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第五章 三国間宰相会議
第十九話 結婚してください
しおりを挟むグラディアトリア、パトラーシュ、コンラートは元々一つの大きな単一民族国家であったという。
やがて、鉱物資源に富んだ北と、豊かな耕地を有する南を支配する二つの家が台頭し、覇権を巡って内乱が勃発する。
前者が後のパトラーシュ、後者がコンラートである。
一方、グラディアトリアの前身は、当時中立に立って争いを収めようとした神職を担う一族だった。
結果的に国は三つに分断されてしまったものの、その後、異大陸からの侵略の脅威に対抗するため、パトラーシュとコンラートはグラディアトリアの橋渡しによって和解する。
以降、三国は現在に続くまで良好な関係を保ってきた。
パトラーシュ皇帝家とコンラート王家の子女が幼少期にグラディアトリアに留学し、グラディアトリアの皇子や皇女と寝食を共にしてお互いに親交を深めてきたことも功を奏している。
今回の三国間宰相会議は、三日間の日程で執り行われる。
先にグラディアトリアに到着したのは、パトラーシュの宰相シェリーゼリア・ロ・パトラーシュの一行。
現パトラーシュ皇帝の腹違いの妹でもあるシェリーゼリアは、亜麻色の長い髪と金色の瞳をした実に美しい女性だ。
女性騎士の制服をより華やかにしたようなジャケットとパンツで身を包み、踵の高い革靴を履いたその姿は、道中の護衛のために随行した屈強な騎士達、一個隊十名に囲まれても実に堂々として見えた。
その他、文官と侍女それぞれ三名ずつを連れて城門を潜ったシェリーゼリアは、まずは出迎えたグラディアトリアの宰相クロヴィスと握手を交わす。
彼らは同い年で、シェリーゼリアが八歳から十二歳まで四年間グラディアトリアに留学していたこともあり、兄妹あるいは姉弟のように育った。
二人して、グラディアトリアの前宰相であるシュタイアー公爵に師事し、机を並べて過ごした時間も人一倍長い。
そのため、気の置けない仲だ、と言えば聞こえはいいが……
「ごきげんよう、クロヴィス。相変わらず笑顔が胡散臭いわね」
「おやおや、シェリーこそ。底意地の悪さが隠しきれておりませんよ」
うふふ、ふふふ、と笑い合いながら、一見和やかに握手を交わしているはずなのに、彼らのまとう空気はなかなかに険悪だ。同属嫌悪とでもいうべきか。
そんな両宰相を苦笑いを浮かべて眺めるソフィリアの隣で、皇帝ルドヴィークが肩を竦める。
「あいつら相変わらずそっくりだな。二人とも、絶対腹の中真っ黒だぞ」
「――しっ、お静かに、陛下。閣下達に聞こえてしまいますよ」
かつては、シェリーゼリアをクロヴィスの許嫁にという話が上がったこともあったが、あまりに二人の相性が良くないため早々に立ち消えたという噂だ。
そんなシェリーゼリアが、ふいにソフィリアとルドヴィークの方を見た。
かと思ったら、クロヴィスを押しのけるようにして、カツカツと踵を鳴らして側までやってくる。
そうして、グラディアトリア皇帝に挨拶する――のではなく、その隣の補佐官の手を取ってにっこりと微笑んだ。
「直接会うのは久しぶりね、ソフィリア。いつも手紙の返事をありがとう」
「ごきげん麗しゅうございます、シェリーゼリア様。私こそ、お手紙をいただけて光栄に存じます」
そんな二人のやりとりに、とたんにルドヴィークが目を丸くする。
「は? ソフィとシェリーが文通だと? そんな話、聞いていないが!?」
「だって、パトラーシュの宰相とグラディアトリアの皇帝補佐官としてではなく、私とソフィリアの私的な文通ですもの。いちいちあなたに報告する義務なんてあります?」
「いや、だが……わざわざ手紙で何を話すんだ?」
「うふふ、女同士は話題に事欠かないのよ。まあ、あわよくばうちに引き抜こうと口説いてはいるんだけど、ソフィリアからはなかなか色良い返事はもらえないわねぇ」
引き抜き!? とぎょっとしたルドヴィークは、慌ててソフィリアをシェリーゼリアから引き離し、自分の後ろに隠した。
そんな彼の背中から、ソフィリアが困った顔を出す。
「シェリーゼリア様ったら、お戯れを。陛下をからかわないでくださいませ」
「あら、心外な。私は至って本気よ? それでなくても、ソフィリアみたいな優秀で気の利く可愛い文官、引く手数多でしょうに」
ひゅっと息を呑むルドヴィークに構わず、シェリーゼリアは、それに、と続けた。
「文通に関しては、ルリともしてるし、なんならスミレともしているわよ」
「は? ちょっとそれ、私も初耳なんですが!? 何、勝手に人の奥さんに手ぇ出してるんですか! それに、スミレともですって!?」
シェリーゼリアがルドヴィークをからかっている間はにこにこして傍観していたクロヴィスだが、ルリの名前が出たとたん、慌てて口を挟んできた。
シェリーゼリアがパトラーシュ宰相として三国間宰相会議のためにグラディアトリアを訪れるのは、今回が四度目である。
