出来損ないΩと虐げられ追放された僕が、魂香を操る薬師として呪われ騎士団長様を癒し、溺愛されるまで

水凪しおん

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第10話「過去の呪縛」

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 オルコット宰相が黒幕である。
 その衝撃の事実は瞬く間に王宮内を駆け巡ったが、宰相の権力はあまりにも強大だった。
 彼はバルテルミーの自白など、証拠不十分な戯言だとして一蹴し、巧みな政治工作でカイゼルからの追及を巧みにかわし続けた。
 カイゼルも、宰相が相手では決定的な証拠がない限り、迂闊に動くことはできない。下手に動けば、逆に反逆の罪を着せられかねない。
 王宮には、不気味なほどの緊張感が漂い、両者の睨み合いは膠着状態に陥っていた。

 エリオットは、「木漏れ日の薬瓶」に戻り、不安な日々を過ごしていた。
 品評会での一件は、カイゼルのおかげで濡れ衣は晴れたものの、優勝は取り消しとなり後味の悪い結果に終わった。
 しかし、それ以上に彼の心を苛んでいたのは、カイゼルのことだった。
 長年彼を苦しめてきた呪いの元凶が、すぐ手の届くところにいる。その事実が、カイゼルの心をどれほど掻き乱しているか、エリオットには痛いほどにわかった。

「……僕に、何かできることはないだろうか」

 店の中で、エリオットは一人考え込んでいた。
 バルテルミーが作ったという闇の薬。その成分がわかるのなら、もしかしたら、本当の意味での解呪薬が作れるかもしれない。
 そのためには、もっと詳しい情報が必要だった。

 そんな思いに駆られていた矢先、エリオットの元に一通の手紙が届いた。
 差出人の名前はない。しかし、その上質な羊皮紙と気品のある紋章は、高貴な身分の者からのものであることを示していた。
 手紙には、こう書かれていた。

『オルコット宰相の陰謀に関する、重要な情報を持っています。今宵、月が中天に昇る頃、王都中央広場の噴水の前まで、一人でお越しください』

『罠だ』
 直感的に、そう思った。
 あまりにも、あからさますぎる。宰相側が、自分をおびき出すための罠に違いない。
 カイゼルに相談すべきだ。そう頭ではわかっていた。
 けれど。

『重要な情報』
 その一文が、エリオットの心を強く惹きつけた。
 もし、本当にカイゼルを救うための手がかりが得られるとしたら?
 このまま、何もせずにただカイゼルが傷つくのを見ているだけなんて、耐えられない。

 危険を承知の上で、彼は行くことを決意した。
 もちろん、無防備で行くつもりはなかった。彼は自分の持てる知識を総動員し、いくつかの護身用の道具を準備した。相手を深く眠らせる強力な催眠香や、目くらましになる煙玉。そして、万が一のために、カイゼルにだけわかる緊急信号用の発光薬も。

 その夜。
 エリオットはフードで顔を隠し、指定された場所へと向かった。
 中央広場は夜でも人通りが絶えない場所だ。ここで、まさか襲われるようなことはないだろう。そう、自分に言い聞かせる。

 噴水の前に着くと、一人の男が背を向けて立っていた。
 手紙の主だろうか。エリオットが、おそるおそる声をかけようとした、その時だった。

「――お待ちしておりましたよ、エリオット君」

 背後から、ぬるりとした聞き覚えのある声がした。
 振り返ると、そこに立っていたのは長兄のギデオンだった。彼の後ろには父である子爵と、数人の屈強な兵士たちが控えている。

「兄上……! 父上も……! どうして、ここに……」

「どうして、だと? 我が家の恥さらしを、連れ戻しに来たに決まっているだろう」

 父が、憎々しげに言い放つ。
 やはり、罠だった。それも、実家と宰相が手を組んだ、最悪の形の。

「オルコット宰相閣下は、我々に素晴らしい提案をしてくださった。お前を閣下に差し出すことで、グレイフィールド家の安泰を約束してくださる、と」

 ギデオンが、下卑た笑みを浮かべる。

「お前のような出来損ないでも、強力なΩであれば使い道はいくらでもあるということだ。さあ、大人しく我々と来てもらおうか」

「嫌です! 僕は、もうあなたたちの道具じゃない!」

 エリオットは、懐に隠していた煙玉を地面に叩きつけた。
 パン! という音と共に、広場に白い煙が立ち込める。
 その隙に、彼は人混みの中へと駆け出した。

「追え! 絶対に逃がすな!」

 父の怒声が、背後から聞こえる。
 エリオットは、必死に走った。裏路地へ、また裏路地へと、追手を撒こうとする。
 しかし、兵士たちの数は多く、徐々に、しかし確実に彼は追い詰められていった。

 そして、ついに袋小路に追い込まれてしまった。
 ぜえぜえと肩で息をしながら、エリオットは、追ってくる兵士たちを睨みつけた。

「……これ以上、近づかないでください!」

 彼は、懐から催眠香の入った小袋を取り出し、構えた。
 だが、兵士たちはそれをあざ笑うかのように、ゆっくりと距離を詰めてくる。

 その時、彼らの背後から、ゆらり、と一つの影が現れた。
 温和な笑みを浮かべた、初老の男。
 オルコット宰相、その人だった。

「おやめなさい。そんな無駄な抵抗は、美しい君には似合わない」

 宰相が、パチン、と指を鳴らす。
 すると、エリオットの足元の影から黒い靄のようなものが伸びてきて、彼の足首に絡みついた。

「ひっ……!」

 それは、影を操る魔法だった。
 身動きが取れなくなったエリオットに、兵士たちが襲いかかる。抵抗する間もなく、彼は取り押さえられ、口に猿ぐつわをかまされてしまった。

 そして宰相は、エリオットの首に冷たい金属の首輪をはめた。

「これは、Ωの魂香を抑制する、特別な魔道具でね。これで、君のその厄介な力も封じることができる」

 首輪がカチリと音を立てて閉まった瞬間、エリオットの体から魂香の気配がすうっと消えていくのを感じる。
 カイゼルに助けを求めることも、もうできない。

 絶望に、目の前が真っ暗になる。
 意識が遠のく中、最後に聞こえたのは、オルコット宰相の満足げな笑い声だった。

「さあ、カイゼル君への、とっておきの贈り物としよう。君の愛するΩの魂香で、彼を暴走させ、反逆者として、この手で裁いてやるのが、今から楽しみでならないよ」

 エリオットの意識は、そこで完全に途切れた。
 過去の呪縛が、最も残酷な形で、彼とカイゼルに襲いかかろうとしていた。
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