【完結】一生に一度だけでいいから、好きなひとに抱かれてみたい。

村松砂音(抹茶砂糖)

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32 キルシュバウム家

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 緊急の用件が気になってしまい、無作法かと思ったがドアに近づいて聞き耳を立てた。すると、ウィルフリッドの声が聞こえてくる。思わず、息を飲んだ。

「取り込み中だったかな」
「ああ、オレは忙しい。さっさと帰れ」
「仮にも王子に対して帰れなんて言えるのはきみくらいだよ、アレックス。――いいのかい、きみの側仕えに関することなんだけど」
「遠回しな言い方はよせ」
「きみに教えないなんて意地悪を言う気はないが、これはキルシュバウム家に関する話だからね、本人に聞かせたい。リュカは休んでいる最中かな? 都合が悪いなら改めよう」

 家の話と聞いてじっとしていられなかった。

「起きています! お話聞かせてください!」

 寝室のドアからリュカが飛び出すと、全員の視線がこちらに集まった。ウィルフリッドはいつものように側近を連れていたが、どうしてかその後ろにはテオドルの姿もある。
 ウィルフリッドはリュカの姿を見て顔を顰め、曖昧な笑みを浮かべた。

「やあ、リュカ。独占欲の強い男に無理を強いられていやしないかと心配していたんだが……うん、これは想像以上にひどいね」
「だれが独占欲の強い男だ。おかしな想像をするな」

 苛立った声でそう言って、近づいてきたアレックスがリュカの肩に自分の上着をかけてくる。そこでようやく自分のシャツがはだけたままだったことに気づいた。

「リュカにあれだけの所有印を刻んでおいて、どの口が言うんだか。まさか、部屋に閉じ込めた上に、お母上の魔道具まで持ち出してくるなんてね。さすがの私も引いたよ」

 着替えてくるように促され、寝室で着替えてから主室に戻ると、アレックスとウィルフリッドがソファに向かい合って座っていた。側近の男が用意したのか、すでにお茶の準備も済んでいる。

「すみません、お待たせいたしました」

 リュカがアレックスの隣に腰を下ろして詫びると、ウィルフリッドはにっこりと笑みを浮かべた。

「かまわないよ。アレックスが悪いんだからね」
「おい……」

 ふと、ウィルフリッドの背後に立っていたテオドルと視線が合う。第二王子の手前、互いに話しかけることはしなかったが、テオドルがこくりと頷いたので頷き返した。キルシュバウム家のことだと聞いていやな予感しかしなかったが、この場にテオドルがいてくれるのは心強い。

「さて、早速だけど本題に入ろうか。――キルシュバウム家当主トーマス・キルシュバウムの身柄を拘束した」
「え……っ、どうして父が……」
「トーマスの経営していた娼館で、違法な薬物が見つかった。ほかにもいろいろと黒い部分がありそうでね。取り調べの最中だが、トーマスには当主の座を降りてもらうことになる。――念のため確認しておくが……リュカ、きみにキルシュバウム家の当主になるつもりはあるかい?」

 あまりにも急なことで頭が追いつかない。でも、ウィルフリッドの問いに対する答えなら、はじめから決まっていた。

「いいえ、俺に当主は務まりません。俺はまともな教育を受けていませんから。ほかのふさわしい方が当主になるべきです」

 当主になる予定だったリュカの兄はもういない。妹は女だからこの国の決まりで当主にはなれない。次の当主は次男であるリュカが妥当だと思われるだろうが、母が亡くなって以来、リュカはまともな教育を受けてこなかった。
 娼館で客を取るにあたって、マナーや給仕の仕方を教え込まれたが、それまでのリュカは話し方もつたなく、世間のことなどなにも知らなかった。いまのリュカがある程度の知識を備えているのは、娼館で過ごした日々があるからだ。

「わかった。リュカの意思は、当主代理であるきみの叔父上に伝えておこう」
「よろしくお願いいたします。……あの、娼館はどうなるのですか?」
「夜想の館は、閉業することが決定している。店で働いていたものたちには、希望に合わせて仕事を斡旋する予定だ」

 男娼たちは、みんなそれぞれに事情があって、娼館で働かざるを得なかったものたちばかりだった。第二王子であるウィルフリッドならば、きっとうまく取り計らってくれるはずだ。

「そうですか、よかった。……ありがとうございます」

 おそらく、ウィルフリッドはリュカが夜想の館で働いていたことをすでに知っている。それなのに、リュカがアレックスに打ち明けていないことを察して、この場では言及しないでおいてくれた。

「礼なら、クラウスナーに言うといい。彼がリュカを助けたいと、私に直訴したんだよ」
「テオドルが? ありがとう」

 名前を挙げられたテオドルは、気まずそうに苦笑を浮かべた。

「いや、俺は殿下に目ぼしい情報を伝えただけで……気づいたら全部殿下が片づけてくれたあとだったからな」
「今回は、互いの利害が一致していたからね。私のほうこそ、助かった」
「――ウィルフリッド。おまえにとっての利はなんだ?」

 それまで黙って会話を聞いていたアレックスが、はじめて口を挟んだ。アレックスとウィルフリッドの視線がぶつかって、部屋の空気がぴんと張り詰める。

「その娼館で私の友人が働いていたからだよ。彼に男娼の仕事を辞めさせたかった」
「友人だと? まさか……」

 娼館で働いていたというウィルフリッドの友人に、アレックスは心当たりがあるようだった。
 今回の件で、ウィルフリッドがリュカのために動いたとは思えなかったので、ウィルフリッドにとって大切なひとのためだったというのなら納得がいく。おそらく、友人というのはアレックスが先ほど言っていたウィルフリッドの想いびとなのだろう。
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