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最後のバレンタイン
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ずっと渡したかったの。
これが最後だって決めてから。
バレンタイン。女の子から男の子へチョコレートを贈り、愛の告白をする。
一月後に男の子が花を女の子に返したら想いを受け入れたことになる。
浮き立った雰囲気にも構わず不機嫌そうな顔でやってきた男子生徒は挨拶もなく言葉を投げてきた。
「こんな所に呼び出して、何の用だ」
冷たい言葉にも、もう動揺はしなかった。
学園の昼休み。人気のない裏庭に呼び出されて不機嫌な彼は私になど関心がないと示すようにこちらを見もしない。
「お呼び立てして申し訳ありません、マリウス様」
貴重な時間を使わせてしまったことの謝罪をする。
「さっさと話せ。貴様と話している無駄な時間などない」
乱暴に言い放つ。とても婚約者に対する態度とは思えない。
最低限の礼儀すら払う気がないというのだ。いつからこんな関係になってしまったのだろう。
「申し訳ありません。これをお渡ししたく時間をいただきましたの」
私は持っていた袋から赤茶色の箱を取り出した。
両手の平くらいの箱にはピンク色のリボンが掛けられていて、一目見て贈り物であるのがわかる。
今日は特別な日だから。
両手で差し出した箱を一瞥してマリウス様は無言で手を伸ばした―――。
「こんな物を俺が喜ぶとでも? 本当に不愉快な女だな」
受け取ったと思う間もなく箱が地面に叩き付けられた。
箱は潰れ、中からチョコレートが転がる。
呆然と落ちたチョコレートを見る私を嘲るように口の端を歪ませて笑うとマリウス様は裏庭から出て行った。
一人きりになった裏庭で息をつく。
受け取って後で捨てるくらいはすると思ったけれど、実際はそれより酷い。
悲しいけれど、もう涙もでない。そんな段階はとうに過ぎ去った。
こぼれたチョコレートと箱を拾って袋に戻す。
いらないとも言われない、悪意に満ちた答えだった。
教室に戻る途中、少女が見えた。
見下ろす校庭でマリウス様に抱き着く少女。
3階からでも目立つ動きにため息が出る。
走ってきていきなり抱きついた少女は手を解くとマリウス様に箱を差し出した。
片手で差し出されたピンクの箱には赤いリボンが掛けてあり、とても可愛らしい。
少女そのもののようなチョコレートをマリウス様はうれしそうに受け取った。
周りの視線など見えないかのように。
「すごいね、あれ」
突然横からかけられた声に振り向く。
「校庭で食事してた皆釘づけだねー」
視線を校庭に戻す。昼休みの校庭は当然二人きりでなく大勢の生徒がいた。
公衆の面前で抱きついたこともそうだが、婚約者のいる男子生徒にチョコレートを渡したことに周りの生徒は眉を顰めている。
「ええ」
チョコレートは異性の友人にあげることもあるが、その場合手のひらに収まる大きさで、箱やリボンの色は青や緑にすることが多い。ピンクは友人には絶対使わない色だ。
「堂々と愛の篭ったチョコを渡して、それを受け取るとか、ありえない光景だね」
「全くね」
同感だった。彼らが互いに決まった相手がいなくても告白なんて人前でするものじゃない。
「淡々としてるけど、いいのー? 彼、キミの婚約者でしょ」
「仕方ないわ」
ちらりと手に下げた袋に意識をやる。
目敏く袋に目を止めた彼はこちらに手を伸ばしてきた。
「おっ、チョコレート。 食べていい?」
聞きながら、もうチョコレートを口に近づけている。少し慌てながら止める
「落としたから駄目よ」
「あ、ホントだ。土付いてる」
そう言いながらもチョコレートから手を離さない。
「まあ、大丈夫大丈夫。ふっ、てやっとけば」
ふっ、と土を吹き飛ばしてチョコレートを口に入れた。
あまりのことに絶句する。
「あ、おいしい。 これロウェンのでしょ、俺もここのチョコ好きなんだよね」
「ダメって言ったでしょう!?」
悲鳴のような声で叫ぶも彼は気にしない気にしないと取り合わない。
良いところの子息であるのに汚れた物を頓着しないで口に入れる彼の食い意地に呆れた。
「ふっ、ふふっ。あなたって本当に食べ物のことになると…」
おかしくなって思わず笑ってしまった。
調理実習の時に私の作った体積の半分が炭と化したお菓子を周りが止めるのも構わず一口で食べたことを思い出す。
「食い意地が張ってる?」
「ええ、本当に公爵子息とは思えないくらいよ?」
ふふっ、とまたおかしくなって笑みをこぼす。
