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第22話 婚約破棄のその先に
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冬が終わりを迎えようとしていた。
王都の街並みに少しずつ春の色が差し込み、枯れ木の枝には小さな芽が姿を見せ始めていた。
誰かが失われたと思っていた季節が、確かに戻ってくる。
クロエは王妃の侍女として新しい朝を迎えながら、少し遠い南の空を見上げていた。
——あれから一月。
フェルナンド家の反乱は本格的な戦いへと発展したものの、王太子ノエルの采配と領民たちの協力により、ほとんど流血を伴わずに収束した。
だが勝利の報せが届いた直後、ルシアン・フェルナンドの消息が途絶えた。
彼が父を説き伏せるため、最後に単身で屋敷へ向かったということだけが伝えられている。
そしてそれを聞いたノエルもまた、いまだ王都へ戻らず南方に留まっている。
その不在の空白が、クロエの胸を不安と誇りで満たしていた。
「貴女、また空を見上げていらっしゃるのね。」
王妃セレーネの柔らかな声に、クロエははっと我に返る。
「申し訳ございません。つい、考え事をしてしまいました。」
「いいの。貴女の瞳はまるで祈りのようね。朝日を受けて、まっすぐに希望を見ている。」
王妃の言葉に、クロエは少し照れて微笑した。
「殿下の帰還が遅れておりますが、お加減が案じられます。」
「ノエルは強い子。きっと無事に戻るでしょう。」
セレーネのその声には、母としての静かな確信があった。
その温かさに包まれ、クロエはわずかに肩の力を抜いた。
だが心のどこかでは、ずっと同じ問いが残っていた。
——私は、彼の隣にいていいのだろうか。
殿下が王位を継げば、私はただの過去になる。
侍女であった自分が、永遠に隣にいられるわけではない。
愛を告げ合った夜にも、未来のその現実は静かに影を落としていた。
午後、王宮の前庭で風の音がした。
侍女たちが花籠を運びながらひそひそと声を交わす。
「南の門に、殿下がお戻りになったそうよ!」
その一言で、クロエの胸が跳ねた。
手にしていた布を落とし、駆け出しそうになる足を必死で抑える。
けれど、どうしても心が急く。
城門の前、兵士たちの列をかき分けて立つ影があった。
ノエルだった。
長旅の疲れが滲む鎧姿。だがその背は真っ直ぐで、瞳には確かに生きる光が宿っていた。
そして彼の隣には、一人の青年がいた。
泥にまみれ、腕に包帯を巻いたルシアン・フェルナンド。
クロエは息を呑んだ。
二人の視線が、一瞬重なった。
その短い刹那に、すべてが語られたかのように。
「殿下!」
彼女が呼びかけると、ノエルはようやく口元に微笑を浮かべた。
「クロエ。やっと戻れた。」
その声の響きが、耳ではなく胸に伝わる。
彼が王妃のもとに報告を終えると、夕陽が城の尖塔を赤く染めていった。
クロエは庭園の片隅で花を摘んでいたが、背後に静かな足音を感じた。
振り向けば、ノエルがそこにいた。
鎧を脱ぎ、淡い礼服に着替えた彼の表情は穏やかで、どこか懐かしささえ宿している。
「おかえりなさいませ、殿下。」
「ただいま、クロエ。」
一言だけで胸が満たされる。
その声をずっと待っていた気がした。
「南はもう大丈夫なのですね。」
「ルシアンが父を説き伏せ、兵を解かせた。彼は……戦いを止めた代わりに、自らの名を捨てることを選んだ。」
クロエの胸に痛みが走る。
「では、彼は……。」
「もう貴族ではなく、ただの一人の人間として生きることを望んだ。過去の贖いとして、辺境の地で民の教導に当たるそうだ。」
「そうですか……。」
クロエは空を仰ぎ、静かに息を漏らす。
「きっと遠くから、私たちの選んだ道を祝福してくれていますね。」
「彼はそう言っていた。『もう一度、誰かを信じられる自分でありたい』と。」
二人の間に柔らかな沈黙が流れた。
庭園の白い花弁が風に舞い、まるで雪のように降り積もる。
その中でノエルが近づき、彼女の手を取った。
「クロエ。私は一度、君を侍女として手放そうと思った。王族としての責務を全うするために。だが、それは間違いだとこの戦で気づいた。」
クロエはゆっくりと首を振る。
「いいえ……殿下の決意を責めることはできません。私はただ、お傍にいられた時間だけで幸せでした。」
「それでいいと君は言うだろう。けれど、私は君を手放せない。君がいなくては、私は“王”ではなくなる。」
胸が熱く、息が詰まりそうになる。
「殿下、王は民のものです。愛をひとりに注げば、不公平になってしまう。」
「ならば私は不公平な王で構わない。君を幸せにできない王国など、築く価値がない。」
それは、彼が初めて“王太子”ではなく、“ひとりの人間”として語った言葉だった。
クロエはその真っ直ぐな眼差しを受け止めきれず、視線を逸らす。
