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2話 恋の神様
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帰っていいって言われてすんなり帰る……。
わけにはいかないよね、アルバイトくんじゃあるまいし。
というわけで昼食後久々に下に降りて秘書室のお手伝いをする。
室長はいなくて、社長が出張中(で暇?)な社長秘書の吉永さんと並んで作業をする。
時折かかってくる社長あての電話の合間にキーボード打ってる感じな吉永さん。不意に話し始めた。
「……なんだかんだ言って面倒見いいのよね、会長」
今回のことね。
室長から秘書室の全員に概要は伝わってるみたいだ。
計画のひとつが『誰かのミスで』大幅に見直さなきゃならなくなった
↓
フォローに名を上げた社長のお気に入り君
↓
を更にフォローするため、会長が出て行った
という所?
「さすが問題処理が抜群に早い。助かってるのよね、実際。アメリカにいらした頃のお知り合いが官庁の現場の中堅どころや他企業の要人でいらっしゃったりするから、会長が話をつけると一発で済んじゃったり、っていうパターンも多くて」
「そうなんですか」
よくわかんないし、適当に頷いておくだけ。いつもの話……。
「実際、気配りとかすごいと思う。社長と副社長がぎすぎすしていたのだって会長が間に入って無言でとりなしてくれたようなものだしね」
社長と副社長ってそんな感じだったの?
想像できないんですけど。
おふたりいつもにこにこして優しい。
「本当は会長職なんて閑職なのよ。あの人の任務は合併関係だけ。専用部署作って承認とったり手続きが面倒だし、急を要する事態だったからお父様の後を引き 継いで会長に就任。……されたのはいいけど、実際はどんどんご負担が増えちゃって。大変だろうって思うからこっちも気を遣うじゃない? でもね、拒絶され ちゃってたのよ、ぜーーんぶ。『余計な気遣いはいらない』って、ずっと……」
「へえ……」
間抜けな相槌を繰り返す私。
何となくわかるな。
気難しいって言っちゃえばそうなんだけどさ。
「誰の言葉も届かなくて。お茶もコーヒーも飲んでもらえなくて。最初の頃は前の室長さんが時々来てくれて、まだそこまでピリピリした感じじゃなかった。ここ1、2年かなあ……。口にしてみるとそんな長い間じゃないわね。とにかく室長がまいっちゃってね」
顔をしかめて笑みを浮かべて。
その表情でもって推して図るべしというもの。
つい数ヶ月前までの会長とこの人たちの関係。
「別にね、会長のお人柄がどうこう言うわけではないのよ」
「はあ……」
「オレ、会長のこと嫌いとか、そういうのじゃないっすよ」
向こうのデスクで作業していた男の社員さんが顔を上げた。
吉永さんの言葉に添えるように。
「オレも。何を言うか一瞬戸惑ってる所を先に怒られちゃう、っていうか。いつもそんな感じなんすよ。むしろ尊敬してますよ。何やっても早いし」
「うんうん。会長は悪い人じゃないっすよ。ただなあ……」
ちょ、相変わらずのこの若者言葉。
秘書室社員にしてそんな口調なんかい。
こういうのこそ会長がいたら怒られそうだが。
「S物産さえねえ」
「S物産がなあ……」
吉永さんと他の社員さんの声が重なった。
「ライバル企業だってのは知っていたけど、なんつーか、そこまでするかってレベル? 因縁めいてませんか。会長お気の毒……」
「オレ、新宿のあっち側行くの激減したんすよ。あん時はさあ、何だかビル見るのも嫌って感じだった」
去年会長の口から聞いたS物産。
やっぱり最大の難点だったのだろうか。
「あれさえなきゃ会長も今頃はアトランタかNYか。キッツイ仕事せずに済んだだろうになあ」
「別の人格だったわね。ここの皆……腫れ物を触るみたいだった」
「ああ、腫れ物! ついこの前までそうだったっすね~。会長に何を出したら喜んでもらえるか……。究極の課題だったな。マジ室長が一番滅入っちゃってさ。 慰めるわけじゃないけどー、『コーヒー入れるマシンもあるし豆もあるし、そこのカフェの店員さんにでも来てもらいますかーー』って、やけくそでそんな話し てたんだよ。そうしたら次の日こいつがエレベーターで君のこと話してるの聞いてきてさ。速攻で室長が調べて、ここへ来てもらったんだ」
「うんうん。何も考えずに皆、『それだ!』って。くく、今思うと笑い話だな」
そうなのね……。
カフェの店員て。やっぱり茶汲み『のみ』の採用だったの。
何てまあ贅沢な職場。いやいや、この人たちには死活問題だったんだ。
「市川さんに来てもらってホントによかったー。それでも最初は難儀するだろうって心配してたけど。プロってやっぱ違うんだなー。会長の表情が違うよ」
「前はあんな風だったんだよな。若返られたよ」
「誰かが、『北風と太陽』みたいだって言ったらさ、こいつが、それよか『アルプスの少女ハイジ』だろうって」
えっ? ハイジ?
