視える宮廷女官 ―霊能力で後宮の事件を解決します!―

島崎 紗都子

文字の大きさ
53 / 76
第4章 え? あたしが夜伽! それだけは勘弁してください

15 皇太后のお越し

しおりを挟む
「もうすぐ出産ですね、皇后さま」
 皇后を気遣い、凜妃は毎日のように永明宮にやって来た。
 皇后はお腹に手を当てた。
 いつ産まれてもいいように、すでに侍医や産婆たちも待機している。
「とにかく、お気持ちを強くもたれることです皇后さま。そういえば最近、書道はおやりにならないのですか?」
 凜妃はちらりと卓を見やる。
 そこには硯と墨、薄紙が置かれているが、しばらく使用された形跡はなかった。
 一時期、気鬱状態だった皇后は、塞ぎ込んで趣味の書道すらやる気が起きないと言い、手をつけなかった。
 まさか、まだ鬱々としたものを引きずっているのではと凜妃は心配したのだ。
「最近は子の準備で忙しくてそれどころではなかったわ」
「そうですね。たくさん刺繍をされたみたいですものね」
 確かに長椅子の周りには産まれてくる赤子のものが山のように積まれていた。
「蓮花が言うのよ。蓮花の故郷では、産まれてくる子のために刺繍の入ったものをたくさん縫うと、子が病気もせず元気に育つと。ねえ、蓮花?」
「はい、縫えば縫うほどそれはもう、ご利益が増すのです」
 凜妃はなるほど、と頷いた。
「皇后さまがお元気になられて私も本当に嬉しいです。でも、あまり根を詰めるのはかえって身体によくないわ。たまには趣味の書道をなさるのもよい息抜きになると思うの」
「ふふ、凜妃は本当に優しいのね」
「皇后さまのためですもの。ああ、そうでしたわ、久しぶりに皇后さまの好きな菓子を作ってきたの。どうぞ召し上がってください」
 凜妃は侍女に合図する。
 侍女は皇后の前に菓子の乗った皿を差し出した。
 皿の上にはトウモロコシの粉、大豆粉、白砂糖、甘い香りのキンモクセイを練って円錐形にした蒸したもの、小窩頭シヤオウォトウであった。もちもちとした食感の、簡単にいえばトウモロコシの蒸しパンのような菓子だ。
「皇后さま、もうすぐ恵医師が安胎薬を煎じて持ってくると思うので、おやつはその後にいただいたらいかがでしょう」
「そうね」
 蓮花はいったん、凜妃の侍女から菓子を受け取った。
 皿を下げようとした蓮花の足が、その声によって止まる。
「皇太后のおなり」
 皇后を始め、この場にいるみなが緊張した面持ちで皇太后を迎えた。
 蓮花も後宮に来て、初めて皇太后と顔を合わせることになる。
 挨拶をしようとする皇后の手を、皇太后は取った。
「あなたは身重なのだから、挨拶はいいのよ」
「ありがとうございます、皇太后さま」
 皇太后はそのまま皇后を長椅子に座らせ、自分も隣に腰をかける。
 侍女が皇太后にお茶を差し出した。
「もうすぐ出産だと聞いて様子を見にきたの。顔色も悪くないようで安心したわ」
「はい。皇太后さまが私のためにお祈りをしてくださったと聞きました。おかげで、無事、出産を迎えられそうです。皇太后さまには感謝の言葉もございません」
「いいのよ。その子は陛下の子であり、私の大切な孫なのだから、くれぐれも身体には気をつけなさい」
 次に、皇太后の目が凜妃に向けられた。
「凜妃もずっと皇后を支えてくれて頼もしいわ。あなたは慎み深く、善良な妃だから、皇后の側にいてくれて私も安心です」
「過分なお言葉、身に余る光栄。ですが、私は何もしておりません。すべては皇太后さまと皇后さまの人徳のたまものです」
「相変わらず謙虚ね。後宮のみんなが、あなたのように穏やかで優しい人柄ならよいのに」
 いいえ、と凜妃は恥ずかしそうに首を振る。
「家柄も低く、子もできない私の取り柄など、このくらいしかございません」
 皇太后は凜妃の手をとり、優しくなでた。
「皇后の出産が無事に終えたら、あなたの昇格を私から陛下に伝えておきましょう」
「私はこうして皇后さまにお仕えできるだけで幸せですから」
「本当に優しいのね。あなたはまだ若くて美しい。早く陛下の子を産みなさい。後宮で自分の立場を確固たるものにするには、やはり子がいなければだめ」
「はい、肝に銘じておきます」
 蓮花はちらりと凜妃に視線をやる。
 なんとか口元に笑みを浮かべているが、凜妃の顔はどこか辛そうであった。
 子がいないというだけで、後宮にいる女たちはどんなに肩身の狭い思いをするのか。
 将来の不安もある。
 思えば、後宮に来て数ヶ月が経とうとするが、陛下が凜妃の元に通うところを見たことも聞いたこともないような気がした。
 だって、子ができる云々の前に、陛下が通ってくれなければどうしようもないじゃん、と、思うが、その陛下の寵愛を勝ち取るのも妃嬪たちの仕事なのだ。
 皇太后は満足そうに頷いた。そして、次に蓮花に視線を向けた皇太后の目が見開かれた。膝に置いた手が小刻みに震えている。
「おまえ……名はなんというの?」
「蓮花です、皇太后さま」
 蓮花と、皇太后は小声で名を繰り返す。
「蓮、蓮の花……母の名は?」
 なぜ、母の名前を聞いてくるのだろうと思ったが、蓮花は素直に答える。
「笙鈴です」
 母の名を聞いた途端、皇太后の顔がみるみる青ざめていくのが分かった。
 まるで母のことを知っているような様子ではないか。
「なんてこと……」
「あの?」
 どうして母の名を尋ねるのか、そして、母の名を聞いた途端顔色を変えたのはなぜか。
 そのことを尋ねようと口を開こうとしたところへ、陛下がやって来た。
 皇后の様子を気にかけ部屋に入ってきた赦鶯は、皇太后を見て挨拶をする。
「母上もおいででしたか。最近、体調があまりよくないと聞き心配しておりました。なかなか見舞いに行けず、申し訳ございません」
「かまわない。おまえは政務で忙しいのだから、私のことは気にかけずともよい」
「政務が落ち着いたら必ずご挨拶に伺います」
「侍医がいる。問題ない」
 素っ気なく言い、皇太后は立ち上がった。
「お見送りをいたします」
 この場にいる者は、いっせいに去って行く皇太后に頭を下げた。
 蓮花は不思議そうな目で陛下と皇太后を交互に見つめていた。
 親子だというのに、ぎこちないものを感じたからだ。
 それにしても、皇太后はなぜ、母の名を聞いてきたのだろうか。
 もしかして母のことを知っているのか? 母はこの後宮で働いていたことがあった?
 いやいや、そんなはずないよね。だって、宮廷なんて無縁だもの。皇太后とは次にいつ会えるだろう。できるなら、ここにいるうちにもう一度会って聞いてみたい。会って、なぜ母の名前を聞いて顔色を変えたのか知りたい。
 蓮花は去って行く皇太后の後ろ姿を、じっと見送った。


