まったく知らない世界に転生したようです

吉川 箱

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災禍渦巻く宴

第67話

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「……せっかくちょっとだけ見直したのに台無しですよ、ルカ様……」
「ふふっ」
 イェレミーアスが小さく笑う。伯爵夫人も、ベアトリクスも笑顔で政宮から大ホールへと移動する。
「見直さなくてもいいから、カスタードクリーム」
「はいはい。おうちに帰ったら、ですよ?」
 妖精たちがぼくらの進む先へ花をまき散らす。いたずら好きな風の妖精がベアトリクスの髪に花冠を載せた。水の妖精が伯爵夫人の胸へスノードロップを挿した。春と花の妖精がイェレミーアスの髪へニゲラを一輪、挿す。すっかり肩より下まで伸びたぼくの髪は、すでに妖精たちが好きなだけ花を編み込んだ後である。これ傍から見たらただのちょっとイタイ子だよね、でも妖精たちは純然たる好意でやってるから止めてとは言えない。とほほ。
 大ホールの扉へ到着すると、皇宮の侍従が扉を開く。緊張した面持ちで息を吸い込む音が聞こえた。
「偉大なる魔法使い、ルクレーシャス・スタンレイ様、その弟子スヴァンテ・フリュクレフ様、ヨゼフィーネ・ラウシェンバッハ様、イェレミーアス・ラウシェンバッハ様、ベアトリクス・ラウシェンバッハ様がお入りになられます」
 事前にジークフリードが伝えておいたのだろうか。だとしたら、何とよく気の回ることだろう。ジークフリードは本当に変わった。きっと良い皇になる。
 けれどぼくらの周りには、誰も近づいて来ない。ルクレーシャスさんに挨拶はしたいが、ぼくやイェレミーアス一家といった、まだどう扱っていいか分からない人間が側に居るからだ。少なくとも、ぼくが両親と挨拶をするかどうか、イェレミーアスを見たハンスイェルク卿がどんな態度を見せるかを確認してから、どちらに付くか考えるつもりだろう。実に貴族らしい様子見である。
 ルクレーシャスさんは堂々と、玉座に一番近いところで立ち止まった。そうだね、ルクレーシャスさんはこの大陸全土の王族から尊重されると決まっている、偉大なる魔法使いだもの。この位置が正しい。前世で言うところの、上座である。
 遠巻きに人々が見守る中、次に現れたのはエステン公爵とローデリヒだ。ローデリヒは大きく手を振って、ぼくたちに駆け寄って来る。
「おーい、アス! スヴェン! 父上、紹介します。彼がスヴァンテ・フリュクレフですよ。父上も天才だと褒めていたでしょう?」
「おお、君が。はじめまして、ヴェルンヘル・エステンだ。君ほど聡明な子はなかなかおるまい。いつもローデリヒが押しかけて済まんな。今度は君とイェレミーアスを我が屋敷へ招待するとしよう。その際にはぜひ、ベステル・ヘクセ殿もいらしてください」
 にっこり微笑んで手を差し伸べたエステン公爵は、ウィンクして見せた。なかなかお茶目な人柄である。ローデリヒの貴族令息らしからぬ性格は父親似のようだ。髪の色や瞳の色は、ローデリヒに似ていない。ミッドナイトブルーの髪、珊瑚のように鮮やかなピンクの瞳はさすがファンタジーな世界、という感じだ。しかし相当にハンサムな部類である。
「ぜひ、おじゃまさせていただこう。ね、スヴァンくん」
「はい、ぜひ。今後とも、よきお付き合いをさせていただければ幸いに存じます」
 胸へ手を当て、頭を下げる。周りからため息が聞こえて来たが、やはりルクレーシャスさんにホールではお菓子禁止を言い渡しておいて良かった。詰め込むだけ詰め込む癖があるんだよね、ルクレーシャスさん。いくら美形だからって、リスみたいに頬いっぱいにお菓子を詰め込んだ姿はあまり格好良くない。お菓子というマイナス要素がなくなったルクレーシャスさんの美貌は留まることを知らないのだ。みんな見惚れろ、ぼくの師匠に! ぼくはドヤ顔をした。
