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第25話 告白と口づけ
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静寂な夜、王城の窓から淡い月光が差し込んでいた。
レイベル国への出征が決定してから数日が経ち、城はざわついている。
反乱の火種はまだ小さいが、それでも油断はできない。
ヴァルディール邸の廊下には、従者の足音と、紙と羽根ペンが擦れる音だけが響いていた。
リディアは書斎の机に向かっていた。
地図の上に散らばる報告書をいくつも並べ、現地の地形や兵站の動きを確認している。
今や、書類の言葉も、人々の思惑も、彼女にとって逃げ場ではなく“現実”だった。
「そろそろ休みなさい。明日には国境に向けて出発です」
背後からアレンの声がした。
彼は軍装のまま、腰の剣を外して近づいてくる。
「貴方こそ、ほとんど眠っていないでしょう。顔に疲れが滲んでいますよ」
「君に言われる筋合いはありません。僕は普段からこれくらいです」
軽口を交わす一瞬に、どちらも微笑み合った。
けれど、その笑顔の奥に隠された不安を互いに見逃さなかった。
「出征に同行すると言っても、必ず危険な場面はあるでしょう。
この戦は、王家の内乱とは違う。領地の誇りと誇りがぶつかる闘いです」
アレンの声には、静かな覚悟があった。
「だからこそ行くのです。私はただの観察者ではなく、貴方と同じ道を歩くと誓いました」
「……まったく、説得が通じない」
アレンは少し苦笑し、椅子の背凭れに手を置いた。
「リディア。貴女には、自分を危険に晒してまで守るべき何かがあるのですか?」
「あります」
即答だった。
「私自身です。私の選択を、もう誰にも奪わせません」
その強い言葉に、アレンが目を細めた。
「本当に変わった。最初に出会った時、君はあんなにも静かだったのに」
「それは貴方の前だからですよ。話す必要があることしか、話さないようになっていたのです」
「では、今こうして話しているのは?」
「話したいからです」
沈黙ののち、アレンの微笑がゆるやかに浮かんだ。
「……そろそろ潮時ですね」
「何の、ですか?」
彼は少し視線を外し、窓に映る月を見上げた。
「君に伝えねばならないことがあります。
明日の出征が本当に成功する保証はどこにもない。だから、その前に言っておきたかった」
リディアは姿勢を正した。心臓が早鐘のように打つ。
けれど、アレンの声を遮ることなく、ただ聞いた。
「私は、公爵として多くの人に嘘をついてきました。
正義という名のもとに、貴族を黙らせ、時には犠牲を見過ごしてきた。
それでも、君にだけは嘘をつきたくなかった。
君が“氷の令嬢”と呼ばれていたころから、私は、君がどれほど凛として美しい人なのかを知っていた」
彼の言葉の一つ一つが、胸を締めつける。
「貴方……まさか……」
「私はもう、公爵でも、貴族でもない“男”として、君を愛している」
リディアの世界が、一瞬で静止した。
心臓の鼓動すら遠くに聞こえる。
唇が震えるのに、言葉が出てこない。
アレンがゆっくりと立ち上がり、机の上の書類を静かに避けた。
月光が二人の間を照らし、影が重なる。
「怖がらなくていい。答えは今すぐでなくていい。
ただ、明日もし私がこの世にいなくなったとしても、この言葉が君の心の片隅に残っていれば、それでいい」
沈黙の時間が流れる。
リディアは小さく息を吸い込み、歩み寄った。
指先が彼の胸に触れる。
「戦場に行く前に、私を置いていくつもりですか?」
「……まさか、叱られますね」
「当然です」
少しだけ、二人の間に柔らかな笑いが戻った。
その雰囲気の中で、リディアは静かに言った。
「私も、貴方を愛しています。
貴方が私を救ったのではありません。私が貴方を見つけたのです。
あの夜、誰よりも冷たい風の中で、ただ一人、貴方が温かかった。だから私は生きてこれた」
アレンの瞳が揺れる。
「リディア……」
「ありますよね?」
「え?」
「出征の前に、誓いを交わす習わしが」
「……もちろんあります」
リディアが一歩近寄る。