笑う私を笑顔で見つめながらまた一口。
悪びれない彼がおかしくて、窓の外の景色なんて忘れてしまった。
一月後、私は少し浮き立った気持ちで学園の門をくぐった。
懸念していたことが片付いて生まれ変わった気持ち、とまで言ったら大げさかもしれない。
ただそれほどまでに浮かれていたのだ。
校舎に入るまでは。
「マリーナ・カイエン!」
突如響いた怒号に驚いて足が止まる。
周りの生徒たちも突然のことに硬直していた。
足音荒く近づいてきたのはマリウス様。その顔は憤怒に染まっている。
「マリウス様。 どうかなさいましたか?」
「どうしただと! よくもそんな事が言えたな!」
私達の関係は知られているものの到底痴話喧嘩には見えない剣幕に周りは固唾を飲んで見守っている。
「婚約破棄とはどういうことだ?」
低く告げられた問いにああ、と心の中で呟く。
侯爵様から聞いたのだろう。どういうことと聞かれても困る。
「聞かれたとおりですわ。 私たちの婚約は破棄され、オルセン家とカイエン家の契約は白紙に戻りました」
契約といっても大した話ではない。お互いの領地の間にある森を共同で切り開いていこうという話が消えただけで、それ以外は今までどおり。…少し関係は悪くなるかもしれないが。
「だから何故だ! 今回の婚約破棄はお前から言い出したそうじゃないか!」
「何故、とは?」
婚約破棄という言葉に周りはざわついている。純粋に驚いている方もいればうなずいている方もいる。
たまたま居合わせたクラスメイトなどは親指を立ててとても良い笑顔だ。
他人でもわかっているのに本当にわからないのだろうか。
「お前如きが俺に婚約破棄を申し込むなど何様のつもりだ!!」
周りの空気が呆れから怒りに変わった。
他人事として聞いていても許しがたい台詞だった。
「理由はわかりきったことですわ。 マリウス様は親しくしていらっしゃる方がおありでしょう。
先月チョコレートを分け合っていた方が」
私は受け取ったところまでしか見ていなかったが、その後二人でチョコレートを食べさせ合っていたというのをクラスメイトから聞いた。そんなことは人目のないところでやってほしい。
「リカのことは関係ない」
「関係ないとは言えませんわ。 バレンタインのチョコレートを受け取って食べたのでしょう? 彼女の想いを受け入れたと知ったからこそ私は潔く身を引いたまでですわ」
愛称まで呼ぶ仲なのでしょう、と皮肉を言うと顔を怒りに歪めたが言葉は出てこなかった。
「できればそちらから進めていただきたかったのですが、その気配もなかったので仕方なくこちらから進めさせていただきましたの。 彼女と縁を結ぶなら私はいてはなりませんもの」
婚約者がいたままに他の女性の想いを受け入れたと暗に非難する。
「彼女とは・・・」
「まさか将来を考えていないなんておっしゃいませんよね? 弄んだだけなんて」
彼女は学生時代だけの遊び相手なんて言ったら感情が抑えられるかわからない。
そもそも私は彼女のことは特に不快には思っていない。彼女は平民であるのだし、好意を持った相手に想いを告げて伴侶を見つけるのは普通のことだろう。
マリウス様がしっかりとお互いの関係を清算してから付き合えばよかっただけで。
婚約者のいる男性に声をかけたというのも、彼女は私の存在を知らないのではないかと思っている。
私が彼女を見かけることはあっても彼女が私に目を止めたことはない。
「然るべき手順を踏んで彼女を幸せにしてさしあげてください」
これまでの不誠実な振る舞いを痛烈に皮肉る。
「格下のお前が、俺によくもそんな口をきけるな」
「まあ! 血筋に相応しくない不誠実な振る舞いをしていらっしゃた方がよくもそんなことをおっしゃれますね?」
感嘆の混じった声で返すと怒りに目を据わらせた。
「いまさら何をおっしゃっても、もう婚約破棄も済みましたし、私たちの間には何の関係もありませんわ」
「…関係はある」
首を傾げる。
「今回のことで父上が俺の侯爵家継承に疑問を呈するようになった」
軽く眉を上げてわずかな驚きを表す。
そうでしょうね。マリウス様のお父上はご実家の都合で断念したとはいえ、元は騎士団で近衛の任に当たっていらっしゃったお方ですもの。騎士道精神に悖る行いをしている息子をそのまま認めることはできないでしょうね。
だからといって―――。
「まあ、マリウス様。 困りますわ。お家の問題はご家族でお話になってください」
私には関係ありませんもの。そういって笑えば怒りの抜けた、純粋な驚きだけの顔で私を見た。
だってそうでしょう?
