温泉旅館の跡取り、死んだら呪いの沼に転生してた。スキルで温泉郷を作ったら、呪われた冷血公爵がやってきて胃袋と心を掴んで離さない

水凪しおん

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第一話「呪いの沼と一筋の光」

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 意識がゆっくりと浮上する。
 最後に見えたのは、雨に濡れたアスファルトと、猛スピードで迫るトラックのヘッドライトだった。ああ、死んだのか。実家の温泉旅館を継いで、日本一の宿にするという夢も、ここまでか。どこか他人事のようにそう思ったのを最後に、俺の意識は完全に途切れたはずだった。

 なのに、今、俺は「在る」。
 ただし、それは五体満足な体を取り戻したという意味ではなかった。目も鼻も口もない。手も足も動かせない。ただ、広大な「何か」と一体化した、意識だけの存在として、俺は再び世界に認識されていた。

 そして、その「何か」が、絶望的に最悪な代物だった。

(なんだ……これは……)

 俺の意識は、どす黒く濁り、淀んだ水の底にあった。ヘドロのように重く、あらゆる生命を拒絶する負のエネルギーが渦巻いている。人々が心の中で吐き捨てた憎悪、嫉妬、後悔、悲しみ。そんな汚泥のような感情が、俺自身の体であるかのようにまとわりついて離れない。
 ここが、人々から「呪いの沼」と呼ばれ、忌み嫌われている土地だと理解するのに、時間はかからなかった。
 俺は、呪いの沼になってしまったのだ。

 生き物の気配は一切なく、光すら届かない。暗闇の中、ただひたすらに負の感情を受け止め続ける。時間がどれだけ過ぎたのかも分からない。一日か、一年か、あるいは百年か。果てしない孤独と絶望が、俺の意識を少しずつ蝕んでいく。もう、いっそこのまま消えてしまいたい。そう願った、その瞬間だった。

『――聞こえますか』

 脳内に、直接声が響いた。男でも女でもない、無機質で、それでいてどこか優しい声。

『長きにわたる魂の停滞、ご苦労様でした。あなたの魂が、この土地の浄化に最も適していると判断されました。よって、スキルを授与します』

(スキル……?)

 突然の出来事に混乱する。これは夢か、それともついに俺の精神がおかしくなったのか。

『スキル【万物浄化】と【源泉開発】を授けます。あなたの新しい人生に、光が在らんことを』

 声が消えると同時に、俺の意識の中に、新たな知識が流れ込んできた。それはまるで、初めから知っていたかのように、ごく自然に俺の中に溶け込んでいく。
【万物浄化】――あらゆる呪いや汚れを祓い、本来の清らかな状態に戻す力。
【源泉開発】――望む泉質の温泉を、好きな場所に湧き出させる力。

 温泉……。その言葉を聞いた途端、俺の心に、忘れかけていた情熱が灯った。
 そうだ、俺は温泉旅館の跡取りだった。客が湯に浸かり、「極楽だあ」と笑ってくれるのが、何よりの喜びだった。お湯を愛し、お湯に生きてきたのだ。

「……やってみるか」

 声にはならない、意思だけの呟き。
 藁にもすがる思いだった。この永遠に続くかのような絶望から抜け出せるなら、何だってしてやる。
 俺は意識を集中させた。スキルの使い方など習っていない。けれど、不思議と分かった。ただ強く、念じればいいのだと。

(俺の体よ、浄化されろ――!スキル【万物浄化】、発動!)

 祈りに近い叫びだった。
 その瞬間、俺の意識の中心――沼の最深部で、何かが弾けた。
 ゴボッ、と大きな気泡がヘドロを押し上げる。最初は小さな変化だったが、それはやがて大きいうねりとなり、沼全体へと広がっていく。
 俺の体そのものである泥水が、内側から放たれる柔らかな光によって浄化されていくのが分かった。長年溜め込まれた負の感情が、まるで朝霧のように霧散していく。まとわりついていた重苦しい感覚が消え、意識が軽くなる。

 そして――。

 ゴポゴポポポッ!
 泥水を力強く押し分けるように、澄み切った温かい水が、勢いよく湧き上がり始めた。
 それは、まさしく温泉だった。
 俺の意識に、懐かしい香りが満ちていく。ほんのりと硫黄が香り、肌を優しく包み込むような、柔らかな湯の気配。前世で俺が最も愛した、極上の単純硫黄泉の香りだ。

「ああ……あったかい……」

 涙を流せる体ではないはずなのに、魂が泣いているのが分かった。
 数えきれないほどの時を、たった独り、冷たい絶望の中にいた。その俺が今、自分自身の力で生み出した温もりに包まれている。
 浄化は沼全体に及び、どす黒い水はどこまでも透き通った青色へと変わっていった。水面には、生まれたての温泉から立ち上る真っ白な湯気が、まるでベールのようにかかっている。

 その湯気が、ゆっくりと水面の一点に集まり始めた。まるで意思を持つかのように渦を巻き、密度を増していく。
 そして、それは徐々に人の形を成していった。
 頭、胴体、腕、そして足。
 ぼんやりと霞んではいるが、確かにそれは人型だった。

(俺……なのか?)

 試しに腕を動かそうと意識すると、湯気でできた腕がふわりと持ち上がる。足を動かせば、同じように動く。
 まだ実体はない。触れようとすれば、するりと通り抜けてしまうだろう。それでも、俺は再び、人の形を得たのだ。

 目の前に広がるのは、自らが生み出した奇跡の光景。湯気の向こうで、夕日が水面をきらきらと照らしている。生き物の気配すらなかったこの場所に、鳥のさえずりが聞こえる。
 俺は、この忌み嫌われた「呪いの沼」を、最高の癒やしの場所に変えたのだ。

 絶望の底で見つけた、温かい希望の光。
 俺の第二の人生は、どうやら最高の温泉と共に始まるらしい。
 湯気でできた顔に、おぼろげな笑みが浮かんだ。俺は、この新しい体で、この場所で、もう一度夢を追いかけると決意した。
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