冷酷なアルファ(氷の将軍)に嫁いだオメガ、実はめちゃくちゃ愛されていた。

水凪しおん

文字の大きさ
6 / 11

第5話「初めての独占欲」

しおりを挟む
 宰相オルバンの影がちらつき始めてから、城の中の空気は目に見えて張り詰めていった。クロヴィスは以前にも増して多忙になり、彼の鋭い灰色の瞳には、常に深い警戒の色が宿っていた。ユアンもまた、彼の忠告を守り、軽率な行動を避けて、静かに日々を過ごしていた。二人の間の、夜のお茶の時間は、この緊張した日々の中での唯一の安らぎとなっていた。

 事件は、そんなある日の午後に、突然起こった。
 その日、ユアンのもとに、皇帝陛下の名で一人の使者が訪れた。「番殿の健康を気遣っての、陛下からの心ばかりの贈り物だ」と言って、使者は美しい箱に入った高級な茶葉を差し出した。贈り主が皇帝とあれば、断るわけにはいかない。ユアンは礼を述べてそれを受け取った。
 ちょうど午後の茶の時間だったこともあり、侍女が早速その茶を淹れてユアンの前に差し出した。優雅で、非常に高価な花の香りがする。だが、その香りを嗅いだ瞬間、ユアンは微かな違和感を覚えた。
(この香り……どこかで嗅いだことがあるような……)
 それは、ユアンが故郷で薬草学を学んでいた時に、師である宮廷薬師から「決して他のハーブと混ぜてはならない」と教わった、ある毒草の香りに酷似していた。単体では無害だが、特定の植物と合わさることで、ゆっくりと神経を蝕む猛毒へと変わるという、非常に珍しい植物だ。
 まさか。皇帝陛下からの贈り物に、そんなものが混入しているはずがない。だが、ユアンの知識と経験が、警鐘を鳴らしていた。
 ユアンは、カップに口をつけようとするふりをして、そっと袖に隠し持っていた銀の匙を茶に浸した。セレーネの王族が護身用に持つ、毒に反応すると黒く変色する特殊な銀の匙だ。
 果たして、匙の先端は、瞬時に黒く、鈍い色へと変化した。
 ユアンの全身から、さっと血の気が引いた。やはり、毒だ。しかも、ごく微量。気づかずに飲み続ければ、数週間後には衰弱して死に至る、巧妙な毒。
 侍女は、ユアンが茶を飲まないのを不思議そうに見ている。ここで騒ぎ立てれば、犯人に証拠を隠滅する時間を与えてしまうかもしれない。ユアンは必死に冷静さを装った。
「……少し、気分が悪くて。このお茶は後でいただきますので、少し一人にしていただけますか」
 侍女を下がらせると、ユアンは震える手で毒の入った茶と、残りの茶葉を慎重に小瓶に移し、布に包んだ。これを、クロヴィスに見せなければ。

 ユアンが執務室に駆け込むと、クロヴィスはリオと深刻な顔で地図を睨んでいた。ユアンのただならぬ様子に気づき、二人が顔を上げる。
「どうした」
「クロヴィス様、これを……!」
 ユアンは息を切らしながら、布包みを彼の前に置いた。事情を説明し、変色した銀の匙を見せると、クロヴィスの顔がみるみるうちに険しくなっていく。執務室の空気が、一瞬で氷点下まで下がったかのように冷え切った。
「……皇帝陛下の名を騙ったか。汚い手を使いおって」
 クロヴィスが、歯ぎしりするように呟いた。その怒りは、皇帝を騙ったことへの怒りか、それとも政敵である宰相への怒りか。だが、ユアンには分かった。彼の灰色の瞳の奥で燃えているのは、もっと別の、個人的な感情の炎だった。
 その時、不意に、ユアンの視界がぐらりと揺れた。
「……っ」
 毒の匂いを嗅いだだけでも、少し体に影響があったのかもしれない。足から力が抜け、その場に崩れ落ちそうになったユアンの体を、力強い腕がとっさに支えた。
「ユアン!」
 クロヴィスの、今まで聞いたこともないような、焦りを帯びた声だった。彼はユアンを抱きかかえると、ベッドルームへと運び、ゆっくりと寝かせた。幸い、毒を口にしてはいない。大事には至らなかったが、精神的な衝撃と、わずかに吸い込んだ毒気によって、ユアンはひどく衰弱してしまっていた。

 この事件に、クロヴィスは激怒した。
 それは、帝国の将軍として、自分の番が狙われたことに対する政治的な体面などではなかった。純粋に、ユアンを失うことへの、原初的な恐怖から来る怒りだった。
 いつからだろうか。あの小国から来た、怯えた小動物のようだったオメガが、自分の日常に当たり前のようにいるようになったのは。彼の淹れるハーブティーがなければ、夜が越せない体になってしまったのは。彼の存在が、この冷たい城の中で唯一の温かい光になっていたことに、クロヴィスは失いかけて初めて気づいたのだ。
 道具? 世継ぎを産むための存在? とんでもない。ユアンは、もうとっくに、クロヴィスにとってかけがえのない、唯一無二の存在になっていた。