「私には関係のないことですもの」
絶句するマリウス様を見てくすくすと笑う。
唖然とするマリウス様に胸のすく思いだった。
「お前が原因だろう!」
私を指差してマリウス様が叫ぶ。
「それは違いますわ。侯爵様が継嗣に疑問を持たれたのは婚約破棄のことではなく、それ以前のマリウス様の行動に対してのことですもの」
婚約者にけじめをつけるでもなく、愛しい人に真摯に向きあうでもなく、どちらにも不誠実な態度を取っていたのがいけないのだ。
侯爵様はリカーナ様のことには反対はしなかったと思います。
彼女は恋に一生懸命なだけの可愛い少女ですので。
「結論も出せないだらしない態度が侯爵様の勘気に触れたのではありませんか?」
図星だったのかマリウス様が言葉に詰まる。
「これから真剣に彼女と家族に向き合えばいいだけではないですか。侯爵様は疑問を感じているだけで継がせないと言ったわけではないのですから」
「全くそのとおりだな」
突然傍観していた輪の中から第三者が割り込んできた。
割り込んだのが公爵子息のマディセル様だったことに周囲が驚きで息を飲む。
「婚約者どころか友人ですらないマリーナに絡んでいる暇があったら自らを見直したほうがいいんじゃないかな」
怒りか恥故か顔を赤らめてマディセル様を睨むが公爵子息に言い返すことも出来ず、悔しそうに唇を噛んだ。
マディセル様が介入したことで周囲の緊張も解けたようだ。彼の前でこれ以上の醜態を晒すはずがないと結論づけ周囲が動きだす。
教室に向かう流れの中マディセル様が立ち止まる。
「マリーナ、これを受け取って」
差し出された花を思わず手に取ってしまった。途端に周囲がざわめく。
夜を思わせる紺碧の花弁に花芯から外に向かって走る薄青の線。美しさに目を奪われたのは一瞬で、すぐに困惑を浮かべてマディセル様を見上げる。
「これは…?」
「チョコレートのお返し」
マディセル様の返事に周囲の女性が悲鳴のような歓声をあげた。それに混じって浮気してたのかという雑音も聞こえた。
雑音の方をちらりと見てから、マディセル様に顔を向ける
「私はマディセル様にチョコレートを上げていませんわ」
「うん、捨てる予定だったチョコレートを勝手にもらっただけだね」
それでも、と私の手を取る。
「僕の想いはキミにしか捧げられない。どうか受け取ってくれないかな」
唐突な告白に色めき立つ周囲をよそに飄々としている彼と混乱している私。
混乱のあまり埒もないことを口に出した。
「マディセル様は食い意地が張っているだけではありませんでしたのね」
いつかの調理実習のことを思い出す。
「勿論、キミの作った物だから食べたかったんだ」
突然のことに何も言えなくなる。口を開いては閉じるを繰り返す。顔が熱い。
「わ、私は、何も答えられませんわ! 今は…」
続きを促す瞳に言葉を次ぐ。
「これはバレンタインのお返しではありませんものね?」
上げていないものに返せるものもない。
「急すぎて、どうしたらいいかわかりませんの。ですから…」
一息吸ってマディセル様の目を見据える。
「私の心が定まるまで、チョコレートは待ってくださる?」
遠回しな返事でもマディセル様には通じたようでぱっと笑顔に変わる。
「ああ、次のバレンタインにはチョコをもらえるよう努力するよ!」
途端周りから拍手と歓声が巻き起こる。恥ずかしいけれど少しうれしくて、マディセル様に微笑みかける。同じようにうれしそうな顔でマディセル様も微笑んだ。
来年はきっと渡せる気がした。
翌年、新入生を中心にしたバレンタインの流行りがあった。
男子生徒からバレンタインに花を贈り、一月後に想いを受け取ると決めた女子生徒がチョコレートを贈る。
例年とは違う祭典に盛り上がる生徒たちに人気を得、その年以降も定着していった。
私たち? もちろん思いは通じていたから贈り合ったわ。
私はチョコレートを、マディセル様は花をバレンタイン当日に贈り合った。
きっと一生忘れない幸せなバレンタインだったわ。
これが最後だって決めてから。
バレンタイン。女の子から男の子へチョコレートを贈り、愛の告白をする。
一月後に男の子が花を女の子に返したら想いを受け入れたことになる。
浮き立った雰囲気にも構わず不機嫌そうな顔でやってきた男子生徒は挨拶もなく言葉を投げてきた。
