【完結】偽物聖女は冷血騎士団長様と白い結婚をしたはずでした。

雨宮羽那

文字の大きさ
22 / 58
第2章

20・初恋は叶わない

しおりを挟む

 とうとう王都の教会へ戻る日がやってきた。
 荷造りを終え、広場に停めた馬車に乗り込む私たちを老神父や街の人々が見送ってくれていた。
 
「レティノア様、また是非お立ち寄りください」
 
「レティノア様! また来てね!」

 街の人々が、手を振りながら口々に声をかけてくれる。
 そこには、あの男の子の姿もあった。隣では、男の子の母親が頭を下げている。

「クラウス様も! またね!」

「……ああ」

 馬車の窓ごしでのそのやり取りが微笑ましくて、私はクラウス様の隣でくすりと笑った。
 
 やがて馬車がゆっくりと動き出し、ダーレストの町から離れていく。
 ふと私は、隣に座るクラウス様の方へ視線を向けた。
 クラウス様は腕を組んだまま、流れていく景色を眺めている。
 無言であることは変わらないものの、その表情は行きよりも穏やかなものに感じられた。
 だがそれよりも気になったのは、クラウス様の右手だった。

「……!?」
 
 どうして今まで気づかなかったのだろう。
 クラウス様の右の手の甲に、深く開いた傷がある。血は止まっているようだが、未だ赤く痛々しい。
 私は思わずクラウス様の方へ身を乗り出した。
 
「クラウス様、その怪我」

 私の視線とひそめた声に気づいたクラウス様はわずかに眉を動かすと、傷を隠すようにさっと腕の位置を変えた。どことなく気まずそうな様子で視線を逸らしている。

 昨日、荷車から私を守ってくれた時には、クラウス様の手にこんな傷はなかった。
 クラウス様が怪我をする要因として思い当たるのは一つだけだ。
 
「もしかして、あのときですか」

 坂の上から広場へ向かって、荷車が転がり落ちてきた時。
 クラウス様は飛んできた木片から親子を守るために動いた。

「……少し掠めただけだ。大したことはない」

 どうやら図星だったようで、クラウス様はバツが悪そうに答える。

「ありますよ。こんなに深く切れているのに、どうして何も巻かずに平気な顔をしているんですか」

 話す声が少しだけ震えてしまった。どうやら私は、クラウス様の怪我を見て、思いのほかに動揺してしまっているらしい。
 きっと、傷を見つけなければ私は気づけなかった。それくらい、クラウス様はいつも通りだったのだ。

「……この程度は慣れている」

 そういう問題ではないだろう。
 傷を見ているだけで胸が痛む。それは、私が聖女の血を引いているから、というだけではないような気がした。
 
「……手、貸してください」

「なぜだ」

「治癒するんですよ」

「しなくていい。聖女殿の手を煩わせるようなことじゃない」

「出、し、て、く、だ、さ、い」

 クラウス様は短くため息をつくと、ほんの少しだけ迷うような素振りを見せたあと、私の方へ手を差し出した。

 私も私でため息をつきながらクラウス様の手を受け取る。
 
 クラウス様の手は、私のものよりもずっと大きかった。質感も硬くて、ごつごつしていて、私のものとはまるで違う。
 よく見れば、クラウス様の手には昨日の傷だけではなく、いくつもの古傷の痕が残っていた。

(……この人は、どれだけの痛みを通ってきたのだろう)

 私は両手で包み込むと、祈りの言葉を口にした。
 治癒の光が傷口をなぞるたび、赤く裂けた皮膚が静かに閉じていく。
 けれど、既にふさがってしまった古傷の痕は、何も変わらない。
 
 (……クラウス様のこと、もっと知りたいな)

 この人は、どんな道をたどって生きてきたのだろう。
 何が好きで、何を見て、何を考えているのだろう。
 ……クラウス様の中に、私はいるのだろうか。

 (私、もしかして、クラウス様のこと……)
 
 クラウス様の手を両手で包みながら、自分の胸の奥に、小さな想いが芽生えていることに気づいてしまった。
 顔が熱くて、クラウス様の方を見ることが出来ない。
 
「……昔、戦場で命を落としかけた。その時も、こうやって治してもらったな」

 傷がふさがっていくのを眺めながら、クラウス様はぽつりと言葉を呟いた。

「……それは、聖女に……ですか」

 (私、クラウス様のことを治癒したことがある?)

