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第23話 彼女の勝利と涙
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王太子アーヴィンの降伏を受けてから、一週間が過ぎた。
王国は新たな暦を迎えるように、音もなく形を変えていた。
長く凍りついていた権力の塔が崩れ、民衆の声が城下に響きはじめた。
それは歓喜ばかりではなく、不安や悲嘆も含んでいたが、それでも確かに「生きた国」の息吹だった。
レイベルとヴァルディールの新協定が結ばれ、戦は避けられた。
かつて王妃が恐れていた「民による王国の崩壊」は起こらなかった。
その代わりに、王国は民によって建て直されようとしていた。
私は朝の光が差し込む執務室に立ち尽くしていた。窓の外には、修復が進む王城の尖塔が見える。
「ようやく終わったのですね……」
静かにそう呟くと、アレンが書類から顔を上げた。
「終わり、というより、始まりです。これからが本当の戦いですから」
彼の声には疲労の影があった。それでもその瞳には、確かな希望の光があった。
「王国の再建はどうなっているのです?」
「王弟ジルベルトが摂政となり、新しい議会を設けることが決まりました。
今度は民の代表が政治に関わる形になります。そのための法案草案をまとめているところです」
「……時代が変わるのですね」
「そうです。かつてのように、王一人の気まぐれで国が動く時代ではなくなる」
アレンの言葉に胸が熱くなる。
あれほどに遠く感じた「希望」というものを、今は両手で触れられる気がした。
ふいに部屋の扉が叩かれた。
「リディア様、民衆の代表団がお会いしたいとのことです」
城の執事が言う。
「代表団?」
「ええ。あの日、陛下――いえ、元陛下の断罪を王城前で目の当たりにした者たちですよ」
アレンが柔らかく私を見る。
「行きなさい。貴女にしか伝えられない言葉があるはずです」
私は頷き、外へ出た。
広場では、数百人の人々が集まっていた。
農夫、商人、職人、そして兵士――立場も年齢も異なる者たちが、皆、真っ直ぐな目でこちらを見ていた。
「リディア様!」
誰かが叫ぶ。その声に応えるように私も足を止めた。
「……皆さん。顔を上げてください。私はもう“氷の令嬢”ではありません」
その瞬間、群衆の間にざわめきが走った。
「貴女は私たちを救ったんです! 陛下の支配から!」
「違います。救ったのは、皆さん自身です。
戦わずして心を閉ざさぬ勇気、それがこの国を変えたのです」
言葉を重ねるうちに、不意に涙が滲んだ。
どうして泣いているのか分からなかった。
怒りや悲しみだけではない。
守り抜いたものへの安堵と、これから背負う責任の重みが混ざり合っていた。
「それでも私は感謝します。皆さんがここで立ち上がってくれたから、私は怖くても進むことができた。
氷の令嬢と呼ばれていた私が、こんなにも温かな景色を見られるなんて思わなかったわ」
涙を拭う私を見て、誰かが言った。
「リディア様、貴女の涙は、春の雨みたいだ!」
笑い声が起こり、やがて拍手が広がった。
それは祝福でも歓声でもない。ただ純粋な喜びだった。
私は深く息を吸い、微笑んだ。
その頃、王城の奥ではアーヴィン王太子がジルベルトの監督のもとに声明を記していた。
「弟よ……俺の名を消してくれ。この国の歴史に王太子アーヴィンの名は不要だ」
「ですが兄上、それでは――」
「構わない。これでいい。リディアの名がこの国に残るなら、それが救いだ」
紙に落ちた彼の手の震えは、過去の己との訣別を示していた。
――その日の夕方。
私とアレンは湖畔に立っていた。
春の風が吹き渡り、静かな水面に夕日が映る。
「リディア」
「はい」
「貴女がこの国を変えた。もはや誰も“令嬢”とは呼ばない。