「うんうん。でしょ?」
「まーなー。ニュアンスは合ってるよな。市川さんは知らないかな。ハイジ」
知ってますよ~。
私がハイジ?
何その例え。
会長が……オンジーー?
「うくっ」
私は思わず噴出した。
口押さえていたのに。
見事ツボにはまってしまったのか、ククククと腹の底から湧き上がる気味の悪い笑いが止まらない。
「ちょ、やめてくださいよっ」
そう言ったつもりだったのに、多分変な発音にしかならなかった。
それにつられちゃったのか部屋に笑い声が響いた。
「やだー、やっぱ微妙じゃない? ハイジは逆でしょ、オンジがハイジの世話してあげるんじゃないの」
「ですかー? 村の連中とオンジが仲良くなってくのが見所じゃなかったでしたっけ?」
「見所はクララの感動シーンよ!」
「あ、クララがいたっけな。まーまー、ニュアンスは一緒っすよ。ハイジが来てオンジもフランクフルトのおっさんもロッテンマイヤーさんも皆人が変わったんですよ?」
「だっけー? よく覚えてないわ。にしても会長がオンジ? ないわよ、あんなにお若いのに」
「すいませんっす」
「やめろよー」
「会長が聞いたらむっとしちゃいますよ~~」
ここホントに秘書室? みたいに当分笑い転げて、私はつい会長のことをオンジと言い間違えそうになった。
「……ああ、可笑しい。とにかく~、会長が元に戻られて良かったって話なの。 ねーねー、ところでさ、今日、ケーキ作ってくれるよね?」
「え?」
すかさず最後にリクエストが。
目で同調する皆の衆。
何も知らない室長が戻ってきて……。頭数も揃った所で私は久々に給湯室に立った。
そうか私はハイジとみなされていたのね。
ハイジ……田舎の子ってイメージ。たらふく食って楽しく終業~。
ロッカーのバッグを見るなりどーーんと心が沈んだ。
この傷。
泣ける……。会長がNYで買ってきてくれた(出張はアトランタではなくNY)、記念すべきプレゼント第一号なのに。
どうしよう、これ……。
しゃがんで例の名刺見てしばし固まってしまった。
「あら、どうしちゃったの、それ」
近距離の声にびくっとして見ると吉永さんが覗き込んでいた。
視線の先はもちろんバッグ。
目をぱちくりしてる。
「……駅の近くで人とぶつかって。その時につけられちゃったんです~。歌舞伎町の人みたいなんですけど~~」
名刺を見せて説明をした。
「そうなんだ~。ホスト? 何だか律儀ね~。弁償するって?」
「はあ。お急ぎだったみたいで店に来てくれって。でも私そういう所行ったことなくって。店に入らなくても呼んでもらってくれって言われたんですけど……」
「ふーーん」
吉永さんはしげしげとバッグを眺めたのち言った。
「付いていってあげようか? 早い方がいいでしょう?」
「え?」
新宿ってやっぱ日本有数の歓楽街よね。
入り口過ぎるとドキドキする。
実ははじめてな歌舞伎町。テレビでは良く見るけれど。
やっぱひとりじゃ無理無理。今日はこの人がいるから来れたようなもの。
全然物怖じしない吉永さん。
「ね、ここ、メンキャバじゃない?」
愛のトリマーというどぎついネーミングも自然に感じちゃう、歓楽街ど真ん中のその店の前で平然と言ってのける。
「メンキャバ?」
不思議な顔するだけの私の答えなんてはなから求めてないのだろう。
「入ってみない? そんなに高くつかない筈よ」
「えっ」
『いらっしゃいませ!』ってドラマで見るようなイケメンホストがずらーーっと並んでご主人様挨拶されるのかと思ったらそれほどでもなく、あっという間に席に通される。