「ならば、公爵様。従者の私と、等しくその誓いを」
アレンはそっと彼女の手を取り、指に口づけた。
「戦の運命がいかなるものであろうと、君の心を護る。
それが、ヴァルディール公爵アレンの誓いだ」
リディアは涙をこぼさぬように笑った。
「私も誓います。貴方の光が途絶えない限り、私はこの国で火を灯し続ける。
――たとえ、すべてを失っても」
月光の下、二人の手が重なる。
沈黙は、重すぎるほど甘い時間へと変わっていく。
言葉はもう要らなかった。
アレンはそのまま、リディアの頬を包み、唇を重ねる。
柔らかくも強い口づけだった。
長い月日を越え、凍てついた心が完全に溶かされていく。
リディアの指先が彼の胸に触れ、確かな鼓動を感じる。
「あたたかい……」
「君が、温めてくれたからです」
二人の影が一つに重なり、部屋の灯だけが揺れていた。
時間が止まるような静寂の中で、リディアは心の奥底で確信した。
――私はもう孤独ではない。
やがて唇が離れる。
アレンは穏やかに微笑んだ。
「これで、帰る場所がひとつできました」
「ええ。たとえ戦が終わって離れ離れになっても、心はここにあります」
「だからこそ、必ず戻ります。何があっても」
リディアは頷いた。
扉の外から、朝を告げる鐘の音が遠くに響いてくる。
夜は明け、新しい戦の日が始まろうとしていた。
「リディア」
「はい」
「そして、もし――私が不在の時、この国が再び迷いに包まれたなら」
彼は彼女の頬に触れ、真剣な眼差しで続けた。
「貴女がこの国を導いてください。それができるのは、もう貴女しかいない」
「……はい。約束します」
外では夜明けの光が差し込み、部屋の奥にあった影を追い払う。
アレンが剣を取り、まっすぐに背筋を伸ばした。
リディアもまた、新しいドレスを纏う。
それは戦場への装束というより、再生を誓う者の衣。
二人は扉の前に立った。
そして、振り返らずに歩き出す。
沈黙の中で、彼らの手がしっかりと繋がっていた。
その瞬間、城の鐘がひときわ高く鳴り響いた。
まるで二人の誓いを祝福するように。
続く
レイベル国への出征が決定してから数日が経ち、城はざわついている。
反乱の火種はまだ小さいが、それでも油断はできない。
ヴァルディール邸の廊下には、従者の足音と、紙と羽根ペンが擦れる音だけが響いていた。
リディアは書斎の机に向かっていた。
地図の上に散らばる報告書をいくつも並べ、現地の地形や兵站の動きを確認している。
今や、書類の言葉も、人々の思惑も、彼女にとって逃げ場ではなく“現実”だった。
「そろそろ休みなさい。明日には国境に向けて出発です」
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彼は軍装のまま、腰の剣を外して近づいてくる。
「貴方こそ、ほとんど眠っていないでしょう。顔に疲れが滲んでいますよ」
「君に言われる筋合いはありません。僕は普段からこれくらいです」
軽口を交わす一瞬に、どちらも微笑み合った。
けれど、その笑顔の奥に隠された不安を互いに見逃さなかった。
「出征に同行すると言っても、必ず危険な場面はあるでしょう。
この戦は、王家の内乱とは違う。領地の誇りと誇りがぶつかる闘いです」
アレンの声には、静かな覚悟があった。
「だからこそ行くのです。私はただの観察者ではなく、貴方と同じ道を歩くと誓いました」
「……まったく、説得が通じない」
アレンは少し苦笑し、椅子の背凭れに手を置いた。
「リディア。貴女には、自分を危険に晒してまで守るべき何かがあるのですか?」
「あります」
即答だった。
「私自身です。私の選択を、もう誰にも奪わせません」
その強い言葉に、アレンが目を細めた。
「本当に変わった。最初に出会った時、君はあんなにも静かだったのに」
「それは貴方の前だからですよ。話す必要があることしか、話さないようになっていたのです」
「では、今こうして話しているのは?」
「話したいからです」
沈黙ののち、アレンの微笑がゆるやかに浮かんだ。
「……そろそろ潮時ですね」
「何の、ですか?」
彼は少し視線を外し、窓に映る月を見上げた。
「君に伝えねばならないことがあります。
