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魚の反乱
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メダカのメダちゃんは激怒した。
必ずや、あの暴虐無人の猫を許してはならぬと。
水槽の中で、メダカはぐるりを一回転して怒りを露わにした。
「いや、そうは言ってもさ。相手は猫だぞ?」
グッピーのぐっちゃんは、諦めるのが早い。
南国の気質のせいか、グッピーたちは、何かにつけて我慢が効かないとメダちゃんは思う。
残念な話だ。
一般家庭にしては、少々大きめのこの水槽世界で育んだ友情はある。
グッピーのぐっちゃんは、メダちゃんの親友だ。
だが、せっかくメダちゃんが怒りに立ち上がって、猫に怒りを向けたというのに、出鼻を挫く発言は聞き捨てならない。
「その蛍光色のひれは節穴か!」
メダちゃんは、すぐに言い返す。
「いや、別に蛍光色は、特に関係ないだろ。なんだよ、ひれが節穴って!」
ぐっちゃんの反論は、かなり正論だ。
目が節穴かどうかなら分かるが、ひれが節穴という概念は、さすがに魚界といえども……ない。
「かの英雄、大きな魚に群れで立ち向かった『僕が目になるよ!』君のように、猫を駆逐することは、きっとできるはずだ!」
メダちゃんが、怒りでひれを震わす。
気持ちはぐっちゃんも分かる。
二十五匹の魚たち、皆、猫には困っているのだ。
穏やかに水槽ライフを楽しむ魚たちを、じっと見つめる大きな瞳には、威圧感がある。
猫は、水槽の蓋を開けはしない。
ただ、じっと見ているだけなのだが、魚たちにとっては、たまったものではない。
遺伝子レベルで刻み込まれた恐怖が蘇り、ストレス絶大になるのだ。
「じゃあさ、皆で編隊を組んで……大きな魚のふりして猫を威圧する?」
「ぐっちゃんよ。それでは、意味がない。大きな魚になったとて、猫が怖がるか?」
きっとメダちゃんがぐっちゃんを睨む。
吐き出す泡も、ブクブクと激しく、メダちゃんの興奮を現わしている。
「いや、喜ぶだろうな」
だって、猫にとって魚は獲物。
それは、猫が普段食べている餌の絵柄を見れば分かる。
お魚ミックスだの、カツオ風味だの、おぞましい猫の食べ物の名前。
ご飯の袋にプリントされた生気を失った魚の絵柄。
それは、全身の毛も……全身の鱗もよだつ光景だ。
だから、猫にとって魚は獲物。
獲物が大きくなったとすれば、それは、猫には喜びしかないだろう。
何だったら、我慢できずについに手を出してくるかもしれない。
最悪だ。
だって、猫にとって魚は獲物。
進撃の猫に城壁を破られて、猫の口に母が収まる光景なんて、ぐっちゃんは見たくない。
「だろう。だから、俺達が大きな魚に擬態したところで、何の効果もないんだ!」
「だったら、どうするって言うんだよ」
ぐっちゃんは、もうそろそろ、この不毛な会話に飽きてきていた。
もうすぐ、飼い主の人間が、餌をまいてくれる時間だ。
早く水面に上がって、美味しい餌にありつきたいと思うのが、正しい魚情ではないか。
そうに違いない。
「待て、ぐっちゃん!」
水面に浮上しようとするぐっちゃんをメダちゃんが引き留める。
「なんだよ。お前も早くしないと、食いっぱぐれるぞ?」
何せこの水槽には、二十五匹も魚がいるのだ。
メダカが十匹。
グッピーが十五匹。
お魚天国を形成している。
みんな、腹ペコ。ご飯は、有限。
うかうかしていると、食事はなくなってしまうのだ。
「我ら一匹一匹は小さくとも、二十五匹の力を合わせれば、必ずや猫に一泡吹かせることができるのだ!」
「いや、だからどうするんだよ」
「それを考えているのではないか」
おい、ここまで会話を引っ張って、考えなしとは、酷くないか?