ドキドキしながら見回す。小奇麗なアイボリー調の明るい店内だ。
「ちょ、吉永さん……」
早速『ご指名』なんてしちゃって。若い子2人も。
じゃんじゃんオーダー入れてる。
私は、「あ、あの、MIKIさんいらっしゃいますか?」声出すのがやっとだった。
愛想よく返事貰ったのはいいが、彼はすぐに来なかった。ジュースすすりながら見回すと彼っぽい人が遠い角の席で誰かの相手をしているのが見えた。
ドキッとして再認識した。
やっぱりかっこいい。
遠目でもそう思うのだから本物の美形だ。
「あー、ごめんね、待たせちゃって」
あのウルトラ美麗ボイス伴って彼はやってきた。ドキドキする。
隣に座って、ソファが揺れた。ああ、ダメ。免疫ないから。
イケメンの横に座るのなんて会長がはじめてというレベルの私だ。震えさえおこるっつーの。
「わざわざ来てくれたんだー。はじめて、かな?」
ぶんぶん首を縦に振る。
「だよねー。心配しなくていいよ、うちはホストクラブとは違うからね」
「あなたが例の人? かっこいいじゃない」
助かったー。吉永さんがうまいこと言葉をはさんでくれる。
吉永さんて……慣れてるのかな。少なくとも初めてじゃないみたい。さっき、メンキャバって言ってたっけ? 何それ。
吉永さんが隣の彼と喋っているうちに少し気が落ち着いてきた。
「あ、あのー、私、どうすれば」
バッグのことを言ったつもり。
「ああ、バッグ預かってもいいかな」
傍らのバッグを見て彼が言う。疑うわけじゃないけど会長と行くリッチなお店以外では大抵クロークに預けない。万が一何かあったら嫌だから。と、大事にしてるようで普段コーヒー牛乳やら小麦粉やら入れ放題だが。まあそんなものよ。とにかくそばに置いておきたいの。
「は、い」
「荷物入れ替えてもらえる? 何か持ってくるわ」
さっと立ち上がってどこかへ消える。
彼が店内を抜ける間に複数のテーブルよりお声がかかる。
それをまた感じよくキャッチして返して。
人気あるんだな。もしかして1番人気とかそういうの?
「いい感じじゃない。バッグを預けてどうするの?」
「え? いや、あの、しゅ、修理っていうか」
「弁償してもらうんじゃなくって?」
「へ、へんですか?」
私がそう望んだの。
だって会長に買ってもらったバッグ。大切にしたいじゃない。
「修理ってやってるのかな。伊勢丹だよね?」
「は、はあ」
よく知らないけど。
彼は戻ってきた。
その伊勢丹の派手なチェックの袋を持って。
「これでもいいかな」
話は反れるが伊勢丹の紙袋って地方のなじみのない人間にはデパートのそれに見えないよね?
彼が持ってきたのは紙製じゃなくて布製だった。布製もあるの。エコバッグかな。まあそんなことはどうでもいい。
「じゃ、またあとでね」
彼は私たちの席には座らずによそのテーブルに着いた。思わず目で追ってるとそこのお客さんにじろっと睨みつけられた。キャバ嬢系派手なメークの子。コワ。やっぱり人気あるのね。かっこいいもんね。
それはさておき。
彼は高広くんなのか?
何となく。
何となく……だけど、隣に座った感じが会長っぽいような。
ホストにしては品がいいというか。
当てにならないか。
何せ美形遭遇率限りなく0に近い私だし。
悶々として大して食の進まない私と対照的に吉永さんは盛り上がっていた。
この若い子たち気に入ったのかな。
結構オーダーしてるけど値段どのくらいなんだろう。
そういえばこういう所ってバカ高いんじゃないの?
