まったく知らない世界に転生したようです

吉川 箱

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穂刈月の幽霊騒動

第123話

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「どこにおられるか、探せますか」
『……屋敷の、中のようだ』
「詳しく教えてください」
 ルチ様の見たものが流れ込んで来る。頭の少し上辺りに、画像が表示されるようなそんな感覚だ。
「……ギーナ様。人ひとりが隠れられる、緑の壁紙の部屋に心当たりはございますでしょうか」
「――!」
 ギーナが顔を上げた。そのまんまるの瞳と視線がぶつかる。ぼくは思わず、目を伏せた。
「……そこに、ヘクトール様はおられるようです」
 ゼクレス子爵一家が亡くなったのは去年のことだ。
 一年。生きて一年、人ひとりがようやく隠れられるような場所にずっと潜んでいられるはずがない。ギーナもそのことに気づいたのだろう。片手で口を覆い、身を切られるように悲痛な嗚咽を漏らした。
「う゛う゛……うああ……トール兄……トール兄ぃ……っ!」
 目を背けたぼくとは正反対に、イェレミーアスは身を折り曲げて号泣するギーナの肩を掴み、その瞳を覗き込んだ。
「ミレッカーに復讐したいか? 私は復讐したい。この手で八つ裂きにしてやりたい。生きたまま燃やし尽くしてやりたい。奴の罪を明らかにしてやりたい。君はどうだ? 君は、どうする?」
  ああ。確かに彼は炎だ。静かに燃える青い焔。穏やかな素振りの下に、くらくらと燃える炎をただ、押し込めていただけなのだろう。その炎は消えることなどない。静謐せいひつな、勿忘草色の炎。
「……っ、こ……っ、……ころして、やりたい……っ!」
 血を吐くが如く、重たく鋭く痛む声でギーナはイェレミーアスへ答えた。深く頷いたイェレミーアスもまた、ギーナ同様に仇を憎んでいるのだろう。
「協力しよう。ヴァンは私たちの味方だ」
 ギーナへ手を差し伸べた、イェレミーアスの瞳は昏く燃えている。ぼくは頭の後ろを殴られたような気がした。
 イェレミーアスは、ぼくを抱えた後ろで、そんな瞳をしていたのだ。ずっと。
 ぼくは己の愚鈍さに目眩がした。分かったような気になっていただけなんだ。彼らは、彼らの憎しみは、ぼくが思っているよりもずっと深くて昏い。イェレミーアスがこのタウンハウスへ来て三カ月ほど経つ。ぼくにとっては短い時間だが、きっとイェレミーアスにとっては長い時間だったはずだ。一年も潜伏していたギーナの恨みはもっと強いだろう。
 ぼくはただの小賢しいだけの子供で、彼らの痛みに向き合えてなどいないのだと思い知らされた。
「スヴァンテ様」
 ノックの音に我に返る。押し出した声は乾いてまるで他人のもののようだった。
「どうぞ」
「失礼いたします」
 コモンルームへ入って来たフレートの横には、妙に眼光の鋭い老人が立っていた。
「ニクラウス!」
「坊ちゃま!」
 すぐさまギーナの元へ駆け寄り、手を取った老人はやつれているものの、振る舞いに気品がある。下働きの平民みたいな格好をしているが、ただの平民ではなさそうだ。
「帰宅の準備をしておりましたら、見つけましたのでお連れしました。彼はゼクレス子爵家の執事をしていた者です」
 ゼクレス子爵から情報を買っていたフレートは、その執事の顔を知っていたのだろう。安堵したように抱き合うギーナとニクラウスをしばし見守る。
「フレート、ニクラウスさんにもお茶を」
「かしこまりました」
「他の者は外で待機させて」
「承知いたしました」
 ぼくとフレートのやり取りに、ニクラウスは顔を上げてまじまじとこちらを見つめた。僅かに笑みを浮かべ、頭を傾げて見せる。
「こんばんは。驚かせてすみません」
 苦笑いをすると、ニクラウスは首を横へ振った。
「ギーナお坊ちゃまを保護していただき、ありがとう存じます。フリュクレフ公子様」