もうちょっと目処を立ててから提案するのが社会人のマナーではないか。
そろそろ本気でぐっちゃんは嫌になる。
「ぐっちゃん、頼むから一緒に考えてくれ」
「メダちゃん……そう言われても……」
ぐっちゃんだって、猫の嫌いな物なんて考えたことなんて、ないのだ。
巨大な体のモフモフの猫。
大きな瞳で、じっとこちらを見て、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
赤い口をパカリと開けて、手をサリサリと舐める様は、思い返してもゾッとする。
あの口に吸いこまれたら、辞世の句を詠むまでもなく魚生が終わるのだ。
ぐっちゃんは、想像しただけで震えあがる。
「ほーら! ご飯だよ!」
人間の声がする。
メダちゃんとぐっちゃんの腹が鳴る。
「仕方ない。今は休憩といこう」
二匹は、仲間の後を追って水面に浮上する。
ご飯は、パラパラと天から降ってくる。
乾燥プランクトンを頬張って、二人ともご機嫌だった。
「今日のプランクトンはあれだで。フレッシュで美味しいで」
「うん、うめえ。これは、開封したての新しいプランクトンでい」
「人間は、この絶品プランクトンを、自分では食べないらしいぜよ」
「何ともそれは人生の半分損している話でごわす」
「口に入れた途端に広がるこおばしいフレーバーも、コクのある喉越しも知らずに一生を終える。なんとも憐れな生き物でおじゃる」
二十五匹の魚たちは、口々に勝手なことを言いながら、ご飯を食べる。
人間は、水槽に魚たちのご飯を落とすと、そのままどこかへ行ってしまった。
魚たちが、夢中でご飯を食べていると、部屋からけたたましい音をする。
ブオオオオオオオ。
「びっくりした。掃除機か」
メダちゃんは、ホッとする。
やめてほしい。
いつも何の予告もなしに、人間は掃除機をかける。
腹が立つ。
せめて、「掃除機をかけてもよろしいでしょうか?」と、お伺いをたててほしい。
メダちゃんは、イラっとする。
「おい、あれ……」
ぐっちゃんが、水槽の外をひれ指す。
「ああ……本当だ」
ぐっちゃんのひれの指した先には、猫がいた。
◇ ◇ ◇
その日、猫は不思議な光景を見た。
いつも覗いている水槽の様子が違うのだ。
魚たちが、群れ成して、何かを形作っている。
「なんだろ……?」
何かに似ている。
見たことのある形……。
ええっと……。
「猫じゃらし!」
猫が答えると、水槽の中の魚たちが一斉に×の形を創り出す。
違うらしい。
丸くって、長い棒がくっついていて……。
「ええっと、たわし?」
また、すぐ×の形に魚たちが、編隊を変える。
また、違うらしい。
困った。
猫は、頭を前足で擦って、悩む。
「どうやら、掃除機とは通じていないが、困っているようだぞ」
メダちゃんは嬉しそうにほくそ笑む。
そもそも、掃除機とは、何なのかが分からないメダちゃん達。
編隊で形を真似してみるが、その再現精度は極めて低い。
猫に分かるわけがないのだ。
あの日、猫が掃除機を怖がって逃げていた。
それを目撃したから、再現しただけのことなのだ。
「あ、諦めて逃げた! メダちゃん! やったよ!」
ぐっちゃんが言う通り、猫が撤退して、爪とぎでバリバリと爪を研いでいる。
「はっは! 悔しがっている!」
最初とは趣旨は違うが、何とか、猫撃退という目的は果たしたようだ。
魚たちは、歓喜の泡を一斉に上げた。
ここは、水槽の中の世界。
クラムボンもぷかぷか浮かばない、小さな世界。
二十五匹の魚たちは、本日も平和である。
「こ、今度こそ当ててやる!」
