温泉旅館の跡取り、死んだら呪いの沼に転生してた。スキルで温泉郷を作ったら、呪われた冷血公爵がやってきて胃袋と心を掴んで離さない

水凪しおん

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第九話「心、触れ合う時」

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 捕らえられたならず者たちは、マインツ辺境伯の指示であったことをすぐに白状した。クロードは、夜明けを待たずに辺境伯の悪事を王家へ報告する使者を出し、迅速かつ徹底的な処罰を約束させた。
 しかし、アオイにとって今はそんなことよりも、クロードの怪我の方が一大事だった。

 幸い、傷はそれほど深くはなかったものの、毒が塗られている可能性も否定できない。医師が手早く処置を施し、腕に包帯が巻かれたクロードの顔色は、いつも以上に青白く見えた。
「クロードさん、ごめんなさい……僕のせいで……」
「君が謝ることではない」
 クロードは、アオイの言葉を静かに遮った。
「君は、私の腕の心配だけしていればいい」

 その言葉に、アオイは決意した。今、自分にできる最高のこと。それは、最高の温泉で彼の傷を癒やすことだ。
 アオイは、二人きりになれる一番小さな露天風呂に意識を集中させた。
(僕の持てる力、全部使って……これまでで一番、治癒効果の高い温泉を……!)
【源泉開発】のスキルを最大まで発動させる。すると、湯船に注がれる湯の色が徐々に乳白色へと変わっていき、薬草のような、それでいて心を落ち着かせる清らかな香りが立ち上り始めた。

「さあ、クロードさん。このお湯に浸かってください」
 クロードは黙って頷くと、アオイに促されるまま、その特別な湯にゆっくりと体を沈めた。
「……これは」
 湯に浸かった瞬間、クロードの表情がわずかに和らぐ。腕の傷のズキズキとした痛みが、温かい湯の中に溶けていくように引いていく。それだけではない。体全体を駆け巡っていた呪いの痛みさえも、いつも以上に穏やかになっていくのを感じた。

 アオイは、そんなクロードのそばに、そっと寄り添った。
 湯気の体では、彼の傷に触れてあげることはできない。包帯を巻き直してあげることもできない。それでも、ただ、そばにいたかった。
 月明かりが、静かに二人を照らしている。湯けむりが、まるで世界から二人だけを切り取るように、優しく包み込んでいた。

 沈黙を破ったのは、クロードだった。
「……アオイ」
 彼は、目を閉じたまま、静かに想いを紡ぎ始めた。
「君に出会うまで、私はただ生きていただけだった。痛みと共に目覚め、痛みを堪えながら眠る。そんな色のない毎日を、ただ繰り返していた」
「……」
「だが、君が作ったこの温泉で、私は初めて『安らぎ』を知った。そして、君という存在に触れて、初めて『生きたい』と思った。君が作る未来を、君の隣で見ていたいと、そう思ったんだ」

 クロードはゆっくりと目を開け、アオイを見つめた。そのサファイアの瞳には、真摯な、そして熱い想いが宿っていた。
「君のそばにいたい。これからも、ずっと」

 それは、紛れもない告白だった。
 アオイの心は、喜びと、そして同じくらいの戸惑いでいっぱいになった。
 嬉しい。クロードが自分を想ってくれている。自分も、クロードに惹かれている。彼の隣は、世界で一番、温かくて安心できる場所だ。
 でも――。

「僕……沼ですよ……?元は、呪いの沼で……この体だって、いつ消えてしまうか分からない、湯気でできた不確かなものなのに……」
 そんな自分が、一国の公爵である彼の隣に立つ資格があるのだろうか。彼を、幸せにできるのだろうか。
 アオイの逡巡と不安を、クロードは見透かしていた。
 彼は、傷のない右手を伸ばすと、先日の夜のように、アオイの儚い体を優しく包み込む仕草をした。その手はアオイをすり抜けてしまうのに、なぜか温かい熱が伝わってくるような気がした。

「君が何者であろうと、構わない」

 クロードは、優しく、しかしきっぱりと言った。
「君が元・沼であろうと、湯気の精霊であろうと、私が君を想う気持ちは変わらない。私が、君のそばにいると決めたのだから」

 その揺るぎない言葉が、アオイの最後の躊躇いを溶かしていった。
 そうだ、この人は、いつだってそうだ。僕が何者かなんて関係なく、ただ「アオイ」として見てくれる。僕の夢を信じてくれる。僕を守ってくれる。
 アオイの瞳から、ぽろり、と雫がこぼれた。それは湯気に還ってすぐに消えてしまったけれど、確かな温かい感情の証だった。

「……僕も、です」
 アオイは、想いを伝えるように、クロードの手にそっと自分の手を重ねた。すり抜けてしまう指。けれど、心は確かに、触れ合っていた。
「僕も、クロードさんのそばに、いたいです」

 その瞬間、二人の心が初めて、完全に一つになった。
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