碧天のノアズアーク

世良シンア

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ダスク・ブリガンド編

16 ダスク壊滅作戦Ⅲ

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side 九条湊

『ドドオーンッ!』

巨大な爆発音。土煙が辺りへと爆発的に蔓延する。そのような不明瞭な視界の中でもぶつかり合う、二人のシルエットがあった。

「……妙だな」

「え、妙って何がー?」

「ノアならあの程度の小物、瞬殺できる。だがそれをしないということは……何か考えがあるのかもしれないな」

ここまではノアが少し劣勢と感じるような戦いぶりをわざと見せている。それはノアが意図的にしているはずだ。まあおおよその検討はつくが……。

「シン。手から血が出てるぞ」

相当力を込めていたのだろう。手のひらから流れ出た血が握りしめた指を伝って、地面へぽたぽたと落ちている。そしてその顔は明らかに怒りに満ちていた。

「……」

これは聞いてないな。ノアのこととなるとシンは周りが見えなくなる。そこがシンの唯一の欠点だ。

「おい、テメェら!俺らの縄張りで何してくれてんだ?!」

ノアの戦いを見守っていたところ、雑魚その一が突っかかって来た。後方には数十人の雑魚が控えている。

「ノアの邪魔をさせるわけにはいかないな」

俺は刀を鞘から抜き、構えを作った。それに合わせて、皆も戦闘態勢に入る。

「たった数人ぽっちで何ができるってんだ?お前ら、こいつらを囲め!」

黒服どもは俺たちの周囲を取り囲み、三百六十度全てが黒服どもで埋め尽くされた形となった。

「湊は後方。カズハとエルは右側。リュウは左。俺が前方」

素早く指示を飛ばすシン。ノアのことで頭がいっぱいのはずだが、的確な指示を俺たちに出した。仲間を守る意識は少なからずあるようだな。いい成長だ。

こんな風にノアや秀がいない時は、基本的にシンが指揮を取ることが多い。その思考力・判断力の速さには毎度皆が驚かされている。

ノアや秀がいてもいなくてもシンは有能だが、いなくなるとさらにそれが目立つ。

まあ早くノアの側に行きたいという思考から、この優秀さが生まれているのかもしれないがな。

「了解した」
「りょうかーい」
「分かりました」
「……うん」







side ノア=オーガスト

「おいおい大したことねぇな、ガキ!」

オレは殴られた箇所を右手で押さえながら剣を構える。

「グリム・リーパーの方がよほど殴りがいがあったぜ」

「……っ!」

このクズヤロウが!!

「まあ殴れりゃ誰でもかまわねぇがなぁ。ファイアーキャノン!」

再び炎系統の中級氣術を放つクズヤロウ。オレはそれを寸前でかわし、クズヤロウのもとへと走り込む。

だが、クズヤロウはそれを見越したかのように、オレの振り下ろした剣を、右足を半歩下げることでかわした。これによりクズヤロウの身体の位置はオレが想定していた位置からずれ、剣は空を切る。

その隙を逃さず、クズヤロウはオレの土手っ腹に一発重い拳を入れた。

「くはっ……!」

『バゴォンッ!』

オレは思いっきり後方へと吹っ飛び、近くの岩に背中を打ちつけた。

クズヤロウは避けた際に半歩引き、さらには腰のひねりを入れての殴りを可能とした。クズヤロウからしたら、いいのが入った、と感じだろう。

「はっはーっ!いいとこにサンドバックがあったからなぁ。つい思いっきりなぐっちまったぜ。大丈夫かぁ?くそガキィ」

クズヤロウは活き活きとしていた。オレが吹っ飛んだことがたまらなく面白かったのだろう。

ほんとにクズだな、こいつ。

オレはゆっくりと起き上がり、苦痛に歪んだ表情と声を出す。

「うぅっ……な、なんて、強さだ……!」

そしてついでにクズヤロウを煽てた。ちょい棒読みっぽかったかもだけど、そこは気にしないでほしい。

「殴りがいがあるサンドバックで助かるなぁ。だがお前は俺様の城を壊し、俺様の所有物を奪ったという二つの重罪を犯してやがる。……これはもう、殺すしかねぇよなぁ?!!」

