猫、時々姫君

篠原皐月

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第2章 悲喜こもごも王宮ライフ

5.お姫様教養課程

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「こんにちは、シェリル。昨夜は良く眠れたかしら?」
「はい、王妃様。とても良く眠れ」
「シェリル?」
 穏やかに挨拶をしてきたミレーヌに、シェリルは頭を下げかけたが、途端に咎める様な声が頭上から降って来た為、慌てて言い直した。

「あ、えっと……。ミレーヌ様、とても良く眠れました」
「それは良かったわ。途中で眠くなってしまったら、残念ですもの」
 言葉遣いを改めると、すぐに笑顔で応えてくれたミレーヌに安堵しつつ、シェリルは尻尾を揺らしながら問いかけた。

「今日は、何をするんですか?」
「一緒に音楽を聴こうと思っているの」
「音楽?」
 これまでの日常で触れる機会が少なかった単語にシェリルが首を捻ると、ミレーヌが解説してきた。

「世の中には歌う事や、楽器を演奏する事を生業とする人達が居るの。シェリル達はそういう人達の演奏を、聴いた事が無いのではないかと思って」
「はい、無いです。でも、そういう事がお仕事になるんですか? 何回か街で楽器を鳴らしている人を見かけた事は有りますが、ああいうのは自分の楽しみの為にするものではないんですか?」
 いまいちピンとこなかったシェリルが真顔で尋ねると、ミレーヌは優しく言い聞かせてくる。

「そういう事を生業にできる人間は、卓越した技量を持っているからなの。だから自分には無理な技巧の演奏を聴いて、鑑賞するのよ。こういうのも貴族の教養の一つなの」
 それを聞いたシェリルは、自分なりに納得して頷いた。

「……何となく分かりました。それならミレーヌ様と一緒にその人達の演奏を聴く事が、今日のお勉強なんですね?」
「そういう事。最初から堅苦しい事をさせるのはどうかと思って。どうかしら?」
「はい、それなら大丈夫そうです」
「良かった。それではそろそろ楽師達がやってくる時間だから、念の為に人間の言葉は暫く喋らない様にして貰える? 急に言葉を話して彼等を驚かせたり、不審がらせたくはないの」
「分かりました」
 ミレーヌの申し出に尤もだと頷いたシェリルは、首輪の中央の翠の石に触れて会話の為の術式を解除した。そしてミレーヌの合図と共に周囲の侍女達が場所を整え始め、室内にぽっかりと空いた空間の前に、据わり心地の良さそうな布張りの椅子が一つだけ置かれる。
 その様子をシェリルは邪魔にならない場所で興味深そうに眺めていたが、急に屈み込んだミレーヌに抱き上げられ、思わず悲鳴を上げた。

「じゃあ、あなたの席はここね?」
「うみゃ!?」
 そうして用意された椅子に座り、ゆったりとした背もたれに背中を預けたミレーヌの膝に収まる羽目になったシェリルは、動揺してそこから床に飛び降りようかどうしようかと迷う素振りを見せたが、楽師たちが続々楽器片手に入室して来るのに笑顔で応えながら、ミレーヌが釘を刺してくる。

「シェリル、良い子にしていてね?」
「みゅうぅ~」
 輝くばかりの笑顔に逆らえるわけも無く、シェリルは大人しくミレーヌの膝の上で丸まった。そして密かに心の中で愚痴を零す。

(うぅ……、ミレーヌ様、絶対面白がってる。膝の上だなんて、もの凄く緊張するんだけど!?)
 そうこうしているうちに、やって来た五人の楽師の中でも代表らしい壮年の男がミレーヌに簡単に口上を述べ、彼女達の間で幾つかのやり取りが交わされてから、演奏が始まった。
 最初は緊張して硬くなっていたシェリルだったが、室内に流れるメロディーを聴いているうちに、無意識にそれに合わせて体を揺らし始める。

(でも不思議……、どうしてあれから、あんな音が出てるんだろう?)
 いつの間にか丸まっていた体を起こし、興味津々で耳をピンと立てて尻尾を揺らしているシェリルを見下ろしたミレーヌは、思わず笑いを堪えた。

(それなりに楽しんでくれているみたいね。良かったわ)
 そうして思いがけず現れた義理の娘の後姿を、ミレーヌは微笑ましく見守った。


「あ、エリー、お帰りなさい!」
「ただいま。つっかれた~。随分ご機嫌ね~、シェリル」
 部屋に帰り着くなり、バサバサと乱暴に魔術師用のローブを脱ぎ捨てたエリーシアに、シェリルは嬉々として駆け寄った。

「あのね! 今日はね、ミレーヌ様と楽師団の音楽を聴いたの!」
「音楽?」
「うん! そういうのも教養の一つなんだって」
 上機嫌な義妹に安堵しつつ、エリーシアは笑って答えた。

「確かに王宮だったら、専属の楽師団位居るわよね。普通だったら本職の演奏なんて、祝い事とかお祭りとかで、耳にする位だけど」
「それでね? 聴き終わった後、ミレーヌ様に『何か気に入った楽器はある?』と聞かれたから、『糸が張ってあって、擦り合わせてるのが面白いです』って言ったら、『じゃあ弾いてみない?』と言われて。明日弾き方を教えて貰う事になったの」
 それを聞いたエリーシアは、当惑して尋ねた。

