【第三幕完結】奴隷から王になった少女が紡ぐ物語

香口 深衣

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第ニ幕

第十章 無力と苛立

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 槍郡から戻ってからは、翠と城内を散策したり書庫で本を探したりしていた。どうやら、彼の悩みは解決したようで、雪の杞憂だったのか、ここ数日はあの時のような思い詰めた様子も見られなかった。
 槍郡の郊外で何かに怯えたように見えたのも、馬車の中でお菓子を食べたり話したりしているうちに見られなくなっていた。それが上手く隠されただけかもしれないとは思ったが、教えてくれない以上雪に知る術はなかった。
 気をもんでも仕方ないと、やっと落ち着いたのだと思って安心することにして、雪は槍郡の事を調べるために本を読む。朝からずっと読みふけり、今は昼も過ぎ夕方に差し掛かっている。昼餉には外で食べられるようにと握り飯を作ってもらって、それも先ほど食べ終えたところだった。

「雪。」

 名を呼ばれて顔を上げると、横に座って本を読んでいたはずの翠が立ち上がって城の方を見ている。

「どうしたの?」
「ここから動くな。」

 それだけ言い残すと、翠は庭園を出て行ってしまう。何だか焦った様子だったので雪は心配になり、言いつけを守らず彼の跡を追うことにした。
 素早い動きで歩いて行ってしまった翠を、雪は結局見失ってしまい仕方なく適当に歩いていればしばらくして人影を見つけた。

 “私って強運なんじゃない?”

 と思いつつそこにいる人物に気付かれないように、雪は歩みを進める。影は二つ。一つは翠のもの。
 もう一つは、彼より身長が高い男の姿だった。夕暮れで薄暗く、顔までは見えない。
 浅慮だったと雪は後悔することになる。
 翠の話している相手が、誰かも考えずに近づいてしまったのだ。
 影の一つが、バッとこちらを振り返る。
 一瞬、時が止まったような錯覚に陥る雪。
 背の高い方の影が一瞬早く動き、雪に向かって駆け出した。そのあとを翠が追いかける形で駆け出したのを他人事のような感覚で、ぼんやりとした頭で雪は見ていた。
 駆けてきた男が雪に向かって伸ばした手を、寸でのところで翠が掴んで止めた。
 その時になって雪は、その人影が顔を分からないように黒衣で覆っていたことに気が付く。まるで李珀のようだった。背格好も似ている。

「何を…」

 するんだと李珀とは似ても似つかない低い男の言葉を、翠が掻き消した。

「必要ない。俺一人でできる。そういう手筈だ。」

 翠の言葉は理解できなかった。何を言っているのかと助けを求めるように彼を見るが、返事は返ってこない。
 その時、後ろから人の足音が聞こえて、翠が掴んでいた男はその手を振り払うとその場から消えた。

「どうかしたのか?」

 声に振り向くと、足音の人物と目が合う。

「隆盛…」

 呟いた雪の横を何かが通り過ぎた。それが暗器だと分かったのは、李珀が持っていたものと似たような形をしていたからだ。
 小さいけど、人を傷つけるための刃は隆盛の顔を翳めた。浅く切ったのだろう。一筋の線が入り、赤い血が隆盛の頬を一筋流れた。

「隆盛!」

 雪が叫ぶのと後ろにいた翠が動いたのは同時だった。

 素早い動きで隆盛との間を詰めると、隠していた小刀を一閃する。
 それを隆盛は大柄な体には似合わない素早い動きで、後ろに飛んで躱す。開いてしまった間合いを詰めようと、一気に駆け出した翠を黒い影が覆い被さるようにのしかかった。翠の身体より大きい黒い物体に押し潰されるように、彼は地面に突っ伏した。
 一つため息をついて黒い物体の動きが止まった。それが李珀だと分かったのは、彼が顔を覆っていた黒い布を剥いだからだ。
 雪にはこの状況が理解できなかった。もちろん翠が隆盛を襲ったのだ、ということは分かった。でも、翠がどうして隆盛を襲ったのかが分からない。
 考えを巡らせていると、翠が何故かこちらを見る。その一瞬の時を李珀は見逃さず、翠の後ろ首に手刀を入れる。すると、簡単に翠は気を失って倒れ込んだのだった。

「李珀。彼を牢へ。」

 そう感情なく言うのは隆盛だった。

「ま、待って!翠を連れて行かないでッ!」
「ダメだ。」

 雪の叫びに返ってきたのは、冷たい声だった。いつもの隆盛からは考えられないような、感情のない冷ややかな声。
 ビクリと体を竦めて恐る恐る隆盛の方を見ると、声と同じ冷ややかな視線が向けられている。だけど雪は震える体を奮い立たせる。

