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身に余る不幸せ
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生まれてしばらくは多分幸せな子供だった。幼い日、両親と手を繋いで帰った夕暮れを覚えている。小学校に入学するころ、両親は離婚し、母親はパートで働き始めた。しかし思うような収入はなく、疲れた母は何かと良くない噂が聞こえていた仕事先の男と付き合いすぐに再婚した。その日から、彼のその身に余るほどの不幸せな人生が始まったのだ。
「お疲れさーん、葉音ちゃん」
瀬戸葉音(せとはのん)、今日も早朝四時に仕事が終わった。個室居酒屋と風俗店の入ったビルの清掃業務をしている。痩せた手にはコンビニで買ったミネラルウォーター。今日の朝食になる予定だった。そんな彼のそばにまとわりつく、ふざけた表情の男。
「わざわざ水なんてコンビニで買う?」
「……」
「ねえ、これから一緒にご飯行こうよ。この時間でもまだやってる本場イタリアンのバーがあるんだ」
「あの、結構です。お腹空いてないので」
「また痩せたよなあ、もう少し飯食ったほうがいいんじゃないの?」
「……大丈夫なので放っておいてください」
念入りに染められた明るい茶色の長髪の男は痩せた身体の葉音の後をうきうきとついて行く。足取りは軽くまるで暇つぶしを探しているようだった。
「もう、待ってよ、葉音ちゃん」
「予定、あるので」
「え、なになに? 俺も混ぜてえ」
「……」
仕事先の隣のビルで探偵業を営んでいる男だった。香原綿彦(こうばらわたひこ)、聞けばその仕事先は多岐にわたり闇業者に関わることまで引き受けていると。気軽にそばに寄ってはいけない人物だとこの界隈では噂になっていた。なんでもかつては恨みを買って傷害事件沙汰にもなったらしい。その証拠に綿彦の身体には無数の傷がある。
「こ、香原さん……」
「綿彦でいいっていったでしょ? 俺たちトモダチになろって、ね」
「物騒なお仕事している人とはお友達にはなれません。僕、学歴もないし頭も良くないから騙されやすいし」
「大丈夫、何かあったら守ってあげるよ。だから安心して、葉音ちゃん」
いや、綿彦が怪しいから嫌なのだ、しかしその気持ちには彼はどうしても気づいてくれないようだった。
「今日はもう家に帰ります、つ、ついてこないでください」
「帰るのなら送るよ。この時間まだ酔っ払いの残党がいたりして危ないし」
「危ないのは、あなたの方が……」
「ん、なに?」
「なんでもないです」
繁華街を抜けてしばらくすると住宅街があった。その住宅街の古い小さなアパートで葉音は一人暮らしをしている。綿彦は葉音に一方的に話しかけて結局家までついて来てしまった。
「明日も仕事?」
「はい、今日と同じ勤務です」
「そっか、じゃあまた明日ねえ」
「……はい」
家を知られてしまっている以上、下手なことを言って怒らせるわけにはいかない。それくらいに評判の悪い男だ。綿彦の背中を見送りながら葉音は面倒なやつに好かれてしまった、と自分の運の悪さを悔いていた。
ここは古いアパートだ。ドアの鍵も少し壊れかけていて開け方に少しコツがいる。そんな家でも貸してもらえただけありがたい。大家はアパートの立地的に訳ありの住人には慣れているようで、保証人のいない葉音にもうまいこと手続きをしてこの家を貸してくれている。どんな形でもこの古い家で家賃さえ払ってもらえればいいのだと。
実家を家出同然に出て来た。幼い頃に再婚した父とは折り合いが悪く、長いこと虐待まがいの扱いを受けて来た身だ。それでも一人では生きていけないからと耐え続けていたせいで、葉音は今ではすっかり心を壊していた。
ミネラルウォーターが食事代わり、最近ではそんな日が続いている。食べることに抵抗があって、少しでも食べて太ってしまえばあの父に媚びている母を思い出してしまい、葉音は度々嘔吐した。ダラダラと食べることでしか救いを得られない肥え太った母のようにはなりたくない、父を忘れたい。しかしそれは明らかに命を削る行為でもあった。
「よかった……痩せてる」
風呂に入る前に乗った体重計の数値は日々下降するばかり。しかしそれを喜ばしいこととして葉音の心は少し救われている。良くないことなのはわかっていた、しかし葉音はこうして痩せ続けて生きることしか出来なかった。限界は、きっとまもなく訪れる。
***
「服を脱げよ。白い肌、してるんだろう?」
にやにやと笑いながらその男は幼い葉音を責め立てる。言う通りにしなかったらどうなるかわからない。母にもよく暴力を振るっているのを見ていた。特に酒を飲んだ夜は男の、父の感情の幅が振れるのだ。
着ていたシャツのボタンを外して行く。恐怖のあまりその手元が震え揺れたせいで男は感情的に怒鳴った。びくり、と震えた葉音の首をわしづかみにし、父はケタケタと笑いその身体を柱に叩きつけた。
「全く、あの女によく似ているもんだな。そうやって媚び売ってこれからも生きて行くつもりか? お前の親父もそうやってかつて虜になったんだろう、全く愚かなものだなあ」
「こ、媚び……?」
「ガキが、イラつくんだよ。その怯えた目が!」
そのあとはただ暴力を振るわれるばかりだった。ただ分かったのは自分は母によく似ていると言うこと。こんな男と再婚するような見る目のない女と。それでもこの男に追いすがり抱かれている母を想像して嫌悪感を抱くようになるのは、葉音の成長に伴ってすぐのことだった。
再婚後、両親の間に子供は出来なかった。そのことが余計葉音に対する父の嫌悪感に繋がって行く。きっと自分に全く似ていない子供が疎ましかったのだろう。虐待は葉音が十七歳、父が酒に溺れて病死するまで続いた。
***
安価で購入した薄いカーテンは昼の太陽の光をよく透かしていた。風呂上がりに床に転がっているうちに眠ってしまったようだ。痩せた身体には畳に当たった身体の骨が痛い。骨と皮、もうずいぶんと細くなった腕。葉音の拒食に繋がる食欲不振は中学生の頃、学校でいじめに遭ったことをきっかけに始まった。
「あいつ、なんかいじめたくなるよな」
「はは、わかる。グズグズしてるんだよなあ」
きっかけは多分たいしたことじゃない。葉音が人より少し気が弱かっただけで反抗期の少年たちにはいじりやすかったのだろう。些細な嫌がらせは加速して次第に葉音が不登校まで至るほどの激しいいじめ行為につながる。
教科書はもう読めたものじゃなかったし学校に置いてあった私物はみんな無くなった。乱暴な言葉を投げつけて、葉音が傷ついた顔をするたびに彼らは笑って喜んでいた。そんな環境ではもう学校になんか行きたくない。
両親のいない家で息をひそめながら一人テレビの再放送の映画やドラマを観る、そんな日々の繰り返しでやがて周りは受験をする頃になったが、学校に行けないで勉強をする機会もなくその時期を迎えてしまった葉音は、高校に行かないまま社会に出ることになってしまった。
「君、何度同じこと言わせるの? 仕事くらい一度で覚えろよ」
「すみません……」
「次間違えたら辞めてもらうよ?」
「……」
葉音は中学卒業後、とりあえずバイトを始めてみるが周りは年上ばかり。そこでも人間関係が上手くいかなくてすぐに辞めるのの繰り返し。葉音の心はその度に病んで、本格的な拒食が始まった。食べることに恐怖と嫌悪感を感じ、食事を減らして行ったらもう戻れなくなっていて痩せて行くことだけに価値があると、異常に体重管理にこだわるようになる。それと同時に生きて行くことに漠然とした不安があり、朝が来るのが怖かった。他人に傷つけられたくない。
父はその頃仕事を辞め、朝から家で酒を飲んでは暴力を振るうためバイトをしていない期間、葉音は近所の公園で食事もせずに一日中過ごすことが日課になっていく。
朝から晩まで公園にいるとよく幸せな親子の姿を目にした。幼い子が、母親時に父親と楽しげに遊んでいる。あんな時間は確かにあった、それなのにどうしてこんなことになってしまったのだろう。気が付けばやつれた顔をして情けないくらいに泣いていた、幼い子供が不思議そうにこちらを見ている。そばにいた母親は見てはいけないとうながし目をそらす。葉音はただひたすらに孤独だった。
深夜、帰宅する。そろそろバイトも探さなければならないと思ってはいるのだが、どうしても心境は逃げの方に向かってしまう。これからどう人生を歩んで行ったら良いのだろう。学歴もないし友人もいない。
そう言えば今日は何もまだ食べていなかったことを思い出す。そろそろ何か食べたほうがいいのかもしれない。空腹感は十分にある、が、気は進まない。しかし最低限生きていくためには。生きて行く理由も、わからないけど。
息をひそめて静かに台所に向かい、冷蔵庫のなかの少量の食材を求めた。ほんの少しだけ、その時、真っ暗だった台所に突然明かりがともる。目の前には……父がいた。
「なにやってんだよ、盗み食いか?」
「ひ、……お、お父さん……」
「良いご身分だなあ、毎日働きもしないで好き勝手して。まあ、俺も仕事辞めたけどな」
父が仕事を辞めてからは母が昼夜問わず働きに出るようになっていた。酒を買う金がないと暴れるから、仕方がなかったのだろう。
「お前の母親は毎日化粧する余裕もなく働いているよ。惨めだよなあ、俺と結婚して楽するつもりだったんだろうにな。最近じゃ夜の関係もないよ、まあ俺もあんなババアとはする気も起きないがね」
「……」
「でもまあ、お前ならいいかな」
「え……」
「俺と寝てみるか?」
「や、そんな……」
「またかよ。怯えた目してるんじゃねえよ、不快だな」
そう言って父は葉音の頬を張り倒した。一瞬音が聞こえなくなり、ようやく戻って来た時に聞いたのは父のしゃがれた笑い声だ。酒の飲みすぎでもう何もかもよくわからなくなっているのかもしれない。
もともと善悪の区別なんてついているような人ではなかったが、今ではもう半分夢の中にいるような顔をしている。この頃はひどく顔色も悪く、痩せた頬。この人はもう長くはないんじゃないかと思った。しかしそこまで情があるわけじゃない、父がいなくなっても多分葉音は泣かないだろう。
「葉音、俺は死んでもいつまでもお前のことを見ているからな。一人だけ幸せになろうだなんて思うんじゃねえぞ。お前は不幸な身の上のまま生きて行くんだよ」
それは父の呪いだった。赤らんだ目でぎろりと葉音を見て、じっとりとその言葉が絡みつく。父が死んだのはそれから二週間後のことだった。
***
母は父の死後狂ったように泣き続けた。あんな父に、散々苦労させられて最早女とすら思われていなかったのに情だけはあったのか。働きにも行けず、やがて一日中布団の中でぶつぶつと独り言を言うようになり、精神に異常をきたした母は寝たきりになった。
収入がなくなり、葉音は生きて行くために仕方なく再び働き始めるようになる。しかしそう簡単に働くことには慣れなかった。毎日きつい言葉で怒鳴られて、それでも必死で働いていくしかない。生きている価値なんて見いだせないのに、それでもまだ母がいたから生きねばならないと思った。だがストレスに身体がついて行かず、さらに痩せ続けて、体力のない身体は職場で耐え切れず意識を失うことも少なくない。そしてまた、自己管理が出来ていないとクビになった。
何度目かのクビを経験したその日、家に帰ると母は台所にいた。何か料理を作っているのか、体調は少しでもよくなったのだろうか。そっと近づいてみると母は突然振り返り、葉音に包丁を向けた。太った身体でみしみしと床に足音を立てながらこちらに近づいてくる。
「母さん、やめて……っ」
「あんたが、ころした」
「は、なにを……」
「あんたがあの人に似てなかったから、あの人は絶望したんじゃないの!」
あの人とは義父のことだろうか。似ていないのは当たり前だ、血が繋がっていなかったのだから。包丁を振り回す母から必死に逃げて、自室に鍵をかける。母はしばらくドアを叩きつけていたけれど、疲れてしまったのかやがてぶつぶつと何かを言いながら自分の寝床に戻って行った。
狂ってしまった母とはもう一緒にいられない。この家を出て行くことは母の命がどうなることか、一人になった母がどうなるのかは考えもしなかったわけじゃないけれど、葉音はもう限界だった。父の死後一年くらい二人で暮らしたが、母は日々おかしくなって行くばかりで、このままでは葉音の心も壊れてしまいそうだった。いや、もう壊れていた。すでに痩せすぎた身体で必死に身の回りの物を鞄に入れて、その日葉音は家を出る。葉音は十八歳になっていた。それからの母がどうなったのかは、もう知らない。
***
生きて行くことは苦しいことばかりだったけれど、死んでしまうにはまだ怖くて。
数日前に野菜の煮物を少量口にしてみた。これは野菜だから太らない、吸収されてもきっと大したことはない。それはわかっているはずなのに、葉音は飲み込んだだけでひどく恐ろしくなってしまって、そのままシンクに嘔吐してしまった。
「げぇ……ッ! うえ、げほ……ッ! うう」
汚い。せっかく作った食べ物をこうして無駄にすることしか出来ない。そろそろ食べなかったら身体がもたない、それはわかっているはずなのにどうしても吸収することが出来なかった。
家出をした葉音は都内有数の繁華街にやって来た。住み込みの仕事、この街なら人に紛れてしまえば多少の訳ありでも暮らして行くことは出来るだろう。生きていくことだけにまだ執着していた。その執着を捨ててしまえばきっと楽になれるだろうことはわかっているのに。
