会長にコーヒーを☕

シナモン

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2話 恋の神様

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 春めくにつれ、会長室もちょっと変わった。
 社長や副社長が菓子折り片手にやってきては、新調したソファに座って小難しい業界話や釣り話をして帰っていくの。おっさんの社交場か……。
 みんなニコニコ優しいから私も全然緊張しない。その一品に飲み物添えて出すだけでいいんだもの。楽勝だ。

 今日はそれの進化形、取引先の社長さんを招いて商談交じりの会食だ。
 いつもは釣り接待なのだが……。
 つまり、釣り仲間やね。
 社長さん、2月末奥さんと一緒に、『綾小路き◯まろと大間でマグロを食べつくすツアー』とやらに行ってきたそうなのだが、2日目の朝、別口でマグロ釣り体験に単独で参加した所、足場が悪く転倒してしまい、何ヶ月も前に予約して楽しみしていたせっかくの体験ツアーは、外国人観光客の派手なリアクションをただ眺めるだけの寂しいものになってしまったそうな。
 それ以来、奥様より釣り禁止令が出て接待釣りは廃止。ついでに夜の接待も動脈硬化その他色々心配なので控えて欲しいと。
 今時の中高年事情を配慮し、初の会長室接待となったわけ。
 私的にはそんなツアーがあること自体驚き……。結構な人気振りらしい。

「ようこそ。さ、どうぞ」
「いやいや、どうも、お招きに上がりまして」

 60過ぎのおじいちゃん。いつも釣りで一緒の副社長が出迎える。

 料理を並べるのはこのために用意されたコンランショップの特注ダイニングテーブル。
 桜の枝を生け花びらを散らし白い器とガラスの器を取り混ぜ、ライナー類は鶯色と桜色の春色コーディネート。と、ここまではショップ専属のスタイリストさんがされて帰られたので私は料理をするだけでいい。

 メインディッシュは社長さんの持ち込み、大間の捕れたてマグロだ。

 他の観光客が盛り上がる中、救助ヘリも呼んでもらえずひいひい痛がっていた社長さんを気の毒がって、『いいのがとれたよ』って船出してくれた漁師さんがわざわざ送ってきてくれたんだって。クール宅急便の生鮮時間便というもので、朝とれたブツが飛行機に乗って午後には東京着。

『市川さん、接待なんて……大丈夫?』

 例によって室長に心配されたけど、年寄りメニューはお手の物だ。
 まずはなまこのポン酢和えをカクテルグラスに入れて、つるっと召し上がっていただく。そして先付けもどき6品。
 その間にメインの調理をば。
 赤味のお刺身と、トロのあぶりと、にぎりを少々。焼き蛤、茶蕎麦、よもぎ豆腐、自家製松前漬け……と『凝った物は出すな』という会長のお達しに従い質素なながら飾り付けでごまかして。何たって器がいいからね! 1枚6000円位するの。
 茶蕎麦はブログで教えてもらった一品をヒントにあれこれアレンジしたもの。のせる具は春の七草系の薬味と卵と実家から送られてきた蟹だ。


「ほう、このお茶は緑茶ではありませんな」

 会食の最中、社長さんが傍で立っている私に湯飲みを向けた。

「……いわゆる健康茶です。もちろん緑茶もございますよ。ただいまお持ちいたします」

 と返すと社長さんは手で制した。

「いやいや、さっぱりして刺身に合いますな。こちらで結構」
「私もよく頂くんですよ。もう3ヶ月くらい経ちますかな。それで最近、いいことがありましてね」

 副社長が間に入る。

「何でしょう?」
「ほら、ここなんですが、見てください」

 おもむろに右の額の髪をかきあげる。社長さんは覗き込んで、

「? 白髪の合間に黒いものが見えますな」
「そうなんです。何年振りでしょうか、黒い毛が生えてきたんですよ。発見したときはそれはもう……歓喜致しましてね。妻を呼んで大騒ぎでした」
「それがこの健康茶の効果だと?」
「ええ、おそらくね。他に何も変えちゃいないですから」

