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第17話 再び現れた影
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王都を出て三日、馬車は再びレイベル国境を越えた。
遠くに王都の城壁が霞むころには、胸の中に残っていた重い緊張がようやく薄れていた。
青空の下に広がる野原は、まるで旅立ちを祝福してくれているようだった。
「王妃との対話、見事でした」
アレンの声が、柔らかく耳に届く。
「震えていましたよ、私」
「震えは恐怖ではなく、覚悟の証です」
「それにしても、王妃の目には驚きました。あの人は、まるで全てを見透かしているような……」
「王妃は政治的な獣です。今は引くように見えても、必ず次の一手を打ってくる」
窓の外の風景を見ていると、道の脇に村人たちが並び、こちらを見送っているのが見えた。
小さな子どもたちは花を掲げ、手を振って笑っている。
「この道を通ると、いつも誰かが見送ってくれるのですね」
「レイベルは、守るために共に立った民が多い。彼らは力を持つ者に敬意を払うよりも、“支えてくれた者”に礼を尽くす」
「王都とは真逆ですね」
私は思わず笑ってしまった。
その笑みにアレンが目を細める。
「リディア、あの王妃は貴女を監視するために使者をつけるかもしれない。まだ油断はできません」
「構いません。もう逃げるつもりはありませんから」
「貴女は本当に強くなった」
「貴方が傍にいるからです」
その穏やかな時間を破ったのは、馬車の前方から放たれた気配だった。
御者が突然叫び、手綱を強く引く。
「誰だ!」
走る馬車が軋み、外では剣の抜かれる音がした。アレンが即座に立ち上がる。
「下がっていなさい、リディア」
「でも――」
私は言いかけたが、彼はすでに扉を開けて外へ飛び降りていた。
馬車の外、霧のように靄が広がる中で、黒の外套を纏った一団が行く手を塞いでいた。
五人。どの顔にも覆面があり、ただ目だけが冷たく光っている。
先頭の男が口を開いた。
「ヴァルディール公爵。王妃の命により、リディア・グランベルを保護させていただく」
「保護? その剣を振りかざして言うとは滑稽ですね」
アレンの声が低く響き、空気に鉄の匂いが満ちた。
次の瞬間、刃が閃いた。
金属がぶつかり合う音が連続し、御者の怒鳴り声が混じる。
私は馬車の中で震えながらも、扉を開けて外の光景を見た。
アレンは三人を相手にしていた。
彼の剣筋には無駄がなく、闇の中に銀の軌跡が走るたびに、敵が倒れていく。
だがその背後――一人の影が音もなく接近した。
「アレン!」
思わず叫んだ私の声が響く。
その瞬間、彼が振り向きざまに刃を受け止めた。
火花が散り、相手の覆面が切れて布地が舞う。
その顔が明るみに出た瞬間、息が詰まった。
「……まさか」
それはアーヴィン殿下だった。
金の髪が乱れ、以前の気品は影もない。
「どうして……貴方がここに……」
私の声に、彼の唇がゆがんだ。
「姿を消したと思っていたか。私が、王城の愚か者たちの駒になると思ったか」
アレンが剣を構えたまま睨みつける。
「リディアを狙う理由を聞こう」
「理由? おまえには関係ない。彼女は……私のものだ」
「貴方のもの?」
私の胸の奥を、冷たい怒りが走った。
その言葉を、私は二度と聞きたくなかった。
アーヴィンはゆらりと構えを取った。
「おまえが裏で王家の契約を破棄したと聞いた時、ようやく理解したよ。ヴァルディール、おまえは自分の正義に酔っている。だが王家を裏切った者に未来などない」
「それでも、私たちは自分の選んだ正義に従います」
アレンの声は静かで、氷の刃のように鋭かった。
風が渦を巻き、アーヴィンが一閃した。
アレンの剣がそれを受け、二人の間に強い衝撃が走る。
地面の砂が舞い上がり、髪が乱れ、視界が白くかすむ。
私は駆け出そうとして、クラリスに腕をつかまれた。
「お嬢様、だめです!」
「でも……!」
「公爵様を信じてください!」
剣と風の音が数度響き、やがて沈黙が訪れた。
霧が晴れると、アーヴィンの剣が地に落ちていた。
アレンはその喉元に刃を突きつけていた。