葉音の思惑通り怪しげな老人は仕事と家を紹介してくれた。古いアパートはきしむしところどころ壊れているところはあるしで、住み良いとは言えなかったが家がないよりましだ。しかし紹介された仕事は思ったよりもハードだった。夜勤の清掃業。ビルに入っている居酒屋と風俗店の閉店後の掃除をするたび、鼻につくその香りにかつての父を思い出して吐き気がした。
「グズグズしてんなよ! 次の清掃に行くぞ!」
「は、はい……」
「まったく使えねえなあ!」
同僚も何か訳ありの人の様で身なりは薄汚く時折匂う酒の匂いが鼻につく。他には赤く派手なパーマ髪をまとめた中年女性に外国人、葉音と同年代はいなかった。
「君さあ、高校卒業くらいの資格は取っておいたほうがいいよ」
それは仕事を紹介してもらった時に言われた言葉だった。中卒では紹介する仕事も限られてしまうと、しかし今から全日制の高校に通いなおす余裕なんてない。そう言うと紹介人の老人は、通信制高校や定時制高校をいくつか提示してくれる。
「働きながらでも学んでみたら? 別に留年しても卒業しちまえばいまより悪くなることはないし、費用もそこまでかからないよ」
「通信制……」
学校にまた通うことは思いつきもしなかった。確かに中卒でバイトも長く続かない身では働くにも困ることが多い。葉音にも通えるのだろうか、友達の仲間に入れてもらえるのだろうか。
仕事は慣れてくれば少し息つく余裕も出来てきた。ただ体力を使う仕事なので何か食べなければ身体が持たない。それでも太りたくなくて、その葛藤の後やはりまた葉音は痩せ続けている。
その日は仕事でミスをしてしまった。上司はカッとなりやすい男で葉音は襟首をつかまれて殴られる寸前までいったが、酒臭い同僚が見かねて止めてくれたので殴られることはなかった。しかし葉音の心は落ちこんで、帰り道思わず橋の上で立ち止まってしまう。目下には勢いの良い川が流れている。
ここに飛び込んだらもう終わるかもしれない。生きることへの執着は姿を消し、そのまま葉音も消えてしまいたいと思った。ここで死んでしまったらあの父のもとに行くのだろうか。もしかしたらそこにはもう母もいるかもしれない、そう思うととても幸せになんかなれない。でも今では何もかもどうでもよくなってしまっていた。
朝が来る。消えてしまうにはぴったりだ。
そのまま橋から飛び込もうと身を乗り出す、目を閉じて、あとはもう重力にまかせるだけ。しかし、終わりはいつまでたっても訪れない。ゆっくりと目を開けると葉音の腕を傷だらけのたくましい手のひらがつかんでいた。
「危ないこと、しちゃだめだよ?」
「……っ」
派手な服を着た、茶色の長髪の男。にこにこと笑ってはいるがその目は笑っていなかった。
「あ、あ……っ」
「もう朝になるねえ、家に帰らなくていいの?」
「あ、かえり、ます……」
「送って行ってあげるよ。家どこ?」
「この先の、アパート」
「いこ、遅くなると学校とか遅刻しちゃうでしょ」
「あ、いえ、僕はフリーターなので」
「学生さんじゃないんだ? 夜勤?」
「はい、清掃の仕事をしています」
「その身体で? もたないでしょ、ちゃんと毎日食べてる?」
「……」
男は懐っこい顔をして葉音をやたらとぐいぐい構って来る。そのまま葉音は成り行きで橋から離れて、自宅に向かって歩き出した。
「名前何て言うの? 俺は香原綿彦」
「瀬戸葉音です……」
「葉音ちゃん! 男の子にしては可愛い名前だねえ」
「両親が深く考えていなかったんだと思います。多分響きだけでつけた名前だから」
「いいじゃないの、素敵な名前だと思うよ」
思えばこの男に葉音は命を救われたのだ。彼がこの場から連れ出してくれなかったらきっとそのまま川に飛び込んでいたのだろう。香原綿彦、葉音の命の恩人。
「ねえ、どこで働いているの?」
「いまは繁華街のビルの清掃をしています。居酒屋が三件並んで、ホストクラブの正面にあるビル……」
「もしかしてその近くに古い雑居ビルある?」
「お隣、ですけど」
「はは、そっか。わかった、もしかしたらまた俺たち会うことあるかもしれないね。その時はよろしく」
「え? あ、はい……」
自宅アパートまで綿彦は葉音を送ってくれた。そしてパタパタとにこやかに手を振る。
「おやすみ! またねー!」
「おやすみなさい……」
すっかり辺りは朝を迎えていた。朝日の中、葉音と別れた綿彦は軽い足取りで再び繁華街方面に消えて行く。
***
「ねえ、瀬戸くん、昨日香原さんと歩いてたでしょ?」
その翌日、同僚の中年女性にそう話しかけられて葉音は驚いた。彼女によると綿彦はこの一帯では割と有名な人物らしい。
「あの人明るくて良い人そうだけどね、あまりいい評判は聞かないから気を付けたほうがいいわよ」
「そうなんですか?」
「度々職業がらみで傷害事件起こしているみたいで、よく警察に声をかけられて」
「え……っ」
その話を聞いて驚いてしまった。葉音は命の恩人とは言え危ない人物に関わってしまったようだ。しかし彼の職場も家の場所も知らないしきっともう会うことはない……そう、思っていたのだが。
「葉音ちゃーん!」
居酒屋と風俗店の入ったビルの清掃を終えて出てくると隣の雑居ビルの窓から見覚えのある男が手を振っている。まさか、と思えば彼だった。長い髪に派手なシャツは相変わらず、今日もにこやかに手を振っている。
「……こ、香原さん……?」
***
「お隣で探偵をしています」
「はあ」
仕事の後、待ち構えていた綿彦行きつけの飲食店に誘われた。周りには物騒な身なりの男性客や、派手なアクセサリーで身をかためた金髪の外国人が酒を飲んで騒いでいる。何とも居心地の悪い店だ。差し出された名刺には、香原探偵事務所所長・香原綿彦との名前が。その事務所は葉音の勤務先の隣の雑居ビルの三階にあった。
「なにか困ったことあったら相談に来てねえ」
「……はい」
綿彦は手慣れた様子で食事と酒をオーダーする。食べたくないと葉音が言ったら無理矢理食べさせることはせずオレンジジュースを頼んでくれた。
「ここはチキンステーキとオニオンスープが美味しいんだよ。葉音ちゃんも食べられるようになると良いね」
食事が来て食べだした綿彦の腕の無数の傷痕。傷害事件とは本当のことなのだろうか。自傷と言うには迷いのないざっくりと深い傷の様子に多分自分でやってものではないのだと思う。探偵とはそんなに危ない仕事なのだろうか。
「ん? どうしたの、葉音ちゃん。お腹空いてきた?」
「いえ、そういうことじゃなくて……その、お仕事は大変ですか」
「ああ、まあちょっと乱暴な人も来るからね。危ないこともあるよ、まあもう慣れたけど」
「その、警察、沙汰……?」
「……誰かに聞いた? まあ、いいけど。そう言うこともあるね、結構ギリギリな人も多いから。特にうちは他より高値の依頼を受けているから時に恨みを買うこともある。この街は物騒だよ、葉音ちゃんも一人で歩くときは気を付けてね」
食事が終わって綿彦は葉音を家まで送ってくれるのだと言う。断ろうと思ったが彼の優しい笑顔に、どうしても危ない人だとは思えなくてその言葉に甘えることにした。
「葉音ちゃんは、どこから来たの?」
「えっ……あ、」
「言えない事情? 家出とかしたのかな」
「……」
「ごめん、わかるよ。そういう子ってこの街には結構多くてね、大体どんな古い家にも文句も言わず住んでいる。訳ありの大家さんも多いからね、お金が取るためにはちょっとした事情なら貸しちゃうんだよ」
「僕のこと、どこかに通報とかしますか?」
「はは、しないよ。大丈夫、俺も高卒後家勝手に飛び出してうろうろしてる期間多かったからねえ。家に帰りたくない気持ちもわかるし、他人にどうこう言われたくない気持ちもわかる」
早朝五時の繁華街は寂れていて数人のガラの悪い酔っ払いが道端に座って煙草を吸っている。そんな人達から守るように綿彦は葉音のそばを歩いた。空は明るくすでに朝がやって来ている。アパートの帰り道の途中にはコンビニがあった。綿彦は葉音をコンビニに誘う。
「ちょっと買いたいものがあるんだよね、行ってもいい?」
「あ、はい」
コンビニでは朝食用の食品の陳列が終わったところだった。自分の朝食だろうか、綿彦はおにぎりの並んだ棚の前で何やら悩んでいる。
「ねえ、葉音ちゃん。おにぎり何が好き?」
「え? いや、特には……」
「葉音ちゃん、さっきもご飯食べてなかったでしょ。おにぎりくらいは食べたほうがいいよ。買ってあげる」
「そんな、いらない。いらないです……!」
「まあまあ、少しぐらい食べたっていいじゃない? うーん、うめぼしにしようか。紀州南高梅使用だって、美味しそうだよ」
葉音の心情など無視したまま綿彦はおにぎりと缶コーヒーを持ってレジに向かって行ってしまった。どうしよう、おにぎり一個だってすすんで食べたいものではないのに。綿彦は会計を終えるとにこりと笑って戻って来る。彼の善意なのだろう、葉音の心は複雑だった。
葉音の自宅前までやって来た。綿彦はコンビニで買ったものを葉音に向かって差し出す。いらない、と思ったが言いづらかった。迷っている葉音が袋を受け取れないでいたその時、突然綿彦がその場に座り込んだ。
「こ、香原……さん?」
「……っ、クッ、う……」
胸元を抑えながらそのまま綿彦は倒れこむ。痛むのだろうか、息をするのですら精いっぱいで。
「香原さんっ? こ、香原さん……!」
「はあ、は……ッ、だいじょ……う、すぐにおさま、る……ッうう、」
***
葉音が慌てて綿彦を抱きかかえなんとか自宅に入れて布団に横たわらせてから数時間後、ぴくり、と綿彦の手のひらが動く。
「……あれえ……ここ、どこだっけ……?」
「香原さん」
「葉音ちゃん……? ああ、そっか」
すっかり外は夜が明けている、心配で葉音は眠るどころではなかった。急いで病院に連れて行ったほうがいいのではないかと思ったが、苦しげながらも綿彦が大丈夫だと言うのでそのまま寝かせていた。あのまま死んでしまうのではないかと思った。しかし冷や汗を浮かべて青ざめていた顔色もすっかり回復しているようだ。
「あの、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。ごめん、手間かけたね」
コンビニの袋はもらった時のそのままの状態になっていた。冷えていた缶コーヒーはすっかりぬるくなってしまっている。
「……俺さあ、生まれつき心臓が少し悪くて、まあ、幼い頃に何度か手術もしたりしたんだけど、いまはもう病院すら行ってない。もう自然に任せて良いんじゃないかと思って」
「そんな……! 病院は、行ってくださいよ」
「はは、葉音ちゃんに言われてもなあ。ねえ、おにぎり食べてよ。葉音ちゃんがそのおにぎり食べてくれたら、病院も少し考えてみる」
「それは……ずるいです」
しかし命にかかわる病状の人に言われては、葉音も言うことを聞かないわけにはいかなかった。生まれつきのどうしようもない理由の綿彦と比べて、葉音は自分から痩せることを選んだのだ。
生まれついた理由と少しの個人的な理由からの現在とでは多分葉音のほうが少しわがままなのではないか。そう思ってしぶしぶおにぎりのパッケージを開ける。口にしてもすぐに吐いてしまうだろう、そう思ったが少しずつかぶりついていくと思ったよりすんなりと食べることが出来た。不思議と吸収することが怖くない。綿彦が見ているせいかもしれない。それはどこか罪悪感を感じているからで、今日の葉音はおにぎりを全て食べることが出来た。
「えらかったね?」
「別にえらくなんかないですよ」
「はは、ねえ葉音ちゃん。俺たちトモダチになろうよ。俺のこともさ、綿彦って呼んで?」
「えっ……お友達ですか」
「今更だけど葉音ちゃん何歳なの?」
「もうすぐ、十九になります」
「若いねえ、俺より八歳も年下かあ、でもそれでもさ友達にはなれると思うよ」
そうしてしばらく綿彦は葉音の家でごろごろとしながらたわいもない話をして、やがて仕事があるからと言って帰って行った。
「また遊ぼうね」
このまま友達になっていいのかは少し不安はあるが、葉音にとって誰かとこんなにゆったりとした時間を過ごしたのは何年振りかのことだった。
***
春、葉音は十九歳になった。
拒食症状は相変わらずだったがここ最近は体重の減少も落ち着いている。綿彦のいるときは食事が何故か抵抗なく出来るからかもしれない。
その日も綿彦が仕事終わりに葉音の家に遊びに来ていた。彼は目ざとく、見つけた部屋の隅に積み上げられた教科書をじっとみつめている。
「葉音ちゃーん、この教科書の束、なに?」
「勝手に見ないでくださいよ。それはこの春から使うことになったものです」
「高等学校通信制レポート……この封筒、もしかして葉音ちゃん高校に通うことになったの?」
「春から一年生です。せめて高校卒業の資格だけは取っておこうかと思って」
葉音は自分のために生きなおすことにした。同級生は年下が多いが葉音のように働きながら通っている生徒も少なくない。何年かかるかわからないが高卒の資格を得たら昼間働く一般企業にも就職できるかもしれない。一度くらい日のあたる人並みの人生を生きてみたいと思ったのだ。
「綿彦さん、高校生活は大変でしたか?」
「俺はさぼってるばかりだったからねえ、補習授業をしてくれる先生の方が大変だったと思うよ。葉音ちゃんはそんな悪さしないでしょ、だからきっと大丈夫」
