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第12話 秘密の契約
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翌朝、雪はすっかり止んでいた。
夜の間に降り積もった白が眩しく光り、世界が新しく塗り替えられたようだった。
私は早朝の空気を吸いに窓を開けた。冷たく張り詰めた空気が肺を撫で、思考を澄ませていく。
外では、アレンが護衛たちと馬の点検をしていた。夜通し警戒していたというのに、その背は疲れを感じさせない。
重ねたマントの裾に朝の光が落ち、少しの風で揺れた。
「お嬢様、温かいスープです」
クラリスがトレイを持って入ってきた。
「また一晩中起きておられたのでしょう。顔が少し青ざめています」
「心配してくれてありがとう。でも、朝の空気を吸うと不思議に力が湧くの」
クラリスは憂いを帯びた顔で言う。
「アレン様には、もう複雑なお立場が……。お嬢様、お気づきですよね」
「……たぶんね」
彼が王家と慎重に距離を取る理由。その裏には、単なる政治的駆け引きではない何かが潜んでいる。
昨夜の出来事――謎の使者が毒で息絶えたことも、それと無関係ではない。
屋敷を出立する準備が整う頃、アレンが私のもとに来た。
「体調はどうです?」
「大丈夫です。貴方のおかげでぐっすり眠れました」
「ならいい。今日の目的地は少し山越えになります。王都の境界を通る前に、どうしても立ち寄りたい場所がある」
「立ち寄りたい場所?」
「古い修道院です。ヴァルディール家の外交文書の写本を保管している。王家が知られたくない記録も多い場所でして」
「王都に向かう前に、そちらで何かを確かめるのですね」
「ええ。貴女と私、そして彼らがどう交わったのか。その記録があるはずです」
馬車が街道を進む。雪解けの道はぬかるみ、揺れが大きい。
外に目を向けると、山裾に古い石造りの建物が見えた。白い煙が煙突から上がり、鐘楼には大きな十字の装飾。
「ここが……」
「ヴァルディール修道院。かつて王国の北境を守るために作られたが、戦後は書庫と孤児院になりました」
建物の中に足を踏み入れると、冷たい空気と古文書の匂いが混じり合う。
白衣の修道女たちが静かに歩き、壁の蝋燭が淡い光を揺らめかせた。
導かれた奥の部屋には、一人の老修道司が待っていた。
「公爵様、ようこそお戻りくださりました。……そちらの方が噂の令嬢ですね」
「ええ。王都から命を落としかけて逃れてきた方です」
老修道司の目が細まり、何かを測るような沈黙が流れた。
「では、貴族院の記録をお見せしましょう。お二人がこれからどの道を歩むかを決める前に、真実を知るべきです」
奥の書庫に入ると、壁一面に木箱が積まれていた。
古びた羊皮紙とインクの匂い、積年のホコリが浮かぶ光に踊る。
アレンは一冊の厚い簿冊を取り出して机に開いた。
目次の一行に、見慣れない文が刻まれている。
《第一王子アーヴィンとグランベル侯爵家政治婚約について/ヴァルディール家管理記録》
「……これは」
アレンが淡々と読み上げる。
「この婚約は、王都財務を支配していたグランベル家の資金を王太子派が取り込むために結ばれた、とある。
貴女は“政略の盾”として選ばれていた」
私は胸の奥が重くなるのを感じた。
やはりそうだったのだ。
すべてが愛ではなく、取引の産物。
「だが、もう一つ記録があります。王国の密約書――」
アレンが次の頁に指を滑らせた。そこには、見覚えのある印章があった。
王家の封印、その下にはヴァルディール家の印。
両者の間に何が記されているのか。彼の眉がわずかに動く。
「……王家と我が家の間に、秘密の契約が交わされている」
「契約?」
「“王位継承が揺らぐとき、ヴァルディール家が王族の代理を立て国の安定を見守る”」
アレンの口調が硬くなる。
「つまり、密かに我が家は王を監視する立場にある。本来、王家の暴走を止めるための、いわば保証人のような役割だ」
唖然とした。
「では、アレン……貴方は殿下に対しても、対等な存在ということですか?」
「形式上は、そうなる」
「それなのに殿下は貴方を軽んじて……?」
「知らなかったのだろう。若く短慮な王太子にこのような秘密を知らされるはずもない。だが、王妃は気づいている」
「だから、私を舞踏会に呼んだのは……」