「お願い。きっと何か事情があるんだよ。」
「ダメだ。」
「ね、ねぇ、話を聞いてから…」
「雪。聞き分けなさい。」

 鋭い視線に雪はそれ以上反論できなかった。その場に崩れ落ち、連れていかれる翠を見やる。気を失った翠は、軽々と李珀に持ち上げられて運ばれる。それをただ呆然と見送ることしか雪には出来なかった。


 その後、すぐに綾が来て雪を見つけて抱き締めた。ケガはないかと心配してくれるが、雪は放心状態でなにも答えられなかった。気付けば綾に連れられて王室へと戻っていた。

「翠の処分が決まった。明日執行する。」
「え?」
「羅芯の王を暗殺しようとした罪は重い。彼は明日、斬首刑となる。」

 声すら出なかった。

「あれは俺の命を狙っていた隠密だ。」
「…そんなっ」
「先日行った槍郡の奏任官に、恵淑というのがいてな。そいつが…」
「聞きたくない!!」

 雪の悲痛な声が部屋を静まらせる。

「…ちゃんと話を聞きなさい。」
「嫌だッ!!」

 雪は視線を上げられなかった。怖くて隆盛の顔が見れなかったのだ。

「雪、聞き分けなさい。これは国家間の問題なのだ。」
「私には関係ない!!翠は私にとって家族なの。隆盛、奪わないでよ。」
「ダメだ。」
「彼だって命令されて仕方なく…」
「根拠もないのにそう言うことは」
「根拠ならあるわ。」
「ほう…では、なぜそう思う?」

 意外だなと言う表情をする隆盛は肘を机について、口許を隠すようにてを組んだ。興味なさそうな表情をしているが、その隠した口許は弧をを描いている。

「翠の雇い主は遠文。または、その配下の者よ。」
「そんな情報をどこで…」

 聞いてきたのは綾で驚いた表情を雪に向けている。その反応からして、自分の読みは間違っていないと雪は確信する。
 だが、それを制したのは隆盛だった。

「俺は根拠を聞いているんだぞ。雪のそれは根拠じゃない。」
「それは…」

 核心をつくことを言えば話をすり替えられるかと思ったのだが、隆盛相手にそう上手くはいかなかった。

「翠がそう言ったか?」
「いえ、彼は隠そうとした。だから、私はそう考えたのよ。」
「ふむ…悪くない考え方だ。」
「じゃあ…」
「だが、それだけでは翠が命令されて動いたのかまでは分からないな。もしかしたら、翠が俺を殺したくて勝手に動いていることかもしれない。」
「そんなこと」
「ないとは言いきれないだろう。あいつが虫一匹も殺せない善人だとしても、俺を殺したい動機が少しでもあるなら、俺はあいつを疑わなければいけない。王とはそう言うものだ。」
「疑いが晴れなければ殺すの?」
「必要があれば」

 一度言葉を切って、隆盛は真っ直ぐに雪を見る。その視線に、雪は気圧されて一歩後ずさる。

「今回はその必要があると判断した。」
「じゃあ、何で彼を拾ったのよっ!」
「黒幕を引き摺り出すためだ。ずっと、誰かが俺の暗殺しようとしていたのは気付いていた。だが、首謀者が分からなかったんだ。だから、あえて翠を拾った。」
「じゃあ、彼は殺されるために拾われたってこと…」
「そうだ。」
「隆盛!」

 綾が叱咤するが隆盛は言葉を続ける。

「自分が生き残るための術なんだ。時には、無情にならなければいけない。…王なんてこんなものだ。」
「…王なんてこんなもの?ふざけないでっ!隆盛が、翠を助けようとしなかっただけでしょ!あなたなら、いくらでもその術はあったはずよ!でも、それをしなかった。
 ……何が王よ。ただ自分が大事なだけの、臆病者じゃない!自分の身を危険にさらせば、いくらでも黒幕は分かったはずよ!でも、あなたはそうはしなかった。翠という安全な駒を手に入れて使ったのよ!こんなの、遠文となんら変わらないわっ!」

 雪はそう叫んで王室から逃げ出した。もう、隆盛と話していたくないと思ったし、これ以上この話をしたくないと思ったからだ。そのまま自室に戻ると雪はそこに閉じ籠り、ただただ涙を流すしか出来なかった。

 それがなにより一番腹立たしかった。
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