「できれば通信制で良いから卒業後は大学も通いたいなって思って。勉強することは楽しいです」
「頑張るねえ。結局さあ、人並みの人生を歩んでる人が一番えらいんだと思う。普通に生きるのって結構地道で難しいことだから。俺はいまさらもう無理だけどね」
「……最近はどんな依頼をこなしてるんですか?」
「守秘義務でーす」
「危ないこと、しないでくださいね」
「ふふ、大丈夫だよ。葉音ちゃんがいてくれる間は死なないから」
いつもにこにことして適当に生きている様子の綿彦は、少し危なっかしいところがあった。あれから発作は起こしてはいないが、たまに殴られた顔をして帰ってきたりするので不安は尽きない。彼の大丈夫は大丈夫ではない。
「明日からちょっと難しい仕事があってね、元気出すために一緒に食事に付き合ってくれない?」
「難しい仕事?」
「詳しくは言えないんだけど、ちょっと複雑な事情があって危ないかもしれないなあ」
「そんな、危ない仕事はやめてくださいよ」
「まあ依頼受けちゃった以上はね。大丈夫、以前も似たような仕事したし」
「綿彦さん……」
「美味しいハンバーガーショップ見つけたんだ。本場のメニューが食べられるみたい。行こうよ」
「ハンバーガーは無理です。でも、サラダでもいいのなら」
「はは、決まりだ!」
仕事終わりに現れた綿彦と夜の街に繰り出した。この街では朝までやっている飲食店も少なくない。客同士はお互いに見知らぬ同士を貫くから、問題を起こさなければいざこざは起きないと最近学んだ。派手で明らかに怪しい客を見ても見て見ぬふりが一番いいのだ。
閉店間際のハンバーガーショップはまだ数人の客がいた。窓際の席に座ってカウンターで注文した料理を食べ始める。綿彦はグリルハンバーガーセット、葉音はシーザーサラダ。ドレッシングの油が気になったが綿彦が嬉しそうに食べているので、どこか許せる気分になり葉音も少しずつ食べ始めた。
「葉音ちゃん、今度休みの日にどこか遊びに行こうよ」
「良い場所ありますか?」
「うーん、春だからねえ。公園デートもいいんじゃない? 桜もだし、チューリップが綺麗に咲いているよ」
「デート……」
「今度車借りてくるよ、ドライブしよ」
「綿彦さん車乗れるんですか?」
「まあ、仕事で必要だしね。でもうちの車この間事故っちゃって、しばらくはレンタカーかな」
「事故って、大丈夫だったんですか」
「向こうにわざとぶつかられたの。俺の運転は安全運転よ?」
「……」
一体どんな仕事をしているのか、せめて健康でいて欲しい。そんな葉音の願いは届いているのか、綿彦は最後の一かけらを大きな口を開けて食べて、至極満足そうな顔をした。
「明日から一週間会えないよ。帰ってきたら、また遊ぼうね」
***
一週間が過ぎても綿彦は現れなかった。探偵事務所も見た限り明かりのついている様子もなく、綿彦はすっかり姿を消してしまった。その頃から葉音の調子も悪くなる。少しずつ食べられていた食事は、次第に嫌悪感を感じるようになり少し食べただけで吐き戻してしまうようになった。
「ゲホッ! ゴフ……ッ、おえ……ゴプ……ッ……」
何度目の嘔吐だろう。ここ数日はほとんど何も食べられていない。身体が吸収することを拒否しているようだ。飲み込んだ瞬間にざわざわとした言いようのない感覚が全身を襲いどうしたって吐き戻してしまう。かつての母の姿が見えた、あの頃には戻りたくない。例え幻だって母の姿を見たくないから、少しでも太っている自分を想像しただけで全身が震えるほどに嫌悪感を覚える。
上昇傾向にあった体重も日に日に下降し、以前よりも痩せてしまった。これ以上痩せたら仕事の体力もなくなってしまう。それはわかっているが、どうしたって食べられないのだ。
綿彦はまだ帰らないのか。
休みの日、葉音は痩せやつれた身体で、明かりもついていない綿彦の事務所を訪ねてみることにした。いなくても、何か手掛かりはわかるかもしれない。誰か職員がいるのならばその人に綿彦の消息を聞こう。
雑居ビルの三階、階段すらも真っ暗で気味が悪い。古いコンクリートはところどころひびや割れ目がある。
香原探偵事務所、ドアをノック、三回。しかし反応はなかった。やはり誰もいないのだろうか、そう思ってノブをひねってみると、開いている。さすがの綿彦も鍵を開けたまま留守にはしないだろう。
「あのー……、誰かいますか?」
事務所内は静かで物音一つしなかった。真っ暗で何があるのかもわからない、やはり誰もいないのだろうか。
「誰も、いませんか?」
「……なんだ?」
「ひっ」
突然頭上から声が聞こえた。いつの間にか薄暗い部屋の中に背の高い体格の良い男性が立っている。しかし、彼は綿彦ではない。
「ああ、あの、ここは香原探偵事務所……ですよね」
「そうだが?」
「綿彦さんはいませんか?」
その時だった。突然部屋の明かりがつく、ドア続きの向こうの部屋から見覚えのある人影が見えた。
「航、お客さん?」
「お前を訪ねて来たらしいぞ」
「ああ、葉音ちゃん!」
綿彦だ。しかしその姿はいつもの派手なシャツのボタンを開けてあらわになった上半身の腹部に固い包帯が巻かれている。声の調子は良いが顔色は悪くひどく体調が悪そうだ。
「綿彦さん……! なにがあったんですか?」
***
「葉音ちゃん、この人は皆藤航(かいとうわたる)俺の古い知り合いでね、いまは都内で金融会社の社長をやっているよ」
「はじめまして……」
「……」
「航、何か言いなよ。黙ってると怖いって自覚ある?」
「こう言う顔なんだから仕方がないだろう? 別に悪意を持って接しているわけではない」
航、と呼ばれた男性は無愛想だった。寄せられた眉、低い声も相まって、そのままだと少し怖い。しかし問題は綿彦の方だ。それはあまりに傷だらけの満身創痍な姿で……。
「あの、綿彦さん何があったんですか? 怪我ですか……?」
「はは、ちょっと仕事で失敗しちゃってねえ。警察沙汰は色々と面倒だから引いたけど、被害者はこっちでまさに骨折り損。手付金だけでも貰っておいて良かったよ」
「だ、大丈夫なんですか?」
「ああ、大丈夫大丈夫! すぐ治るよ」
しかし航はそんな調子のいいことを言う綿彦にあきれ顔だ。腕を組んでため息をつきじろりと綿彦を見る。
「恨みを買って腹部を刺されたんだ、大丈夫ではないだろう。息も絶え絶えに俺にもとに助けを求めに来て、一週間熱も下がらなかった。深い傷じゃないから良かったようなものの、本来なら入院して治療するような傷だぞ」
「だって、保険証なくしちゃったんだもん。医療費全額払えるほど持ち合わせはないし」
「化膿したら死ぬような傷だったんだ。幸い熱も下がってきたから良かったが、運が悪ければ……」
「葉音ちゃん、航は昔、警察官だったんだよ。多少の傷害事件には慣れてるから」
腹部を刺された、そんなの全然大丈夫じゃない。しかし綿彦も航もそう言ったことが以前から何度もあったようなどこか慣れている様子で、それほどまで深刻な顔はしていなかった。それがどうしても葉音には理解できなくて……。
「わ、綿彦さん……ううっ」
「えっ、なんで泣くの、葉音ちゃん」
「まあ、それが正常な反応だろうな。綿彦、お前は自分が思っているよりボロボロだぞ」
「ええー、そうかなあ。俺、元気だよ?」
「どこがだ」
腹部に巻かれた包帯の範囲は思ったより広く、傷のせいか綿彦は以前よりやつれた気がする。そして身体中には過去の細かな古傷があって、シャツの開いた胸元に見えたのは丁寧に縫合された大きな傷。たぶんあれが幼い時に受けたという心臓の手術の痕なのだろう。
「綿彦さん……綿彦さん……!」
「わ、そんなに泣かないでよぉ葉音ちゃん。俺は大丈夫だから、それより葉音ちゃんの方が痩せたんじゃない? 大丈夫?」
綿彦は自分のことを全然わかっていない。痩せた葉音も危ういが今の綿彦はきっとここの誰より死に近い。そんな自分よりも葉音の方を心配する綿彦が愛おしいを通り越してただ恐ろしかった。このまま、どこかに消えて今度こそ帰って来なくなりそうで。
それからしばらく、事務所は休業状態。葉音は仕事終わりにいつも綿彦のお見舞いに行った。数日に一回は航も同席する。会社の社長をしているとのことだったが思ったよりも暇なようだ。
「来たのか」
「航さん、こんばんは」
「綿彦は寝てるよ、起こすか?」
「ああ、寝ているのならいいです。傷は治って来ましたか?」
「まあ、ほとんど塞がっては来たよ。縫ったほうが治りは早かったんだろうが仕方がないな。コーヒー淹れるよ、飲むか?」
「甘くないですか?」
「ブラックがいいなら、それで」
インスタントコーヒーだったが豆をひいたばかりのようないい香りがした。古いやかんで沸かしたお湯を注ぎ、マグカップを二人分。ドアの向こうの部屋からは眠っている綿彦のいびきが聞こえて来た。
「綿彦さん、良くなってきたみたいでよかったです」
「傷は良いんだけどな、問題は心臓の方だ」
「生まれつきの……ですか」
「さっきも発作を起こしてようやく落ち着いて寝かせたところだ。いい加減病院にかかればいいのに一向に行こうとしない。まったく、大人のくせに自己管理もしようとしないで」
「そんなによくないんですか?」
「一回精密検査をしたほうがいいな。このままじゃいつか命に関わるぞ」
「……」
綿彦は苦しいとか辛いとかそんなことは何も言っていなかった。せっかく傷が治って心配も減るだろうと思っていたところなのに、彼の身体で何が起こっているのか。航は無表情ながらもどこか少し悲しげな顔をしている。
「俺はあいつの死を見届けるためにそばにいるんだ」
「え……?」
遠くを見るような目をして、航はそっと窓のカーテンを開けた。ほこりをかぶった使い古されたカーテンのむこうに、朝が来るのが見える。一日が始まる、どんな不安な心をも包み込むように。
***
「葉音ちゃん葉音ちゃん、金曜日暇ですか?」
「仕事は休みですけど……」
それからさらに一週間後、事務所に行くとにこにことご機嫌な綿彦が来客用のソファに転がってこちらを見ている。仕事終わりの葉音は綿彦のために近所のコンビニでコーヒーをテイクアウトしてきた。
「車で三十分くらいの自然公園なんだ。知ってるかなあ、大きな花畑があってね。もう桜は葉桜になっちゃったかもしれないけど一緒に行こうよ。車はレンタカー借りてくるから。前にデート行こうって言ってたでしょ?」
「運転なんて傷は大丈夫なんですか?」
「もう平気平気、痛みもほとんどないし。あ、コーヒーありがとう」
コーヒーを受け取った綿彦はすっかりご機嫌だった。仕事の方もそろそろ再開すると言っているが、またこんな傷害沙汰に巻き込まれてしまったらと思うと葉音は心配でならない。それに心臓も、結局未だに病院には行っていないらしい。
「僕は、楽しみにしてますけど……無理しないでくださいね」
「はは、よかった。じゃあ金曜日はデートだ!」
***
午前十時、約束の時間に葉音の自宅アパートの前には軽自動車が止まっていた。中では綿彦がいつもの派手なシャツを着て、長い髪をまとめ笑顔で手を振っている。
「おはよー! よく眠れた?」
「まあ、それなりに」
「ごめんねえ、軽自動車しか空きがなくてさ。ちょっと狭いけど乗って、ドライブだよ!」
「おじゃまします」
国道沿いを走ってしばらく、あたりの景色はビル群から住宅地や自然が多く見られるようになって来た。居場所を求めこの街にさまようようにやって来たが、少し離れたところから見ることをしなかった。穏やかな場所もあるものだ、葉音はまだこの街の全てを知らない。
「ああ、葉音ちゃん。後ろの席にあるコンビニの袋見て」
「これですか?」
「ミネラルウォーター入ってるでしょ。よかったらどうぞ。いつも葉音ちゃん買ってたから好きなのかと思って」
「ありがとうございます……ミネラルウォーターは、太らないからどこか許せる気がして飲んでいただけです。だからそんなに好きとかいう気持ちはなくて」
「最近は食事はとれているの?」
「綿彦さんが帰って来てからまた少しずつ食べられるようになってきました。あまりに甘いものや油っぽいものは駄目なんですけど、いくつか許せる食べ物はあって。それを少しずつ食べている毎日です」
「俺がいないと駄目なの?」
「何故かわからないけど、綿彦さんがいると思うと安心するんです。いつもは拒否してしまう食事もとってもいいのかなって」
「そうか、じゃあ俺まだ死ねないなあ」
綿彦と死、それはこの頃の葉音を不安にさせるものだった。どうか、どこにもいかないで。たった一人に執着している、それは葉音の人生で初めてのことだったかもしれない。両親のことはもう考えたくもないくらいに憎んでいたと言っても過言ではないのに。
「綿彦さん……健康でいてください」
「うん、考えてみる」
そう言う彼の笑顔が本当に心からそう思っているのかわからなくて怖い。綿彦はいつも本心をどこか明かさない。飄々として、明るく笑ってはいるがその内面は葉音にはわからないのだ。もう危ない仕事はしないで欲しい、でも彼が未だ探偵業を辞める気配はなかった。
***
「桜、まだ咲いてるよ、葉音ちゃん!」
一陣の風が吹き、周り一面にわっと赤く色づいた花びらが舞った。終わりかけの桜が公園内を彩っている。春風の中、綿彦とともに自然公園にやって来た。都心から少し離れてすっかり辺りはのどかな風景だ。
「桜だけじゃなく春のお花がいっぱい咲いていますね。きれい……」
「向こうはチューリップ畑があるって、行こう!」
