不遇の花詠み仙女は後宮の華となる

松藤かるり

文字の大きさ
48 / 57
閑話 月夜の誓い、紅髪は艶めく

月夜の誓い、紅髪は艶めく(2)

しおりを挟む

 しんとした部屋で、紅妍の手にそっと触れた。細い手である。枯れ木のようだった痩身は大都に来て少しはよくなったものの、いまだに折れそうな細さである。触れている己の手が大きいことも、細さを痛感させる原因かもしれない。

(ひどい暮らしをしてきたというのに、ここでも辛い目に合わせているのか)

 秀礼が思うに、里での暮らしは、秀礼が冷宮で味わったものよりも凄惨だろう。里から連れ出して彼女を救えたかというと、そうも思えない。ここは陰謀や負の感情が渦巻く後宮だ。秀礼の知らぬところで紅妍を苦しめているものがあるかもしれない。

(少しは、お前が幸福を味わえればいいのだが)

 気づけば、紅妍を喜ばせたいと願うようになっている。最初は同情しているからだと思った。しかし日が経つに連れて、その感情が大きくなっていく。果物や大都の散策だって紅妍が好むものを探りたいと思う。紅妍が喜ぶのならば何だって取り寄せたい。

(この感情は、同情だけで片付けられないかもしれない)

 指に触れる。花詠みをする時も花渡しをする時も、この手は優しく花を包む。手のひらや肌は柔らかく、一度触れてしまえば離すのが惜しくなる。前もそうだった。無意識のうちに紅妍の手を握りしめ、触れてしまえばその温かさが忘れられない。女人を相手にしてそのように思うことは初めてだ。できることならば手だけではなくその髪を撫でたい。その頬に触れたい。これほど欲張りな一面があったとは、秀礼自身も知らなかった。
 紅色の髪を撫でる。汗ばんだ額に張り付いた髪を払うと、苦しさに耐えていたのだろう紅妍の表情からかすかに険が抜けた。

 簪を送ったのも初めてのことだった。母以外の女人に物を贈るなど、初めてである。
 秀礼は紅髪に触れながらそのことを思い返していた。あれは冷宮を出て、震礼宮に遷った頃だ。

 宝剣に選ばれたのが第二皇子融勒ゆうろくではなく、冷宮に閉じ込められていた第四皇子秀礼だったことは、後宮を揺るがす出来事となった。しん皇后は融勒を厚遇し、差別をつけるために秀礼を冷宮に送っていたのでさぞや慌てただろう。てのひらを返すように秀礼にすり寄り、挙げ句の果てにと持ってきた縁談が皇后の姪であるしん琳琳りんりんとの婚約だった。すぐに婚礼の儀を行えと辛皇后は要求したが、どうにも気が乗らないので保留にしたままでいる。
 冷宮で受けた傷は簡単に塞がらない。皇子に生まれたことさえ呪った。それが、宝剣を手にした途端この変わりようである。秀礼が宮内のできごとをいやがった。

 それだけではない。宝剣を得たことで変わったことがもうひとつある。母であるしょう貴妃きひだ。
 花が好きで、優しい人だった。特に百合を好んでいたようで、庭に百合を植え、百合の紋様が刻まれた合子ごうすを気に入っていた。中にも百合の練香をつめていたので、近づけば百合の香りがしたものだ。
 璋貴妃は、秀礼が受けている扱いに胸を痛めていた。子が冷宮に隠されているのだ、どうにか救おうと手を焼いていたらしい。
 その璋貴妃が倒れた時のことが、どうにも気になっている。

(もしも辛皇后が倒れなければ、わたしの後見人となっていただろう)

 璋貴妃が亡くなった後に秀礼の後見人問題が起きている。ここで後見人となった妃は、もしも秀礼が帝に選ばれれば、太后になる。これに名乗り出たのが辛皇后だった。
 秀礼は後見人はいらないと何度も伝えたが、宮城のしきたりだと言い切られてしまった。その後はすぐに辛皇后が亡くなったので後見人はけんとなったが、下手すれば辛皇后だったかもしれない。

 こういった事柄によって、秀礼は後宮を快く思っていない。外面はよく見えても、中には泥のような人の怨念が詰まっている。鬼霊よりもよほど、生者の方が面倒だ。

(陰謀と謀りの園に、紅妍を置いていて良いのだろうか)

 秀礼自身でさえ疎んじているこの場所に紅妍がいる。紅妍に抱く想いが同情だけではなくなると、よりこの環境がいやになってくる。ひどい場所だとわかっておきながら華妃に仕立てたことが悔やまれる。

 紅妍の額を撫でる。目は覚めそうにない。だからこそ堂々と触れられるのだ。秘めたる想いをわずかでも紅妍が知ってしまえば、皇子と帝の妃という危うい関係は崩れるかもしれない。紅妍にも軽蔑されるかもしれない。

(私にできることは紅妍の幸福を願うことだ。この件が終わった時、紅妍を宮城から解放しよう)

 胸に灯る感情は皇子であるから伝えることができない。もしも秀礼が帝になれば一人だけを想うことは許されない。帝の責は国の繁栄と存続であり、何人もの妃を娶り、子を成さなければならない。それはまたみにくい争いを生むだろう。そこに紅妍を巻き込んで、幸福があるとは限らない。
 ならば皇子である立場を用いて、彼女が幸せに生きられるよう助力すべきだと考えたのだ。ことが終われば華妃の責から解放しよう。里でも大都でも、紅妍が自由に生きるべきだ。
 だが、それが最善の手段だとわかっているのに、いざとなった時手を離せるだろうか。それがいますこし、秀礼は自信がない。

