妹に婚約者を奪われたので、怪物と噂の「冷徹公爵」に嫁ぎます。~どうやら彼は不器用なだけだったようで、今さら実家に戻れと言われても困ります~

みやび

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【第2章】 華麗なる社交界デビューと、愚か者たちへの断罪

第23話 魔法の眼鏡と、初めての「お忍びデート」

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 故郷である男爵領の騒動が決着し、王都での仕事もひと段落した、ある休日のこと。
 私は、鏡の前で自分の姿を見て首をかしげていた。

「……あの、ジークハルト様。本当にこれでよろしいのですか?」

 鏡に映っているのは、いつもの煌びやかな公爵夫人の姿ではない。
 淡いベージュのワンピースに、髪を三つ編みにまとめただけの、どこにでもいそうな「町娘」のような私だ。
 そして隣に立っているジークハルト様もまた、いつもの漆黒の礼服ではなく、仕立ての良いシャツとスラックスというラフな格好をしていた。

「ああ、問題ない。……むしろ、新鮮で可愛い」
「そ、そうですか? なんだか落ち着きません……」
「今日は『お忍び』だからな。公爵と夫人として歩けば、また人だかりができてしまう」

 ジークハルト様はそう言うと、ポケットから黒縁の眼鏡を取り出し、慣れない手つきでかけた。
 その瞬間、私は息を呑んだ。
 いつもの冷徹な威圧感が消え、代わりに知的で穏やかな、まるで大学教授のような雰囲気が漂っている。銀髪と眼鏡の組み合わせが、破壊的に似合っていた。

「ど、どうだ? 変ではないか?」
「いえ! とっても素敵です! ……正直、かっこよすぎて直視できません」
「……そうか」

 彼は少し耳を赤くして、私の手を握った。

「では、行くか。今日は仕事を忘れて、ただの夫婦として王都を楽しむぞ」

 ◇

 私たちは裏口からこっそりと屋敷を抜け出し、王都のメインストリートへと繰り出した。
 活気に満ちた大通りには、多くの市民や観光客が行き交っている。
 いつもは馬車の窓から眺めるだけだった景色の中に、自分の足で立っていることが不思議でたまらなかった。

「わあ……! すごい人ですね! それに、いい匂い!」
「はぐれるなよ」

 ジークハルト様が、私の手をしっかりと握り直す。
 その手は大きくて温かい。
 すれ違う人々は、私たちを見ても「仲の良い夫婦だな」と微笑むくらいで、誰も彼が「氷の公爵」だとは気づいていないようだった。

「見てください、あのお店! 最新の魔道具が並んでいます!」
「ああ。だが、あの程度の品なら我が家の倉庫にもっと良いものが……」
「もうっ、そういうことじゃありません! こうして見て回るのが楽しいんです」

 私が頬を膨らませると、彼は「なるほど、デートとは難しいな」と苦笑した。
 私たちは店を冷やかしたり、大道芸人のパフォーマンスに拍手を送ったりして、時間を忘れて歩き回った。

 お昼時になり、広場から漂ってくる甘く香ばしい匂いに、私のお腹が小さく鳴った。

「……腹が減ったな。何か食べるか」
「はい! あの屋台の『串焼き』が食べてみたいです!」
「串焼き? レストランに入らないのか?」
「外で食べるのが美味しいんですよ。曾祖父様もよく、『市場の飯には活気という最高のスパイスがかかっている』と言っていましたから」

 私が強請(ねだ)ると、彼は少し躊躇(ためら)いながらも、屋台で熱々の串焼きを二本買ってきてくれた。
 甘辛いタレがたっぷりかかった鶏肉だ。

「はい、ジークハルト様」
「……これを、このまま齧(かじ)るのか?」
「そうです。こうやって……んっ」

 私が豪快に一口齧りつくと、口の中に肉汁がじゅわっと広がった。

「美味しい! ほら、ジークハルト様も!」
「む……」

 彼はおそるおそる串焼きを口に運んだ。
 そして、一口食べた瞬間、目を丸くした。

「……美味いな」
「でしょう?」
「単純な味付けだが、悪くない。……いや、お前と一緒に食べているからか」

 彼はフッと笑い、タレがついた私の口元を指先で拭ってくれた。
 その何気ない仕草に、周囲の女性客たちが「あらやだ、素敵な旦那様」「映画のワンシーンみたい」と囁き合っているのが聞こえる。
 変装していても、彼から溢れ出る色気と気品は隠しきれていないようだ。

 その後も、私たちはクレープを半分こしたり、お互いに似合いそうな小物を探したりして過ごした。
 実家では「無駄遣いするな」「働け」と罵られ、買い物なんて楽しむ余裕はなかった。
 ジークハルト様もまた、幼い頃から魔力制御の訓練と公務に追われ、こうした「普通の青春」を知らずに育ったという。

「……楽しいな、エリス」

 公園のベンチに座り、休憩していた時。
 彼がポツリと呟いた。

「ただ街を歩いて、下らない話をして、安い菓子を食う。……それだけのことが、こんなに満たされるものだとは知らなかった」
「私もです。……まるで、夢の続きを見ているみたい」

 私が幸せそうに微笑むと、彼の視線がふと鋭くなった。
 視線の先には、通りすがりの若い男性グループがいた。彼らが私の方を見て、「あの子、可愛くない?」「声かけてみる?」とひそひそ話しているのが聞こえたのだ。

 次の瞬間。
 ジークハルト様が無言で私の肩を抱き寄せ、眼鏡の奥の瞳をギラリと光らせた。
 同時に、周囲の気温がスッと下がる。

(あ、まずい……!)

 男性たちは「うわっ、なんだ今の寒気!?」「やべぇ、あの男の目、超怖いぞ……」と青ざめて逃げ出していった。

「……ジークハルト様、魔力が漏れています」
「む。……すまない。つい、虫除けをしたくなった」
「もう。せっかくのお忍びなのに、バレちゃいますよ?」

 私がクスクス笑うと、彼はバツが悪そうにそっぽを向いた。

「……お前が無防備に笑うのが悪い。町娘の格好をしていても、私にとっては誰よりも魅力的だ」
「はいはい。ありがとうございます、私のやきもち焼きな旦那様」

 私は彼の手を両手で包み込み、その肩に頭を預けた。
 夕暮れのオレンジ色の光が、広場の噴水をキラキラと照らしている。

「……帰りたくないですね」
「なら、もっと遊んでいくか? 夜の王都も綺麗だぞ」
「いえ。……お家に帰りましょう。ハンスさんたちが待っていますし、それに」

 私は彼の瞳を見上げて言った。

「私たちのお城(やしき)で、二人きりで過ごす時間の方が、もっと好きですから」

 私の言葉に、ジークハルト様は一瞬驚き、それから今日一番の優しい笑顔を見せた。

「……そうだな。帰ろう、私たちの家へ」

 私たちはベンチを立ち上がり、繋いだ手を一度も離すことなく、家路についた。
 背後に伸びる二つの影が、一つに重なって伸びていく。
 王都での戦いも、過去との決別も終わった。
 これからは、この穏やかで温かい日常が、ずっと続いていくのだ。

 その時の私は、心からそう信じていた。
 ――まさか、この平和な日々の裏で、公爵家の「跡継ぎ」に関するとんでもない問題が持ち上がろうとしているとは、露(つゆ)知らずに。
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