「こんな所に呼び出して、何の用だ」
冷たい言葉にも、もう動揺はしなかった。
学園の昼休み。人気のない裏庭に呼び出されて不機嫌な彼は私になど関心がないと示すようにこちらを見もしない。
「お呼び立てして申し訳ありません、マリウス様」
貴重な時間を使わせてしまったことの謝罪をする。
「さっさと話せ。貴様と話している無駄な時間などない」
乱暴に言い放つ。とても婚約者に対する態度とは思えない。
最低限の礼儀すら払う気がないというのだ。いつからこんな関係になってしまったのだろう。
「申し訳ありません。これをお渡ししたく時間をいただきましたの」
私は持っていた袋から赤茶色の箱を取り出した。
両手の平くらいの箱にはピンク色のリボンが掛けられていて、一目見て贈り物であるのがわかる。
今日は特別な日だから。
両手で差し出した箱を一瞥してマリウス様は無言で手を伸ばした―――。
「こんな物を俺が喜ぶとでも? 本当に不愉快な女だな」
受け取ったと思う間もなく箱が地面に叩き付けられた。
箱は潰れ、中からチョコレートが転がる。
呆然と落ちたチョコレートを見る私を嘲るように口の端を歪ませて笑うとマリウス様は裏庭から出て行った。
一人きりになった裏庭で息をつく。
受け取って後で捨てるくらいはすると思ったけれど、実際はそれより酷い。
悲しいけれど、もう涙もでない。そんな段階はとうに過ぎ去った。
こぼれたチョコレートと箱を拾って袋に戻す。
いらないとも言われない、悪意に満ちた答えだった。
教室に戻る途中、少女が見えた。
見下ろす校庭でマリウス様に抱き着く少女。
3階からでも目立つ動きにため息が出る。
走ってきていきなり抱きついた少女は手を解くとマリウス様に箱を差し出した。
片手で差し出されたピンクの箱には赤いリボンが掛けてあり、とても可愛らしい。
少女そのもののようなチョコレートをマリウス様はうれしそうに受け取った。
周りの視線など見えないかのように。
「すごいね、あれ」
突然横からかけられた声に振り向く。
「校庭で食事してた皆釘づけだねー」
視線を校庭に戻す。昼休みの校庭は当然二人きりでなく大勢の生徒がいた。
公衆の面前で抱きついたこともそうだが、婚約者のいる男子生徒にチョコレートを渡したことに周りの生徒は眉を顰めている。
「ええ」
チョコレートは異性の友人にあげることもあるが、その場合手のひらに収まる大きさで、箱やリボンの色は青や緑にすることが多い。ピンクは友人には絶対使わない色だ。
「堂々と愛の篭ったチョコを渡して、それを受け取るとか、ありえない光景だね」
「全くね」
同感だった。彼らが互いに決まった相手がいなくても告白なんて人前でするものじゃない。
「淡々としてるけど、いいのー? 彼、キミの婚約者でしょ」
「仕方ないわ」
ちらりと手に下げた袋に意識をやる。
目敏く袋に目を止めた彼はこちらに手を伸ばしてきた。
「おっ、チョコレート。 食べていい?」
聞きながら、もうチョコレートを口に近づけている。少し慌てながら止める
「落としたから駄目よ」
「あ、ホントだ。土付いてる」
そう言いながらもチョコレートから手を離さない。
「まあ、大丈夫大丈夫。ふっ、てやっとけば」
ふっ、と土を吹き飛ばしてチョコレートを口に入れた。
あまりのことに絶句する。
「あ、おいしい。 これロウェンのでしょ、俺もここのチョコ好きなんだよね」
「ダメって言ったでしょう!?」
悲鳴のような声で叫ぶも彼は気にしない気にしないと取り合わない。
良いところの子息であるのに汚れた物を頓着しないで口に入れる彼の食い意地に呆れた。
「ふっ、ふふっ。あなたって本当に食べ物のことになると…」
おかしくなって思わず笑ってしまった。
調理実習の時に私の作った体積の半分が炭と化したお菓子を周りが止めるのも構わず一口で食べたことを思い出す。
「食い意地が張ってる?」
「ええ、本当に公爵子息とは思えないくらいよ?」
ふふっ、とまたおかしくなって笑みをこぼす。
笑う私を笑顔で見つめながらまた一口。
悪びれない彼がおかしくて、窓の外の景色なんて忘れてしまった。
一月後、私は少し浮き立った気持ちで学園の門をくぐった。
懸念していたことが片付いて生まれ変わった気持ち、とまで言ったら大げさかもしれない。