「頭をお上げください、ニクラウスさん。ぼくはもう、フリュクレフではありません。今はスヴァンテ・スタンレイといいます。不躾で申し訳ありませんが、ぼくはギーナ様をここでお預かりし、あなたを雇いたいと思っております」
「……あず、かる?」
「ええ、ギーナ様。ゼクレスの爵位を、取り戻すおつもりはありますか」
「そんな、ことが……可能でございましょうか」
 ギーナより先に答えたニクラウスの声は震えていた。幼い主に爵位を取り戻す。それは復讐よりも難しいことだと、考えていたのだろう。ぼくはルチ様の膝を下り、ニクラウスとギーナの元へ歩み寄る。それからジークフリードから受け取った紋章証を取り出した。
「ぼくとリヒ様、イェレ兄さまは正式にジークフリード皇太子殿下より、紋章証を賜っております。ミレッカーの悪行を暴いたのち、ギーナ様へ爵位を返還できるよう、殿下へご配慮賜ると、お約束いたします」
「皇王がならぬと言っても、わたくしが押し通すとわたくしからも約束しよう」
 それまで無言で見守っていたルクレーシャスさんが軽く片手を上げた。
「……あなた様は……!」
 ニクラウスは名乗られずとも、ルクレーシャスさんの正体を理解したのだろう。ニクラウスは震える指で、ぼくを拝むように手を合わせた。
「……まことに……そのようなことが、叶うのでしょうか……?」
「偉大なる魔法使い様が押し通すと言うのですから、確実でしょうね。代わりと言ってはなんですが、どうかぼくにお力をお貸しいただけますか」
「まさか、この人がベステル・ヘクセ様……?!」
 ギーナが驚いた様子でルクレーシャスさんへ顔を向ける。ルクレーシャスさんはいつも通りにスコーンを口いっぱいに詰め込んだ。台無しである。
「……どうか、よろしくお願いいたします……!」
 両手をついて頭を下げたニクラウスの肩へ触れ、立ち上がるように促す。フレートがテーブルへニクラウスの分のティーカップを置いた。
「早速お伺いしたいのですが、ニクラウスさんと一緒に逃れた使用人は、どれくらいですか?」
「……わたくしと、執事見習いのディーター。料理人のギュンター……。それ以外の使用人はそれぞれ故郷へ帰ったようです」
 一年も経っていれば、そうなるか。顎へ手を当て、考える。ルチ様のところまで戻ると、するりと腕が伸びてぼくを膝へ乗せた。
「……浮いてる……」
 ギーナが呟くと、イェレミーアスは何ということもない、という素振りで笑う。
「慣れた方がいい。ヴァンは特別だ」
「……え……、ええ……?」
「初めからずっと浮いてたじゃん? まぁ、慣れるぜ。そのうち。こんなんまだ序の口だからさ」
 ローデリヒがそう言って、ギーナへスコーンを差し出した。ギーナは手の上に置かれたスコーンと、ローデリヒの間へ視線を何往復もさせている。ぼくはその一切を無視して、躊躇うニクラウスへ顔を向けた。
「故郷に帰った使用人のうち、信用できる者を呼び戻すことは可能ですか?」
「……可能、だとは思いますが……」
「ニクラウスさん、ディーターさん、ギュンターさん、それから呼び戻した元ゼクレス子爵家の使用人。全員、うちで雇います」
 ぼくが放った瞬間、ローデリヒが「ははっ」と笑った。
「――! そんな、よろしいのですか?」
 よろしいも何も、情報を売っていた子爵家で働き、暗殺者としての腕もある使用人を雇えるだなんてぼくに旨味しかない。ぼくがギーナへ恩を売り続ける限り、元ゼクレス子爵家の使用人たちもまた、ぼくの指示に従うしかないのだから。おまけにぼくにはルチ様という超チートな存在がある。ぼくへ害意を抱いた瞬間、タウンハウスの敷地内から追い出されるのみである。
「ギーナ様は、まだぼくのことなど信用できないでしょう? それなら、使用人くらいはギーナ様の信用できる人間で固めておいた方がよろしいかと。詳細はフレートと話し合ってください。フレート、頼みます」
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