婚約者の前で奪われる!?王太子が僕の番だった夜

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右手の婚約者、左手の番

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 列の足は、自然と止まった。

 普段なら整然と進むはずの列も、この異常な状況に前へ進む者はいない。

 嘘だろ。
 僕達の目の前で、王太子殿下が立ち止まるなんて。

 僕の心臓は、早鐘のように鳴っていた。

「……名を教えてくれないか?」

 その声は、噂に聞いていた“冷徹な王太子”とはまるで別人だった。

 柔らかく、甘く、まるで恋人を呼ぶような声音。

 え? え、僕に……?

 思わず顔を上げる。
 王太子殿下の視線は、確かに僕を捉えていた。

 冷たく鋭いはずの眼差しが、まるで春の陽のように優しく、心を掬い上げる。

 喉の奥が詰まり、息をすることさえ忘れてしまいそうだった。

「エリオット殿下……! 私の名前はミネルヴァです!」

 前に並んでいた女性が勢いよく名乗り出た。

 身長は低めで、黒髪をゆるく巻き、王太子殿下の瞳の色に良く似た薄紫のドレスを纏っている。

 けれど、王太子殿下の瞳は彼女を映していなかった。ちらりと視線を向けると、

「……お前じゃない。名呼びの許可を与えていない者に、私の名を呼ぶ権利はない」

 その声は、先ほどまでの甘さとは打って変わり、氷のように冷たい。

 空気が一瞬で凍りつく。

 リリアナが隣で小さく身をすくめるのがわかった。

 彼女の手が、僕の右手をそっと握る。
 婚約者として当然のふるまい。いつもの優しい温もり。

 ……けれど。

 次の瞬間、左手が別の温もりに包まれた。

 えっ……!?

 王太子殿下の指先が、迷いなく僕の手を取っていた。

 その手のひらの熱が、指先から胸の奥まで伝わる。

 右手にあるリリアナの温もりとは、まるで違う。

 穏やかではなく、強く、熱く、魂を焦がすような……そんな温度。

「……私が名を聞きたいのは、あなただ。愛しい番」

 蕩けるような甘さを帯びた声が、真っ直ぐ胸に落ちる。

 周囲のざわめきも、婚約者の存在も、もう遠くへと霞んでいた。

 見惚れてはいけないと思うのに、どうしても目を逸らせない。

 手のひらの熱、視線の強さ、鼓動の速さ、全部、混ざって息ができない。

 でも、僕は必死に冷静さを取り戻そうとした。

「失礼ながら……王太子殿下。僕は男ですし……これは、何かの間違いでは……?」

 無意識に言葉が漏れた。
 許可もなく発言してしまったことに気づき、心臓が跳ね上がる。

 けれど、王太子殿下は微笑んだ。
 その瞳の奥には、迷いの欠片もない。

「いいや。間違いなどではない。運命とは、時に常識を嘲笑うものだから」

 しっかりと触れているはずなのに、右手の温もりが遠のいていく気がした。

 ただ左手の熱だけが、確かに、僕をこの世界に繋ぎとめていた。

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