まったく知らない世界に転生したようです

吉川 箱

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無邪気と無神経の叙唱

第181話

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「ありがとう存じます、バルト侯爵夫人。今度ぜひ、こちらからチケットを送らせていただきますね」
「まぁぁぁ」
「狡いわ、アルステーデ。わたくしも紹介して頂戴な、ユーディト!」
「落ち着いてちょうだい、クラリッサ。こちらレニエ侯爵夫人のクラリッサ・レニエ様よ、スヴァンテちゃん」
「お会いできて光栄です、レニエ侯爵夫人。スヴァンテ・スタンレイと申します」
 にっこり微笑んで首を傾ける。顔が近づいたせいか、イェレミーアスがぼくの頬へ頬を寄せて来た。
「ん゛っ!!!!!!!」
「ぐっ!!!!!」
 貴婦人方が一斉に胸を押さえて下を向く。そうだね。間近で美少年を浴びるとそうなるね。納得しつつ、ぼくはされるがままに頬をくっつけた。
「お久しぶりね、アルステーデ、クラリッサ」
「元気そうでなによりよ、ヨゼフィーネ。まぁ、顔色も随分よくなって。……大変だったわね。わたくしたちに、何かできることがあったらいつでも声をかけて」
「ええ。そうよ、ヨゼフィーネ。ベアトリクスもすっかり健康そうで。わたくしも安心したわ」
「ありがとう、アルステーデ、クラリッサ」
 元々交流があったのか、バルト侯爵夫人とレニエ侯爵夫人がヨゼフィーネの手を取って、ソファの方へと歩いて行く。ベアトリクスも知り合いの令嬢が居たのか、数名の輪の中へ溶け込んで行った。
「ほっほ、ほひっひ、よ、よよよ、妖精さん……っ! わっ、わたっ、わたしも……っふふふふふ、ファンです妖精姫美しいです目が永遠に祝福されました……っ」
 相変わらず挙動不審だが、ドレスを着ているとさすがに貴婦人に見える。しかし呼んでない人まで来ていると思わなかった。思わずアイゼンシュタットを探してしまう。
「マルテ様、お久しぶりです。まさかマルテ様にまで観劇いただいていたとはとても光栄です。今日は、アイゼンシュタット伯爵様とご一緒においでですか?」
「いっ、いいいいい、いいえ、ルルッ、ルッ、ルーヘンは連れて来なかったわ、安心して……っ?」
 アイゼンシュタットとは顔を合わせたくないと思っていることが、夫人にバレている。あの人、いろんな人に嫌われてそうだもんなぁ。気にしてなさそうだけど。
「マルテ様がこういう場においでになるのは珍しいもの、それくらいスヴァンテちゃんに会いたかったのね」
「ああああっ、圧倒的美が、すすっ、すすすすす、すごいがすごいんです、美しくて切なくてもうもう、わたしっ……! ハンカチが搾れるくらい、泣い……っ、泣いて……っ、感想を、どうしても伝えたくてユーディト様に……っ、おうふぁ……っ! っ!」
「ありがとうございます、そんなに気に入っていただけたのなら、今度特別装丁の原作本をお贈りしますね」
「とっ……っ、尊い……っ」
 ちょいちょいこの人の語彙がヲタクっぽいのは何でだ。同士か。同士なのか。この時代、この世界にもヲタクは存在していたということなのか。ヲタクはどの時代でも、萌えを言語化しようとすると語彙が極まるということなのか。なるほど推しはいついかなる時も尊い。
「マルテ、しっかりなさって。倒れるのはまだ早くてよ」
 そうだよ、歌劇が始まる前に倒れないでいただきたい。続けて本日招いたルーデン伯爵、メスナー伯爵の夫人をエステン公爵夫人が紹介してくれた。エステン公爵夫人には、好きな人を呼んでいいと言ってあったので何人か貴婦人を誘ってくれたようだ。多めに席を作っておいてよかった。
 何かとその名が上がるメスナー伯爵だが、夫人は楚々とした控えめな美人である。
「はじめまして、スタンレイ公子。テレジア・メスナーと申します。花降らしの妖精姫にお会いできて光栄ですわ」
「……お恥ずかしいです、皆さま何故か妖精姫をぼくだと思っていらっしゃる」
「あら、だってユーディトにいただいた版画の妖精姫はスタンレイ公子にそっくりですもの」