 初耳ーー。
 ……実を言うと、健康茶は健康茶でも、どくだみ、すぎな、よもぎという厄介な畑の邪魔者、いわゆる畑版『余分3兄弟』を干して煎って煮出しただけなのに。
 普段会長がよく飲むから試しに出してみただけ。効能なんて……あるの?
 そんなことこの場で言えない。

「それはいいお話ですな。しかし育毛にはどうですかな。私はもう随分前から頭髪に縁がなくてね」

 頭を擦る社長さん。なるほど、見事に産毛状態だ。

「ご自宅で飲まれてみてはいかがですかな? 私も瓶詰めにして頂いているのです」

 ちょ、そんなたいそうなもんじゃ――…。
 雑草ですよ、雑草。つまり元手はタダ。今も実家の軒先に山ほど干してある。東京でもあちこちに生えてますよね?

「ほう、よろしいですかな?」
「え、ええ。ご用意いたします」

 微笑んでごまかす。
 育毛? 養毛? そんな話聞いたことないわー。
 白髪はともかく育毛には効果ないと思うけどな。うちのお父さん、何十年も飲んでるけど寂しい頭してるもの。あるとしたらデトックスの方だろう。何せ強靭な雑草。何を吸収してるかわかりゃしない。

「しかしさすがに会長はお若い。ふさふさして羨ましい限りです。そういえば……おいくつですかな?」
「……34です」

 ! 会長、お誕生日迎えられてたのね。34歳になっちゃってたんだ。教えてくださいよーー。

「ほう、お若い。いいですなあ……」

 ため息、な社長さん。遠い目で会長の御髪を眺める。くす。誰だって年取るんだからそれは仕方ないわ。

「最近とみにお若くなられて。そろそろご縁談ですかな?」
「いえいえ、そんな暇はありません」
「そうですな。確かに会長は最近お変わりになった。やっぱりこのお茶のせいじゃ……」

 どうしてもそっちに話をもっていきたいのか、副社長。

「健康茶といえばB社の玄宗用命茶が爆発的に売れてましたな。尿酸値が劇的に下がるというフレコミでしたが。私も飲んでみましたが効果は?でした」
「あれは実は薬事法に触れるとか何とか言われてませんでしたかね……」

 うーーん、一体これのどこが商談? という話はぼそぼそ続き、必須ミネラルが何とかかんとか、果てにマツモトキヨシの株価がうんぬんという話題にまで発展した。
 退屈だろうって、緊張するだろうって――…? いいえ、ちっとも! このおじいちゃんたちのさざなみのような会話が耳に心地よくて、眺めは相変わらず抜群で、話しかけられた時しか喋らない会長は最近髪を染めたのかますますかっこよくって……緊張するどころか、ずーっとニヤつきながら立っていた。


 〆に抹茶を立てて和菓子を添えて。社長さんはお茶っ葉や松前漬けを土産に帰っていかれた。
 きれいに空になった皿を前にほっと胸をなでおろす私。
 緊張感なしとはいえ、半分以上残されたり……じゃやっぱさえない。
 小さめのガラスのエッグスタンドに山盛りに盛ったわさびが綺麗に空になっているのには驚いた。おじいちゃんたち、わさびつけすぎじゃない? これだけは奮発して生の本わさびをおろして出してみたの。平らげる量じゃないだろう。まるでわさびがメインでまぐろが付け合せ、みたいな。これって健康上どうなの?

 会長は特に表情も変えずコーヒーで一服。
 自分の親ほどの社長さん相手じゃ話しにくいだろうな。
 すっかり片付けた後、ねぎらいの言葉を掛けてみる。

「お疲れ様でした。会長」
「いや、1泊2日の接待がほんの数時間で済むのだからな。君こそお疲れ様。無理言って悪かったね」

 楽勝ですけどね。カフェで働いてたときのこと思えば。

 つい、目がいってしまう、おじいちゃん羨望の会長の御髪……。最近色が変わったと思うのは気のせいじゃないよね? こうして近くで見ると明らかに違う。深いブラウンの髪。前は真っ黒だった。