クズヤロウの渾身の右ストレートがオレの顔面めがけて飛んでくる。

……そろそろ、いいか。

「ギャァァッッッ!」

クズヤロウの右腕から大量の血が噴水のように噴き出した。切り離された方の右腕部分は宙を舞い、ストンと落下する。

クズヤロウは左手で傷口を押さえようとするが、嘲笑うかのように血液はとめどなく流れていく。クズヤロウが座り込む地面には小さな血の池が形成されている。オレの靴にもその血がついた。

だがオレはそんなことはお構いなしに、血の池の中心部へと進んでいく。歩くたびにペチャペチャと不快な音が聞こえてくる。

ああ、耳障りな音だな。

「いてぇいてぇいてぇいてぇ!」

クズヤロウの目には微かに涙も見える。

……ふざけてるのか?こいつは。

「おいおい、この程度のことで随分と大袈裟じゃないか?」

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!」

クズヤロウはオレを睨みつけながら、決して叶わぬ言葉を連呼する。

オレはクズヤロウの左側頭部を殴った。

「ぐはっ……」

『バシャン!』

クズヤロウは血の池にべったりとその身体を打ち付ける。

「なに声上げてんだよ?しかも涙まで浮かべてさー……っざけんじゃねぇぞ!クズヤロウ!!」

「がはっ!」

オレはクズヤロウに一発蹴りを入れた。

「も、もう、ゆ、許して、くれ……」

「…………」

涙声で命乞いをするクズヤロウ。

お前がリュウにしてきたものはこんなもんじゃないだろ?

しかも、リュウはお前と違って声も上げず涙も見せることなく、ずっとずっとずっと我慢してきたんだぞ!

リュウを痛めつけやがった張本人のくせになんだこのザマは。

ふざけやがって!!

オレは頭に血が上りすぎていた。最初はわざとオレが負けそうな雰囲気に持ち込んで、油断したところを叩くっていう安全策でいくつもりだった。

途中まではその通りだったけど、なぜかだんだんとこいつへの怒りが蓄積していってしまい、ついには腕を切り落とし、痛めつけるというなんとも非道な手段に走ってしまった。

オレがクズヤロウと同じに成り下がっていることは分かっている。だがそれで構わない。

オレはリュウを……仲間を傷つけたやつは絶対に許さない。どんな非道なことでもやってやるさ。

「許せ、だと?」

オレは今自分でもビックリするぐらい低い声が出てる気がしている。オレってこんなに怒れたのか。

「……っ……ああ、か、金なら、いくらでもあんだよ。……だ、だからっーーー」

オレはクズヤロウの首を右手で握り、その巨体を軽々と持ち上げた。

「うぐっ……」

切られた腕からは血がだらだらと流れている。オレはその腕に左手をかざす。

無限再生クロノライズ

これにより、クズヤロウの腕は一瞬にして元に戻った。

「……っ!」

クズヤロウは自分の腕が戻ったことに驚いている。当然善意で治したわけじゃない。

「まさかお前、許されたー、とか思ってないよな?」

違うのか?と言いたそうなマヌケな顔。

「勘違いするなよ。お前が死んじまったらこれ以上の苦痛を与えられないじゃないか。だから治した。まだまだお前は償えてなどいない。……地獄はここからだぞ?クズヤロウ」

オレは射殺すような目でクズヤロウを睨んだ。

ただでは死なせない。リュウが味わった苦しみの全てを、お前の体に刻み込んでやるよ。








side ゴードン

「っなぜ!なぜ、まだあのガキを捕らえていないんだぁ!」

俺様の城でギャーギャーと騒ぐクソデブ。

ッチ……!

「だから言ってんだろうが。明日にはここに連れて来てやるってなぁ」

マジでこいつをしばきてぇな。もう依頼完了の前に殺すか……?

「本当だろうなー!もし、もし、僕の目の前に連れて来れなかったら、お前らへの資金援助も無しにしてやるからなー!!」

……マジ殺してぇ。だが依頼が完了してからじゃねぇと意味がねぇ。

あと一日だ。あと一日耐えればこいつともおさらばだ。

「わーってるよぉ。ほら、とっとと去れ」

俺様は虫を払うようにクソデブを追い出す。

「あ、そうだ。僕今日ここに泊まるからな。帰るには暗すぎるし、怖いし……と、とにかく、僕がいるんだからうるさくするなよ!」

『バタン!』

「………」

あのクソデブ……俺様の城で好き勝手しやがって……!