今更ながら不安になってきた頃、彼が再び戻ってきた。
「ごめん、何度も。君の携帯番号教えてもらえるかな」
さっと携帯出して言われる。
何の疑いもなく携帯を差し出した私。思えばぶつかった際にこうしておけば何もここに来る必要はなかった。彼は手馴れた感じでふるふるはじめた。私も合わせる。
「市川香苗さんね。フルネーム貰ってよかったのかな」
言われてはじめて『あっ』と思う。赤面するがもう遅い。
「ええ……」
チラッと見ると当然私のにも彼の名前その他登録されちゃってるわけで。
『不破了』
新規登録されたその名前を確認してドキンとした。
違う……。
まあ、そうか。そうだよね。
「ふ、ふわさん? 不破さんこそ、いいんですか? 本名、ですよね?」
密かな動揺をごまかした。
彼はにこっと笑って「もちろん」と言った。
「仕上がり次第連絡するわ。今日は悪いけどそれで我慢して」
えーん、しゃーない……。
miu miuのお財布がちょいと哀れ。
よく考えればこの荷物の中で一番価値があるのって会長から預かってるカード2枚かも。いや間違いなくそう。
食料その他雑費用に渡されたのと例の飛行機乗り回し用。
特定セレブ用なのか見たことないカードだ。限度額計り知れない不気味なカード。
飛行機の方は別にして、これって会社の経費にちゃんと回されてるんだろうか?
何だかそうじゃない気が。
そんなことを帰り道歩きながら考えていた。幡ヶ谷ですぐ電車降りて吉永さんと別れた。
結局1万オーバーだったらしい、『安いから私が出すわ』と言うのを強引に折半してもらった。
貧乏性のくせに、私。
伊勢丹柄がちょっと恥ずかしい。
そして彼の本名を知ってがっくり。
夜風がまだ冷たい、そろそろ桜が目立ち始めた夜だった。
わけにはいかないよね、アルバイトくんじゃあるまいし。
というわけで昼食後久々に下に降りて秘書室のお手伝いをする。
室長はいなくて、社長が出張中(で暇?)な社長秘書の吉永さんと並んで作業をする。
時折かかってくる社長あての電話の合間にキーボード打ってる感じな吉永さん。不意に話し始めた。
「……なんだかんだ言って面倒見いいのよね、会長」
今回のことね。
室長から秘書室の全員に概要は伝わってるみたいだ。
計画のひとつが『誰かのミスで』大幅に見直さなきゃならなくなった
↓
フォローに名を上げた社長のお気に入り君
↓
を更にフォローするため、会長が出て行った
という所?
「さすが問題処理が抜群に早い。助かってるのよね、実際。アメリカにいらした頃のお知り合いが官庁の現場の中堅どころや他企業の要人でいらっしゃったりするから、会長が話をつけると一発で済んじゃったり、っていうパターンも多くて」
「そうなんですか」
よくわかんないし、適当に頷いておくだけ。いつもの話……。
「実際、気配りとかすごいと思う。社長と副社長がぎすぎすしていたのだって会長が間に入って無言でとりなしてくれたようなものだしね」
社長と副社長ってそんな感じだったの?
