見上げた空は、今日もアオハルなり

木立 花音

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第一章:幼馴染たち

『阿久津斗哉①』

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「ライトー!」という指示の声と一緒に白球が宙に舞う。青空高く飛んでいったボールを、親友でチームメイトの福浦晃ふくうらあきらがライトの定位置から飛び出し追走して行くのが見えた。
 次第に高さを失うボールを見上げ落下点を見定めた彼は、前へ数歩踏み出しながらグラブでボールをキャッチすると、そのままノーステップでバックホームした。
「中継ー」という声を背中で受け止め、俺はセカンドの定位置で両手を上げる。ボールの勢いと角度を瞬時に計算し、中継はせずにそのままスルーした。
 白球はホームベースの手前でワンバウンドしたのち、キャッチャーミットに真っ直ぐ納まる。

「ナイスバックホーム!」

 俺はライトの晃に手を上げると、守備練習を同ポジションの選手と交替して、待機している列の最後尾に回った。
 季節は五月。
 私立照葉学園野球部に所属している俺、阿久津斗哉あくつとおやは、放課後の練習に参加しているところだ。部員数は十九名と、県内の強豪校と比較すると、ハッキリ言って多くない。
 けど、そんなチーム事情の中ですら、俺が定位置を獲得したのは三年生の春からであり、ここまでの部活動生活は、順風満帆と言えるものでは到底なかった。

 俺が野球を始めたのは、小学校三年生の頃。
 俺たちの小学校ではスポーツが苦手な奴を除けば、大半の男子が野球部に入っていた。当然俺も例外ではなく、親友である広瀬慎吾ひろせしんごと一緒に入部する。
 広瀬慎吾というのは、小学校時代から現在まで関係が続く友人の一人。同じように一緒に過ごすことの多かった、渡辺美也わたなべみやと三人でいつも遊んでいたものだ。
 小学校時代は、俺も慎吾もそこそこ野球が上手い奴で通っていた。俺は肩が強くないため球速こそ遅かったが、コントロールには自信があったのでピッチャーをやっていたし、慎吾も足の速さを生かして一番センターを任されていた。
 俺たちのチームは地区大会で優勝こそできなかったものの、二人の活躍もあり常にベスト四に顔を出す常連だった。特に俺はチームのエースピッチャーだったのもあり、自然と顔も名前も有名になっていく。チーム内では持てはやされ、他校のチームからも警戒される選手だった。元々の運動神経の良さも相まって、クラスの中でもヒーローだった。
 小学校というのは実に単純な世界で、絵が上手い、勉強が出来る、歌が上手い。一つでも秀でたものがあれば、賞賛される。ましてやスポーツ万能、野球部のエースともなれば、クラスのカーストトップだ。俺は益々、鼻が高くなっていった。
 ついでに言うと友人である慎吾と比較して、足の速さ以外では全て俺が勝っていたことも、自尊心を維持する上では重要な要素だった。

 だが、この栄光により、自分を過大評価してしまったことが、一つ目の不幸の始まり。

 当然、中学校に進学したあとも野球部に所属する。慎吾の奴は挫折して吹奏楽部に逃げてしまったのだが……正直、いきなり文化部ってどうなのよ? 逃げるなよ? 俺はそんな不満を覚えていた。
 中学校ともなると、小学校の頃ライバルだった奴らがわんさか集まってくる。比例して、俺の出場機会も減っていく。ポジションは投手から三塁手に変わり、時々マウンドに上がるものの、チームが劣勢の時に出番が回ってくる、敗戦処理中心のリリーフ投手でしかなくなっていた。
 それでもコントロールの良さは健在だったし、打順もクリーンナップの次くらいを任されていた。ここでも全県大会に出場する機会には恵まれなかったものの、そこそこに活躍し、やっぱり俺には野球しかない。まだ、そう思っていた。

 けれども、次第に俺の自尊心に傷が付き始めたのもこの頃だ。

 二つ目の不幸は、密かに想いを寄せていた渡辺美也の台頭。
 小学校時代のあいつは本当に背が低くて体格も華奢で、俺が守ってやらなくちゃ、そんな風に思っていたもんだ。
 俺が野球を始めて一年後だから、小学校四年生の時だったろうか。
 ある日美也は、私も一緒にキャッチボールをしてみたいと言い出した。俺と慎吾は、顔を見合わせて失笑した。正直な話、女に野球で負けるなんて微塵も考えていなかった。
『バカにしないでよ』と頬を膨らませた彼女は、慎吾のグローブを借りると、俺のボールを受けてみると言い出した。

