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一章
9、幻の彼
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シャールーズは、誘拐犯たちの出ていった方を一瞥すると、口の端で笑った。
「嬢ちゃんじゃ、どうせ逃げきれないと踏んでんだぜ。甘いなぁ」
「わたくしが逃げられるとは、思いません」
ヤフダとミトラが裏切るはずがない。けれど姉たちの名を騙られただけで、こんなにも心が砕けるなんて。
姉を慕う気持ちを、下衆な男に汚されたことが耐えられない。
「これから、わたくしはどうしたら……」
問いかけたアフタルは、瞬きをくり返した。
確かにそこにいたはずのシャールーズの姿が、消えていたからだ。
「……どうして?」
辺りを見回しても、どこにも彼の姿はなかった。まるで最初から存在しないかのように。
◇◇◇
アフタルの見世物は、建前としては少女と豹の対決だった。無論、猛獣相手に戦える少女などいるはずもないが。
その名目すらも無視した状態で、アフタルは闘技場の真ん中で杭に縛りつけられた。
足下は砂だ。アフタルの前の見世物が、剣闘士同士の争いだったのか、獣と剣闘士の戦いだったのかは分からないけれど。
砂に黒々としみ込んだ血の量に、意識が遠くなりそうだ。
(忘れていました。今日は最悪な日だったことを)
考えてみれば、初対面の男性が救ってくれるなんて都合が良すぎる。
シャールーズのことをすぐに信じてしまったのは、自分が王女であることに甘えていたのだろう。
「さぁさぁ、お集りの皆さま! 本日一番の演目でございます」
司会の男の声が、高らかに闘技場に響き渡る。
「なんと、主役は囚われの姫さま。ああ、幸薄い姫さまの命運や、いかに!」
「姫さまの訳、ないだろ!」
「そうだ、そうだ。いい加減なことを言うな」
観客席からヤジが飛ぶ。その声はぶつかり合って、耳が痛いほどだ。
(当たり前だわ。第三王女が捕らえられ、見世物として猛獣に食い殺されるなんて、信じる人がいるはずないわ)
アフタルの前に、布のかかった檻が運ばれてきた。中から唸るような声が聞こえる。
ばさり、と覆われていた布が取り払われる。
檻の中では、大型の豹がうろうろと歩いていた。
鋭い牙、半開きの口元からは絶え間なくよだれがしたたり落ちている。
「ひ……っ」
アフタルは引きつった声を出した。悲鳴を上げることすらできない。
逃げようと足を動かそうとしても、体も腕も縛られて、身動きが取れない。
助けて、と言おうとして口を閉ざす。
いったい誰に懇願しようというの? 幻の彼になの?
「嬢ちゃんじゃ、どうせ逃げきれないと踏んでんだぜ。甘いなぁ」
「わたくしが逃げられるとは、思いません」
ヤフダとミトラが裏切るはずがない。けれど姉たちの名を騙られただけで、こんなにも心が砕けるなんて。
姉を慕う気持ちを、下衆な男に汚されたことが耐えられない。
「これから、わたくしはどうしたら……」
問いかけたアフタルは、瞬きをくり返した。
確かにそこにいたはずのシャールーズの姿が、消えていたからだ。
「……どうして?」
辺りを見回しても、どこにも彼の姿はなかった。まるで最初から存在しないかのように。
◇◇◇
アフタルの見世物は、建前としては少女と豹の対決だった。無論、猛獣相手に戦える少女などいるはずもないが。
その名目すらも無視した状態で、アフタルは闘技場の真ん中で杭に縛りつけられた。
足下は砂だ。アフタルの前の見世物が、剣闘士同士の争いだったのか、獣と剣闘士の戦いだったのかは分からないけれど。
砂に黒々としみ込んだ血の量に、意識が遠くなりそうだ。
(忘れていました。今日は最悪な日だったことを)
考えてみれば、初対面の男性が救ってくれるなんて都合が良すぎる。
シャールーズのことをすぐに信じてしまったのは、自分が王女であることに甘えていたのだろう。
「さぁさぁ、お集りの皆さま! 本日一番の演目でございます」
司会の男の声が、高らかに闘技場に響き渡る。
「なんと、主役は囚われの姫さま。ああ、幸薄い姫さまの命運や、いかに!」
「姫さまの訳、ないだろ!」
「そうだ、そうだ。いい加減なことを言うな」
観客席からヤジが飛ぶ。その声はぶつかり合って、耳が痛いほどだ。
(当たり前だわ。第三王女が捕らえられ、見世物として猛獣に食い殺されるなんて、信じる人がいるはずないわ)
アフタルの前に、布のかかった檻が運ばれてきた。中から唸るような声が聞こえる。
ばさり、と覆われていた布が取り払われる。
檻の中では、大型の豹がうろうろと歩いていた。
鋭い牙、半開きの口元からは絶え間なくよだれがしたたり落ちている。
「ひ……っ」
アフタルは引きつった声を出した。悲鳴を上げることすらできない。
逃げようと足を動かそうとしても、体も腕も縛られて、身動きが取れない。
助けて、と言おうとして口を閉ざす。
いったい誰に懇願しようというの? 幻の彼になの?
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