 とある部屋で、呪詛の呪文を唱える女がいた。
 ろうそくだけが灯る薄暗闇の中、女は手に人型を模した木の人形を持ち、その胸に針を何本も突き刺した。
「あんな邪魔な女など、死んでしまえ!」
 呪いの言葉を吐き、禍々しい文字が書かれた紙をろうそくの炎で焚きつけていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

同窓会に行ったら、知らない人がとなりに座っていました

菱沼あゆ
キャラ文芸
「同窓会っていうか、クラス会なのに、知らない人が隣にいる……」  クラス会に参加しためぐるは、隣に座ったイケメンにまったく覚えがなく、動揺していた。  だが、みんなは彼と楽しそうに話している。  いや、この人、誰なんですか――っ!?  スランプ中の天才棋士VS元天才パティシエール。 「へえー、同窓会で再会したのがはじまりなの?」 「いや、そこで、初めて出会ったんですよ」 「同窓会なのに……?」

後宮の偽花妃 国を追われた巫女見習いは宦官になる

gari@七柚カリン
キャラ文芸
旧題:国を追われた巫女見習いは、隣国の後宮で二重に花開く ☆4月上旬に書籍発売です。たくさんの応援をありがとうございました!☆ 植物を慈しむ巫女見習いの凛月には、二つの秘密がある。それは、『植物の心がわかること』『見目が変化すること』。  そんな凛月は、次期巫女を侮辱した罪を着せられ国外追放されてしまう。  心機一転、紹介状を手に向かったのは隣国の都。そこで偶然知り合ったのは、高官の峰風だった。  峰風の取次ぎで紹介先の人物との対面を果たすが、提案されたのは後宮内での二つの仕事。ある時は引きこもり後宮妃(欣怡)として巫女の務めを果たし、またある時は、少年宦官(子墨)として庭園管理の仕事をする、忙しくも楽しい二重生活が始まった。  仕事中に秘密の能力を活かし活躍したことで、子墨は女嫌いの峰風の助手に抜擢される。女であること・巫女であることを隠しつつ助手の仕事に邁進するが、これがきっかけとなり、宮廷内の様々な騒動に巻き込まれていく。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。 そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室? 王太子はまったく好みじゃない。 彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。 彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。 そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった! 彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。 そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。 恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。 この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?  ◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 R-Kingdom_1 他サイトでも掲載しています。

【完結】『左遷女官は風花の離宮で自分らしく咲く』 〜田舎育ちのおっとり女官は、氷の貴公子の心を溶かす〜

天音蝶子(あまねちょうこ)
キャラ文芸
宮中の桜が散るころ、梓乃は“帝に媚びた”という濡れ衣を着せられ、都を追われた。 行き先は、誰も訪れぬ〈風花の離宮〉。 けれど梓乃は、静かな時間の中で花を愛で、香を焚き、己の心を見つめなおしていく。 そんなある日、離宮の監察(監視)を命じられた、冷徹な青年・宗雅が現れる。 氷のように無表情な彼に、梓乃はいつも通りの微笑みを向けた。 「茶をお持ちいたしましょう」 それは、春の陽だまりのように柔らかい誘いだった——。 冷たい孤独を抱く男と、誰よりも穏やかに生きる女。 遠ざけられた地で、ふたりの心は少しずつ寄り添いはじめる。 そして、帝をめぐる陰謀の影がふたたび都から伸びてきたとき、 梓乃は自分の選んだ“幸せの形”を見つけることになる——。 香と花が彩る、しっとりとした雅な恋愛譚。 濡れ衣で左遷された女官の、静かで強い再生の物語。

月華後宮伝

織部ソマリ
キャラ文芸
★10/30よりコミカライズが始まりました!どうぞよろしくお願いします! ◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――? ◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます! ◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

処理中です...