だが、アーヴィンは笑っていた。
「殺せばいい。どうせ王妃は私の代わりをもう用意している。だが、貴様が私を斬った瞬間、レイベルは“王殺し”の汚名を負うぞ」
アレンの剣先がわずかに揺れる。
その隙を突いて、アーヴィンが懐から投げナイフを抜き、私の方へ向かって放った。
光が走る。
時間が止まったように感じた。
叫び声と同時に、身体が強く抱き寄せられた。
私の目の前で、アレンの肩に赤が咲いた。
「アレン!」
彼の体温と血の匂いが、現実を突きつける。
「……大丈夫です。外れました」
「嘘を言わないで!」
彼の笑みは穏やかで、どこか遠くを見ているようだった。
アーヴィンはすでに倒れ込み、騎士たちに取り押さえられていた。
その顔から怒りも驕りも消え、ただ空っぽな目だけが残っている。
「……リディア……」
彼が私の名を呼んだ。声には悔恨が混じる。
「お前は……最初から……自由だったのだな……」
そのまま彼の声は途切れた。
沈黙が広がる。風が静まり、鳥の声さえ戻らない。
私はアレンの体を支えながら、その赤が指に染みるのをただ見ていた。
「動かないで」
「……怪我よりも、貴女が泣く方が痛い」
かすれた笑みがこぼれる。
「泣いてなんか……」
言いかけた瞬間、涙が頬を伝った。
兵たちが駆け寄り、アレンを支え起こした。
傷は浅いと判明したが、それでも胸の奥が苦しくて仕方なかった。
「リディア、行きましょう。ここはもう危険です」
クラリスの声に頷く。
馬車に戻ると、外では夕陽が沈みかけていた。
アレンは傷に包帯を巻きながら、私の肩に手を置いた。
「貴女はよく見ておきなさい。復讐の末に残るものが何かを」
「残るのは……虚しさだけですね」
「だから私たちは、もう同じことをしない。どんな闇にも吞まれない」
その夜、宿でアレンは静かに休んでいた。
私は彼の寝顔を見つめながら、改めて誓った。
もう二度と誰にも奪われない。愛も、誇りも、未来も。
遠くで風が窓を叩き、オルゴールの音がかすかに鳴った。
かつて氷のように固く閉ざされていた心。その奥から、確かに溶けた水が流れ出していく音がした。
私はその音を胸の奥で聞きながら、そっと呟いた。
「アレン……貴方となら、どんな闇も越えられる」
続く
遠くに王都の城壁が霞むころには、胸の中に残っていた重い緊張がようやく薄れていた。
青空の下に広がる野原は、まるで旅立ちを祝福してくれているようだった。
「王妃との対話、見事でした」
アレンの声が、柔らかく耳に届く。
「震えていましたよ、私」
「震えは恐怖ではなく、覚悟の証です」
「それにしても、王妃の目には驚きました。あの人は、まるで全てを見透かしているような……」
「王妃は政治的な獣です。今は引くように見えても、必ず次の一手を打ってくる」
窓の外の風景を見ていると、道の脇に村人たちが並び、こちらを見送っているのが見えた。
小さな子どもたちは花を掲げ、手を振って笑っている。
「この道を通ると、いつも誰かが見送ってくれるのですね」
「レイベルは、守るために共に立った民が多い。彼らは力を持つ者に敬意を払うよりも、“支えてくれた者”に礼を尽くす」
「王都とは真逆ですね」
私は思わず笑ってしまった。
その笑みにアレンが目を細める。
「リディア、あの王妃は貴女を監視するために使者をつけるかもしれない。まだ油断はできません」
「構いません。もう逃げるつもりはありませんから」
「貴女は本当に強くなった」
「貴方が傍にいるからです」
その穏やかな時間を破ったのは、馬車の前方から放たれた気配だった。
御者が突然叫び、手綱を強く引く。
「誰だ!」
走る馬車が軋み、外では剣の抜かれる音がした。アレンが即座に立ち上がる。
「下がっていなさい、リディア」
「でも――」
私は言いかけたが、彼はすでに扉を開けて外へ飛び降りていた。
馬車の外、霧のように靄が広がる中で、黒の外套を纏った一団が行く手を塞いでいた。
五人。どの顔にも覆面があり、ただ目だけが冷たく光っている。
先頭の男が口を開いた。
「ヴァルディール公爵。王妃の命により、リディア・グランベルを保護させていただく」
「保護? その剣を振りかざして言うとは滑稽ですね」
アレンの声が低く響き、空気に鉄の匂いが満ちた。