貴女は、この国の誇りです」
「誇り……そんな大層なものではありません」
「いや、誇りだ。冷たく見えても、実は熱を秘めた人……あの日からずっと、私はその光を見ていた」
彼の言葉に胸が締めつけられた。
私は笑おうとしたが、声が震えるだけだった。
「アレン、貴方がいなければ、私は自分を信じられなかった。
守られるばかりでなく、共に戦ってくれた。ただ、そのことがどんな言葉よりも嬉しいんです」
アレンが一歩近づいた。
「リディア、君に伝えたいことがある」
「……なんですか?」
「私は、王国に仕える身としてすべてを正す覚悟を持ってここまで来ました。
だが、今は一人の男として願いがある。――君の人生を、これからは私の名と共に歩んでほしい」
言葉に、時が止まった。
胸の鼓動が高鳴り、涙があふれそうになる。
「……それは、求婚ですか?」
「よければ、そう受け取ってください」
その瞳には、嘘ひとつなかった。
私は息を整え、笑いながら泣いた。
「遅いんですもの、アレン。私、ずっと待っていました」
彼が柔らかく微笑み、私の手を取った。
冷たい指先に、確かな温もりが宿っている。
「これからは、涙は悲しみではなく願いの証にしましょう」
その言葉に、私は頷いた。
春の風が吹き抜け、湖の波が光を散らす。
やがて城下では、新しい鐘が鳴り響いた。
旧時代の終わり、そして新しい王国の始まりを告げる音。
アーヴィンの名も王妃の名も歴史の陰に消え、ただ民の笑顔が列を成していた。
私は空を見上げ、深く深呼吸をした。
胸の奥に、氷ではなく、確かな炎が灯っている。
「見ていてください、父上、母上。私たちは、もう負けません」
アレンがその言葉に微笑んで、手を重ねる。
「これが、君の勝利ですよ。誰にも奪われない、誇りの形です」
涙が頬を伝い、陽に照らされて虹色に輝いた。
それは悲しみでも喜びでもない、赦しと誇りの光。
春風が去った後も、私の耳にはあの鐘の音が残っていた。
それは、長い戦いを終えた心を優しく包む――真の解放の音だった。
続く
王国は新たな暦を迎えるように、音もなく形を変えていた。
長く凍りついていた権力の塔が崩れ、民衆の声が城下に響きはじめた。
それは歓喜ばかりではなく、不安や悲嘆も含んでいたが、それでも確かに「生きた国」の息吹だった。
レイベルとヴァルディールの新協定が結ばれ、戦は避けられた。
かつて王妃が恐れていた「民による王国の崩壊」は起こらなかった。
その代わりに、王国は民によって建て直されようとしていた。
私は朝の光が差し込む執務室に立ち尽くしていた。窓の外には、修復が進む王城の尖塔が見える。
「ようやく終わったのですね……」
静かにそう呟くと、アレンが書類から顔を上げた。
「終わり、というより、始まりです。これからが本当の戦いですから」
彼の声には疲労の影があった。それでもその瞳には、確かな希望の光があった。
「王国の再建はどうなっているのです?」
「王弟ジルベルトが摂政となり、新しい議会を設けることが決まりました。
今度は民の代表が政治に関わる形になります。そのための法案草案をまとめているところです」
「……時代が変わるのですね」
「そうです。かつてのように、王一人の気まぐれで国が動く時代ではなくなる」
アレンの言葉に胸が熱くなる。
あれほどに遠く感じた「希望」というものを、今は両手で触れられる気がした。
ふいに部屋の扉が叩かれた。
「リディア様、民衆の代表団がお会いしたいとのことです」
城の執事が言う。
「代表団?」
「ええ。あの日、陛下――いえ、元陛下の断罪を王城前で目の当たりにした者たちですよ」
アレンが柔らかく私を見る。
「行きなさい。貴女にしか伝えられない言葉があるはずです」
私は頷き、外へ出た。
広場では、数百人の人々が集まっていた。
農夫、商人、職人、そして兵士――立場も年齢も異なる者たちが、皆、真っ直ぐな目でこちらを見ていた。