周囲には親子連れも多い。その幸せそうな子供の姿を見て葉音は幼い頃を思い出す。こんな頃が確かにあった。今はもう会えない実の父が肩車をしてくれて、母は無邪気に笑っていた。今葉音の隣で笑っている綿彦の様に。
どうして思い出せなかったのだろう、母に対する感情はもう悪意だけになってしまって、本当はこうやって幸せだったこともあったのに。再婚した父が全てを壊してしまった。葉音のいままでのこの不幸せな思い出は全て父がもたらしたものだ。
「葉音ちゃん……?」
いつの間にか声に出さないまま葉音は黙って泣いていた。綿彦にあの日の実父を見る。優しい綿彦、今この幸せな風景を見ることが出来たのは、全て綿彦が今日この公園に連れて来てくれたから。
「綿彦さん……僕、ずっと不幸せでした。義理の父が最低な人で、父に逆らえなかった母も嫌いで。でも綿彦さんといたら忘れられそうです。その代わり今日のこのお花畑の思い出は全部忘れたくない。ずっと覚えていたいんです」
その言葉に綿彦はそっと葉音の髪を撫でた。いつものケラケラ笑う綿彦じゃない、あまりに優しく彼にしては穏やかな笑顔をして、黙って包み込むようにくしゃくしゃと葉音の髪を撫でまわす。
「忘れないで良いよ、俺も今日のことずっと覚えてるから。親が生きていてもさ、大変なことはあるんだねえ。うちは父親は幼い頃に母親は高校卒業してすぐ死んじゃったから」
「え……っ」
「病気だったから、仕方ないんだよ。でも実際天涯孤独になると、自分のことすらもどうでもよくなってしまってね。ただ自らに近く訪れる死を待っていることしか出来なかった」
「綿彦さんがいなくなってしまったら悲しいです……」
「ありがとう、葉音ちゃんにそう言ってもらえただけで俺は幸せなのかもしれないな」
チューリップ畑はいろんな色の花が咲いていた。その光景だけで心が癒されて行く気がする。この花々の様に色鮮やかな思い出をこれから先も作れるような、きっと生きていたらそれはかなう。そこには確かに救いがあった。
「葉音ちゃん、どうぞ」
売店で綿彦が葉音にアイスティーを買ってきてくれた。綿彦は子供の様に大きなソフトクリームを食べている。ベンチに座った二人は花に囲まれながら静かな時間を過ごしていた。
「最近、慌ただしかったからこんなゆったりとした時間を過ごすのは久しぶりだな」
「僕もです。自然の景色なんていつの間にか目にすることも忘れてしまってた。春っていいですね」
「夏も秋も、楽しいことはあるよ。また出かけようね、その時までには新しい車買うから」
「僕、勉強頑張ります。頑張って高校卒業してその先もずっと勉強は続けて、今の仕事を辞めていつか日向の道を歩けるようになったら、今度は僕が綿彦さんを素敵な場所に連れて行きます」
「はは、嬉しいねえ。どこに連れて行ってくれるの?」
「まだわからない……色々調べて考えておきますね。美しい景色の中でその時は僕も一緒にソフトクリームを食べられるようになっていたらいいな」
「楽しいことも美味しいものもいっぱいあるよ。葉音ちゃんはこれからだ」
やがて日が暮れて来た。明日は仕事もある、二人は車に乗って自宅に帰ることにする。都心に向かう道は少しずつ自然が失われてきて、今日一日がとても楽しかったぶんどこか空しく悲しいものだった。
「夕飯食べて行く?」
「いえ、なんか胸がいっぱいで食べられそうにないです」
「そっか、じゃあコンビニ寄ろう。せめて飲み物買ってあげるよ」
やがて車は繁華街までもうすぐのところに戻って来た。レンタカーは返却して、近くのコンビニへ。綿彦はコーヒーとコンビニ弁当を、葉音はいつものミネラルウォーターを買う。夢の中からすっかり現実に戻った感覚だ、綿彦は会計したペットボトルを葉音に渡し、自宅アパートまで送ってくれる。
「綿彦さん、今日は楽しかったです」
「俺も、また遊ぼうね。今度出かける楽しいところ、考えておくよ」
「楽しみにしてます」
「はは、じゃあねえ。おやすみ」
葉音はじっと綿彦の後姿を見送った。背中が離れていくことが、彼がそのまま消えてしまうのではないかと思って酷く不安になり恐怖を感じる。大丈夫、また会えるから。綿彦の姿はやがて小さくなり見えなくなった。
***
翌日、綿彦は現れなかった。いつも葉音の仕事終わりを待ち構えるように職場の前にいる彼の姿がない。仕事で忙しいのだろうか、ちらりと事務所の入っている雑居ビルを見る。明かりはついていない、出かけているのかもしれない。その日は一人、葉音は帰宅する。なに、たった一日連絡が取れないだけじゃないか。それでもまたなにかあったのかもしれないと、その日葉音はなかなか寝付くことが出来なかった。
しかし翌日、翌々日も綿彦は現れない。これはきっと何かあったのだと、葉音は事務所ビルの階段を上った。
「あの、綿彦さん……!」
事務所には今日も航が来ていた。葉音の姿に気が付くと中に入るように招き入れる。
「あの、綿彦さんと連絡が取れなくて」
その言葉にそっと航が促した先には、綿彦がソファに横たわっていた。
「綿彦さん……?」
ぎゅっと目を閉じて苦しげな顔をしている。額には冷や汗が浮いていて、顔色は青白い。葉音は思わず息を飲む。なにがあったのだろうか。
「ここ数日、動悸が酷いって寝込んでいるんだよ。多少眠ればマシにはなるんだが、すぐに悪化して寝たきり。まったく困ったものだな」
「そんな、病院行きましょうよ……!」
「嫌なんだってよ、こいつは人の言うことを聞かないからな」
「綿彦さん!」
その時、固く閉じられた目がうっすらと開く。葉音を確認すると寄せた眉を少し下げて綿彦は弱々しく笑った。
「なんだ……葉音ちゃん来てたの?」
「綿彦さん、大丈夫なんですか」
「はは、もうやだなあ。そんな顔しないでよ、平気だよこれくらい」
「でも……」
「大丈夫、もう仕事は終わったの?」
「終わりました、明日は休みです」
「もうそんな時間なんだ……なんか、お腹空いちゃったな」
「何か買ってきましょうか?」
「え? いいの? じゃあコンビニの焼きそばパン食べたい。朝から何も食べていないからお腹もうペコペコだよ」
「僕、買ってきますね……!」
そう言って事務所を飛び出していく葉音を、綿彦と航はじっと見つめている。
「良い子だよねえ、そうは思わない? 航」
「その良い子に心配をかけているのは誰だ?」
「……もし俺に何かあったら、葉音ちゃんのこと頼んだよ。あの子は一人にしておくにはまだ少し危うい。でも、これから先、きっと幸せになる子なんだ」
「あの子はきっとお前がいなくなったら泣くぞ」
「いつかは思い出になるでしょ、俺のことは忘れて良いよって伝えてあげて。いつまでも、こんな男を想う必要はない」
「罪作りなやつだな」
「俺は悪人だからね、あの子にはもったいないんだよ」
***
雑居ビルを出てすぐ、一人の痩せた中年女性とぶつかった。彼女は葉音をにらみつけ、夜の闇に消えていく。酔っぱらっているのかもしれない、厄介なことになっては困る。夜の街ではあまり関わらないほうがいい人種だ。
コンビニを二件回ったところで、綿彦が欲しがっていた焼きそばパンを見つけた。一緒に彼の好きなメーカーのコーヒーを買い、葉音はコンビニを後にする。空は薄明り、今日も朝がやって来るのだ。綿彦の体調が少しでも良くなるように、葉音からも病院を勧めてみよう。そう思って雑居ビルの階段を上り始めると、上の階でガラスの割れる音がした。女性の叫び声が聞こえる。
このビルは昼の間は何件かテナントが入っているが皆、夜十時前には営業を終えて閉店する。残っているのは事務所を住居と兼用にしている綿彦くらいのものだった。
葉音は不安になり、慌てて階段を駆け上がる。香原探偵事務所のドアは開け放たれて、一部のガラスが割れていた。奇声を上げている女性は先程ぶつかった女性だ。暴れる彼女を航が取り押さえている。
「な、なに……?」
「綿彦、葉音、逃げろ! こいつ刃物持ってる……!」
航の声に慌てた綿彦が葉音の手を引いて事務所を後にする。女性の目的は綿彦なのか、その姿を必死に追おうとしていた。
「葉音ちゃん、行こ!」
「わ、綿彦さん……!」
慌てて落としたコンビニの袋が階段を転がり落ちて行く。綿彦に手をひかれた葉音は雑居ビルから飛び出し、夜の終わりかけた繁華街を駆け抜ける。
「この前の依頼者だ」
「この前って、お腹を刺されたときですか?」
「浮気調査の依頼だったんだけど、あまり彼女にとって良い結果ではなくてね。逆恨みをしているんだ。思いつめて心を病んでしまったのか、刃物を振り回して来て油断した隙に刺された。やけに高額な手付金を渡してくるからそれを受け取ったぶん、こういうリスクは考えておくべきだった。捨て身になった人は強いよ」
「け、警察……!」
「さっき呼んだ、さすがにもう手が負えない。もう少しで来ると思うから、それまでちょっと身を隠していよう」
二人は明かりのついていない薄暗いビルの狭間に身を隠す。恐怖に震える葉音の背中をそっと綿彦はさすって安心させようとする。その時だ。
「うっ、ック、うう……っ、ぐ、う」
「綿彦さん!」
「だいじょ、ちょっと、くるし……」
「わ、綿彦さん……っ」
胸元を抑えて綿彦が苦しみ始めた。背中を丸めて、うずくまる。慌てた葉音が綿彦を抱きしめるが、痛みは治まらず、もがく綿彦はそのまま倒れこんだ。
「ど、どうしよう、綿彦さん!」
「はのん、ちゃ……っ……」
葉音の胸の中で綿彦は不規則な荒い呼吸を繰り返し苦しげな声を上げ続ける。どうしよう、葉音が必死に震える綿彦の背中をさすっていると一台のパトカーが目の前の道路を走り抜けた。事務所の方に向かっている、警察が来たのだ。
「綿彦さん、もう大丈夫、警察来ましたよ!」
「……」
綿彦は安心したかのように葉音の胸の中で長い息をつき、静かに目を閉じた。こわばった綿彦の身体からぐったりと力が抜ける。
「綿彦さん?」
痛みのあまり意識を失ってしまったのだろうか。それからさらにしばらくの間、二人がその場で隠れていると腕に傷を負った航がやって来た。
「航さん!」
「葉音、無事だったか」
綿彦は葉音に抱かれて横たわったままだった。航はそっとその身体に触れて、何か気づいたように静かに目を閉じる。
「綿彦さん、意識を失っちゃったみたいで。苦しくて堪えきれなかったのかもしれません。ねえ、このまま病院に連れて行きましょうよ」
「いや、その必要はない。葉音、綿彦の手を握ってやってくれ」
「航さん……?」
「もう、心臓が止まっているよ」
「え……」
葉音の胸の中にいる綿彦は、すでに呼吸をしていなかった。心臓が止まっている、呼吸もない。その事実が表すものとは……。
「わた、ひこさん……?」
航は黙って綿彦の頬に触れた。まだ温かい頬も、いくら触れても何の反応も示さない。もう綿彦はここにはいなくなってしまった。全ての終わり、綿彦の、終わり。
「い、いやだあ、綿彦さん……っ!」
絶望した葉音の悲鳴に近い声が、繁華街に響いて消えた。
***
綿彦の見送りは航と葉音だけで行った。安らかな顔をして目を固く閉じた綿彦のお棺にはあの日観に行ったのと同じチューリップの花を一緒に入れて、寂しくないように賑やかに送ったつもりだ。やがて小さな骨になった綿彦の骨壺を葉音は愛おしいもののように抱きしめる。
「家の墓は湘南の方にあるって言っていたな。でもあいつは自分の墓は別にどこでもいいって言っていた。そこに綿彦がいつまでもいるわけじゃない」
「……」
すっかりふさぎ込んだ葉音は、ここ一週間ほどもう仕事にも行けない状態にあった。無断欠勤してしまったから、きっと仕事はクビになるだろう。食事もとれない日々が続いている。
「葉音、これからどうするんだ」
「……綿彦さんと、約束したんです。今度は僕が彼を素敵な場所に連れて行ってあげるって。約束、守れなかったな」
「思い出だけでも抱えていれば、いつでも綿彦には会えるよ。でも、お前はこれからも生きて行かなきゃならないんだ。それだけは忘れるなよ」
「……」
「明日、これからの相談をしよう。お前にでも出来る仕事紹介してやるから」
しかし翌日、葉音は自宅アパートからも姿を消し、その後いくら探しても航はその消息を知ることは出来なかった。
***
夏も近づいたある日、一人の青年が自然の美しい山間の病院の前で保護された。言葉少ない彼はひどい摂食障害を患っており、口からもう栄養をとることはかなわずベッドに寝かされて経管栄養を施されてその生を保っていた。
すっかり痩せたその身体で今までどこをさまよっていたのかもわからない。しかし唯一持っていた鞄の中には数枚の着替えと小さな白い灰の入った小瓶を大切に持っていた。
月日とともに青年はやがて意識が混濁した状態になり、声を発することも不可能になった。行方不明届は出されていないようで彼の身元は誰にもわからない。枕元に置かれた小瓶に見守られて、青年は少しずつ弱って行く。
身に余るほどの不幸せが、一人の青年の人生を壊してしまった。これからの希望も約束も、大切なものはあったはずなのに。彼の心の支えになる人はもうどこにもいなかった。
やがて病室の窓から紅葉が見え始める頃に、青年は息を引き取った。それはたまたま看護師も誰もいない時間で、彼はたった一人で旅立ってしまったのだ。やせ細ってはいたがまだ若いはずのその身体で最期まで孤独な人生を送ってしまった。
しかし彼の死に顔はどこか満足そうで、長いこと待ちわびた人の迎えが来た時のような安らかで少し微笑んでいる顔に見えないこともない。彼はようやく、幸せな世界に逝けたのだろう。
