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おっさん、苦渋の決断
しおりを挟む天上の甘露にも似た、蠱惑的で心に纏わりつく誘(いざな)い。
それはまるで呪縛の様に俺を縛り魅了する。
脅迫や強要、テロリスト及び犯罪者の言い分には絶対耳を貸さない。
断固たる応対を以て当たるのが人質交渉の第一歩だ。
数々の依頼を通して俺は毅然としたスタンスを崩さずに貫いてきた。
しかしそれはあくまで他人事だから最善を尽くせただけだったのだろうか。
自らが当事者になった途端、こんなに迷いが出るなんて……
その勧誘が偽りの救いと分かっているのに手を伸ばしそうになる。
言い訳や弱い自分を詐称し肯定する欺瞞ばかりが胸中を占めていく。
ソーヤの言葉が正しく正当性のあるものである、と。
惑い揺らめく俺。
だが【黒帝の竜骸】から警告の様に発せられた熱に、ふと我に還る。
ん? それはおかしいだろう。
何故、俺は無条件で奴に屈しようとしている?
もしかしてこれは……
隙を見せる事を承知で【神龍眼】の解析効果に力を注ぐ。
結果、判明。
奴、ソーヤの力の一端を図り損ねていたことを今更ながらに俺は知った。
強化された俺の視界を占めるのは宙に漂う無数の呪言。
幾重もの効果を纏ったその秘紋は魔術的効果を伴い世界を変容していく。
そう――これこそが奴の力の本質。
瞳で未来を知り現実を改変する俺とノスティマに対し、福音の使徒こと【聖者】ソーヤ・クレハは【言葉】によって現実に影響をもたらす神聖力の化け物であるという事は推測できていた。
しかしまさか何気ない言葉に含まれた意味合いにすら呪的効果を伴うとは。
奴は先程『わたしの軍門、教えに下れとは申し上げません』と言った。
けど呪言効果を纏わせた結果――実際には【わたしに下れ】という意味だけが、世界に反映されていったのだ。
紡ぎ出すその言葉で世界に変容を齎す、まさに規格外の化け物。
分かりやすく例えると俺達が物語の記述そのものに干渉するのに対し、ソーヤはその記述が気に喰わないと勝手に音読し物語【世界】を改変してしまう。
無敵に思えた【神龍眼】【神魔眼】にもこんな弱点があったとは、な……有り体に言うまでもなく相性が悪過ぎる。
苦悩する俺。
ミズキを何とかしてやりたい。
だが――それは果たして救いになるのか、否か。
煩悶しながらソーヤの問いにどう答えるか悩んでいると――
「……リウス」
息も絶え絶えなミズキの声がソーヤの傍らで返答を待つ彼女の口から漏れた。
驚いたように口元を抑える仕草を見るに、同化した魔族の意志ではないらしい。
彼女はふらつきながらも足を引きずり俺の前に来た。
そして苦痛を堪えるように優しく微笑むと俺の頬に手を伸ばしてくる。
震えながらも愛おしげに触れる指。
伝わるのは温もりの無い無機質な感触。
変えられないその事実に改めて彼女が魔族と同化してる現実を突きつけられる。
「ミズキ?」
「早く……ろせ……」
「え?」
「私を――早く殺せ!
もう、限界だ……私が私でいられる内に早く!」
「ミズキ、お前……」
「貴様が……好きだ!
昔からどうしょうもないほど!
しかし――貴様は既に婚約者のいる身。
この想いが報われる事はない……
分かっていたのに、理解していたのに!
感情が! 心が納得しない!
少しだけ素直になっていれば違う未来があったのに、って!
どうしてもそんな風に思ってしまう!
その隙をこいつらに――付け込まれた。
仮初めの安寧を餌に、貴様を篭絡する為の枷としてこの身を汚された。
もう……戻れない。
ならばせめて――最後は愛しいその手で終わらせてくれ!!」
涙をポロポロ零しながら告白し告解するミズキ。
普段クールな彼女のどこに、こんな激情を隠していたのか。
そして自分自身の不甲斐なさに凄まじい憤りを感じた。
女性に――ミズキにここまで言わせておいてお前は何だ?
世間体だの理屈だのを捏ねて――彼女自身を心の底から見ていたのか!?
どこまでも利己的で傲慢なエゴの中に潜む、たった一つのシンプルな答え。
こんな健気なミズキを、
素敵な女を誰にも渡したくない。
ならば――この物語の結末は決まっている。
「分かった……
その苦しみを終わらせよう、ミズキ」
「ありがとう、ガリウス。
私の愛した唯一人の男……
貴様なら――そう決断してくれると信じていた」
夢見る乙女のように幸福な微笑を浮かべ双眸を閉ざすミズキ。
俺は祈りを捧げる様に念じながら右手を伸ばすと、その豊かな双丘に触れる。
次の瞬間、爆発的な燐光を伴った焔が周囲を照らし上げ――
ミズキの身体を隈なく覆い、灼き尽くしていく。
秘めたその想いも後悔も――全てを清めるかのように。
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