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新書【現代日本の狐憑き――民俗信仰と精神症状のはざまで】 著:伊佐 和太

第5章:現代の憑き物事例の、5-3節より抜粋

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 実例③ 六守谷町における狐憑き事例(平成28年)

 本事例は、平成28年に矢隈市六守谷町で実際に発生した「狐憑き」とされる現象について記録したものである。対象者は、当地に居住する当時14歳の女子中学生(以下、A子)である。

 A子の異変が家族に発覚したのは、同年6月下旬のことだった。深夜、家族が就寝した後、A子がひとりで押し入れに向かって話しかけているのを母親が目撃した。会話の内容は断片的であったが、「あれはもうない」「ここに入れてあげる」といった、誰かと交信するような口調であったという。

 その翌日から、A子は食事に極端な偏りを見せるようになる。食肉以外のあらゆる食品を拒絶し、白飯や野菜、菓子類などには一切手をつけなかった。学校では教員に対し「くさい」と発言し、同級生に対する暴力行為も数回確認された。学校側の勧めにより精神科クリニックを受診した結果、診断名は統合失調症、あるいは妄想性障害の初期とされた。

 しかし、投薬治療を開始したにもかかわらず、A子の症状はさらに進行した。近隣の住宅に向かって「戻ってきた」「森に入れろ」と繰り返し叫ぶようになり、夜間には自室から「四つん這いで走るような音」が聞こえると家族は証言している。

 また家族は以下のようにも証言している。
「A子の声じゃなかった。女の子の声ではない。年寄りでも、男でもない。獣が威嚇するときのような声でした。なのに、口元は笑っていたんです。歯を見せて――」(母親の聞き取り記録より)

 六守谷町に古くから暮らす高齢者の一部は、この異変について「森がなくなった祟りや」と語っている。
 かつてこの地域には「マルツカの森」と呼ばれる広葉樹の薮があり、村内に狐憑きが発生した際には、森の中にある自然石の前に供えた赤飯やアブラゲ飯を憑かれた者に食べさせたうえで、村の力持ちとされる者が「ジョウサンの森」と呼ばれる八田丘陵にある森へ連れて行き、滝に打たせて憑き物を落とすという風習が存在していた(『六守谷町口伝集成』昭和41年版参照)。

 しかし現在、マルツカの森およびジョウサンの森はともに宅地造成のため伐採され、跡地には戸建て住宅が立ち並んでいる。
 またA子の実家は、かつてのマルツカの森の南端に隣接していた場所にある。

 同年8月、症状の悪化により通院での治療は困難と判断され、A子は矢隈市立病院の精神科病棟に入院。
 入院から1週間後、症状は急速な沈静化を見せた。記録上の最終診察日は8月23日であり、ほとんどの症状が寛解状態に入ったとされる。ただし、A子自身が退院を望むことはなく、そのまま施設内の教育プログラムへと移行し、現在(令和5年6月)に至っている。

 なお、A子は発症期間中の記憶を喪失しており、唯一意味のある発言として、入院後まもなく看護師に以下のように語ったという:

「あれ、わたしのなかにいる。マルツカがなくなって、居場所がないって。だから、あたしんちにきたんやって」

 この発言の真意については、A子自身も説明できずにいる。

 なお、この事例との直接的な因果関係は不明であるが、A子の入院後、家族は六守谷町を離れ、矢隈市内の別地域に転居した。旧居は売却に出されたものの、7年を経た現在に至るまで買い手はついていない。この点を付記するのは、A子の発症において住環境、すなわち「かつて信仰の対象であった森の喪失とその跡地そばでの生活」が何らかの影響を及ぼした可能性を否定しきれないためである。
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