想像できないんですけど。
おふたりいつもにこにこして優しい。
「本当は会長職なんて閑職なのよ。あの人の任務は合併関係だけ。専用部署作って承認とったり手続きが面倒だし、急を要する事態だったからお父様の後を引き 継いで会長に就任。……されたのはいいけど、実際はどんどんご負担が増えちゃって。大変だろうって思うからこっちも気を遣うじゃない? でもね、拒絶され ちゃってたのよ、ぜーーんぶ。『余計な気遣いはいらない』って、ずっと……」
「へえ……」
間抜けな相槌を繰り返す私。
何となくわかるな。
気難しいって言っちゃえばそうなんだけどさ。
「誰の言葉も届かなくて。お茶もコーヒーも飲んでもらえなくて。最初の頃は前の室長さんが時々来てくれて、まだそこまでピリピリした感じじゃなかった。ここ1、2年かなあ……。口にしてみるとそんな長い間じゃないわね。とにかく室長がまいっちゃってね」
顔をしかめて笑みを浮かべて。
その表情でもって推して図るべしというもの。
つい数ヶ月前までの会長とこの人たちの関係。
「別にね、会長のお人柄がどうこう言うわけではないのよ」
「はあ……」
「オレ、会長のこと嫌いとか、そういうのじゃないっすよ」
向こうのデスクで作業していた男の社員さんが顔を上げた。
吉永さんの言葉に添えるように。
「オレも。何を言うか一瞬戸惑ってる所を先に怒られちゃう、っていうか。いつもそんな感じなんすよ。むしろ尊敬してますよ。何やっても早いし」
「うんうん。会長は悪い人じゃないっすよ。ただなあ……」
ちょ、相変わらずのこの若者言葉。
秘書室社員にしてそんな口調なんかい。
こういうのこそ会長がいたら怒られそうだが。
「S物産さえねえ」
「S物産がなあ……」
吉永さんと他の社員さんの声が重なった。
「ライバル企業だってのは知っていたけど、なんつーか、そこまでするかってレベル? 因縁めいてませんか。会長お気の毒……」
「オレ、新宿のあっち側行くの激減したんすよ。あん時はさあ、何だかビル見るのも嫌って感じだった」
去年会長の口から聞いたS物産。
やっぱり最大の難点だったのだろうか。
「あれさえなきゃ会長も今頃はアトランタかNYか。キッツイ仕事せずに済んだだろうになあ」
「別の人格だったわね。ここの皆……腫れ物を触るみたいだった」
「ああ、腫れ物! ついこの前までそうだったっすね~。会長に何を出したら喜んでもらえるか……。究極の課題だったな。マジ室長が一番滅入っちゃってさ。 慰めるわけじゃないけどー、『コーヒー入れるマシンもあるし豆もあるし、そこのカフェの店員さんにでも来てもらいますかーー』って、やけくそでそんな話し てたんだよ。そうしたら次の日こいつがエレベーターで君のこと話してるの聞いてきてさ。速攻で室長が調べて、ここへ来てもらったんだ」
「うんうん。何も考えずに皆、『それだ!』って。くく、今思うと笑い話だな」
そうなのね……。
カフェの店員て。やっぱり茶汲み『のみ』の採用だったの。
何てまあ贅沢な職場。いやいや、この人たちには死活問題だったんだ。
「市川さんに来てもらってホントによかったー。それでも最初は難儀するだろうって心配してたけど。プロってやっぱ違うんだなー。会長の表情が違うよ」
「前はあんな風だったんだよな。若返られたよ」
「誰かが、『北風と太陽』みたいだって言ったらさ、こいつが、それよか『アルプスの少女ハイジ』だろうって」
えっ? ハイジ?
「うんうん。でしょ?」
「まーなー。ニュアンスは合ってるよな。市川さんは知らないかな。ハイジ」
知ってますよ~。
私がハイジ?
何その例え。
会長が……オンジーー?