 本物の聖女はミレシアであるが、あの子は仕事をサボってばかりだった。クラウス様を治癒したとするなら私の可能性が高い。

 (……それっていつ、どこでの話だろう)

 正直、数限りなく騎士を治癒してきたから、記憶のどれがクラウス様なのか判別がつかなかった。
 一番記憶に残っているのは、三年前の琥珀の瞳をした騎士。あれほどの大怪我を治したのは初めてだった。だが、薄暗かったことと疲れていたせいもあって顔の記憶が曖昧だ。

「ああ。俺を癒す光も、穏やかな声も、すべてが救いだった。おかげで今の俺がいる。……あの時の、神々しい女神のような姿を忘れたことなど一度もない」
 
 (……もしかして、ミレシアなの?)

 神々しい女神、という言葉で、クラウス様の言う聖女が私である可能性がかき消えた。
 それは、私であるはずがない。
 だって私は、親の言葉を借りるなら『華がなくて可愛げのない子』なのだから。

 ミレシアが聖女の力を使っているところなど一度も見たことがないけれど、もしかしたら私が知らないところで、ミレシアはクラウス様を救っていたのかもしれない。

 見た目は人形のように可愛らしいミレシアなら、クラウス様が神々しい女神のように見えたことに納得がいく。

 (最初に会った時、クラウス様は私を聖女だと誤解した)

 それは、クラウス様が助けられた時に見たであろうミレシアの髪と私の髪の色が似ていたせいだろう。

 (そっか……。そういうことだったのね)

 きっとこの人は、私とミレシアを取り違えている。
 そもそも、クラウス様が婚姻を了承したのは、聖女との婚姻だ。
 実情はどうあれ、本物の聖女がミレシアである以上、そこに私は関係ない。
 ミレシアを聖女として大切に思っていたから、結婚を決めたのだろう。

「覚えられていなくていい。報われなくてもいい。俺は、俺のすべてを捧げて聖女を守る」

 (……っ)

 クラウス様は私を真っ直ぐに見て伝えてくる。
 けれどその言葉が本当は、ここにはいない妹へ向けられているのだと思うと、胸の奥が苦しくなる。
 なんだか冷水を浴びせられた気分だった。
 一気に指先まで冷たくなっていく。

 初めて感じたほのかな恋は、相手が関係上夫であるというのに玉砕したのだった。
 


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

恐怖侯爵の後妻になったら、「君を愛することはない」と言われまして。

長岡更紗
恋愛
落ちぶれ子爵令嬢の私、レディアが後妻として嫁いだのは──まさかの恐怖侯爵様! しかも初夜にいきなり「君を愛することはない」なんて言われちゃいましたが? だけど、あれ? 娘のシャロットは、なんだかすごく懐いてくれるんですけど! 義理の娘と仲良くなった私、侯爵様のこともちょっと気になりはじめて…… もしかして、愛されるチャンスあるかも? なんて思ってたのに。 「前妻は雲隠れした」って噂と、「死んだのよ」って娘の言葉。 しかも使用人たちは全員、口をつぐんでばかり。 ねえ、どうして?  前妻さんに何があったの? そして、地下から聞こえてくる叫び声は、一体!? 恐怖侯爵の『本当の顔』を知った時。 私の心は、思ってもみなかった方向へ動き出す。 *他サイトにも公開しています

この婚約は白い結婚に繋がっていたはずですが? 〜深窓の令嬢は赤獅子騎士団長に溺愛される〜

氷雨そら
恋愛
 婚約相手のいない婚約式。  通常であれば、この上なく惨めであろうその場所に、辺境伯令嬢ルナシェは、美しいベールをなびかせて、毅然とした姿で立っていた。  ベールから、こぼれ落ちるような髪は白銀にも見える。プラチナブロンドが、日差しに輝いて神々しい。  さすがは、白薔薇姫との呼び名高い辺境伯令嬢だという周囲の感嘆。  けれど、ルナシェの内心は、実はそれどころではなかった。 (まさかのやり直し……?)  先ほど確かに、ルナシェは断頭台に露と消えたのだ。しかし、この場所は確かに、あの日経験した、たった一人の婚約式だった。  ルナシェは、人生を変えるため、婚約式に現れなかった婚約者に、婚約破棄を告げるため、激戦の地へと足を向けるのだった。 小説家になろう様にも投稿しています。

冷徹公爵閣下は、書庫の片隅で私に求婚なさった ~理由不明の政略結婚のはずが、なぜか溺愛されています~

白桃
恋愛
「お前を私の妻にする」――王宮書庫で働く地味な子爵令嬢エレノアは、ある日突然、<氷龍公爵>と恐れられる冷徹なヴァレリウス公爵から理由も告げられず求婚された。政略結婚だと割り切り、孤独と不安を抱えて嫁いだ先は、まるで氷の城のような公爵邸。しかし、彼女が唯一安らぎを見出したのは、埃まみれの広大な書庫だった。ひたすら書物と向き合う彼女の姿が、感情がないはずの公爵の心を少しずつ溶かし始め…? 全7話です。

