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月代葵
汚れた衣類
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葵は自室のベッドに腰を下ろした。
廊下の奥から、一定のリズムで水の落ちる音がかすかに聞こえてくる。
隼人がまだ浴室にいる証拠だった。
しばらく、その音をただ聞いていた。
冷え切った体が温まっていく光景を思い浮かべると、ほんの少しだけ肩の力を抜くことができた。
けれど、心の奥にはまだ、重く冷たいものが沈んでいた。
──あとほんの少し遅れていたら、あのまま隼人さんは息をしていなかったかもしれない。
ほどなくして、脱衣所のドアが開く音がした。
葵は廊下に顔を覗かせる。
見ると、隼人の髪はまだ濡れており、頬には湯気が残っていた。
「ドライヤー、使ってくださいね。洗面台の引き出しに入ってます」
「すみません、お借りします」
短い返事。だが、その声には、先ほどまでの震えがもうなかった。
やがて、ドライヤーの風の音が廊下に響き、それが止むと、静かな足音が近づいてきた。
現れた隼人は、さっきの泥にまみれた姿が嘘のようだった。
頬に血の色が戻り、わずかだが、目にも光が宿っている。
「すみません、着替えまで用意していただいて。これ、買ってくださったんですよね。もちろんお金は払います」
そう言って、隼人は頭を下げた。
葵は小さく首を振る。
「気になさらないでくださいね。あ、汚れた服は洗濯するので、カゴに入れておいてください」
「ありがとうございます。でも、そこまで甘えるわけには……それに、洗ってもこの泥は落ちなさそうです。もったいないけど、処分します」
「そうですか。分かりました。では、うちで処分しておきますね。ビニール袋を取ってきますから、ちょっと待っててください」
葵は自室に戻り、ゴミ箱用のビニール袋を手にして再び戻った。
手渡すと、隼人はまた頭を下げた。その仕草には、まだ少し硬さが残っている。
「温かい飲み物でもいかがですか?」
葵の言葉に、隼人は「ありがとうございます」とわずかに口元をほころばせた。
二人で階下へ降りる。
靴脱ぎ場で、隼人が視線を落とした。
「この靴も……もうダメそうですね」
「何か、あったかしら」
葵は下駄箱を開け、少し考えてから、クロッカスを取り出した。
近所へ出るときに自分が履いているものだ。
「今の時期には少し寒いですけど、これなら隼人さんにも履けると思います」
隼人が感謝を述べるのを聞きながら、葵ははっとした。
「……あ、靴下、買い忘れてました」
思わず頭を押さえると、隼人がやんわりと笑った。
「大丈夫です。帰りにどこかで買いますから。すみません、これ、お借りしますね」
その笑顔を見て、葵の胸の奥にあった緊張がようやく緩んだ。
「じゃあ、コーヒーを淹れますね」
葵はカウンターに入り、ケトルに水を入れて火にかけた。
湯が沸くまでのあいだ、カウンターに座る隼人の顔を盗み見る。
隼人は手で髪を梳かしながら、窓のほうをぼんやりと眺めていた。
命を落としかけたばかりだというのに、その場所を無感動に見つめる――その姿が、妙に葵の胸に引っかかった。
湯が沸く音に我に返り、二人分のコーヒーを淹れる。
カップを置いて、葵は尋ねた。
「お隣、座ってもいいですか?」
隼人が頷いたので、葵は静かにスツールを引き、腰を下ろした。
隼人はミルクと砂糖を入れたカップを両手で包み込むように持ち、そっと啜った。
葵もコーヒーの香りを味わってから、カップに口をつける。
しばらくは互いに言葉もなく、ただ静かにコーヒーを飲んだ。
少しして、葵はカップを置き、口を開く。
「いったい……何があったんですか?」
隼人はしばらく沈黙していた。
目の焦点が遠く、何を言葉にすべきかを探しているような表情だった。
「……しずめはいた。でも、それは美月じゃなかった……」
かすれた声で、ようやくそう言った。
葵は言葉を挟むことができず、ただ次の言葉を待つ。
隼人は数呼吸ののち、再び口を開いた。
「森は、神は、たぶん……オレが思っていたようなものじゃなかった」
その視線の先には、ガラス窓の向こう──薄日を浴びる向かいの家があった。
そして、そこで何を体験したのか。
彼は語り始めた。
葵はただ息を殺して、その話に耳を傾けた。
廊下の奥から、一定のリズムで水の落ちる音がかすかに聞こえてくる。
隼人がまだ浴室にいる証拠だった。
しばらく、その音をただ聞いていた。
冷え切った体が温まっていく光景を思い浮かべると、ほんの少しだけ肩の力を抜くことができた。
けれど、心の奥にはまだ、重く冷たいものが沈んでいた。
──あとほんの少し遅れていたら、あのまま隼人さんは息をしていなかったかもしれない。
ほどなくして、脱衣所のドアが開く音がした。
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見ると、隼人の髪はまだ濡れており、頬には湯気が残っていた。
「ドライヤー、使ってくださいね。洗面台の引き出しに入ってます」
「すみません、お借りします」
短い返事。だが、その声には、先ほどまでの震えがもうなかった。
やがて、ドライヤーの風の音が廊下に響き、それが止むと、静かな足音が近づいてきた。
現れた隼人は、さっきの泥にまみれた姿が嘘のようだった。
頬に血の色が戻り、わずかだが、目にも光が宿っている。
「すみません、着替えまで用意していただいて。これ、買ってくださったんですよね。もちろんお金は払います」
そう言って、隼人は頭を下げた。
葵は小さく首を振る。
「気になさらないでくださいね。あ、汚れた服は洗濯するので、カゴに入れておいてください」
「ありがとうございます。でも、そこまで甘えるわけには……それに、洗ってもこの泥は落ちなさそうです。もったいないけど、処分します」
「そうですか。分かりました。では、うちで処分しておきますね。ビニール袋を取ってきますから、ちょっと待っててください」
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手渡すと、隼人はまた頭を下げた。その仕草には、まだ少し硬さが残っている。
「温かい飲み物でもいかがですか?」
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隼人が感謝を述べるのを聞きながら、葵ははっとした。
「……あ、靴下、買い忘れてました」
思わず頭を押さえると、隼人がやんわりと笑った。
「大丈夫です。帰りにどこかで買いますから。すみません、これ、お借りしますね」
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「じゃあ、コーヒーを淹れますね」
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「お隣、座ってもいいですか?」
隼人が頷いたので、葵は静かにスツールを引き、腰を下ろした。
隼人はミルクと砂糖を入れたカップを両手で包み込むように持ち、そっと啜った。
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葵は言葉を挟むことができず、ただ次の言葉を待つ。
隼人は数呼吸ののち、再び口を開いた。
「森は、神は、たぶん……オレが思っていたようなものじゃなかった」
その視線の先には、ガラス窓の向こう──薄日を浴びる向かいの家があった。
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