妹に婚約者を奪われたので、怪物と噂の「冷徹公爵」に嫁ぎます。~どうやら彼は不器用なだけだったようで、今さら実家に戻れと言われても困ります~

みやび

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【第2章】 華麗なる社交界デビューと、愚か者たちへの断罪

第21話 バカ売れする化粧水と、氷の夫の嫉妬

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 建国記念祝賀会での衝撃的なデビューから、一夜が明けた。

 王都の別邸は、朝から戦場のような騒ぎになっていた。
 ただし、それは悲鳴や怒号が飛び交う戦場ではない。
 紙とインク、そして香水の香りが充満する、「商戦」という名の戦場だ。

「奥様! また追加の注文書が届きました! バーネット侯爵夫人より、『化粧水を一年分、言い値で買うから確保してほしい』とのことです!」
「こちらはドレスのお問い合わせです! 『あの青いドレスと同じ生地を輸入したい』という商会からの打診が、既に二十件を超えております!」

 執務室のデスクは、山積みになった手紙とギフトの箱で埋もれていた。
 昨夜の夜会で、私が「北の特産品」や「リカルドのデザイン」を宣伝した効果は、私の想像を遥かに超えていたようだ。
 社交界のご婦人たちは、流行に敏感で、そして行動が早い。

「すごい……。これだけの注文があれば、領地の今年の売り上げ目標を、一ヶ月で達成できてしまうわ」

 私は嬉しい悲鳴を上げながら、手際よく手紙を仕分け始めた。
 どの注文を優先すべきか、どの商会と提携すれば輸送コストを下げられるか。頭の中でパズルを組み立てるように最適解を導き出していく。

(……懐かしい感覚だわ)

 ふと、実家での日々が脳裏をよぎる。
 私がまだ幼かった頃、祖父はよく私を膝に乗せて、帳簿の見方を教えてくれた。『エリス、商売というのは信用が全てだ。数字の向こうにいる人の顔を忘れるなよ』と。
 そして母は、父が浪費を重ねても、必死に領民たちの暮らしを守ろうとしていた。『この土地は、お祖父様が大切にしてきた場所だから』と。

 二人が亡くなってから、父と継母が実権を握り、男爵家は傾いた。
 私は祖父と母が愛した領地を守りたくて、必死に経営を支えてきたのだ。結局、その努力は報われず、追い出されてしまったけれど……。

(でも、無駄じゃなかった)

 今、こうしてジークハルト様の領地のために、あの時培った知識が役立っている。
 この利益は全て、私たちを受け入れてくれた北の領民たちの生活を潤すことになるのだから。

「よし! まずは化粧水の増産体制を整えるために、現地の工房へ指示書を送りましょう。ハンスさん、早馬の手配を!」
「かしこまりました。……奥様の手腕には、舌を巻くばかりです」

 私は夢中でペンを走らせた。
 朝食もそこそこに、昼食もサンドイッチを片手で摘みながら、ひたすら仕事に没頭した。
 商機は逃してはならない。これは祖父の教えだ。

 ――だが。
 私は一つ、重大なことを忘れていた。
 商売に夢中になるあまり、世界で一番大切な「顧客(パートナー)」を放置してしまっていることを。

 ◇

 午後三時を過ぎた頃。
 執務室の空気が、ふわりと冷たくなった。

「……エリス」

 背後から低い声がかかる。
 振り返ると、そこにはジークハルト様が立っていた。
 腕を組み、壁に寄りかかっているその姿は絵になるほど美しいが、眉間には深い皺が刻まれ、サファイアの瞳はどこか不満げに曇っている。

「あ、ジークハルト様! お帰りなさいませ。会議は終わったのですか?」
「とっくに終わった。……部屋に戻ってきても妻がいないので、探しに来たのだが」
「すみません、この通り注文が殺到していて……。見てください、これ全部、領地の特産品へのオファーなんです! これで冬の間も、領民たちは安心して暮らせます!」

 私は興奮気味に成果を報告した。
 褒めてもらえると思ったのだ。
 けれど、ジークハルト様の反応は冷ややかだった。

「……そうか」

 彼は短く答えると、スタスタと私のデスクに歩み寄り、私が握っていた万年筆を指先で摘み上げた。
 パキパキパキ……。
 彼が触れた瞬間、万年筆のインクが凍りつき、書けなくなってしまった。