お堅い公爵様に求婚されたら、溺愛生活が始まりました

群青みどり
恋愛
 国に死ぬまで搾取される聖女になるのが嫌で実力を隠していたアイリスは、周囲から無能だと虐げられてきた。  どれだけ酷い目に遭おうが強い精神力で乗り越えてきたアイリスの安らぎの時間は、若き公爵のセピアが神殿に訪れた時だった。  そんなある日、セピアが敵と対峙した時にたまたま近くにいたアイリスは巻き込まれて怪我を負い、気絶してしまう。目が覚めると、顔に傷痕が残ってしまったということで、セピアと婚約を結ばれていた! 「どうか怪我を負わせた責任をとって君と結婚させてほしい」  こんな怪我、聖女の力ですぐ治せるけれど……本物の聖女だとバレたくない!  このまま正体バレして国に搾取される人生を送るか、他の方法を探して婚約破棄をするか。  婚約破棄に向けて悩むアイリスだったが、罪悪感から求婚してきたはずのセピアの溺愛っぷりがすごくて⁉︎ 「ずっと、どうやってこの神殿から君を攫おうかと考えていた」  麗しの公爵様は、今日も聖女にしか見せない笑顔を浮かべる── ※タイトル変更しました

聖女の力は「美味しいご飯」です!~追放されたお人好し令嬢、辺境でイケメン騎士団長ともふもふ達の胃袋掴み(物理)スローライフ始めます~

夏見ナイ
恋愛
侯爵令嬢リリアーナは、王太子に「地味で役立たず」と婚約破棄され、食糧難と魔物に脅かされる最果ての辺境へ追放される。しかし彼女には秘密があった。それは前世日本の記憶と、食べた者を癒し強化する【奇跡の料理】を作る力! 絶望的な状況でもお人好しなリリアーナは、得意の料理で人々を助け始める。温かいスープは病人を癒し、栄養満点のシチューは騎士を強くする。その噂は「氷の辺境伯」兼騎士団長アレクシスの耳にも届き…。 最初は警戒していた彼も、彼女の料理とひたむきな人柄に胃袋も心も掴まれ、不器用ながらも溺愛するように!? さらに、美味しい匂いに誘われたもふもふ聖獣たちも仲間入り! 追放令嬢が料理で辺境を豊かにし、冷徹騎士団長にもふもふ達にも愛され幸せを掴む、異世界クッキング&溺愛スローライフ! 王都への爽快ざまぁも?

罰として醜い辺境伯との婚約を命じられましたが、むしろ望むところです! ~私が聖女と同じ力があるからと復縁を迫っても、もう遅い~

上下左右
恋愛
「貴様のような疫病神との婚約は破棄させてもらう!」  触れた魔道具を壊す体質のせいで、三度の婚約破棄を経験した公爵令嬢エリス。家族からも見限られ、罰として鬼将軍クラウス辺境伯への嫁入りを命じられてしまう。  しかしエリスは周囲の評価など意にも介さない。 「顔なんて目と鼻と口がついていれば十分」だと縁談を受け入れる。  だが実際に嫁いでみると、鬼将軍の顔は認識阻害の魔術によって醜くなっていただけで、魔術無力化の特性を持つエリスは、彼が本当は美しい青年だと見抜いていた。  一方、エリスの特異な体質に、元婚約者の伯爵が気づく。それは伝説の聖女と同じ力で、領地の繁栄を約束するものだった。  伯爵は自分から婚約を破棄したにも関わらず、その決定を覆すために復縁するための画策を始めるのだが・・・後悔してももう遅いと、ざまぁな展開に発展していくのだった  本作は不遇だった令嬢が、最恐将軍に溺愛されて、幸せになるまでのハッピーエンドの物語である ※※小説家になろうでも連載中※※

捨てられた聖女、自棄になって誘拐されてみたら、なぜか皇太子に溺愛されています

h.h
恋愛
「偽物の聖女であるお前に用はない!」婚約者である王子は、隣に新しい聖女だという女を侍らせてリゼットを睨みつけた。呆然として何も言えず、着の身着のまま放り出されたリゼットは、その夜、謎の男に誘拐される。 自棄なって自ら誘拐犯の青年についていくことを決めたリゼットだったが。連れて行かれたのは、隣国の帝国だった。 しかもなぜか誘拐犯はやけに慕われていて、そのまま皇帝の元へ連れて行かれ━━? 「おかえりなさいませ、皇太子殿下」 「は? 皇太子? 誰が?」 「俺と婚約してほしいんだが」 「はい?」 なぜか皇太子に溺愛されることなったリゼットの運命は……。

「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~

卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」 絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。 だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。 ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。 なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!? 「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」 書き溜めがある内は、1日1~話更新します それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります *仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。 *ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。 *コメディ強めです。 *hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!

処理中です...