(眠っているいまのうちは、触れても許されるだろうか)

 額から頬へと指が落ちる。滑らかな肌にひとたび触れれば、胸中に歓喜が生じる。いまはもう少し紅妍のそばにいたい。

「目を覚ましてくれ。もう一度、お前と話したい」

 小さく、呟く。誰もいない。紅妍も眠っている。だから許されるはずのひとりごとだ。

「私は、お前を好いてしまったのかもしれない」

 その声は部屋に溶けて、消えていく。手燭はぼんやりと秀礼の顔を移す。壁には几に飾られた花器の影が映っていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾
恋愛
前世では、仕事に追われるだけの人生を送り、恋も自由も知らないまま終わった私。 だからこそ転生後に誓った―― 「今度こそ、働かずに優雅に生きる!」 と。 気づけば貴族夫人、しかも結婚相手は冷静沈着な名門貴族リチャード様。 「君は何もしなくていい。自由に過ごしてくれ」 ――理想的すぎる条件に、これは勝ち確人生だと思ったのに。 なぜか気づけば、 ・屋敷の管理を改善して使用人の待遇が激変 ・夫の仕事を手伝ったら経理改革が大成功 ・興味本位で教えた簿記と珠算が商業界に革命を起こす ・商人ギルドの顧問にまで祭り上げられる始末 「あれ? 私、働かない予定でしたよね???」 自分から出世街道を爆走するつもりはなかったはずなのに、 “やりたいことをやっていただけ”で、世界のほうが勝手に変わっていく。 一方、そんな彼女を静かに見守り続けていた夫・リチャードは、 実は昔から彼女を想い続けていた溺愛系旦那様で――。 「君が選ぶなら、私はずっとそばにいる」 働かないつもりだった貴族夫人が、 自由・仕事・愛情のすべてを“自分で選ぶ”人生に辿り着く物語。 これは、 何もしないはずだったのに、幸せだけは全部手に入れてしまった女性の物語。

紅玉宮妃(予定)の後宮奮闘記~後宮下女ですがわたしの皇子様を皇帝にします~

福留しゅん
恋愛
春華国の後宮は男子禁制だが例外が存在する。その例外である未成年の第五皇子・暁明はお忍びで街を散策していたところ、旅人の雪慧に助けられる。雪慧は後宮の下女となり暁明と交流を深めていくこととなる。やがて親密な関係となった雪慧は暁明の妃となるものの、宮廷内で蠢く陰謀、傾国の美女の到来、そして皇太子と皇帝の相次ぐ死を経て勃発する皇位継承争いに巻き込まれていくこととなる。そして、春華国を代々裏で操ってきた女狐と対峙しーー。 ※改訂作業完了。完結済み。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~

水上
恋愛
「カビ臭い地味女」と王太子に婚約破棄された王宮修復師のリディア。 彼女の芸術に関する知識と修復師としての技術は、誰からも必要性を理解されていなかった。 失意の中、嫁がされたのは皆から恐れられる強面辺境伯ジェラルドだった! しかし恐ろしい噂とは裏腹に、彼はリディアの不健康を見逃せない超・過保護で!? 絶品手料理と徹底的な体調管理で、リディアは心身ともに美しく再生していく。 一方、彼女を追放した王都では、貴重な物が失われたり、贋作騒動が起きたりとパニックになり始めて……。

『処刑されるたびに12歳に戻る悪役令嬢、7回目の人生は「何もせず寝て過ごす」ことに決めたら、なぜか周囲が勝手に勘違いして聖女扱いされています

六角
恋愛
公爵令嬢リリアーナは、18歳の誕生日に必ず断罪・処刑されては12歳に戻るという地獄のループを6回も繰り返していた。 真面目に努力しても、剣を極めても、裏社会を支配しても、結局は殺される運命。 心折れた彼女は、7回目の人生でついに決意する。 「もう頑張らない。どうせ死ぬなら、今回はひたすら寝て過ごそう」と。 しかし、安眠を求めて「うるさい」と敵を黙らせれば『王者の覇気』と恐れられ、寝ぼけて放った魔法は『神の奇跡』と崇められ、枕への異常なこだわりは『深遠なる儀式』と誤解されてしまう。 気がつけば、ストーカー気味のヤンデレ王子、パン屋の元ヒロイン、狂犬の如きライバル令嬢、元部下の暗殺者、そして不眠症の魔王までもが彼女の信者となり、リリアーナは意図せずして国を、そして世界を救う「最強の聖女」へと祭り上げられていく。 「お願いだから、私を寝かせて!」 睡眠欲だけで運命(システム)さえもねじ伏せる、無気力悪役令嬢の痛快勘違いサクセス(?)ストーリー!

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

美人同僚のおまけとして異世界召喚された私、無能扱いされ王城から追い出される。私の才能を見出してくれた辺境伯様と一緒に田舎でのんびりスローライ

さら
恋愛
美人な同僚の“おまけ”として異世界に召喚された私。けれど、無能だと笑われ王城から追い出されてしまう――。 絶望していた私を拾ってくれたのは、冷徹と噂される辺境伯様でした。 荒れ果てた村で彼の隣に立ちながら、料理を作り、子供たちに針仕事を教え、少しずつ居場所を見つけていく私。 優しい言葉をかけてくれる領民たち、そして、時折見せる辺境伯様の微笑みに、胸がときめいていく……。 華やかな王都で「無能」と追放された女が、辺境で自分の価値を見つけ、誰よりも大切に愛される――。

処理中です...