぶりに腰痛から解放されて気分がいい。
できることなら今のまま普通の生活を続けたいと思っていたが、今朝、希美から妊活再開をもちかけられ、自分が余命半年であることを思い出した。
希美に本当のことを話さないまま妊活はできないし、今の僕が子どもを持っていいのかわからない。
はあ、と仕事中にパソコンの前でため息をつくと、隣の席の坂本が「倉田、どうした?」と聞いてきた。坂本は同期で、会社では一番親しい。一人で悶々と悩む僕とは違い、坂本は誰に対してもフレンドリーで話しやすいやつだった。
身長は170㎝の僕と同じくらいで、僕よりガッチリとした体型をしている。
趣味は釣りでよく誘われるが最近は行っていない。
「いや、なんでも」
笑って誤魔化すと、「メシ行こうぜ」と坂本が立ち上がる。
もう十二時になる所だった。
「偶には外で食おう」と坂本に連れて来られたのは、屋上庭園だ。
整備された花壇にはチューリップやビオラ、パンジーなどの色とりどりの花が咲き、甘い匂いが香っていた。
今は春なんだと改めて思う。
坂本と横並びで木製のベンチに腰かけ、ファストフード店でテイクアウトしたハンバーガーを食べる。
好物の照れ焼きバーガーだったが、今日はあまり美味しく感じない。
「いい天気だな」
坂本が青空に視線を向ける。
水彩絵の具で描いたような淡い水色の青空が広がっていた。
「もうすぐゴールデンウィークだな」
坂本の言葉にすっかりそんなことも忘れていた。
例年だったら、千葉県の南房総市にある両親から受け継いだ空き家の管理をする為、希美と泊りがけで行くことになっているが、希美がずっと落ち込んでいたので、予定は未定のままだった。
「そうだな」
相槌を打ちながら、家の方も何とかしなければと思う。
きっと草がぼうぼうだ。
数年前に両親が田舎の家を処分すると言ったが、海に近く、自然豊かなあの場所を手放すのが惜しくて、譲ってもらった。
元々は亡くなった祖母の家だった。
「奥さんと喧嘩でもしたか?」
坂本の問いにドキッとして、アイスコーヒーに咽る。
「倉田、大丈夫か?」
坂本が心配するようにこっちを見る。
「喧嘩はしていない。変なこと言うなよ」
「でも、なんかあったんだろう? 先週から上の空じゃないか」
普段通りにしていたつもりだったが、坂本は僕の変化に気づいていたようだった。
「話だけでも聞くぞ」
屋上庭園に連れ出された意味がやっとわかった。
ここはあまり人が来ないから、悩みなんかを打ち明けるには丁度いい。
しかし、余命半年なんて話できない……。
「奥さん、まだ推しが亡くなって落ち込んでいるのか?」
「いや、それはもうない」
「じゃあ、妊活か?」
坂本の言葉に思わず目が丸くなる。
僕の反応を見て「妊活か」と坂本が確信を得るように呟いた。
一度、坂本に妊活を始めたという話をしたことがあったが、それにしても鋭い。鋭すぎる。
「この日にしなきゃいけないと言われると萎えるって言うしな。まあ、独身の俺にはわからんが」
そう言って坂本が笑い、僕の肩を叩く。
「余計なことは考えず自然に任せたらいいんじゃないか」
坂本の慰めの言葉が無責任に聞こえる。
余命半年の僕が子どもを作るなんて、そんな無責任なことはできない。きっと子どもが生まれる頃には僕はこの世にいないだろうし、そうなったら希美が一人で育てることになる。それに最初から父親がいないなんて子どもが可哀そうだ。
そう考えると、僕は子どもを持ってはいけない。
希美に子どもは欲しくないとハッキリ言うべきだが、希美を傷つけそうで言えない。
希美に言えないことがどんどん増えていく。
くそっ、なんで僕は病気なんだ。
苛立ちをぶつけるように坂本が持っていたポテトを食べると、「うわっ、人の食うな」と言われるが、食ってやった。
*
仕事の後、ファミレスで時間を潰して、帰宅したのは午前0時過ぎだった。
先に寝ていると思った希美は起きていて、僕が帰ってくるなり「話がある」と鬼気迫る勢いで言った。
何かやらかしたかなと思いながら、リビングの3人掛けのソファに腰を下ろすと、難しい顔をした希美がローテーブルを挟んだ向かい側に座り、スーッと何かの紙をテーブルに置いた。
「これは何?」
紙を見た瞬間、血の気が引く。
テーブルに置かれたのは大学病院での検査結果だった。どうして希美が持っているんだ?
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