まったく知らない世界に転生したようです

吉川 箱

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椿のためにコラールを

第163話

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「ふふ、イェレ兄さまが美味しいと言ってくださってよかった」
「……フェー。いつも『そう』か?」
「『そう』……、ですか……? ええっと……、どう……?」
 何のことかさっぱり分からない。ぼくの答えに、ボーレンダーは頭を抱えて唸った。唸るボーレンダーの向こう、温室の扉を開いたフローエ卿の背中を軽く叩きながら入って来たジークフリードと目で合図を交わす。
「無駄だ、マックス。自覚がないのだ。しかしまぁ、また大量に作ったなぁ。何か考え事でもあったのか、スヴェン」
 いいぞ、ジークフリード。いい振りだ。ぼくは目を伏せて口元へ手を当てながら、目を伏せてできるだけ瞳を潤ませた。
「どうしても考えてしまうんです。ぼくの異母弟のあの子は、今頃母を喪った悲しみに泣いているだろうか、と」
 バツの悪い会話をして、さっさとボーレンダーを追い出そうと思ったのだ。さすがに異母弟の母が亡くなった、という話題を出されては長話もできまい。だがボーレンダーは、ラムレーズンサンドを頬張りながら思いも寄らない言葉を放った。
「ああ……白椿の子か。アンブロスもリヒテンベルクもクズだからな。碌な扱いを受けると思えん。大体、あの子供もお前の異母弟とは限らんぞ」
「……え?」
 演技も忘れて本気で驚いた。ボーレンダーへ目を向けたぼくは、相当間抜けな顔をしていたに違いない。ボーレンダーは満足気な表情でにやりと笑った。
「知らんのか。白椿は幼い頃からフェーエンベルガーの私生児に執着されていてな。私生児を認知してヘレーネの子と分け隔てなく育てていた温厚なフェーエンベルガーもさすがに勘当して、リヒテンベルクには謝罪としてかなりの金を渡したはずだ」
「ちょっと待ってください、それがぼくの異母弟と何がどう繋がるのです?」
 一瞬、不味い、という表情をして大分落とした声でボーレンダーが答えた。
「その、勘当された後も白椿を待ち伏せしたりしていたらしい。そのたびにフェーエンベルガーがリヒテンベルクに謝罪していたからな……。それでもお人好しのフェーエンベルガーは都度、謝罪に赴いていたが四年ほど前、とうとう私生児を辺境伯領へ送ってしまった。まぁ、幼子にする話ではないから、知らぬとて当然だが」
 幼子にする話ではない話をするなよボーレンダー。しかしこういう失言癖のある人間は情報を引き出すのに都合がいい。
 しかし。
 ぼくは唇へ指を当てながらテーブルの端へ目を落とした。お茶の準備で忙しなく行き来するメイドのお仕着せの布が目の前を過ぎる。
 四年前。あの子は三歳くらいだった。ぼくと血が繋がっているとは限らない。リヒテンベルク子爵令嬢に執着していたフェーエンベルガーの私生児。問題を起こすたびに謝罪に赴くほど人のいいフェーエンベルガーが、私生児を辺境伯領へ送らねばならないほどの、何か。野心だけはあるリヒテンベルク子爵から、令嬢が見捨てられるような事情。高位貴族だけがこっそり、情報を共有するような、何か。
 つまり。
 吐き気を堪えながら、返事を押し出す。
「――、……そう、ですか……」
 繋がった。
 ボーレンダーの様子では、きっと一部の高位貴族しか知らない話なのだろう。だからリヒテンベルクは美貌の娘を、高位貴族と縁付かせることができなかった。いくら美しくともストーカー付きの嫁など、歓迎するはずもない。ましてや、他人の赤子を身籠った女など、引き受けるバカがいるだろうか。バカ正直なフェーエンベルガーは、それを防ぐために高位貴族へ自ら、事情を触れて回ったのではないだろうか。
 それをされた低位貴族の女性がどうなるかなど、考えもせず。