「くそがああああっっ!」

俺様は手当たり次第にその辺にあるもの全てを殴り壊していく。物が壊れるこの感覚は俺様を落ち着かせてくれる。

たが、この怒りはこんなもんじゃ収まらねぇなぁ。

「おい!」

「は、はい!」

俺様の駒がすぐに扉を開けて入って来た。

「サンドバックをもってこい」

「わ、わかりました!」

やっぱ人間じゃねぇと興奮しねぇんだよなぁ。あの苦痛に歪む顔や泣き叫ぶ声はたまらねぇ。

はやく殴らせろ……!





「…………」

「あ?死んじまってんのか……?つまんねぇなぁ、おい」

このサンドバックを殴り始めてからまだ一時間。他のも合わせりゃ合計十時間ってところだが、どいつもこいつもすぐにおっ死んじまうじゃねぇか。

役に立たねぇ駒どもだなぁ。仕事もできねぇ、俺様の欲も満たせねぇ。やっぱ話にならねぇな、この駒どもの低脳さは。

……いっそのことあれを実行に移しちまうか。

俺様はあちこちに飛び散っている血で染められた床を無視して、この部屋の奥にある他より大きな机に向かう。

そして引き出しを開け、紙とペンを取り出す。

『ドミニク。お前にいい話を持って来てやったぜ。明日の夜、俺様の根城に来い。断るっつうならそれまでのことだが……お前ら最近、献上金が足りてねぇらしいなぁ。俺様の話はそれを一発で解決できる最高のもんだ。断る理由はねぇよなぁ?』

俺様は書き殴った文書を丸め、紐で軽く縛る。

これを送る理由は簡単だ。こいつでドミニクを呼び出し殺す。そして俺様がブリガンドのリーダーとなり、ドミニクの駒を全てかっさらう。完璧な計画だぜ。

「おい!」

俺様は扉がある方へと声を出す。

「はいっ!」

扉を開けて入って来たのは、昨夜俺様のサンドバックを持ってきた駒だった。駒は慌てた様子で俺様の前までくる。

「こいつをブリガンドへ渡してこい」

「わ、わかりました。し、失礼しますっ!」

直角にお辞儀をした駒は、逃げるように部屋から出て行った。

「そういや、あのゴミを始末させるのを忘れてたなぁ」

俺様は多量の血の跡の上に転がる死体を見る。

「まあ後でーーー」

『バタン!』

「おい、ゴードン!昨夜の大きな物音と悲鳴はなんだ?!全然寝れなかったじゃないか!!」

……今最もぶち殺してぇ雑魚ナンバーワンが来やがった…………。

「ああ?しらねぇよ!」

「な、なんだ、その態度!依頼主に向かって……!決めたぞ。もうこれ以上ダスクへの支援金は無しにすると父上に報告する!」

……殺す。こいつはマジでぶっ殺す……!

俺様の怒りが頂点に達した瞬間、奥からノック音が俺様の耳に届いた。

「大変ですよ、ボス!」

ッチ。どいつもこいつもうるせぇなぁ!

「んだよぉぉ!!」

「ヒェッ……いやあの、ダ、ダスクの縄張りに侵入者が……」

侵入者だぁ?捨てられた土地であるこんなとこにかぁ?……狙いはもしやここか?