「馬鹿やろう、女に本気なんて出せるかよ」と軽めに投げたボールを、彼女は難なくキャッチして見せた。

 まあ、今のは本気じゃなかったしな……と動揺しながら投げた二球目も、美也は問題なく捕って見せる。それどころか、怖がって顔を逸らすこともなかった。
 こうなってくると、俺も多少はムキになる。今度は九割ほどの力で投げ込んでみた。流石にこれは捕れないだろう、もし怪我でもさせたらどうしようかと心配しながら。
 ところが、美也は難なくこれもキャッチする。それどころか、彼女が座ったまま投げ返してくるボールは、俺のグラブまでダイレクトに届くのだ。こうなると最早認めざるを得ない。渡辺美也は、体こそ小さいものの、運動センスに優れていると。
 そう言えば、と俺は思う。美也の奴は背が低いわりに足も速かったし、水泳も球技もそつなくこなしていたなあ、と。だから彼女に勧めたんだ。
「そんだけ運動神経が良いんだから、バレーボールかソフトボールでも始めたら良いんじゃね?」と。この頃はクラスでもカーストトップに君臨していた俺は、特に深く考えることもなく、どことなく余裕たっぷりの上から目線で。
 だがこの時点での美也は、まだまだ進化している過程でしかなかった。
 中学に入ってからぐんぐんと身長が伸びた美也は、その背丈を生かして入部したバレー部でウイングスパイカーとして華々しく活躍し、県全体でもかなり注目度の高い選手へと成長していった。
 心の支えだったスポーツですら平凡な存在になった俺を置き去りにして、彼女は遥か高みにまで上り詰めてしまう。『スポーツでだけは、誰にも負けない』と考えていた俺のプライドは既にズタズタ。美也に対する劣等感が胸中で渦巻き、時々話しかけるのが精々の、冴えない幼馴染でしかなくなっていた。
 加えて吹奏楽部に入った慎吾も、持ち前の肺活量を生かして優秀なトランペット奏者へと成長を遂げていた。更に二年の秋からは、部長にも就任する。
 幼馴染の三人で最も体が大きく、運動神経も良く、クラスの中心であったはずの俺は、いつの間にか、三人の中でも一番微妙な存在に成り下がっていた。
 自信を失い始めた俺は、クラスでの存在感も、同様に希薄になっていく。小学校の頃はチームの中心であり続けた野球部でも、平凡な一人の選手でしかなくなっていた。

 決定的に不幸だったのは、それでも俺は未だ特別だと、自分の才能を諦めきれずにいたことだろうか。中学時代、中途半端に活躍をしてしまったため、自分程度の人間は掃いて捨てるほどいるという事実を認められず、いつまでも過去の栄光にすがり続けた。
 美也がスポーツ推薦枠で、隣町にある私立照葉学園に入学することが決まり、頭の良い慎吾もそこを受験をすると聞いていよいよ俺は焦った。
 このままでは二人に置いていかれる――と。
 だから俺も、私立照葉学園の受験を決意する。
 普段しない勉強にも、何かにとり付かれたように必死で取り組み、幸か不幸か、合格してしまった。
 私立照葉学園は普通科を中心に、幾つかの専門学科を持つ進学校であり、偏差値も結構高い。合格したのは良いものの、俺の学力では付いていけなくなるのも時間の問題だった。
 それでも俺はまだ、スポーツは然程強くないこの学校でなら、再び野球で輝けると信じていた。一年間頑張ればエースピッチャーにもなれると信じて疑わなかった。練習にも毎日ちゃんと出たし、厳しいトレーニングも手を抜かずにやった。同時に入部した一年生には目立った選手もいなかったし、努力を怠っていないという事実が、俺のささかやかなプライドを充足させ、自身の欠点を覆い隠してしまう。
 だから肩が弱いという弱点と、最早体格でも別段恵まれた人間ではなくなっている、という事実を受け入れるのに、時間が掛かってしまった。
 前述した通り、俺がレギュラーに収まったのは三年の春からとなり、ポジションも肩の弱さを補えるセカンド。もちろんマウンドに上る機会など、あろうはずもなかった。
 特別ではなくなった時点で、俺は、美也と慎吾に対する劣等感を拭えなくなってしまったんだ。