 だから、だからリヒテンベルク子爵令嬢には、他に選択肢がなかった。「幼い頃から」執拗に執着されていた「未婚の」リヒテンベルク子爵令嬢に子供が生まれれば、その疑惑は付き纏う。けれど、子供の本当の父親と一緒になるという選択肢は選べなかった。それ以外なら、どんな選択も厭わないほどに。
 一度流産していると、言っていた。ひょっとしたらその子の父親も同じ人物なのではないだろうか。
 一度目は流産というが、もしかしたら堕胎だったのかも知れない。この世界は恐ろしいくらいに医術が発達していない。だから二度目の堕胎は母体に危険が及ぶとでも言われたのだろうか。だとしたら、生むしかなかったとしたら。
 リヒテンベルク子爵令嬢の苦悩はいかばかりか。
「本当にこの国の貴族ってヤツは、碌なもんじゃない」
 吐き気を堪えて問いかける。
「マックス様」
「うん?」
「……アンブロス子爵は当時、爵位ではなくシーヴ・フリュクレフを宛てがわれたことを、不満に思っている様子でしたか」
「……そうだな。陛下の呼びかけで行われた宴で、シーヴを置き去りにする程度には」
「……でも陛下に直接文句を言うことなどできるわけもない」
 みぞおちの辺りがしんと静まる。痛むのとは違う、飲み込んだ氷がそこにあると知覚できるような、そんな冴え冴えとした感覚。
 ぼくと異母弟との年齢差の分、アンブロスには考える時間があったはずだ。考える頭がなくとも、人として為してはならぬことは身分性別問わず共通である。それなのに。
「……フェー」
 完全に無表情になったぼくへ、気遣わし気にボーレンダーが声をかけて来た。だがぼくは、怒りと吐き気で思考が冷えて行くのを感じていた。
 荷物を運び終え、ぼくの傍へ戻って来たハンスへ短く告げる。
「ハンス、四年前リヒテンベルク子爵がヘンリエッタ・リヒテンベルク令嬢の結婚相手を探していたかどうか、調べて欲しいとフレートに伝えてください。至急です」
「……かしこまりました」
「絶対に、記憶に残っているはずです。かなり必死だったはずですから。それと、フェーエンベルガー公爵家から勘当された私生児の行方も知りたいです。お願いしますね」
「承知いたしました」
 返事をしたハンスが身を屈め、ぼくの耳へ手を添える。聞き漏らさぬよう、身を寄せた。ボーレンダーがいるところで伝えるということは、急を要することなのだろう。
「エステン公爵様より、言づてを承っております」
 ハンスへ向けて頷いて見せる。ハンスはぼくが頷いたのを確認すると、後ろへ下がった。
「フェー……、主は……」
 ボーレンダーへ答えず、はぁ、と深くため息を吐く。
「口は災いの元ですよ、ボーレンダー公爵閣下。以後そのような話は軽々しく口に出すべきではありません。どこかでぼくの異母弟に関するよくない噂を聞いた時は、ぼくにもそれなりの考えがございます。よろしいですか」
 ぴしゃりと言い放つと、ボーレンダーは子供が叱られたみたいな表情で落ち着きなく肩を竦めた。それから燃えるようなスフェーンの虹彩を落としてテーブルの上を彷徨わせる。
「う、うむ……」
 この人はおそらく、公爵家の令息として過分に甘やかされて育てられて来たのだろう。良くも悪くも無邪気なのだ。だからと言って、ぼくの異母弟への蜚語ひごを流されては困る。それがぼくの異母弟の尊厳を傷つける公然の秘密である事実ならなおさら、である。
 フェーエンベルガー公爵が自ら触れて回ったのだとすれば、エステン公爵もこの話を知っていたはずだ。だが彼はぼくにこの件を黙っていた。そのことに怒りはない。むしろ好感度が上がったくらいだ。
 ましてやエステン公爵夫人からすれば、異母弟のしでかしたことである。知らなかったはずがない。そのことにも嫌悪感はない。エステン公爵夫人の行ったことではないのだから、責任など問えるはずもない。貴族とはそんなものだろう。
 とんとん、と指で軽くテーブルを叩く。
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