まったく知らない世界に転生したようです

吉川 箱

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ひととせ明けの咲く花月

第39話

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 庭は綺麗で豪華でも、至る所に歴代皇王の怯える姿が見えるようだ。人の愚かさばかりが目に付いてしまう。ふう、と一つため息を吐く。ルクレーシャスさんは微かに笑った。
 というわけで、バルタザールが来ないことが分かっていればぼくにとっても、皇宮ほど安全な場所ないのだ。ジークフリード自らがぼくを侍従にと皇王へ直談判したこともあり、不敬を働かれることもないだろう。ルクレーシャスさんも一緒だしね。
「さぁ、今日はまず天文学の先生におやつを気に入っていただかなくては」
「わたくしの分はちゃんと取っておいてあるんでしょうね?」
「もちろん。ちゃんとベッテに『これはルカ様の分』って伝えてありますよ」
 そう。ジークフリードの教師たちは皆、侯爵伯爵家の次男や三男ばかり。皇太子殿下の教師なので、身分も高い。身分の高い貴族にぼくの作るお菓子は珍しいし、美味しいと噂していただくのだ。せっかくの機会、地道に味方を増やす作戦なのである。なので心証をよくするため、少し早めにジークフリードに指定された部屋へ到着した。フローエ卿は廊下の外で待つ体制だ。多分、こういう合間に皇王へ報告に行ってるんだと思うから居なくなってても気にしない。ルクレーシャスさんが扉をノックすると、オーベルマイヤーさんが中から顔を出す。
「おや、スヴァンテ様。お早いですね」
「ええ。楽しみで待ちきれなくて。初めまして、スヴァンテ・フリュクレフと申します」
 ルカ様の腕から下りて、胸へ手を当てて左足を下げる。年の頃は二十歳くらいだろうか。アッシュブロンドの髪、神経質そうなスモークブルーの瞳、モノクルの青年へ頭を下げた。青年はまるで不躾にご令嬢を眺めて叱られたような表情で頬を染め、ぼくの唇の左下を見た後、視線を泳がせた。
「……っ、エーベルハルト・ルーデンと申します。お遊びではないのです。殿下のお邪魔にならぬよう、しっかり学ばれますよう」
「はい。よろしくお願いします、エーベルハルト卿」
 久々真っ向からの悪意を向けられた。エーベルハルト・ルーデンといえば、皇族派派閥である伯爵家の三男だったはずだ。エーベルハルトが胡散臭そうにルクレーシャスさんへ視線を送る。
「で? そちらは? 付き人は別室で控えていてもらおうか」
「エーベルハルト卿、そちらはスヴァンテ様の侍従ではなく、ベステル・ヘクセ様です……っ!」
 オーベルマイヤーさんが慌てて割って入ったけれど、もう遅い。ルクレーシャスさんはぼくらが座るように置かれた机の向かいへ魔法でソファを置いて、足を組んで行儀悪く背もたれへ凭れて顎を上げた。完全に不機嫌を露わにして、エーベルハルトを見下ろす。
「そこまで言うのだ、わたくしの弟子だけではなく、わたくしも楽しませてくれるような素晴らしい授業をするのだろうな?」
 もうやだこの師匠。喧嘩っ早い。早すぎる。お菓子のことだけ考えてたい。泣きそう。
「……っ」
 顔を真っ赤にして拳を握ったエーベルハルトは、食いしばった歯の間からどうにか挨拶を絞り出した。
「……偉大なる魔法使いにお会いできて光栄です……」