「うくっ」
私は思わず噴出した。
口押さえていたのに。
見事ツボにはまってしまったのか、ククククと腹の底から湧き上がる気味の悪い笑いが止まらない。
「ちょ、やめてくださいよっ」
そう言ったつもりだったのに、多分変な発音にしかならなかった。
それにつられちゃったのか部屋に笑い声が響いた。
「やだー、やっぱ微妙じゃない? ハイジは逆でしょ、オンジがハイジの世話してあげるんじゃないの」
「ですかー? 村の連中とオンジが仲良くなってくのが見所じゃなかったでしたっけ?」
「見所はクララの感動シーンよ!」
「あ、クララがいたっけな。まーまー、ニュアンスは一緒っすよ。ハイジが来てオンジもフランクフルトのおっさんもロッテンマイヤーさんも皆人が変わったんですよ?」
「だっけー? よく覚えてないわ。にしても会長がオンジ? ないわよ、あんなにお若いのに」
「すいませんっす」
「やめろよー」
「会長が聞いたらむっとしちゃいますよ~~」
ここホントに秘書室? みたいに当分笑い転げて、私はつい会長のことをオンジと言い間違えそうになった。
「……ああ、可笑しい。とにかく~、会長が元に戻られて良かったって話なの。 ねーねー、ところでさ、今日、ケーキ作ってくれるよね?」
「え?」
すかさず最後にリクエストが。
目で同調する皆の衆。
何も知らない室長が戻ってきて……。頭数も揃った所で私は久々に給湯室に立った。
そうか私はハイジとみなされていたのね。
ハイジ……田舎の子ってイメージ。たらふく食って楽しく終業~。
ロッカーのバッグを見るなりどーーんと心が沈んだ。
この傷。
泣ける……。会長がNYで買ってきてくれた(出張はアトランタではなくNY)、記念すべきプレゼント第一号なのに。
どうしよう、これ……。
しゃがんで例の名刺見てしばし固まってしまった。
「あら、どうしちゃったの、それ」
近距離の声にびくっとして見ると吉永さんが覗き込んでいた。
視線の先はもちろんバッグ。
目をぱちくりしてる。
「……駅の近くで人とぶつかって。その時につけられちゃったんです~。歌舞伎町の人みたいなんですけど~~」
名刺を見せて説明をした。
「そうなんだ~。ホスト? 何だか律儀ね~。弁償するって?」
「はあ。お急ぎだったみたいで店に来てくれって。でも私そういう所行ったことなくって。店に入らなくても呼んでもらってくれって言われたんですけど……」
「ふーーん」
吉永さんはしげしげとバッグを眺めたのち言った。
「付いていってあげようか? 早い方がいいでしょう?」
「え?」
新宿ってやっぱ日本有数の歓楽街よね。
入り口過ぎるとドキドキする。
実ははじめてな歌舞伎町。テレビでは良く見るけれど。
やっぱひとりじゃ無理無理。今日はこの人がいるから来れたようなもの。
全然物怖じしない吉永さん。
「ね、ここ、メンキャバじゃない?」
愛のトリマーというどぎついネーミングも自然に感じちゃう、歓楽街ど真ん中のその店の前で平然と言ってのける。
「メンキャバ?」
不思議な顔するだけの私の答えなんてはなから求めてないのだろう。
「入ってみない? そんなに高くつかない筈よ」
「えっ」
『いらっしゃいませ!』ってドラマで見るようなイケメンホストがずらーーっと並んでご主人様挨拶されるのかと思ったらそれほどでもなく、あっという間に席に通される。
ドキドキしながら見回す。小奇麗なアイボリー調の明るい店内だ。
「ちょ、吉永さん……」
早速『ご指名』なんてしちゃって。若い子2人も。
じゃんじゃんオーダー入れてる。
私は、「あ、あの、MIKIさんいらっしゃいますか?」声出すのがやっとだった。
愛想よく返事貰ったのはいいが、彼はすぐに来なかった。ジュースすすりながら見回すと彼っぽい人が遠い角の席で誰かの相手をしているのが見えた。
ドキッとして再認識した。
やっぱりかっこいい。
遠目でもそう思うのだから本物の美形だ。
「あー、ごめんね、待たせちゃって」
あのウルトラ美麗ボイス伴って彼はやってきた。ドキドキする。
隣に座って、ソファが揺れた。ああ、ダメ。免疫ないから。
イケメンの横に座るのなんて会長がはじめてというレベルの私だ。震えさえおこるっつーの。
「わざわざ来てくれたんだー。はじめて、かな?」
ぶんぶん首を縦に振る。
「だよねー。心配しなくていいよ、うちはホストクラブとは違うからね」
「あなたが例の人? かっこいいじゃない」
助かったー。吉永さんがうまいこと言葉をはさんでくれる。
吉永さんて……慣れてるのかな。少なくとも初めてじゃないみたい。さっき、メンキャバって言ってたっけ? 何それ。
吉永さんが隣の彼と喋っているうちに少し気が落ち着いてきた。
「あ、あのー、私、どうすれば」
バッグのことを言ったつもり。
「ああ、バッグ預かってもいいかな」
傍らのバッグを見て彼が言う。疑うわけじゃないけど会長と行くリッチなお店以外では大抵クロークに預けない。万が一何かあったら嫌だから。と、大事にしてるようで普段コーヒー牛乳やら小麦粉やら入れ放題だが。まあそんなものよ。とにかくそばに置いておきたいの。
「は、い」
「荷物入れ替えてもらえる? 何か持ってくるわ」
さっと立ち上がってどこかへ消える。
彼が店内を抜ける間に複数のテーブルよりお声がかかる。
それをまた感じよくキャッチして返して。
人気あるんだな。もしかして1番人気とかそういうの?