「貴女を“再び扱うため”ではなく、“監視するため”の可能性が高い」
アレンが書を閉じる。
蝋燭の火がわずかに揺れる。
「私たちは、知らぬまま王家の密約に巻き込まれたのです」
不意に背筋が冷たい。
「それでは私が王太子との婚約を破棄されたことも、この契約に……?」
「恐らく一連の出来事は、王妃が王国の財力と外交の均衡を保つために操作したもの。あなたを“駒”とし、ヴァルディール家が動くきっかけを待っていた」
「そんな……!」
思わず口を押さえた。その瞬間、心に蘇るのは断罪の夜。あの人々の視線、それを見下ろした殿下の顔。
「私の人生は、ただの形合わせ……?」
「違う。貴女の選択で、今の流れは変わっている。もう、駒ではない」
アレンが私の手を取り、握った。
「真実を知った今こそ、自分の居場所を選ぶ時です」
私は息を整えながら、彼を見返した。
灰の瞳の奥には迷いがなかった。
「では、貴方はこの秘密の契約を――」
「破棄する」
彼の答えは迷いなく放たれた。
老修道司が大きく息をのむ。
「それでは王家との均衡が……!」
「均衡が王の不正を許すのなら、それは腐敗です。私はこの密約を廃し、自由な立場で新しい国の形を築く」
怒りではない。彼の声は静かな信念を含んでいた。
私の胸の奥が震える。
彼の生き方が、私の過去を照らす。
冷たい世界で凍っていた本当の自分に、ようやく陽が差した気がした。
その場でアレンはペンを取り、羊皮紙の余白に署名を書き込んだ。
《ヴァルディール公爵アレン=ヴァルディール、王家との密約を無効とする》
彼の筆致は強く、真っすぐだった。
私も手を伸ばした。
「その証人として、私の名も添えさせてください」
「いいのですか?」
「ええ。貴方と共に歩むと決めたのですから」
アレンは静かに私を見て、やがて頷いた。
二人の署名が並び、ロウで封された。
契約は終わり、同時に新しい誓いが生まれた。
修道院を出ると、風が強く吹いた。
山の向こうから差す光が、白い雪を金色に染めていた。
私は深く息を吸い、アレンの隣に並んだ。
「これで王国の秩序は揺らぐかもしれませんね」
「いずれ新しい均衡が生まれるさ。その中心に貴女がいれば、それでいい」
「そんな大それたこと……」
「貴女が変えたのです、すでに」
風が止み、沈黙が降りる。
青白い空の下で、アレンが私の手を握る。
「リディア。この秘密を共に背負う限り、私は決して貴女を離れない」
「約束ですよ」
「ええ。――秘密の契約だ」
互いの微笑みが交わる。
金の光が雪を払うように降り注ぎ、遠い鐘の音が響いた。
その音は、まるで新しい時代の幕開けを告げる合図のように感じられた。
続く
夜の間に降り積もった白が眩しく光り、世界が新しく塗り替えられたようだった。
私は早朝の空気を吸いに窓を開けた。冷たく張り詰めた空気が肺を撫で、思考を澄ませていく。
外では、アレンが護衛たちと馬の点検をしていた。夜通し警戒していたというのに、その背は疲れを感じさせない。
重ねたマントの裾に朝の光が落ち、少しの風で揺れた。
「お嬢様、温かいスープです」
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「また一晩中起きておられたのでしょう。顔が少し青ざめています」
「心配してくれてありがとう。でも、朝の空気を吸うと不思議に力が湧くの」
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「アレン様には、もう複雑なお立場が……。お嬢様、お気づきですよね」
「……たぶんね」
彼が王家と慎重に距離を取る理由。その裏には、単なる政治的駆け引きではない何かが潜んでいる。
昨夜の出来事――謎の使者が毒で息絶えたことも、それと無関係ではない。
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「体調はどうです?」
「大丈夫です。貴方のおかげでぐっすり眠れました」
「ならいい。今日の目的地は少し山越えになります。王都の境界を通る前に、どうしても立ち寄りたい場所がある」
「立ち寄りたい場所?」
「古い修道院です。ヴァルディール家の外交文書の写本を保管している。王家が知られたくない記録も多い場所でして」
「王都に向かう前に、そちらで何かを確かめるのですね」
「ええ。貴女と私、そして彼らがどう交わったのか。その記録があるはずです」