「でも……私はただの人間です。何も特別ではありません。」
「特別ではないからこそ、私を導いてくれた。君のままでいい。」
陽が沈み、薄闇に包まれる庭園で、ノエルは彼女の手を強く握った。
「もう一度、言わせてくれ。クロエ・ラングレー。私は、君を愛している。」
クロエの瞳が揺れる。
こみ上げる涙が光に反射し、きらめいた。
「……私は、殿下を尊敬し、そして……愛しています。けれど、私の心は“侍女”として生まれたものです。殿下の隣に立てる資格はありません。」
「資格を決めるのは世ではない。私だ。」
ノエルの瞳には揺るぎがなかった。
「君が王城を去るなら、私は追う。どこにでも。」
「殿下……それでは、民が困ります。」
「君を失う方が、私は困る。」
クロエは堪えきれず、泣き笑いのような表情で言った。
「本当に、ずるい方です。」
「君がそう言うたび、嬉しくなる。」
互いに笑い、言葉はそれ以上要らなかった。
再び風が吹き、花弁が舞う。
その中で彼の手がそっと頬に触れる。
唇が触れそうな距離で、ノエルが小さく囁いた。
「かつて君が私の夢を支えてくれたように……今度は私が君の未来を支えたい。」
「未来を……?」
「君の腕の傷も、涙も、努力も、そのすべてがこの国を作る礎になる。だから君を孤独にはさせない。」
クロエは微笑んだ。
その笑みは、不安ではなく決意の光に満ちていた。
「殿下。私が生きる理由をくださったのは、貴方です。そして、愛を教えてくださったのも。」
「愛されることより、愛することの方が難しい。だが君に出会って、それを知った。」
ふたりの言葉が途切れた時、鐘の音が響いた。
王都の塔が、夜の始まりを告げている。
ノエルはそっと彼女の額に口づけを落とした。
「明日、正式に王位継承の儀が行われる。そしてその場で、私は君を王家の侍従長としてではなく、一人の伴侶として迎える。」
クロエは息を詰める。
「そんなことをなさっては……!」
「もう誰にも譲らない。君がどんな立場であっても、私の選んだ“運命”だ。」
その言葉に、拒む力がすべて溶けた。
夜の風が頬を撫で、遠く夜空にひとつ星が瞬いた。
きっとその光が、ふたりの誓いの証になるだろう。
クロエは泣き笑いのまま、小さく頷いた。
「では……ついて行きます。どんな運命であっても。」
「その言葉があれば十分だ。」
ノエルは彼女の手を強く握り、まるで永遠を誓うように離さなかった。
冬の終わり、夜の静寂の中で、二人の心はようやく重なった。
婚約破棄で始まった物語は、いま新しい愛の形へと進もうとしていた。
続く
王都の街並みに少しずつ春の色が差し込み、枯れ木の枝には小さな芽が姿を見せ始めていた。
誰かが失われたと思っていた季節が、確かに戻ってくる。
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——あれから一月。
フェルナンド家の反乱は本格的な戦いへと発展したものの、王太子ノエルの采配と領民たちの協力により、ほとんど流血を伴わずに収束した。
だが勝利の報せが届いた直後、ルシアン・フェルナンドの消息が途絶えた。
彼が父を説き伏せるため、最後に単身で屋敷へ向かったということだけが伝えられている。
そしてそれを聞いたノエルもまた、いまだ王都へ戻らず南方に留まっている。
その不在の空白が、クロエの胸を不安と誇りで満たしていた。
「貴女、また空を見上げていらっしゃるのね。」
王妃セレーネの柔らかな声に、クロエははっと我に返る。
「申し訳ございません。つい、考え事をしてしまいました。」
「いいの。貴女の瞳はまるで祈りのようね。朝日を受けて、まっすぐに希望を見ている。」
王妃の言葉に、クロエは少し照れて微笑した。
「殿下の帰還が遅れておりますが、お加減が案じられます。」
「ノエルは強い子。きっと無事に戻るでしょう。」
セレーネのその声には、母としての静かな確信があった。
その温かさに包まれ、クロエはわずかに肩の力を抜いた。
だが心のどこかでは、ずっと同じ問いが残っていた。
——私は、彼の隣にいていいのだろうか。
殿下が王位を継げば、私はただの過去になる。
侍女であった自分が、永遠に隣にいられるわけではない。
愛を告げ合った夜にも、未来のその現実は静かに影を落としていた。
午後、王宮の前庭で風の音がした。
侍女たちが花籠を運びながらひそひそと声を交わす。
「南の門に、殿下がお戻りになったそうよ!」
その一言で、クロエの胸が跳ねた。
手にしていた布を落とし、駆け出しそうになる足を必死で抑える。
けれど、どうしても心が急く。
城門の前、兵士たちの列をかき分けて立つ影があった。
ノエルだった。
長旅の疲れが滲む鎧姿。だがその背は真っ直ぐで、瞳には確かに生きる光が宿っていた。
そして彼の隣には、一人の青年がいた。
泥にまみれ、腕に包帯を巻いたルシアン・フェルナンド。
クロエは息を呑んだ。
二人の視線が、一瞬重なった。