 絶対に光栄だなんて思っていないエーベルハルトの挨拶を無視して、指で空中を掻き回す。籐の籠がどこからともなく現れた。中身はおやつである。ルクレーシャスさんはぼくの作ったスイートポテトを頬張った。生クリームを入れればもっと美味しく作れるんだろうけど、生クリームを作るまでに至っていないのだ。実はスイートポテトは生クリームがなくても、バターと牛乳で十分作れる。素朴な味わいで素材が生きるのだ。スイートポテトと言ったが、本当にサツマイモなのかどうかは分からない。何か変わった食材や香辛料があれば分けてくれとお願いしてあるので、「今年のズルスカルトーフゥは豊作だそうですよ」とマウロが持って来てくれたのだ。ズルスなんとかって何だろう、と見てみたらサツマイモだった。この世界にもサツマイモはあるらしい。似たような植物、なのかもしれない。だってこの世界は多分、にゃろう小説とかカケヨメみたいな日本人が書いた創作物だろうから、きっと何でもアリだ。ズルスカルトーフゥは大陸南端の作物らしいが、皇国は大陸のほぼ中央に位置しているので、南の地域で栽培しているそうだ。しかしやはり、生クリームがほしい。生クリームがあれば作れる菓子のレシピが増える。甘いものはいい。心が潤う。ぼくはギスギスした空気に耐えられず、お菓子のことを考えることにした。
「すみません、ベステル・ヘクセ様。スヴァンテ様」
「オーベルマイヤーさんが悪いわけではありませんよ」
 そう。悪いのはエーベルハルトの頭だ。にっこり笑って机の横へ立つ。ジークフリードが来るまで、ここで待つことにしよう。
「ルカ様、美味しいですか?」
「うん。やっぱりスヴァンくんはお菓子作りの天才だね」
「……はっ。貴族で男のくせに菓子作りなど……!」
 うわぁ、もうやめて。君は知らないだろうけど、その偉大なる魔法使いすんごく気が短いんだよ。ルクレーシャスさんが爆発するのを見たくなくて、目を閉じたぼくの鼓膜をオーベルマイヤーさんの静かな声が打つ。
「エーベルハルト。出て行きたまえ」
「……は?」
「聞こえなかったか。殿下がいらして直々に言い渡される前に、今すぐここから出て行きたまえ」
「オーベルマイヤー卿、一体何のおつもりか!」
 覚えているかな? オーベルマイヤーさんは、子爵である。つまり、オーベルマイヤーさんは役職では上でも、貴族としてはエーベルハルトより位が下なのだ。そりゃ面白くないだろう。だからこの態度なわけである。
「出て行きたまえ」
 しかしオーベルマイヤーさんは譲らなかった。いつもの穏やかさや、気の弱そうなおどおどした態度はない。その時ちょうど、ノックもなしに扉が開いた。
「お、スヴェン。もう来ていたのか。早いな」
「このような機会を与えてくださり恐悦至極でございます、ジーク様」
 ジークフリードは室内を見渡してすぐ、オーベルマイヤーさんへ視線を向ける。
「うむ。……フレッド。何があった」
 ジークフリードがオーベルマイヤーさんへ短く尋ねた。オーベルマイヤーさんは胸に手を当て頭を下げる。
「エーベルハルトがスヴァンテ様とベステル・ヘクセ様へ無礼を働いたのでたった今、解雇通告をしたところでございます」
「うむ。……悪いな、スヴェン。天文学を楽しみにしておったのだろう? さっき廊下でヴェッセルスに会った。今日のところは一緒に帝王学を聞いて行くがいい」
 ジークフリードはにこにこと笑顔のまま、脇へ歩み寄り、ぼくの肩を叩いた。ぼくの隣の、空いた机を叩いてエーベルハルトが叫ぶ。
「わたくしは無礼など働いておりません! 殿下!」
「先程から黙って聞いていれば好き勝手にほざきおって小僧、わたくしと弟子を侮辱する、その覚悟はあるか?」
「ではスヴェンやベステル・ヘクセ殿が貴様に無礼を働いたとでも言うのか、エーベルハルト」
 ルクレーシャスさんとジークフリードはほぼ同時に口を開いた。ルクレーシャスさんはいつの間にかぼくの横で、杖をエーベルハルトへ向けている。
「わたくしはなにも……っ!」
「ほう? 何もしていない、と? ならなぜベステル・ヘクセ殿は貴様に怒っている?」
 エーベルハルトをジークフリードはじろりと睨んだ。それからオーベルマイヤーさんへ、軽く手を振る。
「フレッド、何をしておる。衛兵を呼べ。そいつを早くつまみ出せ」
 オーベルマイヤーさんが扉の外へ声をかけると、衛兵が室内へなだれ込んで来た。取り押さえられたエーベルハルトは呆然としている。
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