彼が大切にしていた枕元の小瓶はいつの間にかどこかに消えてなくなってしまっていた。残された青年の気配は一陣の風が吹いて、静かに山の中に消えて行く。
(終わり)
「お疲れさーん、葉音ちゃん」
瀬戸葉音(せとはのん)、今日も早朝四時に仕事が終わった。個室居酒屋と風俗店の入ったビルの清掃業務をしている。痩せた手にはコンビニで買ったミネラルウォーター。今日の朝食になる予定だった。そんな彼のそばにまとわりつく、ふざけた表情の男。
「わざわざ水なんてコンビニで買う?」
「……」
「ねえ、これから一緒にご飯行こうよ。この時間でもまだやってる本場イタリアンのバーがあるんだ」
「あの、結構です。お腹空いてないので」
「また痩せたよなあ、もう少し飯食ったほうがいいんじゃないの?」
「……大丈夫なので放っておいてください」
念入りに染められた明るい茶色の長髪の男は痩せた身体の葉音の後をうきうきとついて行く。足取りは軽くまるで暇つぶしを探しているようだった。
「もう、待ってよ、葉音ちゃん」
「予定、あるので」
「え、なになに? 俺も混ぜてえ」
「……」
仕事先の隣のビルで探偵業を営んでいる男だった。香原綿彦(こうばらわたひこ)、聞けばその仕事先は多岐にわたり闇業者に関わることまで引き受けていると。気軽にそばに寄ってはいけない人物だとこの界隈では噂になっていた。なんでもかつては恨みを買って傷害事件沙汰にもなったらしい。その証拠に綿彦の身体には無数の傷がある。
「こ、香原さん……」
「綿彦でいいっていったでしょ? 俺たちトモダチになろって、ね」
「物騒なお仕事している人とはお友達にはなれません。僕、学歴もないし頭も良くないから騙されやすいし」
「大丈夫、何かあったら守ってあげるよ。だから安心して、葉音ちゃん」
いや、綿彦が怪しいから嫌なのだ、しかしその気持ちには彼はどうしても気づいてくれないようだった。
「今日はもう家に帰ります、つ、ついてこないでください」
「帰るのなら送るよ。この時間まだ酔っ払いの残党がいたりして危ないし」
「危ないのは、あなたの方が……」
「ん、なに?」
「なんでもないです」
繁華街を抜けてしばらくすると住宅街があった。その住宅街の古い小さなアパートで葉音は一人暮らしをしている。綿彦は葉音に一方的に話しかけて結局家までついて来てしまった。
「明日も仕事?」
「はい、今日と同じ勤務です」
「そっか、じゃあまた明日ねえ」
「……はい」
家を知られてしまっている以上、下手なことを言って怒らせるわけにはいかない。それくらいに評判の悪い男だ。綿彦の背中を見送りながら葉音は面倒なやつに好かれてしまった、と自分の運の悪さを悔いていた。
ここは古いアパートだ。ドアの鍵も少し壊れかけていて開け方に少しコツがいる。そんな家でも貸してもらえただけありがたい。大家はアパートの立地的に訳ありの住人には慣れているようで、保証人のいない葉音にもうまいこと手続きをしてこの家を貸してくれている。どんな形でもこの古い家で家賃さえ払ってもらえればいいのだと。
実家を家出同然に出て来た。幼い頃に再婚した父とは折り合いが悪く、長いこと虐待まがいの扱いを受けて来た身だ。それでも一人では生きていけないからと耐え続けていたせいで、葉音は今ではすっかり心を壊していた。
ミネラルウォーターが食事代わり、最近ではそんな日が続いている。食べることに抵抗があって、少しでも食べて太ってしまえばあの父に媚びている母を思い出してしまい、葉音は度々嘔吐した。ダラダラと食べることでしか救いを得られない肥え太った母のようにはなりたくない、父を忘れたい。しかしそれは明らかに命を削る行為でもあった。
「よかった……痩せてる」
風呂に入る前に乗った体重計の数値は日々下降するばかり。しかしそれを喜ばしいこととして葉音の心は少し救われている。良くないことなのはわかっていた、しかし葉音はこうして痩せ続けて生きることしか出来なかった。限界は、きっとまもなく訪れる。
***
「服を脱げよ。白い肌、してるんだろう?」
にやにやと笑いながらその男は幼い葉音を責め立てる。言う通りにしなかったらどうなるかわからない。母にもよく暴力を振るっているのを見ていた。特に酒を飲んだ夜は男の、父の感情の幅が振れるのだ。
着ていたシャツのボタンを外して行く。恐怖のあまりその手元が震え揺れたせいで男は感情的に怒鳴った。びくり、と震えた葉音の首をわしづかみにし、父はケタケタと笑いその身体を柱に叩きつけた。
「全く、あの女によく似ているもんだな。そうやって媚び売ってこれからも生きて行くつもりか? お前の親父もそうやってかつて虜になったんだろう、全く愚かなものだなあ」
「こ、媚び……?」
「ガキが、イラつくんだよ。その怯えた目が!」
そのあとはただ暴力を振るわれるばかりだった。ただ分かったのは自分は母によく似ていると言うこと。こんな男と再婚するような見る目のない女と。それでもこの男に追いすがり抱かれている母を想像して嫌悪感を抱くようになるのは、葉音の成長に伴ってすぐのことだった。
再婚後、両親の間に子供は出来なかった。そのことが余計葉音に対する父の嫌悪感に繋がって行く。きっと自分に全く似ていない子供が疎ましかったのだろう。虐待は葉音が十七歳、父が酒に溺れて病死するまで続いた。
***
安価で購入した薄いカーテンは昼の太陽の光をよく透かしていた。風呂上がりに床に転がっているうちに眠ってしまったようだ。痩せた身体には畳に当たった身体の骨が痛い。骨と皮、もうずいぶんと細くなった腕。葉音の拒食に繋がる食欲不振は中学生の頃、学校でいじめに遭ったことをきっかけに始まった。
「あいつ、なんかいじめたくなるよな」
「はは、わかる。グズグズしてるんだよなあ」
きっかけは多分たいしたことじゃない。葉音が人より少し気が弱かっただけで反抗期の少年たちにはいじりやすかったのだろう。些細な嫌がらせは加速して次第に葉音が不登校まで至るほどの激しいいじめ行為につながる。
教科書はもう読めたものじゃなかったし学校に置いてあった私物はみんな無くなった。乱暴な言葉を投げつけて、葉音が傷ついた顔をするたびに彼らは笑って喜んでいた。そんな環境ではもう学校になんか行きたくない。
両親のいない家で息をひそめながら一人テレビの再放送の映画やドラマを観る、そんな日々の繰り返しでやがて周りは受験をする頃になったが、学校に行けないで勉強をする機会もなくその時期を迎えてしまった葉音は、高校に行かないまま社会に出ることになってしまった。
「君、何度同じこと言わせるの? 仕事くらい一度で覚えろよ」
「すみません……」
「次間違えたら辞めてもらうよ?」
「……」
葉音は中学卒業後、とりあえずバイトを始めてみるが周りは年上ばかり。そこでも人間関係が上手くいかなくてすぐに辞めるのの繰り返し。葉音の心はその度に病んで、本格的な拒食が始まった。食べることに恐怖と嫌悪感を感じ、食事を減らして行ったらもう戻れなくなっていて痩せて行くことだけに価値があると、異常に体重管理にこだわるようになる。それと同時に生きて行くことに漠然とした不安があり、朝が来るのが怖かった。他人に傷つけられたくない。
父はその頃仕事を辞め、朝から家で酒を飲んでは暴力を振るうためバイトをしていない期間、葉音は近所の公園で食事もせずに一日中過ごすことが日課になっていく。
朝から晩まで公園にいるとよく幸せな親子の姿を目にした。幼い子が、母親時に父親と楽しげに遊んでいる。あんな時間は確かにあった、それなのにどうしてこんなことになってしまったのだろう。気が付けばやつれた顔をして情けないくらいに泣いていた、幼い子供が不思議そうにこちらを見ている。そばにいた母親は見てはいけないとうながし目をそらす。葉音はただひたすらに孤独だった。
深夜、帰宅する。そろそろバイトも探さなければならないと思ってはいるのだが、どうしても心境は逃げの方に向かってしまう。これからどう人生を歩んで行ったら良いのだろう。学歴もないし友人もいない。
そう言えば今日は何もまだ食べていなかったことを思い出す。そろそろ何か食べたほうがいいのかもしれない。空腹感は十分にある、が、気は進まない。しかし最低限生きていくためには。生きて行く理由も、わからないけど。
息をひそめて静かに台所に向かい、冷蔵庫のなかの少量の食材を求めた。ほんの少しだけ、その時、真っ暗だった台所に突然明かりがともる。目の前には……父がいた。
「なにやってんだよ、盗み食いか?」
「ひ、……お、お父さん……」
「良いご身分だなあ、毎日働きもしないで好き勝手して。まあ、俺も仕事辞めたけどな」
父が仕事を辞めてからは母が昼夜問わず働きに出るようになっていた。酒を買う金がないと暴れるから、仕方がなかったのだろう。
「お前の母親は毎日化粧する余裕もなく働いているよ。惨めだよなあ、俺と結婚して楽するつもりだったんだろうにな。最近じゃ夜の関係もないよ、まあ俺もあんなババアとはする気も起きないがね」
「……」
「でもまあ、お前ならいいかな」
「え……」
「俺と寝てみるか?」
「や、そんな……」
「またかよ。怯えた目してるんじゃねえよ、不快だな」
そう言って父は葉音の頬を張り倒した。一瞬音が聞こえなくなり、ようやく戻って来た時に聞いたのは父のしゃがれた笑い声だ。酒の飲みすぎでもう何もかもよくわからなくなっているのかもしれない。
もともと善悪の区別なんてついているような人ではなかったが、今ではもう半分夢の中にいるような顔をしている。この頃はひどく顔色も悪く、痩せた頬。この人はもう長くはないんじゃないかと思った。しかしそこまで情があるわけじゃない、父がいなくなっても多分葉音は泣かないだろう。
「葉音、俺は死んでもいつまでもお前のことを見ているからな。一人だけ幸せになろうだなんて思うんじゃねえぞ。お前は不幸な身の上のまま生きて行くんだよ」
それは父の呪いだった。赤らんだ目でぎろりと葉音を見て、じっとりとその言葉が絡みつく。父が死んだのはそれから二週間後のことだった。
***
母は父の死後狂ったように泣き続けた。あんな父に、散々苦労させられて最早女とすら思われていなかったのに情だけはあったのか。働きにも行けず、やがて一日中布団の中でぶつぶつと独り言を言うようになり、精神に異常をきたした母は寝たきりになった。
収入がなくなり、葉音は生きて行くために仕方なく再び働き始めるようになる。しかしそう簡単に働くことには慣れなかった。毎日きつい言葉で怒鳴られて、それでも必死で働いていくしかない。生きている価値なんて見いだせないのに、それでもまだ母がいたから生きねばならないと思った。だがストレスに身体がついて行かず、さらに痩せ続けて、体力のない身体は職場で耐え切れず意識を失うことも少なくない。そしてまた、自己管理が出来ていないとクビになった。
何度目かのクビを経験したその日、家に帰ると母は台所にいた。何か料理を作っているのか、体調は少しでもよくなったのだろうか。そっと近づいてみると母は突然振り返り、葉音に包丁を向けた。太った身体でみしみしと床に足音を立てながらこちらに近づいてくる。
「母さん、やめて……っ」
「あんたが、ころした」
「は、なにを……」
「あんたがあの人に似てなかったから、あの人は絶望したんじゃないの!」
あの人とは義父のことだろうか。似ていないのは当たり前だ、血が繋がっていなかったのだから。包丁を振り回す母から必死に逃げて、自室に鍵をかける。母はしばらくドアを叩きつけていたけれど、疲れてしまったのかやがてぶつぶつと何かを言いながら自分の寝床に戻って行った。
狂ってしまった母とはもう一緒にいられない。この家を出て行くことは母の命がどうなることか、一人になった母がどうなるのかは考えもしなかったわけじゃないけれど、葉音はもう限界だった。父の死後一年くらい二人で暮らしたが、母は日々おかしくなって行くばかりで、このままでは葉音の心も壊れてしまいそうだった。いや、もう壊れていた。すでに痩せすぎた身体で必死に身の回りの物を鞄に入れて、その日葉音は家を出る。葉音は十八歳になっていた。それからの母がどうなったのかは、もう知らない。
***
生きて行くことは苦しいことばかりだったけれど、死んでしまうにはまだ怖くて。
数日前に野菜の煮物を少量口にしてみた。これは野菜だから太らない、吸収されてもきっと大したことはない。それはわかっているはずなのに、葉音は飲み込んだだけでひどく恐ろしくなってしまって、そのままシンクに嘔吐してしまった。
「げぇ……ッ! うえ、げほ……ッ! うう」
汚い。せっかく作った食べ物をこうして無駄にすることしか出来ない。そろそろ食べなかったら身体がもたない、それはわかっているはずなのにどうしても吸収することが出来なかった。
家出をした葉音は都内有数の繁華街にやって来た。住み込みの仕事、この街なら人に紛れてしまえば多少の訳ありでも暮らして行くことは出来るだろう。生きていくことだけにまだ執着していた。その執着を捨ててしまえばきっと楽になれるだろうことはわかっているのに。
葉音の思惑通り怪しげな老人は仕事と家を紹介してくれた。古いアパートはきしむしところどころ壊れているところはあるしで、住み良いとは言えなかったが家がないよりましだ。しかし紹介された仕事は思ったよりもハードだった。夜勤の清掃業。ビルに入っている居酒屋と風俗店の閉店後の掃除をするたび、鼻につくその香りにかつての父を思い出して吐き気がした。
