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木立 花音

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第一章「あたしが再び羽ばたくために」

【えらいことになった】

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 えらいことになった。
 札幌市市民体育館という場所に今あたしたちはいて、コートの中でネットを挟んで心と対峙している。
 横で見守っているのは紗枝ちゃんだ。砂糖菓子を舐めたときみたいなニコニコ顔で、あたしたちの顔を交互に見ている。
 楽しそうだね。あたしは全然楽しくないよ。
 本当はあのままとんずらしたかった。それなのに、心の奴がどこまでも追いかけてくるのだ。あまりのしつこさに根負けして、というか、そもそも同級生なのだからいずれまた追及されるし、と諦めて今に至る。

「ワンゲームマッチでいいでしょ?」

 あたしの問いかけに、「それでいいよ」と心が頷く。
 これから、心と試合をすることになったのだ。
 バドミントン部には入らないとのあたしの主張が納得できないようで、なら、あたしと試合してみたらその理由わけがわかるよ、と説明したことでこの流れになった。
 中三の夏の大会以来、試合なんてしていない。それどころかラケットを握ったこともない。そんなわけで、左手に収まっているラケットは心のサブ使いのものだ。

「ラケットが借り物だから負けたんだ、なんて、あとで言い訳をしないでよね?」

 こちらをねめつける心の物言いはクールだ。彼女はだいたいいつもこんな感じ。
 冷酷人間め。

「しないよ。そっちこそ手を抜かなくていいからね」
「……ッ! 抜くわけないじゃない」
「サーブはあたしからでいい?」と確認をする。
「どっちでもいいよ。たいした問題じゃない」

 心は、あたしに対して異常なまでの対抗心を見せてきていたから。
 この試合が終われば、あたしの主張を理解してくれるはず。

「乱打する?」
「必要ない」

 冷めたあたしの返答に、困惑と呆れが半々みたいなため息を心がこぼす。

「んじゃ、いくよ。セルフジャッジだしコールは省略で」
「二人とも頑張ってー」

 能天気な紗枝ちゃんの声援が響いた。
 指先で軽くシャトルをつまむ。そっと押し出すように、バックハンドでショートサーブを放った。ネットをぎりぎり超える高さでシャトルが軌道を描き、心のコートに沈んでゆく。
 バドミントンのサーブは大きくわけて二つある。
 天井目がけて高く打ち上げるロングサーブと、ネット付近を狙って打ち、相手コートの手前に落とすショートサーブだ。
 ロングサーブは長い滞空時間を利用して体勢を整えやすい反面、一打目から強烈なスマシュを打たれるリスクがある。
 ショートサーブならスマッシュを打たれることはないが、シャトルが浮くと押し込まれるし、低すぎるとネットにひっかけてしまう。コントロールが難しいのだ。
 心が低い姿勢で一歩踏み込み、クロス方向に低い弾道で返してくる。
 でも残念。そのコースは読めていた。
 左利きのあたしにとって届きにくいコースだが、動き出しの速さでカバーする。バックハンドでスピンをかけて、ふわりとネット側に落とした。
 対応して前に詰めてくる心。
 山なりになった軌道の頂点はこちら側のコートにあるため、心は強打できない。弧を描く軌道でネット際からネット際へと運ぶショット、ヘアピンで返してきた。
 残念、それも読めている。すでにあたしは落下点にいる。
 クロス方向にあたしはヘアピンで返す。ただ返すだけじゃない。下から上に切る方法でスピンをかける。
 ネット超えたあとから急速に沈んだシャトルに心が追いつくが、返球はネットに阻まれた。

「一対〇」
「腕、衰えていないじゃない」

 失点した直後なのに、不適な笑みを心が浮かべた。

「腕はね」

 二本目もショートサーブを選んだ。
 浮いたコースではなかったが、心がなかば強引にドライブ――コートと平行に放つショット――で押し込んでくる。勝気な彼女らしい。
 お返し、とばかりにこちらもドライブで返す。
 ここから四度、激しい打ち合いになった。
「おお」と紗枝ちゃんの感嘆が響く。舌打ちを一つ落として、心がロブを上げた。
 スピードに押し負けて上に逃げたな?
 ステップを刻んで落下点に入る。軽めにジャンプをして、低めの弾道でコート奥までシャトルを運ぶドリブンクリア(低め弾道のクリア)で返した。
 心も負けじとクロスにドリブンクリア。
 ぎりぎりで追いつきロブを上げると、心はスマッシュ。
 ボディにきたそれをレシーブすると、今度はサイドライン上にスマッシュがきた。
 きわどいコース。アウト、と判断して見送るも、落下点はわずかにライン上だった。

「持ち前のコントロールは健在ね」

 これで一対一(ワンオール)。
 心のロングサーブをドリブンクリアで返してラリーが始まる。ドライブ中心の速い攻めを仕掛けると、それを嫌ったのか心がクロスにクリア(高く打ち上げるショット)を上げてきた。
 とんとんとロングサービスラインまで下がって……これはさすがにアウト、と判断して見送った。
 ラインのわずか外側にシャトルが落ちる。

「アウト? いや、イン……だね」
「え、今のって入っているの?」
「うん、入ってる」

 疑問の声を上げた紗枝ちゃんにそう答えた。

「シャトルのコルクが、わずかでもラインに乗っていたらインなんだ。さすがだね、心」
「まあね。それが私の武器だから」

 この、類まれなるシャトルコントロールこそが心の真骨頂。見送ってもインになることが多いので、少しでも迷ったら拾わなくちゃいけない。
 わかっていたはずなのに。久々すぎて勘が鈍っているのだろうか。
 ここから、試合展開は一進一退となった。
 ネット際の攻防ではあたしが心をたびたび圧倒し、コート全域を使った攻防では心のスマッシュが時折あたしの読みを上回った。
 最後は心のロングサーブを、あたしがミスショットとも言える浅めのクリアで返してしまい、スマッシュを最奥のライン上に決められてゲームセット。
 十三対十五。

「強くなったね心。悔しいけど、これが現時点でのあたしの実力。なんかさ、勝ち方がわかんなくなっちゃったんだよね。そんなわけで、バドミントンを続けるつもりはないから」

 じゃあ、と荷物をまとめて立とうとしたところを、「待って」と心に呼び止められる。

「私は、これまで一度もあなたに勝てたことがなかった」
「そうだったっけ? 勝てたじゃん、おめでと」
「本気でやっていたんだよね?」
「もちろん」

 何かを考えるように心が沈黙する。体育館の窓から斜陽が差していた。
 紗枝ちゃんが唇を結んでこっちを見ている。彼女ですら、気づいたのだろうか。

「仁藤紬の武器は、その豊富な運動量と、コートの全域から放たれるジャンプスマッシュだった」

 心が言う。

「それなのに、ジャンプスマッシュを一度も打たなかった。それどころか、普通のスマッシュさえ」
「打たなかったんじゃなくて、打てなかった?」

 心が言いかけた台詞を、紗枝ちゃんが引き継いだ。彼女の問いに頷きで返す。
 左手をゆっくりと上げていく。腰の位置から胸の高さへ。肩と水平になったところで手を止めた。

「ここから上に手が上がらないの。中三のときに遭遇した事故の後遺症で、肩が上がらなくなってしまった」
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