「いい感じじゃない。バッグを預けてどうするの?」
「え? いや、あの、しゅ、修理っていうか」
「弁償してもらうんじゃなくって?」
「へ、へんですか?」
私がそう望んだの。
だって会長に買ってもらったバッグ。大切にしたいじゃない。
「修理ってやってるのかな。伊勢丹だよね?」
「は、はあ」
よく知らないけど。
彼は戻ってきた。
その伊勢丹の派手なチェックの袋を持って。
「これでもいいかな」
話は反れるが伊勢丹の紙袋って地方のなじみのない人間にはデパートのそれに見えないよね?
彼が持ってきたのは紙製じゃなくて布製だった。布製もあるの。エコバッグかな。まあそんなことはどうでもいい。
「じゃ、またあとでね」
彼は私たちの席には座らずによそのテーブルに着いた。思わず目で追ってるとそこのお客さんにじろっと睨みつけられた。キャバ嬢系派手なメークの子。コワ。やっぱり人気あるのね。かっこいいもんね。
それはさておき。
彼は高広くんなのか?
何となく。
何となく……だけど、隣に座った感じが会長っぽいような。
ホストにしては品がいいというか。
当てにならないか。
何せ美形遭遇率限りなく0に近い私だし。
悶々として大して食の進まない私と対照的に吉永さんは盛り上がっていた。
この若い子たち気に入ったのかな。
結構オーダーしてるけど値段どのくらいなんだろう。
そういえばこういう所ってバカ高いんじゃないの?
今更ながら不安になってきた頃、彼が再び戻ってきた。
「ごめん、何度も。君の携帯番号教えてもらえるかな」
さっと携帯出して言われる。
何の疑いもなく携帯を差し出した私。思えばぶつかった際にこうしておけば何もここに来る必要はなかった。彼は手馴れた感じでふるふるはじめた。私も合わせる。
「市川香苗さんね。フルネーム貰ってよかったのかな」
言われてはじめて『あっ』と思う。赤面するがもう遅い。
「ええ……」
チラッと見ると当然私のにも彼の名前その他登録されちゃってるわけで。
『不破了』
新規登録されたその名前を確認してドキンとした。
違う……。
まあ、そうか。そうだよね。
「ふ、ふわさん? 不破さんこそ、いいんですか? 本名、ですよね?」
密かな動揺をごまかした。
彼はにこっと笑って「もちろん」と言った。
「仕上がり次第連絡するわ。今日は悪いけどそれで我慢して」
えーん、しゃーない……。
miu miuのお財布がちょいと哀れ。
よく考えればこの荷物の中で一番価値があるのって会長から預かってるカード2枚かも。いや間違いなくそう。
食料その他雑費用に渡されたのと例の飛行機乗り回し用。
特定セレブ用なのか見たことないカードだ。限度額計り知れない不気味なカード。
飛行機の方は別にして、これって会社の経費にちゃんと回されてるんだろうか?
何だかそうじゃない気が。
そんなことを帰り道歩きながら考えていた。幡ヶ谷ですぐ電車降りて吉永さんと別れた。
結局1万オーバーだったらしい、『安いから私が出すわ』と言うのを強引に折半してもらった。
貧乏性のくせに、私。
伊勢丹柄がちょっと恥ずかしい。
そして彼の本名を知ってがっくり。
夜風がまだ冷たい、そろそろ桜が目立ち始めた夜だった。
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正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
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