「父上、オレはスヴェンたちと一緒に居ます」
「そうか。私はちと、他へ挨拶してくる」
 エステン公爵は小さく手を振って離れて行った。こんなところで秘密の話をするわけにも行かないので、後日改めて屋敷へ伺うことになっている。
「アス、まだしばらくここに居るのか?」
「ああ。しばらくはベステル・ヘクセ様のご威光に守ってもらおうと思うよ」
 何しろこの師匠、喧嘩っ早いからね。ルクレーシャスさんの前でイェレミーアスたちに無礼でもしようものなら容赦なく追い返されるだろう。しかも玉座に一番近い場所で。興味津々だが、誰も近寄って来ないわけである。
「クリストフェル・フリュクレフ公爵、シーヴ・フリュクレフ公爵令嬢、お入りになられます」
 ざっ、と一斉に視線が扉へ注がれた。それからちらちらとぼくへ視線が戻って来る。ぼくの祖父に当たる、フリュクレフ公爵はぼくらの反対側、公爵家としては玉座から少し離れた場所へ立った。フリュクレフ王国の民の特徴である、手足の長い細身の体躯。独特の「シュネーフェルベンハウト雪色の肌」と呼ばれる青白い肌、銀色の髪、淡い灰青色の瞳を持つのが、フリュクレフ公爵である。その隣に立つベッテより少し年上くらいの女性も同様に青白い肌に銀色の髪、年代物の葡萄酒に似た、深い赤紫色の瞳をしている。しかしその視線はぼくではなく、フレートを捉え続けていた。
 ああ。彼女が。
 彼女が、シーヴ・フリュクレフ公爵令嬢。
 ぼくは目を閉じ、一つ息を吸い込んだ。それからフレートへ声をかける。
「フレート、行きますよ」
「はい、スヴァンテ様」
 真っ直ぐに顔を上げて、ホールを横切る。全ての人の視線がぼくに集まっているのが分かった。フリュクレフ公爵の前で、ぼくはゆっくりと胸へ手を当て、左足を後ろへ下げた。
「お初にお目にかかります、公爵閣下。スヴァンテ・フリュクレフと申します。初対面で不躾ですが、お話がございますので、後ほどそちらのシーヴ公爵令嬢とご一緒にお時間いただけますでしょうか?」
「……色が……違う、か。まぁよい。髪と瞳は、あやつに似たのだな。……よかろう。後ほど時間を取ろう」
 忌々し気に吐き出したクリストフェルの表情が、アンブロス子爵との関係を物語っている。想定内だから、別段何を思うこともない。慇懃に頭を下げ、はっきりと告げる。
「お部屋はこちらで準備してありますので、宴が始まりましたら執事に案内させます」
「……うむ」
 一言も発さず、フレートだけを睨みつけているシーヴへ視線を流す。こちらを見ていないが、礼を欠いてはこちらが不利になるだけだ。指先まで気を巡らせ頭を下げて、フレートへ声をかける。何となく、予感はあった。
「ルカ様のところへ戻りましょう、フレート」
「……っ、フレート!」
「……」
 振り返ったが、やはりシーヴの視線はフレートのみへ注がれている。輿入れに連れて来た執事だ。信頼していたはずである。けれどフレートは離宮に残り、離宮に残ったフレートにシーヴは二度と公爵家へ戻って来るなと告げた。だから、おそらく、二人は。
「わたくしに、何か言うことはなくて?」
「……ご健勝そうで、何よりでございます。お嬢様」
 フレートはいつも通り、髪の毛の一筋も乱さず腰を折った。表情は窺えない。しかしシーヴは酷く傷ついたといった顔で扇子を握り締め、俯いた。
「……お行きなさい」
「では、失礼いたします」
 最後まで、シーヴはぼくへ一瞥もくれることはなかった。
 ぼくは一応、フリュクレフ公爵の孫である。その上ルクレーシャスさんの同行者であり、ジークフリードの唯一決定している侍従でもある。だから必然的に、ルクレーシャスさんの次にジークフリードへ祝いの言葉を述べることになった。
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