「……会長、いつ髪を染められたんですか? その色、いいですね」

 本音で聞いてみた。焙煎したコーヒー豆のような色。いかにもいい香りがしそう。

「何もしてないよ。地色だ」

 え? 地の色? 前は黒かったじゃん。

「ふ、今まで染めていたんだよ。白いものが目立つんでね」

 エー、そうなの? 苦労……してたのかな。

「最近あまり気にならないからそのままさ。あれは鬱陶しいな。ひと月に一度は必ず染めに行かなきゃならん。」

 地毛が茶色なんて羨ましいなー。私なんて15000円出して染めてカットしてるんですよ? 男の人って少々伸びても後ろに流しちゃえばいいんだ。
 そう……髪も伸びた。
 前はいかにもビジネスマンな切り揃えた黒髪だった。
 それはそれでかっこよかったのだが、今のナチュラルな流しスタイル、一段と男前……。

「んーー、話に出てたが、あの茶のお陰かな?」
「そ、そんな」

 地元でも聞いたことないです。

「君、今日の夜空いてるか?」
「は、はい」
「食事に行こう。早く終われそうだから店にでも寄ってみるか。何か欲しい物があれば――…」
「は、はい。いえ、あ、ありがとうございます」

 ご褒美? やった――…。


 会長、何だかご機嫌だ。


「会長、お誕生日過ぎていたんですね。知らなくて失礼しました」
「迎えたところで嬉しくないからな。年をとるだけだ」
「いつだったんですか?」
「今日だよ」

 クールにさらっと言われて。私はびっくり。

「そ、そうだったんですか? 早く言って下さいよ。お、おめでとうございます」
「だから嬉しくないんだって」

 キャー、お誕生日に私が奢ってもらうのってどうなの?

「何かお作りしましょうか」
「いや。気持ちだけで十分」
「じゃ、じゃあ明日にでも……」
「いいよ。今日の成果を頂いておくから。最高のプレゼントだ」

 ドキ。キザな台詞がサマになるのはさすがだ。

 3月23日。またひとつおじさんになってしまわれたのね。
 8歳も上……。



 会長のお誕生日なのに……。
 青山のmiu miu直営店でお財布を買ってもらった。
 前から欲しかった、長財布。
 他の買おうと思っていたんだけど、バッグを買ってもらって以来miu miuの財布も可愛いなと思い始めたの。
 でもね、自分で買うにはちょっと高いんだな。
 おねだりを狙ってたわけじゃないけど、ラッキー。

「そんなものでいいのか」

 みたいな反応だけどね、会長は。
 彼にしてみればカスみたいな額だろう。百億単位の商談がまとまったそのご褒美としては。

 会社帰りのmiu miuは混み合っていて、春色のバッグや財布を次々手に取って見てる。女の人同士が一番多い。カップルや、外国人の女の人を連れた強面のおっさんもいて。
 会長は……ひときわ目立つ。こうして外界に連れ出すとよくわかる。女の人の視線もちらほら受けて。
 ああ、可愛くなりたいな、なんて。
 どうみても上司と部下、ご主人様と世話係だから。
 並んで釣り合うくらいになりたい……。

