まったく知らない世界に転生したようです

吉川 箱

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穏やかな雨水月

第47話

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「お誕生日の宴、ぼくも招待していただけるのですか?」
「当たり前だろう。今の時点でオレの侍従と決まっているのはお前だけだ、スヴェン」
「……そうですよね」
 ふう、とため息を吐き出して肩を落としたぼくを、今度はジークフリードが覗き込む。
「……」
「どうした」
「いいえ。宴には、バルタザール伯も来るのですよね」
「ああ。呼ばんぞ」
「えっ!」
「お前にまた突っかかるだろう。だから呼んでない」
 あっさり答えたジークフリードを呆然と仰いだ。それはいけない。バルタザールだけではなく、ミレッカー宮中伯にまで恨まれかねない。ぼくが口を開くより先に、ジークフリードは手のひらをぼくの顔の前で広げた。
「お前が何を考えているかは分かっている。スヴェンが気にする必要はない」
「へ?」
「あっはっは」
 ルクレーシャスさんが突然笑い声を上げた。ぼくは意味が分からず首を傾げる。
さかしくなったねぇ。つまりね、礼を欠かないように、対外的な誕生祝いの宴は別に行うつもりなんだろう。君を招待するのは、身内と親しい人間を呼んだ小規模な宴ということさ」
「ああ……、えっ?」
 身内だけって、そんな宴にぼくが行っていいのかな。ジークフリードのジレの裾を掴んでしまったのは、完全に無意識だ。上目遣いになったのだって、ジークフリードの方が背が高いからで。それでも、瞳が潤んだのはジークフリードの気づかいが嬉しかったからだ。最近、涙腺が弱くて困る。
「ジーク様のお部屋には、たくさん玩具を準備しておきますね」
「……何を言うかと思ったら……」
 赤くなって固まった後、頭を掻きながらジークフリードは忌々しそうに床を蹴った。暴れるジークフリードを見るのは久しぶりだな。
「玩具は要らぬ。いつでもオレが過ごせるようにしておけ。それでいい」
「分かりました! 任せてください」
 大人になったんだねぇ、ジークフリード。お兄さんは感動だよ。何だか弟を見守るような気持ちになって来た。ぼくたちのやり取りを見て笑っていたルクレーシャスさんに抱え上げられ、皇宮を後にする。最近は皇宮の庭から離宮までなら一人で歩き切ることができるようになって来た。皇宮の庭でルクレーシャスさんの腕から下りて、ゆっくりと歩き出す。
「ルカ様が離宮へおいでになられてから、一年経ちましたね」
「おや、本当だね。時間があっという間だ」
「……」
 去年の今頃は、先行きの見えないことに怯えていた。見覚えのない世界でとにかく生き残ることだけを考えていた。薔薇の迷路を抜け、生垣の迷宮へ踏み込む。
「ぼく、ルカ様が来てくれて、よかったです」
 そう言って振り返ると、ルクレーシャスさんは目を丸くしてからじんわりと花が開くように笑みを浮かべた。
「そうだね。わたくしも、君に出会えてよかったよ。スヴァンくん」
「えへへ」
 笑ってルクレーシャスさんの手を握る。離宮へ戻るとルチ様が来ていて、少し大人げないくらいの勢いでルクレーシャスさんの手を払い除けた。驚いているぼくを抱え上げ、ルクレーシャスさんへ短く何か言い放つ。
 あ、これ「ふんっ」みたいなヤツだ。すごいな、言語が違っても分かった。
「もう完全に嫉妬だよね、これ。理不尽過ぎやしないかい」
「ごめんなさい、ルカ様。ルチ様もメッ! ですよ」
『……ヴァン……』
 あ、そんな本気で萎れないでくださいルチ様。ぼくが調子に乗りましたごめんなさい。ルチ様の頭を撫でる。
「ルカ様は、ぼくのことをこちらで守ってくださる方なので、仲良くしてほしいです。ね、お願い。ルチ様」
『……うん……』
 あ、納得してない顔だな。