 * * *

 練習を終えた後、タオルで汗を拭きながらグラウンド整備をしていた。遠くの方からバレー部が練習をしている声が聞こえてくるのに気が付き、足を止める。
 視線を巡らせると、バックネット裏に軒を構える体育館には、未だ灯りが点いており、ボールが弾む音や部員の掛け声が野球場まで届いていた。
 照葉学園は、野球部こそ微妙な成績なのだが、バレー部は他県からも選手が集まってくる程の強豪校だ。美也はそのなかにおいても埋もれることなく、未だ中心選手で有り続けている。今年の春からようやくレギュラーに収まった俺とは、比べるべくもない。
 鬱々とした感情に支配され手が止まってしまった俺に、福浦晃が話しかけてきた。

「どうした斗哉、整備の手が止まってんぞ」
「ああ……すまん」

 そう言いながらグラウンド整備を再開した俺に、晃が気遣うような口調で言った。

「美也のことでも、考えていたのか?」
 図星すぎて心臓が飛び跳ねる。動揺した心を悟られないよう、冷静さを装って答える。「そんなんじゃねぇよ」

 まあ、もちろんこれは嘘なのだが。
 俺は小学校の頃から変わることなく、渡辺美也のことが好きだった。むしろ変わってしまったのは、勝手に自尊心を傷つけられた気分になって、本当の気持ちと向き合えなくなった自分の方。

「そういうお前こそ、同じクラスの奴に告白されたって風の噂で聞いたぞ?」

 辛い過去の記憶を拭うみたいに話題の矛先を晃に向けると、彼は都合悪そうに頭をかいた。

「……なんかその話、有名になってんのな。今日、C組の別の友達にも言われたわ」

 んで、誰から聞いたの? と晃は、若干の不機嫌さを隠すことなく訊いてくる。

「お前の友達の女のなかで、一番口が軽い奴」

 煙に巻くつもりだったのだが、「律か。アイツめ……」と晃は苦い顔をした。即答だった。俺は否定しなかった。
 なあ律。お前の信用が大暴落してんだけど。

「相手って、下平早百合しもひらさゆりでしょ? どうすんのよ、付き合うの? あの子ケッコー可愛いじゃん」

 下平早百合というのは、彼と同じ三年A組の女子生徒で、ショートボブで可愛らしい小柄な女の子だ。大人しい性格ながら目が大きくてくりっとしているし、男子の間では比較的人気がある。

「付き合わねえよ……」と晃は溜め息混じりに答えた。
「なんで? 勿体ないじゃん」
「最後の大会まであと一ヶ月しかないんだぜ? 女になんかうつつを抜かしてる場合かよ?」

 バツが悪そうに顔を逸らしつつも、晃は力強い口調でそう言った。まるでふわついている自分を指摘されているようで、その言葉が胸に鋭く刺さる。

「そりゃあ早百合は可愛いと思うよ。でもさ、恋愛ってそういうもん? 勿体ないから、とか、なんとなくで付き合うのってさ、それこそ勿体ないだろ。ちゃんと好きな相手を決めて、その子のことだけ考えないと」

 晃の声を聞きつつ思う。んー正論なんだけど、それだと”意中の人がいます”って、宣言しているようなもんだぞ?

「確かにそうかもな。じゃあ晃は、他に決めている相手でもいるのか?」
「まあ、いるよ」
「へえ……同じクラス?」
「違う。あ……でも……」
「なんだよそれ、歯切れ悪いな」

 あーあ。これは一人に絞れてないな。
 晃は昔からこういう所がある。気遣いのできる性格は彼の長所だが、反面、来るものを拒めない優柔不断さがある。だから、下平早百合の告白をはっきりと断ったという話は、むしろ意外ですらあった。

「いいんだよ。さっきも言っただろ? 俺は今、絶賛禁欲生活中なの」

 だから、ナイショだよ、と彼ははぐらかすように言うと、俺の肩を叩いて去って行った。「ま、頑張れよ。悔いだけは残さない方が、良いと思うぞ」
 上手いこと逃げられたな……と晃の背中を見送った。
 後悔か。確かにこのまま、美也に気持ちを伝えることなく卒業してしまったら、俺には後悔しか残らないんだろうな。
 そんなことを考えながら俺は、トンボと重く感じられる足を引き摺って、グラウンドを後にした。バレー部の練習は、まだ続いているようだった。

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