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マリーナは震えていた。
クローゼットの中で息をひそめ、ぎゅうっと体を縮めて赤レンガ色の瞳に涙をためながら、近付いて来るおそろしいものにプルプルしていた。
細かくクルクルして収まりのわるい赤毛も、一緒にプルプル震えてる。
「マリー。私のマリー」
木戸をへだてて自分を呼ぶ、男の人の声がする。
(こわい。見つかりたくないわ。あっちへ行って。神様、助けて……!)
そう必死に願うけれど、無情にも声はどんどん近づいてくる。
「私の妻はいったいどこへ行ってしまったんだろう? マリー?」
隠れているクローゼットの向こう側で、マリーナをマリーと愛称で呼ぶ彼の声はとても甘い。
でもマリーナ自身にとって、その甘さはとても恐ろしいもの。
……きっと彼はひとつひとつ屋敷の部屋を探していって、最後に四階の一番奥にあるこの部屋に来たのだろう。
マリーナは身つかりにくい場所を探してここにたどり着いたけれど、結果的に逃げ場がなくなって追い詰められる形になってしまった。
(ひらけていて逃げやすい庭にするべきだったわ)
後悔したってもう遅い。
――カタッ。
「っ……!」
ハンガーに当たって小さな音を鳴らしてしまった。
「……あぁ。なるほど」
くすりと笑いが聞こえた。居場所がばれた。
ここにいると確信を持った手によって、ゆっくりと木戸が開かれる。
(もう駄目だわ)
半分泣きそうになるマリーナの視線の先で開かれたそこから現れたのは、明るい光を背負う金髪の男の人。
さがり気味の目元が穏やかで優しそうな容姿の彼は、クローゼットの奥にへばりつくマリーナを満月の月色の瞳に写したと同時に、微笑みをもらす。
「こんなところに居た。探したよ。さぁ、こっちへおいで。マリー」
「うぅ……」
へばりついているマリーナの腕がつかまれ、べりっと剥がされてクローゼットの中から外へと引っぱられる。
強引ではなく、とても丁寧な扱いだ。
それでも男の人の力にかなうはずがなくて、あっさりと出されてしまった。
「かくれんぼとは、私の妻はずいぶん可愛らしい遊びをするね? 好きなの?」
「あ、遊びではなくてですね……いえ、……その、はい……好きです」
本気で隠れていたのだとはっきり言う勇気はでなかった。
微笑ましそうに口元を緩めながら、彼――トリニティ・スワットン伯爵がマリーナの頭を撫でてきた。
「髪が乱れているよ、愛しい奥さん」
「あ、ありがとうございます。お見苦しくて申し訳ございません」
「見苦しくなんてないよ。ただ乱れた君の姿は私だけのものにしておきたいから、廊下に出るならなおさなくてはね」
「っ……!」
真っ赤になってはくはくと口を閉じたり開けたりしか出来ないマリーナの髪をなおしてくれた手は、そのまま頬へとおりてきた。
するりと輪郭をたどってから、いかにも名残惜しそうに離れていく。
つい見上げた目が合うと、にっこりとほほ笑まれた。
とてつもなく恥ずかしくて、マリーナはふいっと顔を反らしてしまう。
(……本当に、困るわ)
……マリーナは優しく甘く、こうやってまるで宝物みたいに自分を扱うこの人のところへ、一週間前に嫁いできた。
婚約したのは二年前だ。
けれど彼の父親がなくなって先延ばしになり、若くして領主となった彼はとても忙しくもなった。
隣りあった領地といっても、家と家の間は馬車で二週間ほどかかる。
短時間だけ会うよう調整することも難しく、結局顔合わせができたのはなんと結婚の三日前。
今から数えてつい十日ほど前のことだ。
二人が出会ってから、たったの十日。
愛をはぐくむ時間なんて一切なかった。
なのにどうしてこんなにべたべたに愛されているのか、マリーナには分からない。
初夜だってぐずぐずになるまで甘やかされて、蕩かされて、恥ずかしさで死ぬかと思った。
――他人は言う。
政略結婚なのに愛されていて羨ましいと。
優しい旦那様で良かったねと。
(でも、度が過ぎると困るだけよ)
どこでもいつでも憚らず愛をささやき、頬にキスをし、腰をがっちりと逃さない旦那様。
甘い甘い言葉が、態度が、恥ずかしくてたまらない。
……理由があるのだったらいいのだ。
本当に愛されているのだったら嬉しいと思う。
(でも、出会ったばかりで愛も何もあるはずがないじゃない。私は彼に好かれてなんていないわ)
……どうしてここまで大事にされているのかが分からない。だから怖い。
自分達はあまり仲が良くない領地同士の、領主一族間の婚姻だ。
きっと嫁いできてもいい扱いは受けないだろうと想像していた。
絶対に嫌われていると思っていた。
それでも年月をかけて分かり合い、いずれは信頼しあえる夫婦になれたらいいなとは考えていた。
だからこそ、初日からこうして続けざまに紡がれてきた愛してるの言葉が信じられない。
当たり前のように、最初からするすると口から零れ落ちる言葉には、まったく真実味を感じられなかった。
私のことなんてほとんど知らないくせに。
嫌ってる領地の娘なんて本当は嫌いなんでしょう?