決意に燃える猫が、時々挑戦にくる以外は、とても平和である。
必ずや、あの暴虐無人の猫を許してはならぬと。
水槽の中で、メダカはぐるりを一回転して怒りを露わにした。
「いや、そうは言ってもさ。相手は猫だぞ?」
グッピーのぐっちゃんは、諦めるのが早い。
南国の気質のせいか、グッピーたちは、何かにつけて我慢が効かないとメダちゃんは思う。
残念な話だ。
一般家庭にしては、少々大きめのこの水槽世界で育んだ友情はある。
グッピーのぐっちゃんは、メダちゃんの親友だ。
だが、せっかくメダちゃんが怒りに立ち上がって、猫に怒りを向けたというのに、出鼻を挫く発言は聞き捨てならない。
「その蛍光色のひれは節穴か!」
メダちゃんは、すぐに言い返す。
「いや、別に蛍光色は、特に関係ないだろ。なんだよ、ひれが節穴って!」
ぐっちゃんの反論は、かなり正論だ。
目が節穴かどうかなら分かるが、ひれが節穴という概念は、さすがに魚界といえども……ない。
「かの英雄、大きな魚に群れで立ち向かった『僕が目になるよ!』君のように、猫を駆逐することは、きっとできるはずだ!」
メダちゃんが、怒りでひれを震わす。
気持ちはぐっちゃんも分かる。
二十五匹の魚たち、皆、猫には困っているのだ。
穏やかに水槽ライフを楽しむ魚たちを、じっと見つめる大きな瞳には、威圧感がある。
猫は、水槽の蓋を開けはしない。
ただ、じっと見ているだけなのだが、魚たちにとっては、たまったものではない。
遺伝子レベルで刻み込まれた恐怖が蘇り、ストレス絶大になるのだ。
「じゃあさ、皆で編隊を組んで……大きな魚のふりして猫を威圧する?」
「ぐっちゃんよ。それでは、意味がない。大きな魚になったとて、猫が怖がるか?」
きっとメダちゃんがぐっちゃんを睨む。
吐き出す泡も、ブクブクと激しく、メダちゃんの興奮を現わしている。
「いや、喜ぶだろうな」
だって、猫にとって魚は獲物。
それは、猫が普段食べている餌の絵柄を見れば分かる。
お魚ミックスだの、カツオ風味だの、おぞましい猫の食べ物の名前。
ご飯の袋にプリントされた生気を失った魚の絵柄。
それは、全身の毛も……全身の鱗もよだつ光景だ。
だから、猫にとって魚は獲物。
獲物が大きくなったとすれば、それは、猫には喜びしかないだろう。
何だったら、我慢できずについに手を出してくるかもしれない。
最悪だ。
だって、猫にとって魚は獲物。
進撃の猫に城壁を破られて、猫の口に母が収まる光景なんて、ぐっちゃんは見たくない。
「だろう。だから、俺達が大きな魚に擬態したところで、何の効果もないんだ!」
「だったら、どうするって言うんだよ」
ぐっちゃんは、もうそろそろ、この不毛な会話に飽きてきていた。
もうすぐ、飼い主の人間が、餌をまいてくれる時間だ。
早く水面に上がって、美味しい餌にありつきたいと思うのが、正しい魚情ではないか。
そうに違いない。
「待て、ぐっちゃん!」
水面に浮上しようとするぐっちゃんをメダちゃんが引き留める。
「なんだよ。お前も早くしないと、食いっぱぐれるぞ?」
何せこの水槽には、二十五匹も魚がいるのだ。
メダカが十匹。
グッピーが十五匹。
お魚天国を形成している。
みんな、腹ペコ。ご飯は、有限。
うかうかしていると、食事はなくなってしまうのだ。
「我ら一匹一匹は小さくとも、二十五匹の力を合わせれば、必ずや猫に一泡吹かせることができるのだ!」
「いや、だからどうするんだよ」
「それを考えているのではないか」
おい、ここまで会話を引っ張って、考えなしとは、酷くないか?