「グズグズしてんなよ! 次の清掃に行くぞ!」
「は、はい……」
「まったく使えねえなあ!」
同僚も何か訳ありの人の様で身なりは薄汚く時折匂う酒の匂いが鼻につく。他には赤く派手なパーマ髪をまとめた中年女性に外国人、葉音と同年代はいなかった。
「君さあ、高校卒業くらいの資格は取っておいたほうがいいよ」
それは仕事を紹介してもらった時に言われた言葉だった。中卒では紹介する仕事も限られてしまうと、しかし今から全日制の高校に通いなおす余裕なんてない。そう言うと紹介人の老人は、通信制高校や定時制高校をいくつか提示してくれる。
「働きながらでも学んでみたら? 別に留年しても卒業しちまえばいまより悪くなることはないし、費用もそこまでかからないよ」
「通信制……」
学校にまた通うことは思いつきもしなかった。確かに中卒でバイトも長く続かない身では働くにも困ることが多い。葉音にも通えるのだろうか、友達の仲間に入れてもらえるのだろうか。
仕事は慣れてくれば少し息つく余裕も出来てきた。ただ体力を使う仕事なので何か食べなければ身体が持たない。それでも太りたくなくて、その葛藤の後やはりまた葉音は痩せ続けている。
その日は仕事でミスをしてしまった。上司はカッとなりやすい男で葉音は襟首をつかまれて殴られる寸前までいったが、酒臭い同僚が見かねて止めてくれたので殴られることはなかった。しかし葉音の心は落ちこんで、帰り道思わず橋の上で立ち止まってしまう。目下には勢いの良い川が流れている。
ここに飛び込んだらもう終わるかもしれない。生きることへの執着は姿を消し、そのまま葉音も消えてしまいたいと思った。ここで死んでしまったらあの父のもとに行くのだろうか。もしかしたらそこにはもう母もいるかもしれない、そう思うととても幸せになんかなれない。でも今では何もかもどうでもよくなってしまっていた。
朝が来る。消えてしまうにはぴったりだ。
そのまま橋から飛び込もうと身を乗り出す、目を閉じて、あとはもう重力にまかせるだけ。しかし、終わりはいつまでたっても訪れない。ゆっくりと目を開けると葉音の腕を傷だらけのたくましい手のひらがつかんでいた。
「危ないこと、しちゃだめだよ?」
「……っ」
派手な服を着た、茶色の長髪の男。にこにこと笑ってはいるがその目は笑っていなかった。
「あ、あ……っ」
「もう朝になるねえ、家に帰らなくていいの?」
「あ、かえり、ます……」
「送って行ってあげるよ。家どこ?」
「この先の、アパート」
「いこ、遅くなると学校とか遅刻しちゃうでしょ」
「あ、いえ、僕はフリーターなので」
「学生さんじゃないんだ? 夜勤?」
「はい、清掃の仕事をしています」
「その身体で? もたないでしょ、ちゃんと毎日食べてる?」
「……」
男は懐っこい顔をして葉音をやたらとぐいぐい構って来る。そのまま葉音は成り行きで橋から離れて、自宅に向かって歩き出した。
「名前何て言うの? 俺は香原綿彦」
「瀬戸葉音です……」
「葉音ちゃん! 男の子にしては可愛い名前だねえ」
「両親が深く考えていなかったんだと思います。多分響きだけでつけた名前だから」
「いいじゃないの、素敵な名前だと思うよ」
思えばこの男に葉音は命を救われたのだ。彼がこの場から連れ出してくれなかったらきっとそのまま川に飛び込んでいたのだろう。香原綿彦、葉音の命の恩人。
「ねえ、どこで働いているの?」
「いまは繁華街のビルの清掃をしています。居酒屋が三件並んで、ホストクラブの正面にあるビル……」
「もしかしてその近くに古い雑居ビルある?」
「お隣、ですけど」
「はは、そっか。わかった、もしかしたらまた俺たち会うことあるかもしれないね。その時はよろしく」
「え? あ、はい……」
自宅アパートまで綿彦は葉音を送ってくれた。そしてパタパタとにこやかに手を振る。
「おやすみ! またねー!」
「おやすみなさい……」
すっかり辺りは朝を迎えていた。朝日の中、葉音と別れた綿彦は軽い足取りで再び繁華街方面に消えて行く。
***
「ねえ、瀬戸くん、昨日香原さんと歩いてたでしょ?」
その翌日、同僚の中年女性にそう話しかけられて葉音は驚いた。彼女によると綿彦はこの一帯では割と有名な人物らしい。
「あの人明るくて良い人そうだけどね、あまりいい評判は聞かないから気を付けたほうがいいわよ」
「そうなんですか?」
「度々職業がらみで傷害事件起こしているみたいで、よく警察に声をかけられて」
「え……っ」
その話を聞いて驚いてしまった。葉音は命の恩人とは言え危ない人物に関わってしまったようだ。しかし彼の職場も家の場所も知らないしきっともう会うことはない……そう、思っていたのだが。
「葉音ちゃーん!」
居酒屋と風俗店の入ったビルの清掃を終えて出てくると隣の雑居ビルの窓から見覚えのある男が手を振っている。まさか、と思えば彼だった。長い髪に派手なシャツは相変わらず、今日もにこやかに手を振っている。
「……こ、香原さん……?」
***
「お隣で探偵をしています」
「はあ」
仕事の後、待ち構えていた綿彦行きつけの飲食店に誘われた。周りには物騒な身なりの男性客や、派手なアクセサリーで身をかためた金髪の外国人が酒を飲んで騒いでいる。何とも居心地の悪い店だ。差し出された名刺には、香原探偵事務所所長・香原綿彦との名前が。その事務所は葉音の勤務先の隣の雑居ビルの三階にあった。
「なにか困ったことあったら相談に来てねえ」
「……はい」
綿彦は手慣れた様子で食事と酒をオーダーする。食べたくないと葉音が言ったら無理矢理食べさせることはせずオレンジジュースを頼んでくれた。
「ここはチキンステーキとオニオンスープが美味しいんだよ。葉音ちゃんも食べられるようになると良いね」
食事が来て食べだした綿彦の腕の無数の傷痕。傷害事件とは本当のことなのだろうか。自傷と言うには迷いのないざっくりと深い傷の様子に多分自分でやってものではないのだと思う。探偵とはそんなに危ない仕事なのだろうか。
「ん? どうしたの、葉音ちゃん。お腹空いてきた?」
「いえ、そういうことじゃなくて……その、お仕事は大変ですか」
「ああ、まあちょっと乱暴な人も来るからね。危ないこともあるよ、まあもう慣れたけど」
「その、警察、沙汰……?」
「……誰かに聞いた? まあ、いいけど。そう言うこともあるね、結構ギリギリな人も多いから。特にうちは他より高値の依頼を受けているから時に恨みを買うこともある。この街は物騒だよ、葉音ちゃんも一人で歩くときは気を付けてね」
食事が終わって綿彦は葉音を家まで送ってくれるのだと言う。断ろうと思ったが彼の優しい笑顔に、どうしても危ない人だとは思えなくてその言葉に甘えることにした。
「葉音ちゃんは、どこから来たの?」
「えっ……あ、」
「言えない事情? 家出とかしたのかな」
「……」
「ごめん、わかるよ。そういう子ってこの街には結構多くてね、大体どんな古い家にも文句も言わず住んでいる。訳ありの大家さんも多いからね、お金が取るためにはちょっとした事情なら貸しちゃうんだよ」
「僕のこと、どこかに通報とかしますか?」
「はは、しないよ。大丈夫、俺も高卒後家勝手に飛び出してうろうろしてる期間多かったからねえ。家に帰りたくない気持ちもわかるし、他人にどうこう言われたくない気持ちもわかる」
早朝五時の繁華街は寂れていて数人のガラの悪い酔っ払いが道端に座って煙草を吸っている。そんな人達から守るように綿彦は葉音のそばを歩いた。空は明るくすでに朝がやって来ている。アパートの帰り道の途中にはコンビニがあった。綿彦は葉音をコンビニに誘う。
「ちょっと買いたいものがあるんだよね、行ってもいい?」
「あ、はい」
コンビニでは朝食用の食品の陳列が終わったところだった。自分の朝食だろうか、綿彦はおにぎりの並んだ棚の前で何やら悩んでいる。
「ねえ、葉音ちゃん。おにぎり何が好き?」
「え? いや、特には……」
「葉音ちゃん、さっきもご飯食べてなかったでしょ。おにぎりくらいは食べたほうがいいよ。買ってあげる」
「そんな、いらない。いらないです……!」
「まあまあ、少しぐらい食べたっていいじゃない? うーん、うめぼしにしようか。紀州南高梅使用だって、美味しそうだよ」
葉音の心情など無視したまま綿彦はおにぎりと缶コーヒーを持ってレジに向かって行ってしまった。どうしよう、おにぎり一個だってすすんで食べたいものではないのに。綿彦は会計を終えるとにこりと笑って戻って来る。彼の善意なのだろう、葉音の心は複雑だった。
葉音の自宅前までやって来た。綿彦はコンビニで買ったものを葉音に向かって差し出す。いらない、と思ったが言いづらかった。迷っている葉音が袋を受け取れないでいたその時、突然綿彦がその場に座り込んだ。
「こ、香原……さん?」
「……っ、クッ、う……」
胸元を抑えながらそのまま綿彦は倒れこむ。痛むのだろうか、息をするのですら精いっぱいで。
「香原さんっ? こ、香原さん……!」
「はあ、は……ッ、だいじょ……う、すぐにおさま、る……ッうう、」
***
葉音が慌てて綿彦を抱きかかえなんとか自宅に入れて布団に横たわらせてから数時間後、ぴくり、と綿彦の手のひらが動く。
「……あれえ……ここ、どこだっけ……?」
「香原さん」
「葉音ちゃん……? ああ、そっか」
すっかり外は夜が明けている、心配で葉音は眠るどころではなかった。急いで病院に連れて行ったほうがいいのではないかと思ったが、苦しげながらも綿彦が大丈夫だと言うのでそのまま寝かせていた。あのまま死んでしまうのではないかと思った。しかし冷や汗を浮かべて青ざめていた顔色もすっかり回復しているようだ。
「あの、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。ごめん、手間かけたね」
コンビニの袋はもらった時のそのままの状態になっていた。冷えていた缶コーヒーはすっかりぬるくなってしまっている。
「……俺さあ、生まれつき心臓が少し悪くて、まあ、幼い頃に何度か手術もしたりしたんだけど、いまはもう病院すら行ってない。もう自然に任せて良いんじゃないかと思って」
「そんな……! 病院は、行ってくださいよ」
「はは、葉音ちゃんに言われてもなあ。ねえ、おにぎり食べてよ。葉音ちゃんがそのおにぎり食べてくれたら、病院も少し考えてみる」
「それは……ずるいです」
しかし命にかかわる病状の人に言われては、葉音も言うことを聞かないわけにはいかなかった。生まれつきのどうしようもない理由の綿彦と比べて、葉音は自分から痩せることを選んだのだ。
生まれついた理由と少しの個人的な理由からの現在とでは多分葉音のほうが少しわがままなのではないか。そう思ってしぶしぶおにぎりのパッケージを開ける。口にしてもすぐに吐いてしまうだろう、そう思ったが少しずつかぶりついていくと思ったよりすんなりと食べることが出来た。不思議と吸収することが怖くない。綿彦が見ているせいかもしれない。それはどこか罪悪感を感じているからで、今日の葉音はおにぎりを全て食べることが出来た。
「えらかったね?」
「別にえらくなんかないですよ」
「はは、ねえ葉音ちゃん。俺たちトモダチになろうよ。俺のこともさ、綿彦って呼んで?」
「えっ……お友達ですか」
「今更だけど葉音ちゃん何歳なの?」
「もうすぐ、十九になります」
「若いねえ、俺より八歳も年下かあ、でもそれでもさ友達にはなれると思うよ」
そうしてしばらく綿彦は葉音の家でごろごろとしながらたわいもない話をして、やがて仕事があるからと言って帰って行った。
「また遊ぼうね」
このまま友達になっていいのかは少し不安はあるが、葉音にとって誰かとこんなにゆったりとした時間を過ごしたのは何年振りかのことだった。
***
春、葉音は十九歳になった。
拒食症状は相変わらずだったがここ最近は体重の減少も落ち着いている。綿彦のいるときは食事が何故か抵抗なく出来るからかもしれない。
その日も綿彦が仕事終わりに葉音の家に遊びに来ていた。彼は目ざとく、見つけた部屋の隅に積み上げられた教科書をじっとみつめている。
「葉音ちゃーん、この教科書の束、なに?」
「勝手に見ないでくださいよ。それはこの春から使うことになったものです」
「高等学校通信制レポート……この封筒、もしかして葉音ちゃん高校に通うことになったの?」
「春から一年生です。せめて高校卒業の資格だけは取っておこうかと思って」
葉音は自分のために生きなおすことにした。同級生は年下が多いが葉音のように働きながら通っている生徒も少なくない。何年かかるかわからないが高卒の資格を得たら昼間働く一般企業にも就職できるかもしれない。一度くらい日のあたる人並みの人生を生きてみたいと思ったのだ。
「綿彦さん、高校生活は大変でしたか?」
「俺はさぼってるばかりだったからねえ、補習授業をしてくれる先生の方が大変だったと思うよ。葉音ちゃんはそんな悪さしないでしょ、だからきっと大丈夫」
「できれば通信制で良いから卒業後は大学も通いたいなって思って。勉強することは楽しいです」
「頑張るねえ。結局さあ、人並みの人生を歩んでる人が一番えらいんだと思う。普通に生きるのって結構地道で難しいことだから。俺はいまさらもう無理だけどね」
「……最近はどんな依頼をこなしてるんですか?」
「守秘義務でーす」
