氷の令嬢は断罪を笑う 〜婚約破棄した元婚約者が泣いて縋ってももう遅い、私は本物の愛を知ったから〜

sika

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第15話 氷が少しずつ溶ける音

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レイベルでの穏やかな日々は、まるで夢の中の時間のように過ぎていった。  
あの冷たい王都の記憶が、少しずつ霞みのように遠ざかっていく。  
けれど、その静かな幸せの下では、何かが確かに動き始めていた。  

その朝、アレンはいつになく険しい表情をしていた。  
「どうかされましたか?」と尋ねると、彼は封を切られた一通の手紙を差し出した。  
「レイベル王国の王弟からの招待状です。王城への正式な謁見に応じてほしいとのこと」  
「王城……また貴族の集まりですか?」  
「表向きはそうですが、内容は外交会議だと思われます。だが、問題は――この招待状に、貴女の名前が含まれていることです」  
「わ、私の……?」  
「“ヴァルディール公爵の同伴者、元グランベル侯爵令嬢リディア”。明確に書かれています。王都から誰かが、貴女の行方を知らせたのでしょう」  

その瞬間、胸の奥にわずかな痛みが走った。  
王都。忘れたと思っていた音。それは懺悔と屈辱のこもった鐘の響きのように、今も脳裏に残っている。  
「……逃げるわけには、いきませんね」  
「そうでしょうね」  
アレンは深く息を吐いた。  
「これは王都の者たちが貴女を“利用しよう”としているか、あるいは“脅威として排除しよう”としている証です」  
「どちらにせよ、行くしかないということですね」  
「ええ。だが、一人では行かせません」  
彼の言葉の端に、鋭い怒りがにじんでいた。  

私はしばらく沈黙したあと、そっと微笑んだ。  
「大丈夫です。今度は、私自身の意志で行くつもりです」  
「リディア……」  
「以前の私は、逃げることしかできなかった。でも、今度は違います。隣に貴方がいるでしょう?」  
その一言に、アレンの眉が和らいだ。  
それでも彼の瞳の奥には、警戒の光が宿っている。  

準備のために館が慌ただしく動き始めた。  
私は旅装の選定に時間をかけた。  
“過去の令嬢”でもなく、“逃亡者”でもない。  
王都の記憶を乗り越えた――一人の女として、自分を映す服を選びたかった。  
最終的に、淡い青のドレスに決めた。氷と空の色の間にある、中庸の色。  
クラリスが紐を締めながら言う。  
「お嬢様、本当に変わられましたね……。王都にいた頃は、鏡に映る自分さえ見ようとされなかったのに」  
「鏡に映る私が嫌いだったのよ。でも、今は違う。少しだけ、見てみたいと思える」  

出発の日、レイベルの空は晴れ渡り、風が心地いい。  
アレンと共に馬車に乗ると、窓の外に無数の花が揺れている。  
彼は静かに言葉を落とした。  
「もし王都の誰かが、貴女に再び侮辱を与えるようなことをすれば、私はこの手で――」  
「良いのです」  
彼の言葉を遮った。  
「戦うために行くのではありません。許すためでもありません。ただ、“終わらせる”ためです」  
その決意を込めた声音に、アレンはゆっくり頷いた。  

道中、ふいに馬車が揺れた。  
一瞬の衝撃、外で兵が叫び声を上げる。  
アレンはすぐ立ち上がり、外へ出た。私は慌てて扉を開け、彼の背を追う。  
森の入り口に、数人の男たちが立っていた。  
彼らの服には、かつての王国紋章が刻まれている。  
「王国の騎士……?」  
アレンが鋭く言い放った。  
「退け。この道はレイベルの保護領内だ」  
「公爵殿、我々はただの使者です。王城より“慎重に話をいたせ”と命を受けております」  
彼らは意味深に視線を交わしながら、ひざまずいた。  
その中心に、ひとりの若い男が進み出た。  
銀の髪、見覚えのある紋章を胸に。  
「まさか……あなたは」  
王太子アーヴィン殿下の腹違いの弟、ジルベルト王子。  
彼はかすかに微笑んだ。  
「久しぶりですね、リディア=グランベル嬢。私には、貴女に伝えねばならぬことがあります」  

アレンの表情が硬くなる。  
「話なら、王城で直接聞きましょう」  
「いいえ、公爵。ここで話さねばなりません。兄上――王太子アーヴィンが、すでに王位を放棄し姿を消しました」  

一瞬、風が止んだように思えた。  
「……なんですって?」  
「王国は今、空位の危機にあります。貴女が破棄されたことで、主要貴族の支持が割れ、内乱の火種が残った。兄は、これ以上の混乱を防ぐためと称して王宮から消えたのです」  

私は息を呑んだ。  
かつて私に断罪を下した男が、自らの座を投げ出した――。  
「あの殿下が……逃げたのですか」  
静かにそう呟いた私に、アレンが横目で視線を送る。  
「つまり今、王国は後継候補を探しているということですな」  
「その通りです、ヴァルディール公爵。王妃は貴方を呼び戻そうとしている。そして……グランベル家の血筋を通じて継承の正統を立て直そうと」  

王妃――あの冷たい微笑が脳裏を過る。  
かつて私の断罪を見届け、静かに杯を傾けていた女だ。  
「私を、再び王家に?」  
「彼女はそう考えています。貴女を通じてヴァルディール家と再び盟約を結ぼうとしている。そのために、兄上を――」  
ジルベルトの言葉を遮るように、アレンが一歩踏み出した。  
「お言葉ですが、それは不可能です。私が王家との密約を破棄した時点で、その道は閉ざされた。我々に再びその鎖をかけることはできません」  
「そう言われると思っていました。しかし王妃は、貴女を“和解の象徴”として招く気なのです」  

言葉が喉の奥でつかえる。  
和解。そんな上辺の飾りで、今さら何が変わるというのだろう。  
アレンの手が私の肩に触れる。  
「リディア。断ることもできます。貴女がもう王に関わりたくないなら、私が全て断ち切ります」  
「……いいえ。行きます」  
自分でも驚くほどはっきり声が出た。  
「これも終わらせなければ。過去の怨みでも、王家の鎖でもなく……そして、かつての私の終わりでもなく、“未来を決めるため”に」  

アレンが目を細めて微笑んだ。  
「分かりました。では、私も共に行きます。もはやどんな嵐が来ようと、私の立場は変わらない」  

馬車が再び動き出す。  
森を抜け、再び陽の光が差す。  
私はその光を見ながら、胸の奥で“氷が溶ける音”を聞いた気がした。  
それは恐れや怒りではなく、長く凍りついていた心が確かに目覚める音だった。  

窓の外では、新芽が揺れている。  
あの冷たい冬を越えても、世界はまだ動いている。  
アレンの隣に座る私の手を、彼がそっと握った。  
言葉はいらなかった。  
そのぬくもりだけが、答えだった。  

続く
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