俺様は息を整え、怒りをなんとか抑える。

「数は何人だぁ?」

「えと、七人です。その中にターゲットもいるらしく……」

ノアとかいうガキだったか?はっ。あっちから来てくれるっつうなら好都合じゃねぇか。

「ネッグたちがどうにかすんだろ。もし抜けられたとしても、俺様直々に相手すりゃあ何の問題もねぇ。駒どもに伝えろ。侵入者は無視しろってなぁ」

「無視、ですか?」

「そう言ってんだろうが。根城に残ってるやつらは待ち伏せ要員だ。わざわざ出向いて相手する必要はねぇ。入り口付近に配置させておけ」

「は、はい!」

この場所がバレても問題ねぇ。なぜなら俺様が全員ぶっ殺すんだからなぁ。








『ドドドーーーン』

突如俺様の根城が破壊される音がした。天井からはぼろぼろと細かい瓦礫や砂が落ちて来る。

おいおい。何を勝手なことしてくれてんだぁ?俺様の根城が崩れちまうじゃねぇか。

「た、助けてくれー!」

俺様の後方からクソデブのクソ声が鳴り響く。

「……」

俺様は無視して侵入者を殺しに行こうとした。が……。

「な、なぜ助けない?!僕はグーザー伯爵家の次期当主なんだぞ?!お前には絶対に金は払わないからなーー!」

「ピーピーキャーキャーうるせぇんだよぉ!クソデブ!!」

俺様は瓦礫で動けないクソデブの頭を勢いよく踏んづけた。

『バンッ!』

硬い床にクソデブの頭がめり込む。軽く血が飛び散り、クソデブはピクリとも動かなくなった。

「やっと静かになったなぁ。お前は大人しくここで死ね」

俺様はクソデブの汚ねぇ頭から足を離し、侵入者の排除へ向かった。

扉を開けると、土煙が蔓延しており前が見えない状態になっていた。

「うぅ……」

周りには倒れた駒どもが多数いやがった。

「ッチ……!」

ほんとに使えねぇ奴らだ。

「ファイヤーキャノン!」

俺様は駒どもなどお構いなしに氣術を放つ。この距離じゃどうせ避けられるだろうが、俺様の実力に恐れ慄けや!

「やっぱ俺様の炎は最高だぜ」

俺様が燃えた根城から出ると、ターゲットのガキとその他が待ち構えていた。

「おいおいおいおい!なんだってんだ、いきなりよぉ。お前らのせいで俺様の城が炭になっちまうじゃねぇか。ああ?!」

そしてその中には見覚えのあるやつがいやがった。

「ああん?おいこら、グリム・リーパー。お前、なんでそいつらに味方してやがる?お前は俺様の駒だ。駒がキングに逆らっていいと思ってんのかぁ?!」

化け物のくせに何人間ぶりやがってんだぁ?

「ぼ、僕は……お前の、駒じゃない……!」

一丁前に反抗してやがんなぁ。

こりゃあ、俺様が再教育してやらねぇとなぁ。

「はあ?なんだお前。まさかこいつらにたぶらかされて、僕は人間だー、とか思ってんじゃねぇだろうなぁ?忘れたのか?お前はつーーー」

……!氣弾だと?!

「その口閉じろよ!クズヤロウ!!」

氣弾が目前に迫る。俺様は炎を纏った右腕で弾いた。

「ッチ……!」

なんだこの氣弾。威力が半端じゃねぇ。腕がジンジンしやがる。

油断ならねぇなぁ、おい。

「イテェじゃねえか。テメェはたしか、今回のターゲットだったなぁ。……グリム・リーパーは後回しにしてやる。テメェは俺様直々に殺してやるぜ!光栄に思えや!!」

「みんなは手を出すなよ。あいつはオレの獲物だ」

いきがってんじゃねぇぞ、ガキ!

「ハハハッ。名誉に思え!」






「おいおい大したことねぇな、ガキ!」

ガキは殴られた部分を押さえ痛みに耐えようとする。

あの氣弾の威力は本物だと思ったが……気のせいだったかぁ?弱すぎて話にならねぇぜ。

俺様はさらにファイヤーキャノンを撃ち、ガキをビビらせた。だがやつはギリギリで俺様の氣術を交わしこちらへ飛び込んできやがった。

……ふん。あめぇなぁ!!

「くはっ……!」

『バゴォンッ!』

俺様の拳でぶっ飛んだガキは勢いよく岩に衝突した。

はっ。いい飛びっぷりじゃねぇか。

「はっはーっ!いいとこにサンドバックがあったからなぁ。つい思いっきりなぐちまったぜ。大丈夫か、ガキ」

さて、そろそろ終いにしようぜ。

俺様はガキへと近づいていく。

「うぅっ……な、なんて、強さだ……!」

ガキは俺様の強さに恐れ慄いている様子だ。今更気づいてもおせぇんだよぉ。

「殴りがいがあるサンドバックで助かるなぁ。だがお前は俺様の城を壊し、俺様の所有物を奪ったという二つの重罪を犯してやがる。……これはもう、殺すしかねぇよなぁ?!!」

俺様は渾身の右ストレートをガキの顔面目掛け放った。

その直後のことだ。俺様の右腕がなくなっていることに気づいたのは……。

「ギャァァッッッ!」

な、なぜ、俺様の腕がねぇんだ……!!

「いてぇいてぇいてぇいてぇ!」

こんな痛み知らねぇぞぉ。いてぇ。いてぇ。

……いてぇぇぇぇぇぇっっっ!!

「おいおい、この程度のことで随分と大袈裟じゃないか?」

ガキは苦しむ俺様を見下ろしてやがった。

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!」

俺様はガキを睨みつけた。

ぜってぇに殺すっっ!