「ルカ様がいなければぼく、このまま離宮で過ごすしかなかったんですよ。それだとルチ様と一緒に暮らせません。それでもダメですか?」
『……ごめん』
「はい。今日は寝る前にお歌を歌いますよ。ご機嫌直してください、ルチ様」
『ヴァン。私のポラリス。中天に浮かぶ一等輝く不動の星。私はお前を目指して夜明け前に旅立つ小さな星にすぎない。愛しい愛しい、私の星……』
 嬉しそうに頬ずりされた。ルチ様は明星の精霊という割りに、幼いところがある。ルクレーシャスさんみたいに、寿命が長いから種族から考えたらまだ若い個体なのかもしれない。
「もうこれ完全に溺愛じゃん……」
 ルクレーシャスさんの戯言を無視して、ぼくをぎゅうぎゅう抱きしめるルチ様へ報告する。
「あ、おうち作りは順調みたいですよ。ルチ様」
『うん。早く、済むように、精霊に頼んだ』
「えっ」
 そんなこともできるのか。この世界の家は煉瓦を積み重ねて作る。当然だけど大工さんは平民である。図面は描くのかも知れないけど、設計上に於ける細かな数字の概念はない。基本造りながら調整しつつ、という行き当たりばったり工法らしい。だからある程度施工が進まないと「いつ頃完成」という予定が立たないのである。そもそもこの世界のおうちってそれこそ何年もかかるんだよ、建てるのに。お城とか、貴族の屋敷となれば十年かかったとかそんな建物はザラである。
 行儀が悪いのであまり好きではないのだけれど、最近のルチ様お気に入りはぼくを膝に乗せて食事させることである。ルクレーシャスさんと、テーブルマナーの勉強を兼ねてラルクが同席する。その中でぼくだけがルチ様に「あーん」してもらって食事をしているのだ。どんどん幼児退行している気がする。というかおそらく、ぼくを子供扱いする人が周りに増えたんだな、単純に。
 食堂のテーブル近くでいつも通りに待機しているフレートへ視線をやる。フレートは目だけでぼくの意図を汲み取ろうと少し、顔を傾けた。ベッテもぼくのテーブルへ目を向ける。
 子供扱いの前に、彼らにとってぼくは主で。
 それでも、そこに愛情がないわけではない。ただ、それは主従の間の愛情や忠誠だ。それはそれで得難いものだとぼくには分かっている。だがきっと、ぼくが普通の六歳ならどうだっただろう。
 君なら、きっと寂しかったよね。
 本来ならここにいたはずの、幼子が過る。
 よくないな。最近はこんなことばかり考えてしまう。
 食事が終わるといつもなら、コモンルームで少し過ごしてから部屋へ戻る。今日はルチ様がコモンルームを素通りしてぼくの部屋へ向けて歩き出した。
「おやすみ、スヴァンくん」
「おやすみなさい、ルカ様。ラルクもおやすみ」
「うん。おやすみ、スヴェン」
 少し眠そうに目を擦るラルクへ手を振る。ベッテと手を繋いで手を振り返すラルクの頭はゆらゆら揺れていた。微笑ましい、「普通の」親子の姿だ。
 藍色のベールの中、静かに夜を進む。何でもないこの瞬間を、ぼくはきっといつか思い出すだろう。妖精たちが鍵星の間の扉を開けた。夜の帳が下りるように幽《かそけ》く、ルチ様は室内へぼくを運ぶ。天蓋付きのベッドへぼくを慎重に下してルチ様は囁いた。
『ヴァン、早く、一緒に住もう』
「ええ。できるだけ早く一緒に過ごせるようにしましょうね、ルチ様」
 それでもいつか、ぼくは離宮で過ごした日々を愛しく思い出すだろう。けれども鳥かごを出ることを、出たことを、後悔などしないだろう。
「人生って、後ろに戻ることができないんですよ。ルチ様」
『……そう、か』
「はい。だから、前にだけ進んで、戻れない後ろを振り返って懐かしく思ったり後悔したり、愛しく思ったりするんです。ぼくねぇ、ルチ様」
『うん』
「人間の、そういうとこ、嫌いじゃないんですよ」
『……そうか』
「はい」
 ぼくへ顔を寄せた、ルチ様の勿忘草色の虹彩を眺める。ルチ様の瞳は、虹彩の縁が少し、薄桃色に滲んで見える。穏やかで優しくて、とても綺麗だ。
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