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第86話
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レイチェルは恐る恐る外の様子を窺った。
離宮の庭は静かで、ここから見る限り建物内にも人影は見えない。
「誰もいないみたい」
「よし」
レイチェルとパーシバルは扉をくぐって離宮の庭に出た。草に身を隠しつつ、建物に近づく。
人の気配がないことを確かめながら、二人は離宮に足を踏み入れた。広間にはまだラベンダーが散らばっている。
「すごい量だな」
パーシバルは足で花を蹴り分けて奥へ進む。レイチェルも散らばった花やごろごろ転がる瓶の残骸を避けてその後に続いた。途中、割れていない瓶を見つけて拾い上げた。ラベンダーの精油がちゃぷりと音を立てる。
「レイチェル?」
「ごめんなさい、すぐ行くわ」
パーシバルに呼ばれ、レイチェルは瓶をポケットに入れて慌ててパーシバルを追いかけた。
「ヴェンディグ様の部屋に薬箱があるわ」
広間を抜けると、レイチェルは先に立って階段を上り、ヴェンディグの部屋を目指して慎重に歩を進めた。出来るだけ身を屈めて足音を立てないように静かに歩くが、離宮内には見張りの兵士の姿はなかった。レイチェル達がここに戻ってくるとは思っていないのか、ナドガが戻ってくるとしたら夜の闇に紛れてだと思っているのかもしれない。
(ヴェンディグ様は、陛下とお話しできたのかしら)
廊下を進みながら、レイチェルはヴェンディグの身を案じた。
いくらシャリージャーラの力があっても、子爵令嬢の言のみで王子でもある公爵が不当に扱われることはないと信じたいが、現在の王宮の中が
どうなっているのか知る手だてがない。レイチェルにはヴェンディグを信じることしか出来なかった。
ヴェンディグの部屋に辿り着いたレイチェルは、薬箱を見つけて抱え上げた。
「よし、戻ろう」
辺りを油断なく見回しながら、パーシバルが先に立って廊下を戻る。
しかし、階段を降りようとしたところで、下から人の声が聞こえてきて二人ははっと身を強ばらせた。
「まだ見つからないのか」
「あんなでかい蛇がどこに身を隠しているのか」
「やれやれ。ここに戻っては来ないだろうよ。見回りなんて意味ないと思うがね」
パーシバルが咄嗟にレイチェルを後ろ手に隠し、見つからないように身を屈める。二、三人の兵士が見回りに来ただけのようだが、このままでは確実に見つかってしまう。レイチェルは薬箱をぎゅっと抱き抱えた。
ここで捕まってしまったら、きっとナドガも見つかってしまう。離宮の地下に居ては駄目だ。逃げるように伝えなくては。
兵士達の声が近づいてくる。レイチェルは息を飲んだ。
(このまま、みつかるくらいなら……っ)
レイチェルは震えそうになる手を抑えて歯を食い縛った。
「……パーシバル、聞いて」
レイチェルは小声で囁いてパーシバルの袖を引いた。
「私が、彼らの注意をひきつけるわ」
「レイチェル!?」
戸惑うパーシバルに薬箱を押しつけて、レイチェルは懇願した。
「これを持って戻って、すぐに移動するように伝えて。私が離宮にいたと知れば、地下通路の存在を誰かが思い出すかもしれない。離宮の地下からは離れた方がいいわ。それから、ナドガの手当をお願い」
「しかし……っ」
「大丈夫。私は公爵の婚約者だもの。手荒な真似はされないわよ」
おそらく、と、心の中で付け足しておく。
「これも、預けるわ。私もヴェンディグ様から預かったものだから、失くさないでね」
首からペンダントを外して、パーシバルの手に強引に握らせた。その際、表面の模様を撫でた指先の感触で、ふと気づいた。地下通路にあった目印の模様は、このペンダントに刻まれているものだ。王家の紋章を囲む模様が、あの壁に彫られていた模様と同じだった。
シャリージャーラを倒すことが出来ずに、ナドガと共に傷ついて帰ってきた後、ヴェンディグはこれをレイチェルに託してくれた。万が一の時に、レイチェルが逃げられるようにと、考えてくれたのだろう。
(ナドガを守る。ヴェンディグ様のために)
決意と共に、レイチェルは立ち上がった。
堂々と姿を現し階段を降りていくと、レイチェルに気づいた兵士達が驚愕の声を上げた。
「ア、アーカシュア侯爵令嬢!?」
「いったいどこから……」
レイチェルは震える足を叱咤して、一段一段階段を降りた。
「カーリントン公の婚約者、レイチェル・アーカシュアです。私を王宮へ連れて行ってください」
胸を張って言うと、兵士達がレイチェルの迫力に飲まれたように後ずさった。
「お、おい、捕まえろ」
「あ、ああ……」
戸惑った様子ながらも、レイチェルを取り囲み手を伸ばしてくる。レイチェルはパーシバルが隠れている方を見ないように前を向き続けた。
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