ただそれほどまでに浮かれていたのだ。
校舎に入るまでは。
「マリーナ・カイエン!」
突如響いた怒号に驚いて足が止まる。
周りの生徒たちも突然のことに硬直していた。
足音荒く近づいてきたのはマリウス様。その顔は憤怒に染まっている。
「マリウス様。 どうかなさいましたか?」
「どうしただと! よくもそんな事が言えたな!」
私達の関係は知られているものの到底痴話喧嘩には見えない剣幕に周りは固唾を飲んで見守っている。
「婚約破棄とはどういうことだ?」
低く告げられた問いにああ、と心の中で呟く。
侯爵様から聞いたのだろう。どういうことと聞かれても困る。
「聞かれたとおりですわ。 私たちの婚約は破棄され、オルセン家とカイエン家の契約は白紙に戻りました」
契約といっても大した話ではない。お互いの領地の間にある森を共同で切り開いていこうという話が消えただけで、それ以外は今までどおり。…少し関係は悪くなるかもしれないが。
「だから何故だ! 今回の婚約破棄はお前から言い出したそうじゃないか!」
「何故、とは?」
婚約破棄という言葉に周りはざわついている。純粋に驚いている方もいればうなずいている方もいる。
たまたま居合わせたクラスメイトなどは親指を立ててとても良い笑顔だ。
他人でもわかっているのに本当にわからないのだろうか。
「お前如きが俺に婚約破棄を申し込むなど何様のつもりだ!!」
周りの空気が呆れから怒りに変わった。
他人事として聞いていても許しがたい台詞だった。
「理由はわかりきったことですわ。 マリウス様は親しくしていらっしゃる方がおありでしょう。
先月チョコレートを分け合っていた方が」
私は受け取ったところまでしか見ていなかったが、その後二人でチョコレートを食べさせ合っていたというのをクラスメイトから聞いた。そんなことは人目のないところでやってほしい。
「リカのことは関係ない」
「関係ないとは言えませんわ。 バレンタインのチョコレートを受け取って食べたのでしょう? 彼女の想いを受け入れたと知ったからこそ私は潔く身を引いたまでですわ」
愛称まで呼ぶ仲なのでしょう、と皮肉を言うと顔を怒りに歪めたが言葉は出てこなかった。
「できればそちらから進めていただきたかったのですが、その気配もなかったので仕方なくこちらから進めさせていただきましたの。 彼女と縁を結ぶなら私はいてはなりませんもの」
婚約者がいたままに他の女性の想いを受け入れたと暗に非難する。
「彼女とは・・・」
「まさか将来を考えていないなんておっしゃいませんよね? 弄んだだけなんて」
彼女は学生時代だけの遊び相手なんて言ったら感情が抑えられるかわからない。
そもそも私は彼女のことは特に不快には思っていない。彼女は平民であるのだし、好意を持った相手に想いを告げて伴侶を見つけるのは普通のことだろう。
マリウス様がしっかりとお互いの関係を清算してから付き合えばよかっただけで。
婚約者のいる男性に声をかけたというのも、彼女は私の存在を知らないのではないかと思っている。
私が彼女を見かけることはあっても彼女が私に目を止めたことはない。
「然るべき手順を踏んで彼女を幸せにしてさしあげてください」
これまでの不誠実な振る舞いを痛烈に皮肉る。
「格下のお前が、俺によくもそんな口をきけるな」
「まあ! 血筋に相応しくない不誠実な振る舞いをしていらっしゃた方がよくもそんなことをおっしゃれますね?」
感嘆の混じった声で返すと怒りに目を据わらせた。
「いまさら何をおっしゃっても、もう婚約破棄も済みましたし、私たちの間には何の関係もありませんわ」
「…関係はある」
首を傾げる。
「今回のことで父上が俺の侯爵家継承に疑問を呈するようになった」
軽く眉を上げてわずかな驚きを表す。
そうでしょうね。マリウス様のお父上はご実家の都合で断念したとはいえ、元は騎士団で近衛の任に当たっていらっしゃったお方ですもの。騎士道精神に悖る行いをしている息子をそのまま認めることはできないでしょうね。
だからといって―――。
「まあ、マリウス様。 困りますわ。お家の問題はご家族でお話になってください」
私には関係ありませんもの。そういって笑えば怒りの抜けた、純粋な驚きだけの顔で私を見た。
だってそうでしょう?