その短い刹那に、すべてが語られたかのように。
「殿下!」
彼女が呼びかけると、ノエルはようやく口元に微笑を浮かべた。
「クロエ。やっと戻れた。」
その声の響きが、耳ではなく胸に伝わる。
彼が王妃のもとに報告を終えると、夕陽が城の尖塔を赤く染めていった。
クロエは庭園の片隅で花を摘んでいたが、背後に静かな足音を感じた。
振り向けば、ノエルがそこにいた。
鎧を脱ぎ、淡い礼服に着替えた彼の表情は穏やかで、どこか懐かしささえ宿している。
「おかえりなさいませ、殿下。」
「ただいま、クロエ。」
一言だけで胸が満たされる。
その声をずっと待っていた気がした。
「南はもう大丈夫なのですね。」
「ルシアンが父を説き伏せ、兵を解かせた。彼は……戦いを止めた代わりに、自らの名を捨てることを選んだ。」
クロエの胸に痛みが走る。
「では、彼は……。」
「もう貴族ではなく、ただの一人の人間として生きることを望んだ。過去の贖いとして、辺境の地で民の教導に当たるそうだ。」
「そうですか……。」
クロエは空を仰ぎ、静かに息を漏らす。
「きっと遠くから、私たちの選んだ道を祝福してくれていますね。」
「彼はそう言っていた。『もう一度、誰かを信じられる自分でありたい』と。」
二人の間に柔らかな沈黙が流れた。
庭園の白い花弁が風に舞い、まるで雪のように降り積もる。
その中でノエルが近づき、彼女の手を取った。
「クロエ。私は一度、君を侍女として手放そうと思った。王族としての責務を全うするために。だが、それは間違いだとこの戦で気づいた。」
クロエはゆっくりと首を振る。
「いいえ……殿下の決意を責めることはできません。私はただ、お傍にいられた時間だけで幸せでした。」
「それでいいと君は言うだろう。けれど、私は君を手放せない。君がいなくては、私は“王”ではなくなる。」
胸が熱く、息が詰まりそうになる。
「殿下、王は民のものです。愛をひとりに注げば、不公平になってしまう。」
「ならば私は不公平な王で構わない。君を幸せにできない王国など、築く価値がない。」
それは、彼が初めて“王太子”ではなく、“ひとりの人間”として語った言葉だった。
クロエはその真っ直ぐな眼差しを受け止めきれず、視線を逸らす。
「でも……私はただの人間です。何も特別ではありません。」
「特別ではないからこそ、私を導いてくれた。君のままでいい。」
陽が沈み、薄闇に包まれる庭園で、ノエルは彼女の手を強く握った。
「もう一度、言わせてくれ。クロエ・ラングレー。私は、君を愛している。」
クロエの瞳が揺れる。
こみ上げる涙が光に反射し、きらめいた。
「……私は、殿下を尊敬し、そして……愛しています。けれど、私の心は“侍女”として生まれたものです。殿下の隣に立てる資格はありません。」
「資格を決めるのは世ではない。私だ。」
ノエルの瞳には揺るぎがなかった。
「君が王城を去るなら、私は追う。どこにでも。」
「殿下……それでは、民が困ります。」
「君を失う方が、私は困る。」
クロエは堪えきれず、泣き笑いのような表情で言った。
「本当に、ずるい方です。」
「君がそう言うたび、嬉しくなる。」
互いに笑い、言葉はそれ以上要らなかった。
再び風が吹き、花弁が舞う。
その中で彼の手がそっと頬に触れる。
唇が触れそうな距離で、ノエルが小さく囁いた。
「かつて君が私の夢を支えてくれたように……今度は私が君の未来を支えたい。」
「未来を……?」
「君の腕の傷も、涙も、努力も、そのすべてがこの国を作る礎になる。だから君を孤独にはさせない。」
クロエは微笑んだ。
その笑みは、不安ではなく決意の光に満ちていた。
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ふたりの言葉が途切れた時、鐘の音が響いた。
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「明日、正式に王位継承の儀が行われる。そしてその場で、私は君を王家の侍従長としてではなく、一人の伴侶として迎える。」
クロエは息を詰める。
「そんなことをなさっては……!」
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その言葉に、拒む力がすべて溶けた。
夜の風が頬を撫で、遠く夜空にひとつ星が瞬いた。
きっとその光が、ふたりの誓いの証になるだろう。
クロエは泣き笑いのまま、小さく頷いた。
「では……ついて行きます。どんな運命であっても。」
「その言葉があれば十分だ。」
ノエルは彼女の手を強く握り、まるで永遠を誓うように離さなかった。
冬の終わり、夜の静寂の中で、二人の心はようやく重なった。
婚約破棄で始まった物語は、いま新しい愛の形へと進もうとしていた。
続く
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