 食事は青山のフレンチとイタリアンが合体した創作料理系のお店。
 創作料理とはいえ高そう……。
 個室に通され、ゆっくり運ばれてくる料理を愉しむ。

「乾杯」

 まずは祝杯。トスカーナのフレッシュワイン。素敵。

「髪を切ったんだな」
「あ、はい」
「いいね。君はまだまだ若くて。何でもよく似合う」

 そんな……。少しは可愛く映ってる? 気付いていたんだろうけど口にしてもらってやっぱり嬉しい。

 料理も美味しい。さすが自家製のパンチェッタや生ハムだ。フォークがムチャクチャ進む。会長もこういうのはお好みなのよね。

「あ、あの、会長」

 思い切って言うんだ。髪切ったことだし。

「私、その、飛行機に乗ると酔う体質でして……」

 ドキドキしながら告げた。帰省の時とんだ目に遭ったこと。

「そうか、それは大変だったね」
「12時間て……。大丈夫でしょうか」

 マジで死ぬんじゃないかというくらい私には大問題なのだが。

「寝てりゃどうってことないんだがね。困ったね」

 出雲まで1時間少々……国内線でそれではかなりの重症だ……と会長は視線を宙に浮かべた。



 帰りのタクシーで。
 手を握っていた。
 指と指を絡めるアレ。
 あまり話題にならないけどテレビで見て素敵だなと思っていた。
 まさか派遣先の一番偉い人とすることになるなんて夢にも思わないよね。
 いつ頃からだろう、帰りの車内ではこんな感じ。
 いつも先に乗せられる私の左の手のひらに会長の右の手のひらが重なって……自然と指が絡まる。
 熱くもなく冷たくもなく、私には丁度いい、あったかくて大きな手。
 会長はやはりご機嫌だ。

「あの社長が残さず食べるとはね。はじめて見たよ。よく好みが分かったね」

 え……。いえいえ、とんでもない。テレビや本の受け売りですわ。
 母親が、みのもんたの番組なきあとたけしの健康番組にのめりこんで、色々送ってくるのだ。今日の蟹もそれ。間人蟹と言ってちょいと高級な松葉蟹だ。何とかって成分が体にいいからおじいちゃん会長に献上しろって。
 ……だからおじいちゃんじゃないってば。いつバラそうか。

「お優しいから気を遣ってくださったんでしょうね」

 私が言うと会長はいやいやと首を横に振った。

「君にはそう見えるかい? かなりの食わせ者だよ。下で決定した取引要綱も彼の一存で取り消しになるんだ。副社長が苦労していたんだが、お互い釣りが趣味ということでしばらく船を出して接待してたのさ」

 へえ、そうだったんだ。

「それがこんなにたやすく済むとは……。君のお陰だ」

 だからあれのどこが商談? あんなけちけちメニューでいいならお安い御用だ。材料費知って驚くなよ。

「それなのに君は変わってるね。わざわざ安い給料にしろというのだから」

 くすっと困った顔をされる。
 そう。
 結局私の給料は秘書さんたちとの兼ね合いも考慮して、手取り22~23万ということにしてもらった。
 それで十分なの。
 ボーナス桁違いだし、もちろん正社員だし、材料費は別だし、いっぱいご褒美もらえるし……。

「我が社は一般社員にも業績連動型賞与を導入している。わかるかい? 君がどんなに遠慮しても社に貢献すればするほど給与はアップするんだよ」
「そ、それは……。営業社員さんとか、総合職の方対象なんじゃ……。私なんてただの食事係……」
「私の査定でどうにでもなる」

 ぎゅっと指に力がこもる。
 間近で見つめられて。低い声で囁かれて。それで私はまたいい気になる。

『よしよし、よくやったね、ご褒美をあげよう』

 ご主人様になでなでされてくぅんくぅん甘え声出すワンコの気持ちがよく分かる。
 ご主人様の満足そうな顔を見るのが何より幸せなのだ。
 私、変なのかな。それが心地よくってくらくらする。

「助かっているんだよ、本当に。予定が少し早まるかもしれない」

 霞んでいく頭の奥でゆるいオサレ系BGMが流れる。
 この人のテーマ曲であるかのように。
 いつも上から目線のエラソーな人なのに……。
 お洒落だからかな。
 スーツにしても髪型にしても洗練されてて他の人と違う。

「ああ、頑張った甲斐があったな」

 ほろ酔い気分も手伝って、最高に心地よい。
 湯煎にかけられとろーんと溶けていくチョコみたいな、ゆるくて優しい絶妙のさじ加減。これがずっと続けばいいのに……。

「問題はフライトだな。だが乗れるようにしておきなさい。君がいないと困る」
「はい……」

 そうして渡された1枚のカード。

「乗り慣れるしかない。これを使ってくれ」

 乗り慣れろって。
 用もないのに飛行機に乗ってこいって?
 考え所が違うわ。
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