 おっとりと頬へ手を当てて首を傾げたメスナー伯爵夫人は、裏表のない育ちの良さを感じさせる。
「テリーは観劇してから君の大変なファンでね。今日もぜひ会いたいと、ユーディト夫人に頼んだくらいだよ」
「まぁハルト、恥ずかしいわ」
「私も今日を楽しみにしていたんだよ、スタンレイ公子」
「ありがとうございます。楽しんでいただけると幸甚です」
 メスナー伯爵夫妻は、微笑み合って寄り添う。夫婦仲が良いようだ。エステン公爵夫妻より、少し感情的に距離が近い気がする。エステン公爵夫妻は貴族の夫妻として正しい距離感があるが、メスナー伯爵夫妻は本当に愛し合っている者同士独特の距離感が見て取れる。
「後日、心ばかりの品を贈らせていただきますね」
「まぁ、ありがとう」
「……イェレミーアス伯。何か困ったことがあれば、いつでも頼ってくれ」
 さり気なくステッキで隠しているが、僅かに足を引き摺ってメスナー伯爵はイェレミーアスへ歩み寄った。いくら賄賂が横行している騎士団とはいえ、その団長となれば剣の腕は確かなのだろう。ましてや、足に怪我を負ってなお、その地位を保っているのだ。イェレミーアスの父との交流は、実力者同士の奨励でもあったのかもしれない。
「……お気遣い、痛み入ります」
 メスナー伯爵がイェレミーアスの肩へそっと触れた。イェレミーアスは静かに小さく、答えた。ぼくは二人を見ないフリをした。それから顔を上げ、鼻から息をふん、と吐き出す。
 よし、どんどん宣伝するぞ。勢い込んで貴婦人を見回したぼくの耳殻を、聞きたくなかった声が叩く。
「やぁ、スヴェン」
 貴婦人でできた壁の向こうから、バルタザールが見慣れた粘度の高い視線を送っていた。
「……お久しぶりです、バルタザール伯」
「ああ。久しぶりだ。髪が伸びたな」
 ぼくへ伸ばされた手が、すい、と遠のく。イェレミーアスが体を捻ってバルタザールからぼくを遠ざけたのだ。
「……っ!」
 苛烈な色を宿した虹彩でイェレミーアスを睨み付けたバルタザールへ、冷ややかにボーイソプラノが告げる。
「君はベステル・ヘクセ様から、ヴァンに近づかないよう言われたはずだが?」
「――っ、非礼は何度も詫びている……っ」
「わたくしは何度もその詫びを断っている。いい加減諦めさない、ミレッカーの小倅」
 ぐるり、とホールを見回してルクレーシャスさんが杖を床へ叩きつけた。
「この小僧をここへ入れたのは誰だ?」
「……わたくし、です……ベステル・ヘクセ様……」
 前へ出たのは、フェーエンベルガー公爵だった。ぼくは覚えず、唇へ人差し指を当てて俯く。
 ……フェーエンベルガーは、ミレッカー宮中伯と交流があるのだ。
「この小僧は度重なるスヴァンくんへの無礼で、わたくしから接近禁止を言い渡している。摘み出せ」
 美形の不機嫌って迫力あるなぁ。でも不機嫌で他人を支配することには、ぼくは反対だ。だからぼくは、ルクレーシャスさんの腕へ手を置き、首を横へ振って見せた。
 今日の集まりには、高位貴族ばかりを招いている。ボーレンダーが招いた者が呼んだのも、その家と懇意にしている者たちばかりのはずだ。その中で、バルタザールはルクレーシャスさんが直々にぼくへの接近禁止を言い渡している、と宣言した。明日には皇都中の貴族に知れ渡ることだろう。
 それだけでも、皇都貴族にとっては十分に手痛い仕打ちだ。
「ルカ様。フェーエンベルガー公爵閣下はご存知なかったのですから。本日はぼくの、皆様へのおもてなしのために集まっていただいたのです。バルタザール伯は観劇後に、ご退出いただくということで、よろしいではないですか」
「なんじゃ、フェー。主、ミレッカーの息子と仲が悪いのか?」
 ぼくはボーレンダーへ目を向けた。まるで他人事という表情でこちらを見ている。皇宮で公演しろとダダを捏ねたのはボーレンダーなのだから、こういう不意の出来事にボーレンダーが対処するのがマナーである。しっかりお灸を据えなければならない。ぼくは心に決めた。
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