 ユアンが意識を取り戻した時、窓の外はすでに夕闇に染まっていた。そして、自分のベッドの枕元で、クロヴィスが椅子に座ったまま、じっと自分のことを見つめていることに気づいた。その顔には、深い苦悩と、そしてユアンが見たこともないほどの感情が渦巻いていた。
「……クロヴィス、様」
 か細い声で呼びかけると、彼ははっとしたように顔を上げた。
「……気がついたか」
 彼はユアンの額にそっと触れる。その手は、驚くほど優しかった。
「なぜ、お前なのだ……」
 クロヴィスが、絞り出すような声で言った。
「なぜ、いつもお前ばかりが、こんな目に遭わねばならない」
 それは、後悔と自責の念に満ちた声だった。自分がお前をこの帝国に連れてきたからだ、と。自分の政敵のせいで、お前を危険に晒してしまった、と。彼の瞳がそう語っていた。
「もうお前を道具などとは思っていない」
 クロヴィスは、ユアンの手を両手で包み込むように握りしめた。その手は、かすかに震えている。
「私の傍から、いなくならないでくれ……ユアン」
 初めて呼ばれた、名前。
 その言葉と共に、クロヴィスはゆっくりと顔を近づけ、ユアンの唇に、そっと自らの唇を重ねた。それは、今までのような義務的なものではない、初めての愛情のこもった口づけだった。壊れ物に触れるかのように、優しく、そして確かめるように。
 ユアンの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。絶望の涙ではない。安堵と、喜びの涙だった。
 長い口づけの後、クロヴィスは名残惜しそうに唇を離すと、ユアンの額に自分の額をこつんと合わせた。
「……すまない。怖かっただろう」
「……いいえ。あなたが、来てくれたから」
 ユアンは、握られたクロヴィスの手に、そっと自分の手を重ねた。
 この夜を境に、二人は本当の意味で結ばれた。
 その夜、クロヴィスが求めてきたユアンの体は、もう義務のためではなかった。ユアンの全てを自分のものにしたいという、激しい独占欲と、焦がれるような愛情に満ちていた。彼の熱い腕に抱かれながら、ユアンは初めて、オメガとしてアルファに抱かれることの、魂が溶け合うような喜びに打ち震えた。
 氷の将軍の子作りは、ユアンを独占したいという、「本気」の求愛に変わった。そしてユアンもまた、その愛を、全身全霊で受け止めたのだった。
 二人の間にあった見えない壁は、完全に消え去っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】獣王の番

なの
BL
獣王国の若き王ライオネルは、和平の証として差し出されたΩの少年ユリアンを「番など認めぬ」と冷酷に拒絶する。 虐げられながらも、ユリアンは決してその誇りを失わなかった。 しかし暴走する獣の血を鎮められるのは、そのユリアンただ一人――。 やがて明かされる予言、「真の獣王は唯一の番と結ばれるとき、国を救う」 拒絶から始まった二人の関係は、やがて国を救う愛へと変わっていく。 冷徹な獣王と運命のΩの、拒絶から始まる、運命の溺愛ファンタジー!

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

敵国の将軍×見捨てられた王子

モカ
BL
敵国の将軍×見捨てられた王子

αが離してくれない

雪兎
BL
運命の番じゃないのに、αの彼は僕を離さない――。 Ωとして生まれた僕は、発情期を抑える薬を使いながら、普通の生活を目指していた。 でもある日、隣の席の無口なαが、僕の香りに気づいてしまって……。 これは、番じゃないふたりの、近すぎる距離で始まる、運命から少しはずれた恋の話。

悪役令嬢と誤解され冷遇されていたのに、目覚めたら夫が豹変して求愛してくるのですが?

いりん
恋愛
初恋の人と結婚できたーー これから幸せに2人で暮らしていける…そう思ったのに。 「私は夫としての務めを果たすつもりはない。」 「君を好きになることはない。必要以上に話し掛けないでくれ」 冷たく拒絶され、離婚届けを取り寄せた。 あと2週間で届くーーそうしたら、解放してあげよう。 ショックで熱をだし寝込むこと1週間。 目覚めると夫がなぜか豹変していて…!? 「君から話し掛けてくれないのか?」 「もう君が隣にいないのは考えられない」 無口不器用夫×優しい鈍感妻 すれ違いから始まる両片思いストーリー

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

陰キャな俺、人気者の幼馴染に溺愛されてます。

陽七 葵
BL
 主人公である佐倉 晴翔(さくら はると)は、顔がコンプレックスで、何をやらせてもダメダメな高校二年生。前髪で顔を隠し、目立たず平穏な高校ライフを望んでいる。  しかし、そんな晴翔の平穏な生活を脅かすのはこの男。幼馴染の葉山 蓮(はやま れん)。  蓮は、イケメンな上に人当たりも良く、勉強、スポーツ何でも出来る学校一の人気者。蓮と一緒にいれば、自ずと目立つ。  だから、晴翔は学校では極力蓮に近付きたくないのだが、避けているはずの蓮が晴翔にベッタリ構ってくる。  そして、ひょんなことから『恋人のフリ』を始める二人。  そこから物語は始まるのだが——。  実はこの二人、最初から両想いだったのにそれを拗らせまくり。蓮に新たな恋敵も現れ、蓮の執着心は過剰なモノへと変わっていく。  素直になれない主人公と人気者な幼馴染の恋の物語。どうぞお楽しみ下さい♪

処理中です...