もうちょっと目処を立ててから提案するのが社会人のマナーではないか。
そろそろ本気でぐっちゃんは嫌になる。
「ぐっちゃん、頼むから一緒に考えてくれ」
「メダちゃん……そう言われても……」
ぐっちゃんだって、猫の嫌いな物なんて考えたことなんて、ないのだ。
巨大な体のモフモフの猫。
大きな瞳で、じっとこちらを見て、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
赤い口をパカリと開けて、手をサリサリと舐める様は、思い返してもゾッとする。
あの口に吸いこまれたら、辞世の句を詠むまでもなく魚生が終わるのだ。
ぐっちゃんは、想像しただけで震えあがる。
「ほーら! ご飯だよ!」
人間の声がする。
メダちゃんとぐっちゃんの腹が鳴る。
「仕方ない。今は休憩といこう」
二匹は、仲間の後を追って水面に浮上する。
ご飯は、パラパラと天から降ってくる。
乾燥プランクトンを頬張って、二人ともご機嫌だった。
「今日のプランクトンはあれだで。フレッシュで美味しいで」
「うん、うめえ。これは、開封したての新しいプランクトンでい」
「人間は、この絶品プランクトンを、自分では食べないらしいぜよ」
「何ともそれは人生の半分損している話でごわす」
「口に入れた途端に広がるこおばしいフレーバーも、コクのある喉越しも知らずに一生を終える。なんとも憐れな生き物でおじゃる」
二十五匹の魚たちは、口々に勝手なことを言いながら、ご飯を食べる。
人間は、水槽に魚たちのご飯を落とすと、そのままどこかへ行ってしまった。
魚たちが、夢中でご飯を食べていると、部屋からけたたましい音をする。
ブオオオオオオオ。
「びっくりした。掃除機か」
メダちゃんは、ホッとする。
やめてほしい。
いつも何の予告もなしに、人間は掃除機をかける。
腹が立つ。
せめて、「掃除機をかけてもよろしいでしょうか?」と、お伺いをたててほしい。
メダちゃんは、イラっとする。
「おい、あれ……」
ぐっちゃんが、水槽の外をひれ指す。
「ああ……本当だ」
ぐっちゃんのひれの指した先には、猫がいた。
◇ ◇ ◇
その日、猫は不思議な光景を見た。
いつも覗いている水槽の様子が違うのだ。
魚たちが、群れ成して、何かを形作っている。
「なんだろ……?」
何かに似ている。
見たことのある形……。
ええっと……。
「猫じゃらし!」
猫が答えると、水槽の中の魚たちが一斉に×の形を創り出す。
違うらしい。
丸くって、長い棒がくっついていて……。
「ええっと、たわし?」
また、すぐ×の形に魚たちが、編隊を変える。
また、違うらしい。
困った。
猫は、頭を前足で擦って、悩む。
「どうやら、掃除機とは通じていないが、困っているようだぞ」
メダちゃんは嬉しそうにほくそ笑む。
そもそも、掃除機とは、何なのかが分からないメダちゃん達。
編隊で形を真似してみるが、その再現精度は極めて低い。
猫に分かるわけがないのだ。
あの日、猫が掃除機を怖がって逃げていた。
それを目撃したから、再現しただけのことなのだ。
「あ、諦めて逃げた! メダちゃん! やったよ!」
ぐっちゃんが言う通り、猫が撤退して、爪とぎでバリバリと爪を研いでいる。
「はっは! 悔しがっている!」
最初とは趣旨は違うが、何とか、猫撃退という目的は果たしたようだ。
魚たちは、歓喜の泡を一斉に上げた。
ここは、水槽の中の世界。
クラムボンもぷかぷか浮かばない、小さな世界。
二十五匹の魚たちは、本日も平和である。
「こ、今度こそ当ててやる!」
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