「危ないこと、しないでくださいね」
「ふふ、大丈夫だよ。葉音ちゃんがいてくれる間は死なないから」
いつもにこにことして適当に生きている様子の綿彦は、少し危なっかしいところがあった。あれから発作は起こしてはいないが、たまに殴られた顔をして帰ってきたりするので不安は尽きない。彼の大丈夫は大丈夫ではない。
「明日からちょっと難しい仕事があってね、元気出すために一緒に食事に付き合ってくれない?」
「難しい仕事?」
「詳しくは言えないんだけど、ちょっと複雑な事情があって危ないかもしれないなあ」
「そんな、危ない仕事はやめてくださいよ」
「まあ依頼受けちゃった以上はね。大丈夫、以前も似たような仕事したし」
「綿彦さん……」
「美味しいハンバーガーショップ見つけたんだ。本場のメニューが食べられるみたい。行こうよ」
「ハンバーガーは無理です。でも、サラダでもいいのなら」
「はは、決まりだ!」
仕事終わりに現れた綿彦と夜の街に繰り出した。この街では朝までやっている飲食店も少なくない。客同士はお互いに見知らぬ同士を貫くから、問題を起こさなければいざこざは起きないと最近学んだ。派手で明らかに怪しい客を見ても見て見ぬふりが一番いいのだ。
閉店間際のハンバーガーショップはまだ数人の客がいた。窓際の席に座ってカウンターで注文した料理を食べ始める。綿彦はグリルハンバーガーセット、葉音はシーザーサラダ。ドレッシングの油が気になったが綿彦が嬉しそうに食べているので、どこか許せる気分になり葉音も少しずつ食べ始めた。
「葉音ちゃん、今度休みの日にどこか遊びに行こうよ」
「良い場所ありますか?」
「うーん、春だからねえ。公園デートもいいんじゃない? 桜もだし、チューリップが綺麗に咲いているよ」
「デート……」
「今度車借りてくるよ、ドライブしよ」
「綿彦さん車乗れるんですか?」
「まあ、仕事で必要だしね。でもうちの車この間事故っちゃって、しばらくはレンタカーかな」
「事故って、大丈夫だったんですか」
「向こうにわざとぶつかられたの。俺の運転は安全運転よ?」
「……」
一体どんな仕事をしているのか、せめて健康でいて欲しい。そんな葉音の願いは届いているのか、綿彦は最後の一かけらを大きな口を開けて食べて、至極満足そうな顔をした。
「明日から一週間会えないよ。帰ってきたら、また遊ぼうね」
***
一週間が過ぎても綿彦は現れなかった。探偵事務所も見た限り明かりのついている様子もなく、綿彦はすっかり姿を消してしまった。その頃から葉音の調子も悪くなる。少しずつ食べられていた食事は、次第に嫌悪感を感じるようになり少し食べただけで吐き戻してしまうようになった。
「ゲホッ! ゴフ……ッ、おえ……ゴプ……ッ……」
何度目の嘔吐だろう。ここ数日はほとんど何も食べられていない。身体が吸収することを拒否しているようだ。飲み込んだ瞬間にざわざわとした言いようのない感覚が全身を襲いどうしたって吐き戻してしまう。かつての母の姿が見えた、あの頃には戻りたくない。例え幻だって母の姿を見たくないから、少しでも太っている自分を想像しただけで全身が震えるほどに嫌悪感を覚える。
上昇傾向にあった体重も日に日に下降し、以前よりも痩せてしまった。これ以上痩せたら仕事の体力もなくなってしまう。それはわかっているが、どうしたって食べられないのだ。
綿彦はまだ帰らないのか。
休みの日、葉音は痩せやつれた身体で、明かりもついていない綿彦の事務所を訪ねてみることにした。いなくても、何か手掛かりはわかるかもしれない。誰か職員がいるのならばその人に綿彦の消息を聞こう。
雑居ビルの三階、階段すらも真っ暗で気味が悪い。古いコンクリートはところどころひびや割れ目がある。
香原探偵事務所、ドアをノック、三回。しかし反応はなかった。やはり誰もいないのだろうか、そう思ってノブをひねってみると、開いている。さすがの綿彦も鍵を開けたまま留守にはしないだろう。
「あのー……、誰かいますか?」
事務所内は静かで物音一つしなかった。真っ暗で何があるのかもわからない、やはり誰もいないのだろうか。
「誰も、いませんか?」
「……なんだ?」
「ひっ」
突然頭上から声が聞こえた。いつの間にか薄暗い部屋の中に背の高い体格の良い男性が立っている。しかし、彼は綿彦ではない。
「ああ、あの、ここは香原探偵事務所……ですよね」
「そうだが?」
「綿彦さんはいませんか?」
その時だった。突然部屋の明かりがつく、ドア続きの向こうの部屋から見覚えのある人影が見えた。
「航、お客さん?」
「お前を訪ねて来たらしいぞ」
「ああ、葉音ちゃん!」
綿彦だ。しかしその姿はいつもの派手なシャツのボタンを開けてあらわになった上半身の腹部に固い包帯が巻かれている。声の調子は良いが顔色は悪くひどく体調が悪そうだ。
「綿彦さん……! なにがあったんですか?」
***
「葉音ちゃん、この人は皆藤航(かいとうわたる)俺の古い知り合いでね、いまは都内で金融会社の社長をやっているよ」
「はじめまして……」
「……」
「航、何か言いなよ。黙ってると怖いって自覚ある?」
「こう言う顔なんだから仕方がないだろう? 別に悪意を持って接しているわけではない」
航、と呼ばれた男性は無愛想だった。寄せられた眉、低い声も相まって、そのままだと少し怖い。しかし問題は綿彦の方だ。それはあまりに傷だらけの満身創痍な姿で……。
「あの、綿彦さん何があったんですか? 怪我ですか……?」
「はは、ちょっと仕事で失敗しちゃってねえ。警察沙汰は色々と面倒だから引いたけど、被害者はこっちでまさに骨折り損。手付金だけでも貰っておいて良かったよ」
「だ、大丈夫なんですか?」
「ああ、大丈夫大丈夫! すぐ治るよ」
しかし航はそんな調子のいいことを言う綿彦にあきれ顔だ。腕を組んでため息をつきじろりと綿彦を見る。
「恨みを買って腹部を刺されたんだ、大丈夫ではないだろう。息も絶え絶えに俺にもとに助けを求めに来て、一週間熱も下がらなかった。深い傷じゃないから良かったようなものの、本来なら入院して治療するような傷だぞ」
「だって、保険証なくしちゃったんだもん。医療費全額払えるほど持ち合わせはないし」
「化膿したら死ぬような傷だったんだ。幸い熱も下がってきたから良かったが、運が悪ければ……」
「葉音ちゃん、航は昔、警察官だったんだよ。多少の傷害事件には慣れてるから」
腹部を刺された、そんなの全然大丈夫じゃない。しかし綿彦も航もそう言ったことが以前から何度もあったようなどこか慣れている様子で、それほどまで深刻な顔はしていなかった。それがどうしても葉音には理解できなくて……。
「わ、綿彦さん……ううっ」
「えっ、なんで泣くの、葉音ちゃん」
「まあ、それが正常な反応だろうな。綿彦、お前は自分が思っているよりボロボロだぞ」
「ええー、そうかなあ。俺、元気だよ?」
「どこがだ」
腹部に巻かれた包帯の範囲は思ったより広く、傷のせいか綿彦は以前よりやつれた気がする。そして身体中には過去の細かな古傷があって、シャツの開いた胸元に見えたのは丁寧に縫合された大きな傷。たぶんあれが幼い時に受けたという心臓の手術の痕なのだろう。
「綿彦さん……綿彦さん……!」
「わ、そんなに泣かないでよぉ葉音ちゃん。俺は大丈夫だから、それより葉音ちゃんの方が痩せたんじゃない? 大丈夫?」
綿彦は自分のことを全然わかっていない。痩せた葉音も危ういが今の綿彦はきっとここの誰より死に近い。そんな自分よりも葉音の方を心配する綿彦が愛おしいを通り越してただ恐ろしかった。このまま、どこかに消えて今度こそ帰って来なくなりそうで。
それからしばらく、事務所は休業状態。葉音は仕事終わりにいつも綿彦のお見舞いに行った。数日に一回は航も同席する。会社の社長をしているとのことだったが思ったよりも暇なようだ。
「来たのか」
「航さん、こんばんは」
「綿彦は寝てるよ、起こすか?」
「ああ、寝ているのならいいです。傷は治って来ましたか?」
「まあ、ほとんど塞がっては来たよ。縫ったほうが治りは早かったんだろうが仕方がないな。コーヒー淹れるよ、飲むか?」
「甘くないですか?」
「ブラックがいいなら、それで」
インスタントコーヒーだったが豆をひいたばかりのようないい香りがした。古いやかんで沸かしたお湯を注ぎ、マグカップを二人分。ドアの向こうの部屋からは眠っている綿彦のいびきが聞こえて来た。
「綿彦さん、良くなってきたみたいでよかったです」
「傷は良いんだけどな、問題は心臓の方だ」
「生まれつきの……ですか」
「さっきも発作を起こしてようやく落ち着いて寝かせたところだ。いい加減病院にかかればいいのに一向に行こうとしない。まったく、大人のくせに自己管理もしようとしないで」
「そんなによくないんですか?」
「一回精密検査をしたほうがいいな。このままじゃいつか命に関わるぞ」
「……」
綿彦は苦しいとか辛いとかそんなことは何も言っていなかった。せっかく傷が治って心配も減るだろうと思っていたところなのに、彼の身体で何が起こっているのか。航は無表情ながらもどこか少し悲しげな顔をしている。
「俺はあいつの死を見届けるためにそばにいるんだ」
「え……?」
遠くを見るような目をして、航はそっと窓のカーテンを開けた。ほこりをかぶった使い古されたカーテンのむこうに、朝が来るのが見える。一日が始まる、どんな不安な心をも包み込むように。
***
「葉音ちゃん葉音ちゃん、金曜日暇ですか?」
「仕事は休みですけど……」
それからさらに一週間後、事務所に行くとにこにことご機嫌な綿彦が来客用のソファに転がってこちらを見ている。仕事終わりの葉音は綿彦のために近所のコンビニでコーヒーをテイクアウトしてきた。
「車で三十分くらいの自然公園なんだ。知ってるかなあ、大きな花畑があってね。もう桜は葉桜になっちゃったかもしれないけど一緒に行こうよ。車はレンタカー借りてくるから。前にデート行こうって言ってたでしょ?」
「運転なんて傷は大丈夫なんですか?」
「もう平気平気、痛みもほとんどないし。あ、コーヒーありがとう」
コーヒーを受け取った綿彦はすっかりご機嫌だった。仕事の方もそろそろ再開すると言っているが、またこんな傷害沙汰に巻き込まれてしまったらと思うと葉音は心配でならない。それに心臓も、結局未だに病院には行っていないらしい。
「僕は、楽しみにしてますけど……無理しないでくださいね」
「はは、よかった。じゃあ金曜日はデートだ!」
***
午前十時、約束の時間に葉音の自宅アパートの前には軽自動車が止まっていた。中では綿彦がいつもの派手なシャツを着て、長い髪をまとめ笑顔で手を振っている。
「おはよー! よく眠れた?」
「まあ、それなりに」
「ごめんねえ、軽自動車しか空きがなくてさ。ちょっと狭いけど乗って、ドライブだよ!」
「おじゃまします」
国道沿いを走ってしばらく、あたりの景色はビル群から住宅地や自然が多く見られるようになって来た。居場所を求めこの街にさまようようにやって来たが、少し離れたところから見ることをしなかった。穏やかな場所もあるものだ、葉音はまだこの街の全てを知らない。
「ああ、葉音ちゃん。後ろの席にあるコンビニの袋見て」
「これですか?」
「ミネラルウォーター入ってるでしょ。よかったらどうぞ。いつも葉音ちゃん買ってたから好きなのかと思って」
「ありがとうございます……ミネラルウォーターは、太らないからどこか許せる気がして飲んでいただけです。だからそんなに好きとかいう気持ちはなくて」
「最近は食事はとれているの?」
「綿彦さんが帰って来てからまた少しずつ食べられるようになってきました。あまりに甘いものや油っぽいものは駄目なんですけど、いくつか許せる食べ物はあって。それを少しずつ食べている毎日です」
「俺がいないと駄目なの?」
「何故かわからないけど、綿彦さんがいると思うと安心するんです。いつもは拒否してしまう食事もとってもいいのかなって」
「そうか、じゃあ俺まだ死ねないなあ」
綿彦と死、それはこの頃の葉音を不安にさせるものだった。どうか、どこにもいかないで。たった一人に執着している、それは葉音の人生で初めてのことだったかもしれない。両親のことはもう考えたくもないくらいに憎んでいたと言っても過言ではないのに。
「綿彦さん……健康でいてください」
「うん、考えてみる」
そう言う彼の笑顔が本当に心からそう思っているのかわからなくて怖い。綿彦はいつも本心をどこか明かさない。飄々として、明るく笑ってはいるがその内面は葉音にはわからないのだ。もう危ない仕事はしないで欲しい、でも彼が未だ探偵業を辞める気配はなかった。
***
「桜、まだ咲いてるよ、葉音ちゃん!」
一陣の風が吹き、周り一面にわっと赤く色づいた花びらが舞った。終わりかけの桜が公園内を彩っている。春風の中、綿彦とともに自然公園にやって来た。都心から少し離れてすっかり辺りはのどかな風景だ。
「桜だけじゃなく春のお花がいっぱい咲いていますね。きれい……」
「向こうはチューリップ畑があるって、行こう!」
周囲には親子連れも多い。その幸せそうな子供の姿を見て葉音は幼い頃を思い出す。こんな頃が確かにあった。今はもう会えない実の父が肩車をしてくれて、母は無邪気に笑っていた。今葉音の隣で笑っている綿彦の様に。
どうして思い出せなかったのだろう、母に対する感情はもう悪意だけになってしまって、本当はこうやって幸せだったこともあったのに。再婚した父が全てを壊してしまった。葉音のいままでのこの不幸せな思い出は全て父がもたらしたものだ。