二度目にあたる八年前の来訪の際にルリとスミレと出会ったが、文通を始めたのはソフィリアがロートリアス公爵令嬢としてではなく文官として彼女を迎えた四年前の三国間宰相会議以降らしい。
永遠の好敵手ともいえるシェリーゼリアと妻のルリが個人的に交流していることにまったく気付いていなかったらしいクロヴィスが、珍しく取り乱す。
シェリーゼリアは彼を出し抜けたことに満足そうに微笑むと、でも、と続けた。
「ヴィオラント様は、私とスミレの文通をご存じみたいよ。封筒の宛名の字は毎回あの方ですもの。あれ、たぶん私に対する牽制でしょう。スミレに妙なことを吹き込むなっていうね」
「「あー……」」
これには、ルドヴィークもクロヴィスも、兄ならばさもあらん、と頷く。
ソフィリアは、シャリーゼリアとの間に立ち塞がったままのルドヴィークの背中を見上げて苦笑いを深めた。
そうこうしている内に、コンラートからも宰相の一行が到着する。
コンラートの宰相を務めるロレットー公爵は、すでに三十年余りその地位にある老練家で、クロヴィスやシェリーゼリアも深く尊敬する人物だ。
ずんぐりむっくりな体型とちょび髭の愛嬌のある風貌から、コンラートの国民にもたいそう慕われているという。
またソフィリアにとっては、個人的にも親しみを覚える相手でもあった。
「いやいやいや、ルドヴィーク様! お久しゅうございます! 姪がいつもお世話になっております!!」
出迎えに立ったルドヴィークの手を、ロレットー公爵のがそう言って握りしめる。
実は、ソフィリアの母の姉がロレットー公爵に嫁いでいるため、二人は伯父と姪の関係にあった。
ちなみに、この母の姉というのが実に奔放な人で、ロートリアス公爵家との縁談がまとまっていたにもかかわらず、結婚式の直前になってロレットー公爵と大恋愛の末に駆け落ちをしたという経緯の持ち主だ。
そんな姉の尻拭いのため、何の心の準備もないままロートリアス公爵家に嫁ぐことになった、当時まだ十六歳になったばかりの母を思えば、ソフィリアはどうにも心が痛む。
母が異様に体裁にこだわるのも、もしかしたら奔放な姉に対する反発心が原因なのかもしれない。
ともあれ……
「ご無沙汰しておりました、伯父様。お元気そうで何よりです。伯母様もお変わりありませんか?」
「うんうん、おかげさまで! 今回は、あいにく娘の出産と日程が重なってしまって同行できなかったけれど、家内もソフィリアとユリウスにとても会いたがっていたよ」
ロレットー公爵もその夫人となった伯母も、明るくて大らかな性格の憎めない人達だ。
ソフィリアやユリウスの誕生日には、成人して久しい今でもまだ欠かさず贈り物が届けられる。
彼らの恋愛劇の煽りを受けて意図せぬ結婚を強いられた母を思えば複雑ではあるが、ソフィリアはこの伯母夫婦を嫌いにはなれなかった。
コンラートの宰相一行の顔ぶれは、文官が四名、護衛騎士が五名と、パトラーシュに比べて少人数な上に男性ばかりだ。
ロレットー公爵は、そんな中で最も若い文官を側に呼び寄せ、ソフィリアとルドヴィークに紹介した。
「これは、末の妹の長男でございます。今回は、見聞を広めるために同行させました。まだまだ未熟者ですが、どうかよろしくお願いします」
「お初にお目にかかります、陛下。オズワルド・セラ・アンセルと申します」
伯父であるロレットー公爵とは似ても似つかぬすらりとした長身の彼は、コンラート王家に古くから仕えるアンセル侯爵家の長男。
その顔には、まだあどけなさが目立つ。
それでも、堂々とルドヴィークに挨拶をして見せたオズワルドは、十八歳になったばかりだという。
十八歳といえば、ちょうどソフィリアも人生の軌道が大きく変わる経験をした年齢だ。
今回が初めての外遊だという彼は、気さくに握手を求めたグラディアトリア皇帝の手を、緊張を滲ませながらもしっかりと掴んだ。
ソフィリアは、そんな少年の初々しい様子を微笑ましく思う。
ところが、ルドヴィークに続いて、いざ彼女がオズワルドと挨拶をかわそうとした時だった。
「――っ」
ソフィリアと向かい合って握手をしたとたん、オズワルド少年が分かりやすく息を呑んだ。
彼の顔がみるみる――それこそ熱があるのでは、と心配になるくらいに真っ赤に染まる。
そのくせ、痛いくらいにこちらの手を握り締めてくるものだから、さしものソフィリアも戸惑った。
「オズワルド? おやおや、どうしたんだい?」
「――はっ!」
ロレットー公爵が肩を掴んで声をかけると、オズワルドはここでやっと呼吸を思い出したかのように、大きく大きく息を吸う。
かと思ったら、今度は肺の空気を全部押し出すみたいに、ソフィリアに向かって大きな声で告げたのである。
「――けっ」
「……け?」
「――結婚! してくださいっ!!」
「えっ……!?」
いきなりのことに、ソフィリアはぽかんとした顔になる。
そんな彼女をオズワルドから引き剥がし、またしても自分の後ろに隠したのはルドヴィークだった。
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