「え? どんな楽器?」
「ええっと……、本体の形が私の身体の格好に似てて、そこから長い棒が突き出てて、そこに四本張ってある糸を上から別な糸を張った棒で擦り合わせて、色々な音を出す物。名前は……、何て言ったっけ?」
 そう言って困惑しているシェリルの話を総合してみたエリーシアは、思い当った楽器の名前を口にしてみた。

「それって、リューグルの事かしら?」
「うん、それそれ! それでね? 明日ミレーヌ様の所に行く前に、術式を解除してくれない?」
「どうして?」
「だって猫のままだったら、演奏できないでしょう?」
 にこにことそう訴えてきたシェリルに、エリーシアはミレーヌへの尊敬の念を新たにした。 

(なるほど……、さすがミレーヌ様。無理なくシェリルに人型を選択させる様に仕向けたわね?)
 思わず感心していると、ここで思いついた様にシェリルが言い出す。

「でも……、明日教えてくれる先生って、どんな先生かな? 怖そうな人だったらどうしよう……」
 その懸念に、エリーシアが首を傾げた。
「ミレーヌ様が手配して下さるんだから、間違ってもそんな事は無いんじゃない?」
「それはそうだと思うんだけど……」
「因みに、それは明日の何時頃なの?」
「朝から。お昼まで練習して、お昼は一緒に食べましょうって言われてて。あ、そうだ! エリーも興味が有るならどうぞって言われてたの! 一緒にお昼を食べませんかとも。うっかり忘れる所だったわ。良かった!」
 嬉しそうにそう言われたエリーシアは、苦笑しながら快く了承した。

「そういう話なら、私も一緒に行くわ。魔術師棟の方へは、明日は午後から行けば良い事になっているし」
「良かった。あ、それじゃあカレンさんとリリスさんに、明日の朝、着替えを手伝って貰う様に伝えておかないと」
 早速控えの部屋に向かって歩き出そうとしたシェリルを、エリーシアは慌てて呼び止めた。

「ちょっと待って。別に手伝って貰わなくても、私達だけで着替え位できるわよね?」
「お姫様の格好をする時は、日時や場所や相手によって格式が変わるから、勝手に服を選んで着ないで下さいって言われたの」
 それを聞いたエリーシアが、思わず渋面になって呟く。

「……面倒くさいわね、お姫様生活って。庶民で良かったわ」
「後宮で暮らしている以上は、エリーシアもだって」
「い・や・よ。面倒だから出歩く時は、いつもこのローブを羽織って歩くわ。一応王宮専属魔術師の制服だし、誰からも文句は言われないでしょ」
「えぇ~? さすがに明日は、カレンさんに渋い顔をされると思うけど……」
「何と言われようと却下」
(エリー、結構頑固だし……。カレンさんと勝負したら、どっちが勝つかしら?)
 ブツブツと何やら文句を言っている義姉を眺めながら、シェリルはそんな事を真剣に考えた。

 そして翌朝、抵抗虚しく頑として引かないカレンと、嬉々として衣装選びに奮闘したリリスによって着替えさせられた二人は、化粧やアクセサリーまで完璧に揃えてミレーヌの元に出向いた。

「おはようございます、ミレーヌ様」
「おはようシェリル。あら、やっぱり想像していた様に、人の姿もとても可愛いわね」
「ありがとうございます」
「それに、エリーシアまでドレス姿で出向いてくれて嬉しいわ。とっても素敵よ?」
「私までお招きに預かりまして、ありがとうございます。お邪魔します」
 本心を言えば、二人とも朝起きてからの難行苦行を盛大に愚痴りたい気分だったのだが、笑顔のミレーヌの前ではそれを押し殺した。そんな中シェリルは、自分の横で引き攣った笑顔を浮かべているエリーシアの顔を盗み見ながら、(さすがのエリーも、カレンさんの迫力に敵わなかったのよね。悪いけど笑っちゃった)と笑いを噛み殺す。

「それでは、早速ですが、音楽の勉強を始めましょうか」
 いきなりにこやかにそんな事を言われた為、まず教師役の人間に引き合わせて貰うのだろうと思っていた二人は、揃って面食らった。
「あの、ミレーヌ様? 先生はどちらにいらっしゃるんですか? これから別な部屋に移動するんですか?」
「いいえ、私が教師役よ」
「え?」
「は?」
 シェリルの問いにミレーヌがあっさりと答えてから、茶目っ気たっぷりに付け加える。

「こういうのを、一度やってみたかったの。昔から楽器の演奏は得意だし、教えるのも自信が有るのよ。私では駄目かしら?」
 それを聞いたシェリルは、途端に顔付きを明るくして勢いよくいた。

「いいえ! 宜しくお願いします!」
「良かった。じゃあこちらに座って頂戴。まず、譜面の読み方から教えますからね。次回からは実際に楽器を演奏してみましょう」
「はい」
「エリーシアも適当に座って見学していて頂戴。お茶とお菓子を運ばせますからね」
「ありがとうございます」
(本当に、どこまでも喰えない王妃様だわ)
 そうして広いテーブルに譜面と筆記用具を並べたミレーヌとシェリルは、時折歌ってみせながら楽しく一時を過ごし、そんな二人を眺めながら、エリーシアはのんびりとお茶を楽しんだ。
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