「葉音ちゃん……?」
いつの間にか声に出さないまま葉音は黙って泣いていた。綿彦にあの日の実父を見る。優しい綿彦、今この幸せな風景を見ることが出来たのは、全て綿彦が今日この公園に連れて来てくれたから。
「綿彦さん……僕、ずっと不幸せでした。義理の父が最低な人で、父に逆らえなかった母も嫌いで。でも綿彦さんといたら忘れられそうです。その代わり今日のこのお花畑の思い出は全部忘れたくない。ずっと覚えていたいんです」
その言葉に綿彦はそっと葉音の髪を撫でた。いつものケラケラ笑う綿彦じゃない、あまりに優しく彼にしては穏やかな笑顔をして、黙って包み込むようにくしゃくしゃと葉音の髪を撫でまわす。
「忘れないで良いよ、俺も今日のことずっと覚えてるから。親が生きていてもさ、大変なことはあるんだねえ。うちは父親は幼い頃に母親は高校卒業してすぐ死んじゃったから」
「え……っ」
「病気だったから、仕方ないんだよ。でも実際天涯孤独になると、自分のことすらもどうでもよくなってしまってね。ただ自らに近く訪れる死を待っていることしか出来なかった」
「綿彦さんがいなくなってしまったら悲しいです……」
「ありがとう、葉音ちゃんにそう言ってもらえただけで俺は幸せなのかもしれないな」
チューリップ畑はいろんな色の花が咲いていた。その光景だけで心が癒されて行く気がする。この花々の様に色鮮やかな思い出をこれから先も作れるような、きっと生きていたらそれはかなう。そこには確かに救いがあった。
「葉音ちゃん、どうぞ」
売店で綿彦が葉音にアイスティーを買ってきてくれた。綿彦は子供の様に大きなソフトクリームを食べている。ベンチに座った二人は花に囲まれながら静かな時間を過ごしていた。
「最近、慌ただしかったからこんなゆったりとした時間を過ごすのは久しぶりだな」
「僕もです。自然の景色なんていつの間にか目にすることも忘れてしまってた。春っていいですね」
「夏も秋も、楽しいことはあるよ。また出かけようね、その時までには新しい車買うから」
「僕、勉強頑張ります。頑張って高校卒業してその先もずっと勉強は続けて、今の仕事を辞めていつか日向の道を歩けるようになったら、今度は僕が綿彦さんを素敵な場所に連れて行きます」
「はは、嬉しいねえ。どこに連れて行ってくれるの?」
「まだわからない……色々調べて考えておきますね。美しい景色の中でその時は僕も一緒にソフトクリームを食べられるようになっていたらいいな」
「楽しいことも美味しいものもいっぱいあるよ。葉音ちゃんはこれからだ」
やがて日が暮れて来た。明日は仕事もある、二人は車に乗って自宅に帰ることにする。都心に向かう道は少しずつ自然が失われてきて、今日一日がとても楽しかったぶんどこか空しく悲しいものだった。
「夕飯食べて行く?」
「いえ、なんか胸がいっぱいで食べられそうにないです」
「そっか、じゃあコンビニ寄ろう。せめて飲み物買ってあげるよ」
やがて車は繁華街までもうすぐのところに戻って来た。レンタカーは返却して、近くのコンビニへ。綿彦はコーヒーとコンビニ弁当を、葉音はいつものミネラルウォーターを買う。夢の中からすっかり現実に戻った感覚だ、綿彦は会計したペットボトルを葉音に渡し、自宅アパートまで送ってくれる。
「綿彦さん、今日は楽しかったです」
「俺も、また遊ぼうね。今度出かける楽しいところ、考えておくよ」
「楽しみにしてます」
「はは、じゃあねえ。おやすみ」
葉音はじっと綿彦の後姿を見送った。背中が離れていくことが、彼がそのまま消えてしまうのではないかと思って酷く不安になり恐怖を感じる。大丈夫、また会えるから。綿彦の姿はやがて小さくなり見えなくなった。
***
翌日、綿彦は現れなかった。いつも葉音の仕事終わりを待ち構えるように職場の前にいる彼の姿がない。仕事で忙しいのだろうか、ちらりと事務所の入っている雑居ビルを見る。明かりはついていない、出かけているのかもしれない。その日は一人、葉音は帰宅する。なに、たった一日連絡が取れないだけじゃないか。それでもまたなにかあったのかもしれないと、その日葉音はなかなか寝付くことが出来なかった。
しかし翌日、翌々日も綿彦は現れない。これはきっと何かあったのだと、葉音は事務所ビルの階段を上った。
「あの、綿彦さん……!」
事務所には今日も航が来ていた。葉音の姿に気が付くと中に入るように招き入れる。
「あの、綿彦さんと連絡が取れなくて」
その言葉にそっと航が促した先には、綿彦がソファに横たわっていた。
「綿彦さん……?」
ぎゅっと目を閉じて苦しげな顔をしている。額には冷や汗が浮いていて、顔色は青白い。葉音は思わず息を飲む。なにがあったのだろうか。
「ここ数日、動悸が酷いって寝込んでいるんだよ。多少眠ればマシにはなるんだが、すぐに悪化して寝たきり。まったく困ったものだな」
「そんな、病院行きましょうよ……!」
「嫌なんだってよ、こいつは人の言うことを聞かないからな」
「綿彦さん!」
その時、固く閉じられた目がうっすらと開く。葉音を確認すると寄せた眉を少し下げて綿彦は弱々しく笑った。
「なんだ……葉音ちゃん来てたの?」
「綿彦さん、大丈夫なんですか」
「はは、もうやだなあ。そんな顔しないでよ、平気だよこれくらい」
「でも……」
「大丈夫、もう仕事は終わったの?」
「終わりました、明日は休みです」
「もうそんな時間なんだ……なんか、お腹空いちゃったな」
「何か買ってきましょうか?」
「え? いいの? じゃあコンビニの焼きそばパン食べたい。朝から何も食べていないからお腹もうペコペコだよ」
「僕、買ってきますね……!」
そう言って事務所を飛び出していく葉音を、綿彦と航はじっと見つめている。
「良い子だよねえ、そうは思わない? 航」
「その良い子に心配をかけているのは誰だ?」
「……もし俺に何かあったら、葉音ちゃんのこと頼んだよ。あの子は一人にしておくにはまだ少し危うい。でも、これから先、きっと幸せになる子なんだ」
「あの子はきっとお前がいなくなったら泣くぞ」
「いつかは思い出になるでしょ、俺のことは忘れて良いよって伝えてあげて。いつまでも、こんな男を想う必要はない」
「罪作りなやつだな」
「俺は悪人だからね、あの子にはもったいないんだよ」
***
雑居ビルを出てすぐ、一人の痩せた中年女性とぶつかった。彼女は葉音をにらみつけ、夜の闇に消えていく。酔っぱらっているのかもしれない、厄介なことになっては困る。夜の街ではあまり関わらないほうがいい人種だ。
コンビニを二件回ったところで、綿彦が欲しがっていた焼きそばパンを見つけた。一緒に彼の好きなメーカーのコーヒーを買い、葉音はコンビニを後にする。空は薄明り、今日も朝がやって来るのだ。綿彦の体調が少しでも良くなるように、葉音からも病院を勧めてみよう。そう思って雑居ビルの階段を上り始めると、上の階でガラスの割れる音がした。女性の叫び声が聞こえる。
このビルは昼の間は何件かテナントが入っているが皆、夜十時前には営業を終えて閉店する。残っているのは事務所を住居と兼用にしている綿彦くらいのものだった。
葉音は不安になり、慌てて階段を駆け上がる。香原探偵事務所のドアは開け放たれて、一部のガラスが割れていた。奇声を上げている女性は先程ぶつかった女性だ。暴れる彼女を航が取り押さえている。
「な、なに……?」
「綿彦、葉音、逃げろ! こいつ刃物持ってる……!」
航の声に慌てた綿彦が葉音の手を引いて事務所を後にする。女性の目的は綿彦なのか、その姿を必死に追おうとしていた。
「葉音ちゃん、行こ!」
「わ、綿彦さん……!」
慌てて落としたコンビニの袋が階段を転がり落ちて行く。綿彦に手をひかれた葉音は雑居ビルから飛び出し、夜の終わりかけた繁華街を駆け抜ける。
「この前の依頼者だ」
「この前って、お腹を刺されたときですか?」
「浮気調査の依頼だったんだけど、あまり彼女にとって良い結果ではなくてね。逆恨みをしているんだ。思いつめて心を病んでしまったのか、刃物を振り回して来て油断した隙に刺された。やけに高額な手付金を渡してくるからそれを受け取ったぶん、こういうリスクは考えておくべきだった。捨て身になった人は強いよ」
「け、警察……!」
「さっき呼んだ、さすがにもう手が負えない。もう少しで来ると思うから、それまでちょっと身を隠していよう」
二人は明かりのついていない薄暗いビルの狭間に身を隠す。恐怖に震える葉音の背中をそっと綿彦はさすって安心させようとする。その時だ。
「うっ、ック、うう……っ、ぐ、う」
「綿彦さん!」
「だいじょ、ちょっと、くるし……」
「わ、綿彦さん……っ」
胸元を抑えて綿彦が苦しみ始めた。背中を丸めて、うずくまる。慌てた葉音が綿彦を抱きしめるが、痛みは治まらず、もがく綿彦はそのまま倒れこんだ。
「ど、どうしよう、綿彦さん!」
「はのん、ちゃ……っ……」
葉音の胸の中で綿彦は不規則な荒い呼吸を繰り返し苦しげな声を上げ続ける。どうしよう、葉音が必死に震える綿彦の背中をさすっていると一台のパトカーが目の前の道路を走り抜けた。事務所の方に向かっている、警察が来たのだ。
「綿彦さん、もう大丈夫、警察来ましたよ!」
「……」
綿彦は安心したかのように葉音の胸の中で長い息をつき、静かに目を閉じた。こわばった綿彦の身体からぐったりと力が抜ける。
「綿彦さん?」
痛みのあまり意識を失ってしまったのだろうか。それからさらにしばらくの間、二人がその場で隠れていると腕に傷を負った航がやって来た。
「航さん!」
「葉音、無事だったか」
綿彦は葉音に抱かれて横たわったままだった。航はそっとその身体に触れて、何か気づいたように静かに目を閉じる。
「綿彦さん、意識を失っちゃったみたいで。苦しくて堪えきれなかったのかもしれません。ねえ、このまま病院に連れて行きましょうよ」
「いや、その必要はない。葉音、綿彦の手を握ってやってくれ」
「航さん……?」
「もう、心臓が止まっているよ」
「え……」
葉音の胸の中にいる綿彦は、すでに呼吸をしていなかった。心臓が止まっている、呼吸もない。その事実が表すものとは……。
「わた、ひこさん……?」
航は黙って綿彦の頬に触れた。まだ温かい頬も、いくら触れても何の反応も示さない。もう綿彦はここにはいなくなってしまった。全ての終わり、綿彦の、終わり。
「い、いやだあ、綿彦さん……っ!」
絶望した葉音の悲鳴に近い声が、繁華街に響いて消えた。
***
綿彦の見送りは航と葉音だけで行った。安らかな顔をして目を固く閉じた綿彦のお棺にはあの日観に行ったのと同じチューリップの花を一緒に入れて、寂しくないように賑やかに送ったつもりだ。やがて小さな骨になった綿彦の骨壺を葉音は愛おしいもののように抱きしめる。
「家の墓は湘南の方にあるって言っていたな。でもあいつは自分の墓は別にどこでもいいって言っていた。そこに綿彦がいつまでもいるわけじゃない」
「……」
すっかりふさぎ込んだ葉音は、ここ一週間ほどもう仕事にも行けない状態にあった。無断欠勤してしまったから、きっと仕事はクビになるだろう。食事もとれない日々が続いている。
「葉音、これからどうするんだ」
「……綿彦さんと、約束したんです。今度は僕が彼を素敵な場所に連れて行ってあげるって。約束、守れなかったな」
「思い出だけでも抱えていれば、いつでも綿彦には会えるよ。でも、お前はこれからも生きて行かなきゃならないんだ。それだけは忘れるなよ」
「……」
「明日、これからの相談をしよう。お前にでも出来る仕事紹介してやるから」
しかし翌日、葉音は自宅アパートからも姿を消し、その後いくら探しても航はその消息を知ることは出来なかった。
***
夏も近づいたある日、一人の青年が自然の美しい山間の病院の前で保護された。言葉少ない彼はひどい摂食障害を患っており、口からもう栄養をとることはかなわずベッドに寝かされて経管栄養を施されてその生を保っていた。
すっかり痩せたその身体で今までどこをさまよっていたのかもわからない。しかし唯一持っていた鞄の中には数枚の着替えと小さな白い灰の入った小瓶を大切に持っていた。
月日とともに青年はやがて意識が混濁した状態になり、声を発することも不可能になった。行方不明届は出されていないようで彼の身元は誰にもわからない。枕元に置かれた小瓶に見守られて、青年は少しずつ弱って行く。
身に余るほどの不幸せが、一人の青年の人生を壊してしまった。これからの希望も約束も、大切なものはあったはずなのに。彼の心の支えになる人はもうどこにもいなかった。
やがて病室の窓から紅葉が見え始める頃に、青年は息を引き取った。それはたまたま看護師も誰もいない時間で、彼はたった一人で旅立ってしまったのだ。やせ細ってはいたがまだ若いはずのその身体で最期まで孤独な人生を送ってしまった。
しかし彼の死に顔はどこか満足そうで、長いこと待ちわびた人の迎えが来た時のような安らかで少し微笑んでいる顔に見えないこともない。彼はようやく、幸せな世界に逝けたのだろう。
彼が大切にしていた枕元の小瓶はいつの間にかどこかに消えてなくなってしまっていた。残された青年の気配は一陣の風が吹いて、静かに山の中に消えて行く。
(終わり)
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