馬車が街道を進む。雪解けの道はぬかるみ、揺れが大きい。
外に目を向けると、山裾に古い石造りの建物が見えた。白い煙が煙突から上がり、鐘楼には大きな十字の装飾。
「ここが……」
「ヴァルディール修道院。かつて王国の北境を守るために作られたが、戦後は書庫と孤児院になりました」
建物の中に足を踏み入れると、冷たい空気と古文書の匂いが混じり合う。
白衣の修道女たちが静かに歩き、壁の蝋燭が淡い光を揺らめかせた。
導かれた奥の部屋には、一人の老修道司が待っていた。
「公爵様、ようこそお戻りくださりました。……そちらの方が噂の令嬢ですね」
「ええ。王都から命を落としかけて逃れてきた方です」
老修道司の目が細まり、何かを測るような沈黙が流れた。
「では、貴族院の記録をお見せしましょう。お二人がこれからどの道を歩むかを決める前に、真実を知るべきです」
奥の書庫に入ると、壁一面に木箱が積まれていた。
古びた羊皮紙とインクの匂い、積年のホコリが浮かぶ光に踊る。
アレンは一冊の厚い簿冊を取り出して机に開いた。
目次の一行に、見慣れない文が刻まれている。
《第一王子アーヴィンとグランベル侯爵家政治婚約について/ヴァルディール家管理記録》
「……これは」
アレンが淡々と読み上げる。
「この婚約は、王都財務を支配していたグランベル家の資金を王太子派が取り込むために結ばれた、とある。
貴女は“政略の盾”として選ばれていた」
私は胸の奥が重くなるのを感じた。
やはりそうだったのだ。
すべてが愛ではなく、取引の産物。
「だが、もう一つ記録があります。王国の密約書――」
アレンが次の頁に指を滑らせた。そこには、見覚えのある印章があった。
王家の封印、その下にはヴァルディール家の印。
両者の間に何が記されているのか。彼の眉がわずかに動く。
「……王家と我が家の間に、秘密の契約が交わされている」
「契約?」
「“王位継承が揺らぐとき、ヴァルディール家が王族の代理を立て国の安定を見守る”」
アレンの口調が硬くなる。
「つまり、密かに我が家は王を監視する立場にある。本来、王家の暴走を止めるための、いわば保証人のような役割だ」
唖然とした。
「では、アレン……貴方は殿下に対しても、対等な存在ということですか?」
「形式上は、そうなる」
「それなのに殿下は貴方を軽んじて……?」
「知らなかったのだろう。若く短慮な王太子にこのような秘密を知らされるはずもない。だが、王妃は気づいている」
「だから、私を舞踏会に呼んだのは……」
「貴女を“再び扱うため”ではなく、“監視するため”の可能性が高い」
アレンが書を閉じる。
蝋燭の火がわずかに揺れる。
「私たちは、知らぬまま王家の密約に巻き込まれたのです」
不意に背筋が冷たい。
「それでは私が王太子との婚約を破棄されたことも、この契約に……?」
「恐らく一連の出来事は、王妃が王国の財力と外交の均衡を保つために操作したもの。あなたを“駒”とし、ヴァルディール家が動くきっかけを待っていた」
「そんな……!」
思わず口を押さえた。その瞬間、心に蘇るのは断罪の夜。あの人々の視線、それを見下ろした殿下の顔。
「私の人生は、ただの形合わせ……?」
「違う。貴女の選択で、今の流れは変わっている。もう、駒ではない」
アレンが私の手を取り、握った。
「真実を知った今こそ、自分の居場所を選ぶ時です」
私は息を整えながら、彼を見返した。
灰の瞳の奥には迷いがなかった。
「では、貴方はこの秘密の契約を――」
「破棄する」
彼の答えは迷いなく放たれた。
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「均衡が王の不正を許すのなら、それは腐敗です。私はこの密約を廃し、自由な立場で新しい国の形を築く」
怒りではない。彼の声は静かな信念を含んでいた。
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「そんな大それたこと……」
「貴女が変えたのです、すでに」
風が止み、沈黙が降りる。
青白い空の下で、アレンが私の手を握る。
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「ええ。――秘密の契約だ」
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