「も、もう、ゆ、許して、くれ……」

いてぇよぉ。もういやだ。たすけてくれよぉ。

この男、ゴードンは痛みに耐性がなかった。自分が痛めつけられることは一度もなかったのがその主な要因であろう。ゴードンは体も心も疲弊し切っていた。

無限再生クロノライズ

ノアの特殊氣術により、ゴードンの腕は復活した。

「……っ!」

う、腕が……俺様の腕が戻ってる……!

ゴードンは歓喜した。戻るはずのない腕が戻ったことに。そして何より、痛みが和らいだことに。

「まさかお前、許されたーとか思ってないよな?」

ち、違うのか?治したんだから、許してくれたんじゃ……。

ゴードンは困惑する。だが、ゴードンはこの後何が起こるのかを知っているはずだ。なぜならゴードンも同じようなことをしていたのだから……。

「勘違いするなよ。お前が死んじまったらこれ以上の苦痛を与えられないじゃないか。だから治した。まだまだお前は償えてなどいない。……地獄はここからだぞ?クズヤロウ」

ノアとは意図が違うが、ゴードンも自身の欲を満たすため、死ななかったサンドバックを治しては殴り治しては殴りを繰り返していた。毎回そうしていたわけではないが、最近はそれをする傾向が強かった。

自身が痛めつけた相手が泣き叫ぶ声に興奮していたゴードン。これはそんな男が今度は泣き叫ぶ側に回った瞬間であった。









side 桜木イオリ

「……ふぅ。なんとか逃げ切れた、かな……」

左肩を押さえながら、なんとか足を動かしてここまで来た。ここはあの激闘をした場所からおよそ一キロメートルは離れていると思う。

神隠かみかくしを使っていなかったら確実に死んでいたよ……」

神隠は桜木家に伝わる秘術だ。これは僕やお祖父様のように特殊な力を持っていなければそもそも行使不可能な氣術。しかも練る時間もかかるから発動までのスパンが長い。だけどその分、神がかった効能が期待できる。

僕は近くの木に寄りかかり、そのまま座り込む。脅威が去ったことをようやく実感し、安堵した。

「ギリギリ練り終わらなかったから、ちょっと負傷したけど、この程度で済んでよかった……」

僕は出血した左肩を見る。右手で押さえているから分からないけど、鋭い氷の針が刺さったんだ。ぽっかりと穴が空いていてもおかしくはない。

こんなに負傷するのは三年前のアンフェール以来だよ。

「早くポーションを飲まないと……」

僕は左手の人差し指につけた指輪型のエスパシオから、赤色のポーションを一瓶取り出した。それをどうにか左手のみで蓋を開けて口に運ぶ。

「…………ふぅ……これで治るはず……」

僕はゆっくりと左肩を押さえていた右手を離そうとした。しかし、奇妙なことに気がついた。

「……!なんでまだ血が流れてるんだ……?!」

右手を離した途端、ダラダラと肩から血が流れ出した。僕はすぐに右手で力強く押さえ、出血を防ごうとする。

赤色のポーションは、全ポーションの中で二番目に効力のあるもののはずだ。だというのに、全く効いていない。ただ、僕の身体は実はポーションと相性が悪い。原因は不明だけど、赤色のポーションよりも効力が低いものに関してはほとんど効果が期待できない。だからこそ、僕が常備するのは常に赤色のポーションだけだ。値は張るが、命には変えられない。

赤色のポーション。これが僕の最後の命綱だ。こうやってひとり窮地に陥った際の頼みの命綱。だというのに、その綱は今だけはなぜか千切れてしまっている……。というよりも、そんなものは元から存在してなかったとさえ感じてしまう。

傷が塞がらないなんて、こんなこと今まで一度だってなかったのに、なぜ……。

「…………ふぅ……」

僕は木々が生い茂る空を眺めながらため息をついた。ひと呼吸おいて思考を落ち着ける。

「仕方ない。もう少しここで体を休めよう」

なぜポーションがこんなにも効かないのか、それはたしかに気になることではある。だけど僕が今すべきことの優先順位を考えると、これは後回しにするべき事案だろう。今は、体力を少しでも取り戻して陛下にご報告するのが先だ。

少しばかり悩んだものの、僕はしばらくこのまま休憩を取ることにした。

そして数分後……。

「そろそろ行こう」

僕は傷口を抑えながら立ち上がり、帝都アクロポリスを目指す。

早く陛下に報告しなければ……!
それに……

ああ、早くミオに会いたい。



















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