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第1話「ようこそ、本社地獄へ」
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「東京の人間て、ほんまに笑わへんなぁ……」
舞子は地下鉄のホームで並ぶ人たちを見ながら、小さくぼやいた。大阪から出てきてまだ三日目。関西人なら自然と交わす「こんにちは」も「暑いですねぇ」も、ここでは存在しない。そりゃあ、心の中では思ってるんやろうけど、顔には出さへん。まるでみんな“感情フィルター”でもかかってるみたいや。
舞子、29歳。独身、彼氏なし。勤め先は大手化粧品メーカー「Ciel Cosme」。このたび、地方子会社の販売促進部から、まさかの東京本社への栄転――いや、左遷かもしれん――を命じられた。
新しい部署は、営業企画部。
担当は“マーケティングと社内提案書の作成”という、なんとも難解な響きのポジション。大丈夫か、自分。
「ほな、いってきまっせ~……はぁ、緊張するわ……」
初出社の日、舞子は東京本社ビルのガラス張りのドアを前に、深呼吸を三回繰り返した。
見上げるほどの高層ビル。大阪支社の三倍はあるやろな……いや、四倍や。
エレベーターに乗っただけで、耳がキーンってなるビルなんて初めてやで。
ようやく営業企画部のフロアに到着し、社員証をぶら下げたままオフィスの中に入る。
「おはようございますー! 本日からこちらでお世話になります、宮本舞子です! よろしくお願いします~!」
関西弁を隠すことなく、元気に挨拶。が、その瞬間――
「……」
場が、凍った。
誰も笑わん。微笑みさえない。
一人が「よろしくお願いします」と低く返しただけで、あとはカタカタとキーボード音が再開された。
(なにこれ……お通夜か?)
舞子は一瞬、自分が何か非常識なことでもしたんやろかと不安になった。
だが、その後案内役の女性社員(冷たそうやけど仕事はできそう)がぽつりと呟いた。
「うちは基本、静かにやる方針なんで……あ、こちらが宮本さんの席です。ここ、課長の隣です」
(……え、今なんて言うた?)
「課長の隣」――それが、この物語の始まりやった。
「おはようございます。本庄です。よろしく」
舞子の机の左隣。いつの間にか座っていた、本庄 誠(ほんじょう まこと)課長は、声だけでなく目も、冷たかった。
背筋を伸ばし、無駄のない所作。高そうな時計。黒髪はキッチリ七三に分けられ、白シャツがまぶしい。しかも、顔が整いすぎてて正直、見てるだけでちょっと照れる。
ただし……感情が、一切、見えへん。
「あっ、あの! 宮本舞子です。あの、東京は不慣れですけど、がんばりますので、何卒よろしゅうお願いしま――」
「声、大きいですね。落ち着いてください」
ピシャリ。
(うわあ、うわあ、マジもんの“氷の男”や……!)
社内で“本庄課長は冷たい”という噂は聞いてたけど、まさかここまでとは。
「業務は、まずこの資料を読んでください。理解できない用語があれば、メモして。確認は昼までに」
「あ、はい!」
「敬語が崩れています」
「す、すいま――じゃなくて、申し訳ありません!」
(うっわ! 素で関西弁出てもうた!)
その日の午前中、舞子は怒涛のマニュアルと業務資料に埋もれた。
なんとか理解しようとするものの、まるで企業経営学の講義を英語で受けてるみたいな気分。しかも、本庄課長の隣で。あの冷気、冷房じゃない。
昼休み、隣の席の菜々が声をかけてきた。
「……宮本さん、大丈夫?」
「もう無理やわ。心が凍傷になるレベル……ほんであの人、ほんまに人間なん?」
「課長ね。あの人は誰に対してもあんな感じよ。相手が社長でも態度変えないから、逆に信頼されてる」
「社長にも!?」
「うん。実際、ミスしても叱るときはビシッと叱るし、褒めることもちゃんとある。冷たく見えるけど、めちゃくちゃフェアな人。情には流されないけど、嘘もつかない。……まあ、好き嫌いは分かれるけどね」
(うーん……わからん。冷たすぎて、逆に興味湧いてまうやん)
午後も必死で業務にくらいつき、ようやく帰れる頃――
「宮本さん、今日のレポートの提出、明日じゃなくて今出せますか?」
本庄課長が、ふとそう声をかけた。
「あ、はい、ちょうど終わったとこです!」
PCでファイルをまとめて提出。すると、彼は少しだけ、ほんの少しだけ眉を動かした。
「……早いですね。内容も問題ありません。初日にしては、よくやったと思います」
「えっ……! ほ、ほんまですか?」
「はい。ただし、次からはもっと精度を上げてください。期待しています」
褒めたのか、注意されたのか、どっちやねん。けど――
たったそれだけで、なんか心があったかくなった。
「……こちらこそ、期待に応えられるよう、がんばります」
関西弁を抑えながら言ったその言葉に、本庄課長は特に反応せず、すっと立ち上がった。
そして一言。
「では、お先に失礼します」
(あかん……背中がかっこよすぎる……)