「私には関係のないことですもの」
絶句するマリウス様を見てくすくすと笑う。
唖然とするマリウス様に胸のすく思いだった。
「お前が原因だろう!」
私を指差してマリウス様が叫ぶ。
「それは違いますわ。侯爵様が継嗣に疑問を持たれたのは婚約破棄のことではなく、それ以前のマリウス様の行動に対してのことですもの」
婚約者にけじめをつけるでもなく、愛しい人に真摯に向きあうでもなく、どちらにも不誠実な態度を取っていたのがいけないのだ。
侯爵様はリカーナ様のことには反対はしなかったと思います。
彼女は恋に一生懸命なだけの可愛い少女ですので。
「結論も出せないだらしない態度が侯爵様の勘気に触れたのではありませんか?」
図星だったのかマリウス様が言葉に詰まる。
「これから真剣に彼女と家族に向き合えばいいだけではないですか。侯爵様は疑問を感じているだけで継がせないと言ったわけではないのですから」
「全くそのとおりだな」
突然傍観していた輪の中から第三者が割り込んできた。
割り込んだのが公爵子息のマディセル様だったことに周囲が驚きで息を飲む。
「婚約者どころか友人ですらないマリーナに絡んでいる暇があったら自らを見直したほうがいいんじゃないかな」
怒りか恥故か顔を赤らめてマディセル様を睨むが公爵子息に言い返すことも出来ず、悔しそうに唇を噛んだ。
マディセル様が介入したことで周囲の緊張も解けたようだ。彼の前でこれ以上の醜態を晒すはずがないと結論づけ周囲が動きだす。
教室に向かう流れの中マディセル様が立ち止まる。
「マリーナ、これを受け取って」
差し出された花を思わず手に取ってしまった。途端に周囲がざわめく。
夜を思わせる紺碧の花弁に花芯から外に向かって走る薄青の線。美しさに目を奪われたのは一瞬で、すぐに困惑を浮かべてマディセル様を見上げる。
「これは…?」
「チョコレートのお返し」
マディセル様の返事に周囲の女性が悲鳴のような歓声をあげた。それに混じって浮気してたのかという雑音も聞こえた。
雑音の方をちらりと見てから、マディセル様に顔を向ける
「私はマディセル様にチョコレートを上げていませんわ」
「うん、捨てる予定だったチョコレートを勝手にもらっただけだね」
それでも、と私の手を取る。
「僕の想いはキミにしか捧げられない。どうか受け取ってくれないかな」
唐突な告白に色めき立つ周囲をよそに飄々としている彼と混乱している私。
混乱のあまり埒もないことを口に出した。
「マディセル様は食い意地が張っているだけではありませんでしたのね」
いつかの調理実習のことを思い出す。
「勿論、キミの作った物だから食べたかったんだ」
突然のことに何も言えなくなる。口を開いては閉じるを繰り返す。顔が熱い。
「わ、私は、何も答えられませんわ! 今は…」
続きを促す瞳に言葉を次ぐ。
「これはバレンタインのお返しではありませんものね?」
上げていないものに返せるものもない。
「急すぎて、どうしたらいいかわかりませんの。ですから…」
一息吸ってマディセル様の目を見据える。
「私の心が定まるまで、チョコレートは待ってくださる?」
遠回しな返事でもマディセル様には通じたようでぱっと笑顔に変わる。
「ああ、次のバレンタインにはチョコをもらえるよう努力するよ!」
途端周りから拍手と歓声が巻き起こる。恥ずかしいけれど少しうれしくて、マディセル様に微笑みかける。同じようにうれしそうな顔でマディセル様も微笑んだ。
来年はきっと渡せる気がした。
翌年、新入生を中心にしたバレンタインの流行りがあった。
男子生徒からバレンタインに花を贈り、一月後に想いを受け取ると決めた女子生徒がチョコレートを贈る。
例年とは違う祭典に盛り上がる生徒たちに人気を得、その年以降も定着していった。
私たち? もちろん思いは通じていたから贈り合ったわ。
私はチョコレートを、マディセル様は花をバレンタイン当日に贈り合った。
きっと一生忘れない幸せなバレンタインだったわ。
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