「リディア様!」
誰かが叫ぶ。その声に応えるように私も足を止めた。
「……皆さん。顔を上げてください。私はもう“氷の令嬢”ではありません」
その瞬間、群衆の間にざわめきが走った。
「貴女は私たちを救ったんです! 陛下の支配から!」
「違います。救ったのは、皆さん自身です。
戦わずして心を閉ざさぬ勇気、それがこの国を変えたのです」
言葉を重ねるうちに、不意に涙が滲んだ。
どうして泣いているのか分からなかった。
怒りや悲しみだけではない。
守り抜いたものへの安堵と、これから背負う責任の重みが混ざり合っていた。
「それでも私は感謝します。皆さんがここで立ち上がってくれたから、私は怖くても進むことができた。
氷の令嬢と呼ばれていた私が、こんなにも温かな景色を見られるなんて思わなかったわ」
涙を拭う私を見て、誰かが言った。
「リディア様、貴女の涙は、春の雨みたいだ!」
笑い声が起こり、やがて拍手が広がった。
それは祝福でも歓声でもない。ただ純粋な喜びだった。
私は深く息を吸い、微笑んだ。
その頃、王城の奥ではアーヴィン王太子がジルベルトの監督のもとに声明を記していた。
「弟よ……俺の名を消してくれ。この国の歴史に王太子アーヴィンの名は不要だ」
「ですが兄上、それでは――」
「構わない。これでいい。リディアの名がこの国に残るなら、それが救いだ」
紙に落ちた彼の手の震えは、過去の己との訣別を示していた。
――その日の夕方。
私とアレンは湖畔に立っていた。
春の風が吹き渡り、静かな水面に夕日が映る。
「リディア」
「はい」
「貴女がこの国を変えた。もはや誰も“令嬢”とは呼ばない。
貴女は、この国の誇りです」
「誇り……そんな大層なものではありません」
「いや、誇りだ。冷たく見えても、実は熱を秘めた人……あの日からずっと、私はその光を見ていた」
彼の言葉に胸が締めつけられた。
私は笑おうとしたが、声が震えるだけだった。
「アレン、貴方がいなければ、私は自分を信じられなかった。
守られるばかりでなく、共に戦ってくれた。ただ、そのことがどんな言葉よりも嬉しいんです」
アレンが一歩近づいた。
「リディア、君に伝えたいことがある」
「……なんですか?」
「私は、王国に仕える身としてすべてを正す覚悟を持ってここまで来ました。
だが、今は一人の男として願いがある。――君の人生を、これからは私の名と共に歩んでほしい」
言葉に、時が止まった。
胸の鼓動が高鳴り、涙があふれそうになる。
「……それは、求婚ですか?」
「よければ、そう受け取ってください」
その瞳には、嘘ひとつなかった。
私は息を整え、笑いながら泣いた。
「遅いんですもの、アレン。私、ずっと待っていました」
彼が柔らかく微笑み、私の手を取った。
冷たい指先に、確かな温もりが宿っている。
「これからは、涙は悲しみではなく願いの証にしましょう」
その言葉に、私は頷いた。
春の風が吹き抜け、湖の波が光を散らす。
やがて城下では、新しい鐘が鳴り響いた。
旧時代の終わり、そして新しい王国の始まりを告げる音。
アーヴィンの名も王妃の名も歴史の陰に消え、ただ民の笑顔が列を成していた。
私は空を見上げ、深く深呼吸をした。
胸の奥に、氷ではなく、確かな炎が灯っている。
「見ていてください、父上、母上。私たちは、もう負けません」
アレンがその言葉に微笑んで、手を重ねる。
「これが、君の勝利ですよ。誰にも奪われない、誇りの形です」
涙が頬を伝い、陽に照らされて虹色に輝いた。
それは悲しみでも喜びでもない、赦しと誇りの光。
春風が去った後も、私の耳にはあの鐘の音が残っていた。
それは、長い戦いを終えた心を優しく包む――真の解放の音だった。
続く
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