次の瞬間、刃が閃いた。
金属がぶつかり合う音が連続し、御者の怒鳴り声が混じる。
私は馬車の中で震えながらも、扉を開けて外の光景を見た。
アレンは三人を相手にしていた。
彼の剣筋には無駄がなく、闇の中に銀の軌跡が走るたびに、敵が倒れていく。
だがその背後――一人の影が音もなく接近した。
「アレン!」
思わず叫んだ私の声が響く。
その瞬間、彼が振り向きざまに刃を受け止めた。
火花が散り、相手の覆面が切れて布地が舞う。
その顔が明るみに出た瞬間、息が詰まった。
「……まさか」
それはアーヴィン殿下だった。
金の髪が乱れ、以前の気品は影もない。
「どうして……貴方がここに……」
私の声に、彼の唇がゆがんだ。
「姿を消したと思っていたか。私が、王城の愚か者たちの駒になると思ったか」
アレンが剣を構えたまま睨みつける。
「リディアを狙う理由を聞こう」
「理由? おまえには関係ない。彼女は……私のものだ」
「貴方のもの?」
私の胸の奥を、冷たい怒りが走った。
その言葉を、私は二度と聞きたくなかった。
アーヴィンはゆらりと構えを取った。
「おまえが裏で王家の契約を破棄したと聞いた時、ようやく理解したよ。ヴァルディール、おまえは自分の正義に酔っている。だが王家を裏切った者に未来などない」
「それでも、私たちは自分の選んだ正義に従います」
アレンの声は静かで、氷の刃のように鋭かった。
風が渦を巻き、アーヴィンが一閃した。
アレンの剣がそれを受け、二人の間に強い衝撃が走る。
地面の砂が舞い上がり、髪が乱れ、視界が白くかすむ。
私は駆け出そうとして、クラリスに腕をつかまれた。
「お嬢様、だめです!」
「でも……!」
「公爵様を信じてください!」
剣と風の音が数度響き、やがて沈黙が訪れた。
霧が晴れると、アーヴィンの剣が地に落ちていた。
アレンはその喉元に刃を突きつけていた。
だが、アーヴィンは笑っていた。
「殺せばいい。どうせ王妃は私の代わりをもう用意している。だが、貴様が私を斬った瞬間、レイベルは“王殺し”の汚名を負うぞ」
アレンの剣先がわずかに揺れる。
その隙を突いて、アーヴィンが懐から投げナイフを抜き、私の方へ向かって放った。
光が走る。
時間が止まったように感じた。
叫び声と同時に、身体が強く抱き寄せられた。
私の目の前で、アレンの肩に赤が咲いた。
「アレン!」
彼の体温と血の匂いが、現実を突きつける。
「……大丈夫です。外れました」
「嘘を言わないで!」
彼の笑みは穏やかで、どこか遠くを見ているようだった。
アーヴィンはすでに倒れ込み、騎士たちに取り押さえられていた。
その顔から怒りも驕りも消え、ただ空っぽな目だけが残っている。
「……リディア……」
彼が私の名を呼んだ。声には悔恨が混じる。
「お前は……最初から……自由だったのだな……」
そのまま彼の声は途切れた。
沈黙が広がる。風が静まり、鳥の声さえ戻らない。
私はアレンの体を支えながら、その赤が指に染みるのをただ見ていた。
「動かないで」
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兵たちが駆け寄り、アレンを支え起こした。
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馬車に戻ると、外では夕陽が沈みかけていた。
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「残るのは……虚しさだけですね」
「だから私たちは、もう同じことをしない。どんな闇にも吞まれない」
その夜、宿でアレンは静かに休んでいた。
私は彼の寝顔を見つめながら、改めて誓った。
もう二度と誰にも奪われない。愛も、誇りも、未来も。
遠くで風が窓を叩き、オルゴールの音がかすかに鳴った。
かつて氷のように固く閉ざされていた心。その奥から、確かに溶けた水が流れ出していく音がした。
私はその音を胸の奥で聞きながら、そっと呟いた。
「アレン……貴方となら、どんな闇も越えられる」
続く
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