なのにそうやって簡単に好きとか可愛いとか言わないで。
と、思ってしまう。絆されたくなくて、遠ざけてしまう。
彼の愛情表現の理由が分からなくて怖くて、信じられなくて、そして度のすぎたそれも恥ずかしくて、マリーナはずっと逃げている。
クローゼットの中で息をひそめ、ぎゅうっと体を縮めて赤レンガ色の瞳に涙をためながら、近付いて来るおそろしいものにプルプルしていた。
細かくクルクルして収まりのわるい赤毛も、一緒にプルプル震えてる。
「マリー。私のマリー」
木戸をへだてて自分を呼ぶ、男の人の声がする。
(こわい。見つかりたくないわ。あっちへ行って。神様、助けて……!)
そう必死に願うけれど、無情にも声はどんどん近づいてくる。
「私の妻はいったいどこへ行ってしまったんだろう? マリー?」
隠れているクローゼットの向こう側で、マリーナをマリーと愛称で呼ぶ彼の声はとても甘い。
でもマリーナ自身にとって、その甘さはとても恐ろしいもの。
……きっと彼はひとつひとつ屋敷の部屋を探していって、最後に四階の一番奥にあるこの部屋に来たのだろう。
マリーナは身つかりにくい場所を探してここにたどり着いたけれど、結果的に逃げ場がなくなって追い詰められる形になってしまった。
(ひらけていて逃げやすい庭にするべきだったわ)
後悔したってもう遅い。
――カタッ。
「っ……!」
ハンガーに当たって小さな音を鳴らしてしまった。
「……あぁ。なるほど」
くすりと笑いが聞こえた。居場所がばれた。
ここにいると確信を持った手によって、ゆっくりと木戸が開かれる。
(もう駄目だわ)
半分泣きそうになるマリーナの視線の先で開かれたそこから現れたのは、明るい光を背負う金髪の男の人。
さがり気味の目元が穏やかで優しそうな容姿の彼は、クローゼットの奥にへばりつくマリーナを満月の月色の瞳に写したと同時に、微笑みをもらす。
「こんなところに居た。探したよ。さぁ、こっちへおいで。マリー」
「うぅ……」
へばりついているマリーナの腕がつかまれ、べりっと剥がされてクローゼットの中から外へと引っぱられる。
強引ではなく、とても丁寧な扱いだ。
それでも男の人の力にかなうはずがなくて、あっさりと出されてしまった。
「かくれんぼとは、私の妻はずいぶん可愛らしい遊びをするね? 好きなの?」
「あ、遊びではなくてですね……いえ、……その、はい……好きです」
本気で隠れていたのだとはっきり言う勇気はでなかった。
微笑ましそうに口元を緩めながら、彼――トリニティ・スワットン伯爵がマリーナの頭を撫でてきた。
「髪が乱れているよ、愛しい奥さん」
「あ、ありがとうございます。お見苦しくて申し訳ございません」
「見苦しくなんてないよ。ただ乱れた君の姿は私だけのものにしておきたいから、廊下に出るならなおさなくてはね」
「っ……!」
真っ赤になってはくはくと口を閉じたり開けたりしか出来ないマリーナの髪をなおしてくれた手は、そのまま頬へとおりてきた。
するりと輪郭をたどってから、いかにも名残惜しそうに離れていく。
つい見上げた目が合うと、にっこりとほほ笑まれた。
とてつもなく恥ずかしくて、マリーナはふいっと顔を反らしてしまう。
(……本当に、困るわ)
……マリーナは優しく甘く、こうやってまるで宝物みたいに自分を扱うこの人のところへ、一週間前に嫁いできた。
婚約したのは二年前だ。
けれど彼の父親がなくなって先延ばしになり、若くして領主となった彼はとても忙しくもなった。
隣りあった領地といっても、家と家の間は馬車で二週間ほどかかる。
短時間だけ会うよう調整することも難しく、結局顔合わせができたのはなんと結婚の三日前。
今から数えてつい十日ほど前のことだ。
二人が出会ってから、たったの十日。
愛をはぐくむ時間なんて一切なかった。
なのにどうしてこんなにべたべたに愛されているのか、マリーナには分からない。
初夜だってぐずぐずになるまで甘やかされて、蕩かされて、恥ずかしさで死ぬかと思った。
――他人は言う。
政略結婚なのに愛されていて羨ましいと。
優しい旦那様で良かったねと。
(でも、度が過ぎると困るだけよ)
どこでもいつでも憚らず愛をささやき、頬にキスをし、腰をがっちりと逃さない旦那様。
甘い甘い言葉が、態度が、恥ずかしくてたまらない。
……理由があるのだったらいいのだ。
本当に愛されているのだったら嬉しいと思う。
(でも、出会ったばかりで愛も何もあるはずがないじゃない。私は彼に好かれてなんていないわ)
……どうしてここまで大事にされているのかが分からない。だから怖い。
自分達はあまり仲が良くない領地同士の、領主一族間の婚姻だ。
きっと嫁いできてもいい扱いは受けないだろうと想像していた。
絶対に嫌われていると思っていた。
それでも年月をかけて分かり合い、いずれは信頼しあえる夫婦になれたらいいなとは考えていた。
だからこそ、初日からこうして続けざまに紡がれてきた愛してるの言葉が信じられない。
当たり前のように、最初からするすると口から零れ落ちる言葉には、まったく真実味を感じられなかった。
私のことなんてほとんど知らないくせに。
嫌ってる領地の娘なんて本当は嫌いなんでしょう?
なのにそうやって簡単に好きとか可愛いとか言わないで。
と、思ってしまう。絆されたくなくて、遠ざけてしまう。
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