好きなわけ、ないだろ

春夜夢

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春の朝。
カーテンの隙間から射し込む光が、部屋の空気をやわらかく染めていた。
昨日までの制服姿はもうない。
今日からは、本当の意味で“次の生活”が始まる。

目覚ましの音を止めて、ベッドの上で深呼吸する。
少し緊張している自分に気づいて、苦笑いがこぼれた。

「……いよいよか」

高校を卒業して、蓮は大学へ。
俺はバイトを始める。
道は違うけれど、それでも“隣にいる”と決めた。

ポケットの中に、いつも持ち歩いている蓮のメモがある。
「不安になったら見ろよ」って、バカみたいな字で書いてあるくせに、見ると落ち着く。

朝の駅前は、制服じゃない服に包まれた人たちで溢れていた。
俺も、少し不慣れな私服で歩く。
バイト初日。心臓が変にドキドキしていた。

ふと、前から見覚えのある姿が走ってきた。

「匠っ!」

息を弾ませて、手を振ってくる蓮。
新しいバッグを肩にかけ、白いシャツの上に薄いカーディガンを羽織っている。
制服姿より少し大人びた蓮に、一瞬、息が止まった。

「お前……なんか大学生って感じだな」
「当たり前でしょ」
「うぜぇ」
「褒め言葉として受け取っておく」

いつもの軽口。
でも、少し違う空気。
俺たちは同じ道を歩いていたはずなのに、今日からはそれぞれの方向へ向かう。

「今日からバイト?」
「ああ。……緊張する」
「ふふ、かわいい」
「ぶん殴るぞ」

蓮が笑いながら俺の肩を小突いてきた。
相変わらず、あいつの笑顔には力がある。
少し緊張していた心が、ふわっと軽くなる。

駅の階段で立ち止まる。
ここで、俺たちは別々の電車に乗る。
今まで一緒に登校していた時間が、別の道に分かれる。

「じゃあ、いってらっしゃい」
「……お前もな」

蓮が軽く手を振って、改札の向こうに消える。
その背中を見送っていると、胸の奥が少しだけチクッとした。

“当たり前だった時間”が、静かに変わっていく。
その変化は優しいのに、少しだけ怖い。

バイト先は、街のはずれにあるカフェだった。
スタッフの人たちはみんな優しくて、仕事内容も思ったより難しくはなかった。

「君、新人さん? よろしくね」
「うん、よろしく」

同じシフトに入っていたのは、俺と同い年くらいの女の子だった。
柔らかい雰囲気で、明るく話しかけてくる。

「高校卒業したばっかり?」
「ああ、そんなとこ」
「じゃあ、私と同じだね」

にこっと笑うその顔に、一瞬戸惑った。
蓮以外の誰かと、こうして自然に会話をしている自分が、妙に落ち着かない。

夜。
スマホにメッセージが届いた。
送り主は、もちろん蓮。

『初日どうだった?』
『大丈夫だった』
『頑張ったな、えらい。今度カフェ行くからな!』

思わず吹き出した。
こんな短いやりとりなのに、ちゃんと“隣にいる”感じがする。
会えなくても、こうして繋がっている。

でも──
画面を見つめながら、胸の奥に小さな不安が浮かんだ。

“もし、こういう毎日が少しずつ離れていったら──”

「……バカか」

自分で頭を振って、その考えを追い払った。
蓮は俺を信じてくれている。
だから俺も、ちゃんと信じたい。

ベッドに横になり、カーテンの隙間から夜空を見上げる。
この春、俺たちはそれぞれの朝を迎えた。

きっと、楽しいことも、不安なことも、いろいろある。
でも、この道の先に、あいつがいる。
そう信じられるから、怖くはない。

「……おやすみ、蓮」

小さく呟いた声は、夜の静けさに溶けていった。
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