その時、舞子の中で、なにかが――ほんの小さく、**“始まって”**しまっていた。
舞子は地下鉄のホームで並ぶ人たちを見ながら、小さくぼやいた。大阪から出てきてまだ三日目。関西人なら自然と交わす「こんにちは」も「暑いですねぇ」も、ここでは存在しない。そりゃあ、心の中では思ってるんやろうけど、顔には出さへん。まるでみんな“感情フィルター”でもかかってるみたいや。
舞子、29歳。独身、彼氏なし。勤め先は大手化粧品メーカー「Ciel Cosme」。このたび、地方子会社の販売促進部から、まさかの東京本社への栄転――いや、左遷かもしれん――を命じられた。
新しい部署は、営業企画部。
担当は“マーケティングと社内提案書の作成”という、なんとも難解な響きのポジション。大丈夫か、自分。
「ほな、いってきまっせ~……はぁ、緊張するわ……」
初出社の日、舞子は東京本社ビルのガラス張りのドアを前に、深呼吸を三回繰り返した。
見上げるほどの高層ビル。大阪支社の三倍はあるやろな……いや、四倍や。
エレベーターに乗っただけで、耳がキーンってなるビルなんて初めてやで。
ようやく営業企画部のフロアに到着し、社員証をぶら下げたままオフィスの中に入る。
「おはようございますー! 本日からこちらでお世話になります、宮本舞子です! よろしくお願いします~!」
関西弁を隠すことなく、元気に挨拶。が、その瞬間――
「……」
場が、凍った。
誰も笑わん。微笑みさえない。
一人が「よろしくお願いします」と低く返しただけで、あとはカタカタとキーボード音が再開された。
(なにこれ……お通夜か?)
舞子は一瞬、自分が何か非常識なことでもしたんやろかと不安になった。
だが、その後案内役の女性社員(冷たそうやけど仕事はできそう)がぽつりと呟いた。
「うちは基本、静かにやる方針なんで……あ、こちらが宮本さんの席です。ここ、課長の隣です」
(……え、今なんて言うた?)
「課長の隣」――それが、この物語の始まりやった。
「おはようございます。本庄です。よろしく」
舞子の机の左隣。いつの間にか座っていた、本庄 誠(ほんじょう まこと)課長は、声だけでなく目も、冷たかった。
背筋を伸ばし、無駄のない所作。高そうな時計。黒髪はキッチリ七三に分けられ、白シャツがまぶしい。しかも、顔が整いすぎてて正直、見てるだけでちょっと照れる。
ただし……感情が、一切、見えへん。
「あっ、あの! 宮本舞子です。あの、東京は不慣れですけど、がんばりますので、何卒よろしゅうお願いしま――」
「声、大きいですね。落ち着いてください」
ピシャリ。
(うわあ、うわあ、マジもんの“氷の男”や……!)
社内で“本庄課長は冷たい”という噂は聞いてたけど、まさかここまでとは。
「業務は、まずこの資料を読んでください。理解できない用語があれば、メモして。確認は昼までに」
「あ、はい!」
「敬語が崩れています」
「す、すいま――じゃなくて、申し訳ありません!」
(うっわ! 素で関西弁出てもうた!)
その日の午前中、舞子は怒涛のマニュアルと業務資料に埋もれた。
なんとか理解しようとするものの、まるで企業経営学の講義を英語で受けてるみたいな気分。しかも、本庄課長の隣で。あの冷気、冷房じゃない。
昼休み、隣の席の菜々が声をかけてきた。
「……宮本さん、大丈夫?」
「もう無理やわ。心が凍傷になるレベル……ほんであの人、ほんまに人間なん?」
「課長ね。あの人は誰に対してもあんな感じよ。相手が社長でも態度変えないから、逆に信頼されてる」
「社長にも!?」
「うん。実際、ミスしても叱るときはビシッと叱るし、褒めることもちゃんとある。冷たく見えるけど、めちゃくちゃフェアな人。情には流されないけど、嘘もつかない。……まあ、好き嫌いは分かれるけどね」
(うーん……わからん。冷たすぎて、逆に興味湧いてまうやん)
午後も必死で業務にくらいつき、ようやく帰れる頃――
「宮本さん、今日のレポートの提出、明日じゃなくて今出せますか?」
本庄課長が、ふとそう声をかけた。
「あ、はい、ちょうど終わったとこです!」
PCでファイルをまとめて提出。すると、彼は少しだけ、ほんの少しだけ眉を動かした。
「……早いですね。内容も問題ありません。初日にしては、よくやったと思います」
「えっ……! ほ、ほんまですか?」
「はい。ただし、次からはもっと精度を上げてください。期待しています」
褒めたのか、注意されたのか、どっちやねん。けど――
たったそれだけで、なんか心があったかくなった。
「……こちらこそ、期待に応えられるよう、がんばります」
関西弁を抑えながら言ったその言葉に、本庄課長は特に反応せず、すっと立ち上がった。
そして一言。
「では、お先に失礼します」
(あかん……背中がかっこよすぎる……)
その時、舞子の中で、なにかが――ほんの小さく、**“始まって”**しまっていた。
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