甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良

文字の大きさ
188 / 263
第二部六章 軍師

古狸と子狐

しおりを挟む
 「……親父殿」

 武田軍の陣の片隅に生えていた松にもたれかかりながら、山間やまあいから昇った月を肴に瓢箪の酒を呷っていた真田幸綱は、不意に背後から声をかけられた。
 徳利から離した拍子に口の端から零れた酒の雫を指で拭いながら振り返った彼は、立っていた男に向かってにんまりと笑いかける。

「おう、源五郎ではないか! どうした? やはり父の事が恋しくなって会いに来てくれたのか?」
「だから……そんな訳がないと、昨日も申し上げたでしょうに……」

 父がかけた気さくな声に迷惑そうな顔をしながら、武藤昌幸は横に首を振った。
 そんな息子のウンザリ顔も意に介さず、幸綱は大げさな仕草で手招きする。

「まあ良い! こっちに来い、源五郎!」

 そう言いながら、幸綱は手に持っていた瓢箪を掲げた。

「ほれ、酒もここにある! 久々に親子水入らずで飲もうではないか!」
「いえ……」

 昌幸は、幸綱の誘いに再びかぶりを振り、その代わりに険しい目を父に向ける。
 そして、周りに目を配って人がいない事を確認してから、低い声で言った。

「……一体、何故あのような事をなされたのですか?」
「はて?」

 幸綱は、昌幸の問いかけにわざとらしく首を傾げてみせる。

「一体何の事かの? “あのような事”とは――」
「とぼけなさるなッ!」

 しらばっくれる幸綱に、昌幸は思わず声を荒げた。

「……久々利頼興の事に決まっておりましょう!」

 と続けた昌幸は、更に声を潜めて言葉を継ぐ。

「何故……典厩様にも黙ったまま、独断で久々利頼興の命を?」
「やれやれ、お前もあの場に居たのに、ワシと典厩殿の話を聞いておらなんだか?」

 幸綱は、呆れ笑いを漏らした。

「悪五郎殿は、敵が放った銃弾に喉を貫かれて――」
「拙者が、斯様に下手糞な作り話を信じるとお思いか?」

 と、幸綱の言葉を遮った昌幸は、へらへらしている父の顔に鋭い視線を向ける。

「これでも、拙者は“真田の古狸”の息子ですぞ」
「カッカッカッ! ワシが古狸か! 確かに違いない!」

 昌幸の言葉を聞いた幸綱は、怒るどころか膝を叩いて大笑した。

「誰が言い出したのかは知らぬが、上手い事を言いおるのう。では、お前はさしずめ、“武藤の子狐”といったところか?」
「……知りませぬ」

 幸綱の問いかけに、昌幸は憮然としながらかぶりを振り、話を戻す。

「とにかく……先ほどの拙者の問いにお答え下され!」
「――言わねば分からぬか?」

 問いを重ねた昌幸の顔を、幸綱はジロリと見据えた。
 その口元には相変わらずの薄笑みが浮かんでいたが――その目は笑っていない。

「……ッ!」

 いつも飄々としている幸綱が向けた視線に氷の刃の如き鋭さを感じて、昌幸は思わず気圧される。
 そんな彼に、幸綱は静かな声で問いかけた。

「……では、お前がワシの立場だったら、久々利悪五郎をどうしたと思う?」
「それは……」

 昌幸は、父の問いかけに思わず言い淀む。
 ――それまでの所業や言動から考えて、久々利頼興は決して信のおけない男だった。
 そんな男を、斎藤家及び織田家との国境に置き続けるのは危険すぎる。
 彼が望んだ通りに烏峰城を与える事は勿論、久々利城を任せ続けるのも避けたいところだ。
 出来れば、頼興を早いうちに城替えさせて国境から引き剥がしたい……。が、自ら武田方へ降ったという“功”がある彼から久々利城を召し上げる名分が無いし、頼興本人も先祖代々の居城である久々利城を明け渡す事を承服すまい。
 ならば――、

「どうじゃ? ワシと同じ結論に至らんか?」
「……ですが!」

 幸綱の言葉に同意しかけた昌幸だったが、ハッと眦を上げ、声を荒げた。

「でしたら……総大将である典厩様にその旨を申し上げて、事前にご了承を頂くべきでしょう!」

 そう叫んだ昌幸は、月明かりで白く照らし出された顔を険しくさせる。

「そのような大事を、全くの独断で勝手に為すとは……典厩様がお赦しになったから良いようなものの、下手をしたら責任を問われて腹を切らねばならなくなったのかもしれぬのですよ!」
「カッカッカッ!」

 昌幸の叱責に、幸綱は上機嫌で笑った。

「何じゃ源五郎? 父の身を案じてくれとったのか? 嬉しいの~!」
「そ、そんな訳あるかっ!」

 大げさに喜ぶ幸綱に、昌幸は顔を真っ赤にして、上ずった声で怒鳴る。

「べ、別にアンタを心配した訳じゃない! お、俺はただ……アンタのせいで母上が悲しんだり、兄上たちが苦労したりするのを見たくないだけだッ!」
「くっくっく……照れるな照れるな」

 ニヤニヤしながら、必死でかぶりを振る昌幸をからかった幸綱だったが、ふとその顔から笑みが消えた。
 彼は、瓢箪の酒を一気に呷り、口を離して大きなゲップをした後に、「……のう、源五郎よ」と昌幸に言葉をかける。

「ワシやお前のように、武力ではなく智恵を以て主に仕える者に求められる覚悟とは何だと思う?」
「智恵を以て主に仕える者に求められる……覚悟……」

 先ほどまでとは打って変わって真面目な口調になった幸綱に戸惑いながら、昌幸は問いの答えを考えた。

「それは……あらゆるを駆使し、必ずや御味方に勝ちをもたらさんという……」
「左様」

 と、昌幸の答えに小さく頷いた幸綱だったが、

「――だが、それだけではちと言葉が足りぬな」

 と続ける。
 昌幸は、そんな幸綱の言葉に訝しげな表情を浮かべ、「足りぬ……とは?」と訊き返した。
 そんな息子に、幸綱は不敵な薄笑みを浮かべて答える。

「ワシやお前が持たねばならぬのは――『どんなに汚く悪辣な策略をも用いて味方に勝ちを齎し、それに対する責を一身に背負う』覚悟よ」
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

対ソ戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
1940年、遂に欧州で第二次世界大戦がはじまります。 前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。 未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!? 小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

If太平洋戦争        日本が懸命な判断をしていたら

みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら? 国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。 真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。 破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。 現在1945年夏まで執筆

処理中です...