「ああっ!? 私の万年筆が!」
「仕事は終わりだ」
「えっ、でもまだ返信が……」
「終わりだと言っている」

 ジークハルト様は、問答無用で私を椅子から抱き上げると、そのままソファへと連れて行き、自分の膝の上に座らせた。
 そして、逃がさないとばかりに背中から強く抱きしめ、私の首筋に顔を埋めた。

「……働きすぎだ」
「ジークハルト様……?」
「朝からずっと、紙切ればかり相手にしおって。……私のことは放置か?」

 耳元で聞こえる声は、少し拗(す)ねていた。
 ハッとした。
 そういえば今朝、「行ってきます」のキスをして以来、彼とまともに会話していなかった。

「もしかして……寂しかったのですか?」
「……悪いか」

 彼は私の肩に甘噛みするように唇を押し当てた。
 氷の公爵様が、まるで飼い主にかまってもらえない大型犬のように拗ねている。
 その事実がたまらなく愛おしくて、私は胸がキュンとなった。

「ごめんなさい。……領地のためにと思って、つい張り切りすぎてしまいました。昔、祖父や母が守ろうとしていた時の癖が抜けなくて」

 私が申し訳なさそうに言うと、ジークハルト様はふっと表情を緩め、私の髪を優しく梳(す)いた。

「君のその勤勉さは、先代の男爵――君の祖父殿譲りなのだろうな」
「え……?」
「気になって調べたのだ。君の祖父殿は、誠実な商売で領地を立て直した名君だったそうだな。そして君の母君も、領民のために尽くす慈悲深い方だったと聞く」

 ジークハルト様の言葉に、私は目を見開いた。
 まさか、彼がそこまで調べてくれていたなんて。

「君の実家の現当主(ちちおや)は無能だが……君の中には、確かに祖父殿と母君の、尊い血と才能が受け継がれている。君が実家で必死に働いていたのは、あの愚かな父親のためではなく、祖父と母が愛した土地を守りたかったからなのだろう?」

 核心を突かれた。
 誰にも言ったことはなかった。ただ父に言われて嫌々やっていると思われていたかもしれない。
 けれど、私の心の奥底にあった「大切な場所を守りたい」という想いを、彼は正確に見抜いて、肯定してくれたのだ。

「……はい。そうです。ずっと、守りたかったんです。お祖父様とお母様の場所を」
「よく頑張ったな、エリス。君のその想いは、今は私の領地を豊かにしてくれている。……感謝する」

 彼の優しい言葉に、目頭が熱くなった。
 報われた気がした。実家での孤独な戦いも、苦しかった日々も、全て無駄じゃなかったのだと。

「……でもな、エリス」

 彼は私の腰をギュッと引き寄せ、濡れたような瞳で覗き込んだ。

「才能があるのは認めるが、私を蔑(ないがし)ろにするのは許さん。……私は、領地が豊かになることより、お前と過ごす時間の方が一億倍価値があると思っているのだから」
「っ……!」

 真顔でとんでもない殺し文句を言われ、私は涙も引っ込み、顔から火が出そうになった。

「反省しているなら、埋め合わせをしてもらおうか」
「う、埋め合わせ……?」
「ああ。……仕事で熱くなった頭を、私が冷やしてやる」

 彼はそう囁くと、私の唇を塞いだ。
 冷やすどころか、さらに熱くなるような、甘く深い口づけ。
 書類の山も、殺到する注文も、この瞬間だけは頭の隅に追いやられた。

 結局その日は、夕方まで彼に拘束され、ソファの上で甘やかされ続けることになった。
 ハンスさんが気を利かせて、「奥様は現在、公爵様と『極めて重要な会議中』ですので」と来客を全て断ってくれたのは、後で知った話だ。

 ◇

 そして翌日。
 甘い時間の余韻に浸る私たちのもとに、ハンスさんから一通の報告書がもたらされた。
 それは、輝かしい成功を収めた私たちとは対照的な、ある「土地」の荒廃を知らせるものだった。

「旦那様、奥様。……男爵領の代官より、緊急の連絡です」
「男爵領……?」
「はい。当主不在となった男爵領で、領民たちが一斉蜂起(ほうき)したとのこと。……祖父様の代から仕えていた古参の使用人たちも、ついに屋敷を見限って逃げ出したそうです」

 祖父と母が愛し、私が必死に守ろうとしていた故郷。
 父たちの手によって、ついに終わりの時を迎えようとしていた。
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