氷の令嬢は断罪を笑う 〜婚約破棄した元婚約者が泣いて縋ってももう遅い、私は本物の愛を知ったから〜

sika

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第14話 公爵邸のオルゴール

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レイベルでの暮らしに慣れ始めた頃、季節は本格的な春を迎えていた。  
空は高く、湖面には花弁が舞い、風はやさしく頬を撫でる。  
ヴァルディール公爵邸の庭には、国境を越えてきた交易商人たちが集まり、穏やかな賑わいを見せていた。  
その光景を窓辺から眺めながら、私は深呼吸をした。  
「ここでは、本当に時間がゆっくり流れますね」  
隣で本を読んでいたクラリスが、にこりと微笑む。  
「お嬢様が穏やかに過ごされているのを見ていると、私まで心が安らぎます」  

そんな平和な午後に、アレンが執務を終えて部屋を訪ねてきた。  
「外の空気を吸いに行きましょう」  
「今日は特別に忙しいご様子でしたのに?」  
「貴女と過ごす時間は、どんな仕事よりも優先すべきだと思っています」  
その真顔に、思わず頬が熱くなる。  
私たちは共に庭へ出た。  

湖のほとりを歩くと、陽の光を受けて小さな光の粒が揺れていた。  
子どもたちが水辺で舟を押して遊んでいる姿を見て、私は足を止める。  
「王都では、こんなに無邪気な笑い声を聞いたことがありませんでした」  
「それは貴族が笑うことを許されなかったからです」  
「……私も、笑い方を忘れていました」  
「取り戻せたなら、もう十分です」  
アレンは静かにそう言って、私を見つめた。その瞳に映る自分が、どこか懐かしい。  

歩き疲れて屋敷へ戻ると、玄関の前に年老いた男が立っていた。  
「アレン様……」  
「バース老人か。久しいな」  
「はい。少し特別な品をお持ちしました。若い娘君にふさわしいものかと」  
老人が差し出した箱は細工の施された木箱で、表には古いルーン文字が彫り込まれている。  
「これは……?」  
蓋を開けると、中には銀の歯車が組み込まれたオルゴールが入っていた。  
「このオルゴールは、レイベル王妃の御料品を修復したときの余材で作られたものでして。希少な音を奏でます」  
アレンは興味深そうに手に取る。  
「リディア、これは君に贈りたい」  
「え? そんな、もったいないです」  
「礼ではありません。想いを形にしたいだけです」  
オルゴールを受け取ると、指先に金属の冷たさと木のぬくもりが同時に伝わった。  

屋敷に戻り、自室の窓辺に置いてねじを回す。  
カチリと音がして、透明な旋律が静かに流れ出した。  
まるで雪解けの川のように柔らかく、ところどころに春の風のような震えがある。  
私はその音を聴きながら、目を閉じた。  
――この音を聞いていると、過去が遠ざかっていく。  
あの断罪の夜も、氷の呼び名も、王都の嘲笑も。全てがこの旋律の中で融けていく。  

しばらくしてアレンがノックもせず入ってきた。  
「失礼しました。音が漏れていたので……修理が必要かと思って」  
「いえ、大丈夫です。これは……」  
「優しい音ですね。レイベルの音楽職人が作るものは、まるで風そのものだ」  
私は微笑みながら首を傾げる。  
「この曲、どこかで聴いたことがあるような気がします」  
「王城で演奏される夜会のテーマ曲ですよ。皮肉にも王家が栄華を誇るために作られた曲ですが、ここで聴けばただの“春の歌”ですね」  
「不思議です。同じ曲なのに、こんなにも意味が違って聞こえるなんて」  
「場所が変われば、音も生まれ変わる。それは人の心も同じです」  
少し照れくさい言葉だったが、それは確かにアレンらしい言葉だった。  

私は思いきって尋ねた。  
「……アレン。貴方は王家の密約を破棄してから、後悔していませんか?」  
「後悔などありません。むしろ安らぎました。貴女が隣にいるから」  
「貴方は……私のせいで立場を危うくしたのでは」  
「心配はいりません。王都での力に未練はない。民の笑顔と貴女の声があれば、他は要りません」  
穏やかに言うその声に、胸が温かく満たされる。  

オルゴールの音が終わり、部屋には静けさが戻った。  
しかしその余韻が、二人の間で言葉よりも深い会話をしていた。  
私は小さく息を吸い込み、勇気を出して言葉を紡いだ。  
「アレン。もし私がもう一度、王都に戻らねばならない日が来たら……その時も、貴方は傍にいてくださいますか?」  
「約束しましたから。どこへでも行きます」  
「……そう、ですか」  
「ただひとつ、願いがあります」  
「何でしょう」  
「その時には、“守られる貴女”ではなく、“共に戦う貴女”でいてほしい」  
「共に……?」  
「貴女自身の意志で未来を選べるように。もう誰の脚本にも縛られずに」  

彼の言葉が心の奥底に響いた。  
確かに私は、まだ誰かの庇護のもとにいる。けれど、それを甘んじて受け入れるだけでは終われない。  
「分かりました。その時は貴方の隣で、誇りを持って立てるようにします」  
「きっとできますよ」  
アレンは軽く微笑み、私の髪に触れた。  

外からは、昼の鐘が鳴り響く。  
窓の外では、孤児院の子どもたちが花びらを投げ合って笑っていた。  
その光景を見て、私はふと呟いた。  
「幸せって、こんなに静かなものなんですね」  
「静かで、気づかなければ通り過ぎるものです。けれど、掴んで離さなければ、それは続く」  
「……掴む。難しい言葉ですね」  
「大丈夫です。私が隣にいます。手を伸ばせば届く距離で」  
その一言が、心の奥まで染みていった。  

夕暮れには風が変わり、湖の向こうから白い鳥たちが群れをなして帰ってきた。  
私は再びオルゴールを回した。  
その旋律が、黄昏と夜との境をゆっくりと溶かしていく。  

アレンが窓辺に立ち、遠くの光を見つめながら言った。  
「この国にも、やがて嵐は来る。人の欲望は、どんな国でも尽きない。でも、その時こそ支え合わねばならない」  
「レイベルにも戦の影が?」  
「王家の継承をめぐって不穏な動きがあると聞きます。だが、もう怯えることはない。貴女がここにいる限り、私は強くなれる」  
その声が少し掠れていて、胸が鳴る。  

私は窓辺に立ち、オルゴールの音に重ねて、静かに言葉を零した。  
「この音が止まらないうちは、私も信じていられる気がします」  
「止まっても回せばいい。人の心も同じです」  
アレンはそう言って、オルゴールのねじを軽くひねった。  

再び鳴り始めた音色が、薄い月の光の中に流れ込む。  
その旋律が、私と彼の時間をやさしく包み込んでいた。  

続く
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