出来損ないΩと虐げられ追放された僕が、魂香を操る薬師として呪われ騎士団長様を癒し、溺愛されるまで

水凪しおん

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第4話「氷の騎士と呪いの影」

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 静まり返った店内に、カイゼルの低い声が響く。
「魂香を、鎮める薬だ」
 その言葉の重みに、エリオットはゴクリと息をのんだ。目の前に立つ男が、どれほどの覚悟でそれを口にしたのか、痛いほどに伝わってきたからだ。
 完璧なαと謳われ、常に冷静沈着、一切の隙を見せない「氷の騎士」。その彼が、こんな王都の片隅の、名もなき薬師に、己の最大の弱みを打ち明けている。

「……差し支えなければ、もう少し詳しくお聞かせいただけますか。いつから、どのような症状でお困りなのでしょう」

 エリオットは、努めて落ち着いた声で尋ねた。今はただ、一人の薬師として目の前の患者に向き合わなければならない。
 カイゼルはしばらくの間、逡巡するように唇を引き結んでいたが、やがて重い口を開いた。

「五年前、西方の国境地帯で起きた紛争でのことだ」

 彼の声は、遠い過去を辿るように静かに紡がれる。

「敵軍に、呪術を操る一族がいた。私は、その長との一騎打ちの末、呪いを受けた」

 蒼氷の瞳に、暗い影が落ちる。

「『汝が魂香は、汝自身を喰らう灼熱の枷とならん』。……それが、奴が死に際に遺した言葉だ」

 呪い。その非科学的な響きに、エリオットの背筋が冷たくなる。しかし、現にカイゼルの魂香の奥底では、荒れ狂うマグマのような奔流が渦巻いていた。

「それ以来、私の魂香は常に暴走の危険をはらんでいる。些細な感情の昂り、疲労、あるいは近くにいるΩの魂香に触発され、いつ制御を失うかわからない状態だ」

 彼は、自嘲するように小さく笑った。

「宮廷の薬師や神官、あらゆる者に見せたが、誰も解呪の方法を見つけられなかった。今は、王家秘蔵の魔道具で無理やり魂香を抑えつけているに過ぎん。だが、それも長くはもたないだろう。呪いの力は、年々増している」

 だからこそ、彼は人を遠ざけ、感情を殺し、「氷の騎士」という仮面を被り続けてきたのだ。強大な魂香の暴走は、周囲の人間を、国すらも危険に晒しかねない。その恐怖と孤独を、彼はたった一人で五年もの間抱え続けてきた。

 エリオットは、カイゼルの魂香に、再び意識を深く沈めていった。
 鋭敏になった嗅覚が、鋼の香りの奥にある複雑な構造を探り当てる。それは、まるで健康な樹木の幹に、黒くおぞましい蔦が絡みついているかのようだった。呪いは、カイゼルの生命力そのものである魂香を養分として根を張り、その力を蝕んでいる。

『なんて、残酷な呪いなんだ……』

 胸が締め付けられるような痛みを覚える。
 エリオットは、カウンターから出ると、カイゼルの前にそっと歩み寄った。

「閣下。……大変恐縮なのですが、少しだけ、あなたの魂香に触れさせていただいてもよろしいでしょうか」

 その予想外の申し出に、カイゼルは驚いて目を見開いた。

「触れる、だと? 私の魂香は危険だ。君のような……Ωには、特に」

「存じております。ですが、薬を作るには、まずその根源を正確に知る必要があります。どうか、信じてください。僕の魂香は、あなたの魂香を傷つけたりはしません」

 エリオットの瞳は、真摯な光を宿していた。そこには、薬師としての純粋な探求心と、目の前の人間を救いたいという強い意志が溢れている。
 カイゼルは、その瞳に射抜かれたように、しばらく動けなかった。
 今まで、誰もが彼の魂香を「危険なもの」「厄介なもの」として扱ってきた。しかし、この青年は恐れることなく、それに触れようと言っている。

 やがて、カイゼルは諦めたように小さく息をつくと、こくりとうなずいた。

「……わかった。だが、少しでも異変を感じたら、すぐに離れろ」

「ありがとうございます」

 エリオットは、ゆっくりとカイゼルの前にひざまずくと、目を閉じた。
 そして、自らの魂香を細い絹糸のように、そっとカイゼルの方へと伸ばしていく。夜明けの森のように清らかで、月の光のように穏やかな魂香。

 エリオットの魂香が、カイゼルの鋼の香りに触れた瞬間。
 カイゼルの体が、びくりと硬直した。
 荒れ狂うマグマの奔流が、一瞬だけぴたりと動きを止めたのだ。まるで、灼熱の砂漠に一滴の清涼な水が落ちたかのように。

 エリオットの魂香は恐れることなく、さらに深くへと進んでいく。黒い呪いの蔦を避け、傷ついた魂香の芯へと、優しく、優しく触れていく。
 それは、ひどく傷つき、おびえている魂だった。強すぎる力を持て余し、呪いに蝕まれ、誰にも助けを求められずに、ただ孤独に耐え忍んでいる。

『大丈夫。あなたは、一人じゃない』

 言葉にはせず、ただ魂香を通して、その想いを伝える。
 すると、カイゼルの魂香がかすかに震えながら、エリオットの魂香に応えるように、ほんの少しだけその身を寄せた。
 カイゼルの全身から、力が抜けていく。彼は知らず知らずのうちに、エリオットの穏やかな魂香に身を委ねていた。こんなにも心が安らいだのは、一体いつ以来だろうか。

 しばらくして、エリオットはゆっくりと目を開けた。彼の額には、玉のような汗が浮かんでいる。

「……わかりました」

 彼は、ひざまずいたままカイゼルを見上げて言った。

「この呪いを完全に解くことは、今の僕にはできません。ですが、呪いの力を弱め、魂香の暴走を鎮める薬なら、お作りできるかもしれません」

 それは、確信に満ちた声だった。

「本当か……?」

 カイゼルの声が、かすかに震える。

「はい。あなたの魂香と、僕の魂香。そして、いくつかの特殊な薬草を組み合わせれば、きっと。……ただし、調合には少し時間がかかります。それに、あなたの魂香そのものを、少量いただく必要があります」

「構わん。必要なものがあるなら、何でも用意しよう。……頼む、エリオット。君だけが、私の最後の希望だ」

 カイゼルは、無意識のうちに目の前の青年の名を呼んでいた。
 それは、騎士団長としてではなく、ただ一人の救いを求める人間としての、心の底からの叫びだった。
 その切実な響きに、エリオットは力強くうなずいた。

「はい。必ず、あなたを救う薬を作ってみせます」

 窓の外は、すでに深い藍色に染まっていた。
 王都の片隅の小さな薬草店で、氷の騎士と虐げられたΩ、二人の孤独な魂を結ぶ静かな約束が交わされた。それは、やがて国の運命すらも揺るがすことになる、大きな物語の始まりだった。
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