明日の出征が本当に成功する保証はどこにもない。だから、その前に言っておきたかった」
リディアは姿勢を正した。心臓が早鐘のように打つ。
けれど、アレンの声を遮ることなく、ただ聞いた。
「私は、公爵として多くの人に嘘をついてきました。
正義という名のもとに、貴族を黙らせ、時には犠牲を見過ごしてきた。
それでも、君にだけは嘘をつきたくなかった。
君が“氷の令嬢”と呼ばれていたころから、私は、君がどれほど凛として美しい人なのかを知っていた」
彼の言葉の一つ一つが、胸を締めつける。
「貴方……まさか……」
「私はもう、公爵でも、貴族でもない“男”として、君を愛している」
リディアの世界が、一瞬で静止した。
心臓の鼓動すら遠くに聞こえる。
唇が震えるのに、言葉が出てこない。
アレンがゆっくりと立ち上がり、机の上の書類を静かに避けた。
月光が二人の間を照らし、影が重なる。
「怖がらなくていい。答えは今すぐでなくていい。
ただ、明日もし私がこの世にいなくなったとしても、この言葉が君の心の片隅に残っていれば、それでいい」
沈黙の時間が流れる。
リディアは小さく息を吸い込み、歩み寄った。
指先が彼の胸に触れる。
「戦場に行く前に、私を置いていくつもりですか?」
「……まさか、叱られますね」
「当然です」
少しだけ、二人の間に柔らかな笑いが戻った。
その雰囲気の中で、リディアは静かに言った。
「私も、貴方を愛しています。
貴方が私を救ったのではありません。私が貴方を見つけたのです。
あの夜、誰よりも冷たい風の中で、ただ一人、貴方が温かかった。だから私は生きてこれた」
アレンの瞳が揺れる。
「リディア……」
「ありますよね?」
「え?」
「出征の前に、誓いを交わす習わしが」
「……もちろんあります」
リディアが一歩近寄る。
「ならば、公爵様。従者の私と、等しくその誓いを」
アレンはそっと彼女の手を取り、指に口づけた。
「戦の運命がいかなるものであろうと、君の心を護る。
それが、ヴァルディール公爵アレンの誓いだ」
リディアは涙をこぼさぬように笑った。
「私も誓います。貴方の光が途絶えない限り、私はこの国で火を灯し続ける。
――たとえ、すべてを失っても」
月光の下、二人の手が重なる。
沈黙は、重すぎるほど甘い時間へと変わっていく。
言葉はもう要らなかった。
アレンはそのまま、リディアの頬を包み、唇を重ねる。
柔らかくも強い口づけだった。
長い月日を越え、凍てついた心が完全に溶かされていく。
リディアの指先が彼の胸に触れ、確かな鼓動を感じる。
「あたたかい……」
「君が、温めてくれたからです」
二人の影が一つに重なり、部屋の灯だけが揺れていた。
時間が止まるような静寂の中で、リディアは心の奥底で確信した。
――私はもう孤独ではない。
やがて唇が離れる。
アレンは穏やかに微笑んだ。
「これで、帰る場所がひとつできました」
「ええ。たとえ戦が終わって離れ離れになっても、心はここにあります」
「だからこそ、必ず戻ります。何があっても」
リディアは頷いた。
扉の外から、朝を告げる鐘の音が遠くに響いてくる。
夜は明け、新しい戦の日が始まろうとしていた。
「リディア」
「はい」
「そして、もし――私が不在の時、この国が再び迷いに包まれたなら」
彼は彼女の頬に触れ、真剣な眼差しで続けた。
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「……はい。約束します」
外では夜明けの光が差し込み、部屋の奥にあった影を追い払う。
アレンが剣を取り、まっすぐに背筋を伸ばした。
リディアもまた、新しいドレスを纏う。
それは戦場への装束というより、再生を誓う者の衣。
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沈黙の中で、彼らの手がしっかりと繋がっていた。
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続く
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